ケンのブログ

日々の雑感や日記

気になる急死 阿炎の優勝

2022年11月29日 | 日記歌入り
11月29日付の読売新聞に ベラルーシのマケイ外相が亡くなった、急死と書いてある。

とっさに思い出したのが キリルコンドラシンと言うロシアの指揮者。

西側を代表するオーケストラ バイエルン放送交響楽団の首席指揮者になることが 内定していた。

そんな時期に オランダの アムステルダムでのコンサートを終えた 晩に 急死したというエピソードがある。

僕は キリルコンドラシンの演奏する ショスタコーヴィチの交響曲が 独特の切れがあって好きで 割と よく聴く。

聴くたびに 急死と言う 亡くなり方は 残念だったなと思う。

ベラルーシの マケイ外相が 急死と聞いて コンドラシンのことを思い出した。

物事の 因果関係は 僕には まったく わからないけれど ロシアにまつわる人って 急死と言うことが時々あるなと思う。

ご冥福をお祈りします。

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大相撲九州場所は ほとんど 見ないで終わってしまった。

阿炎が優勝と新聞に出ている。

高安が 単独トップで並んでいたけれど 阿炎に逆転されたと。

高安 また 優勝逃したんだと そちらの方が気になってしまう。

阿炎と高安の本割の相撲を動画で見ると 高安 足が 出ていない。

阿炎の変化を警戒しすぎにも思える。

ただ、 阿炎の突き押しを見ていると 師匠の錣山親方が寺尾のしこなで 現役だったころの するどい 突っ張りを思い出す。

あの 突き押しが 強いから 変化が 怖くて 高安 足が出ないのだと思う。

しかし 弟子(阿炎)の 相撲を見て 親方(寺尾)の突っ張りを思い出すというもの また いいものだなあと 我ながら思う。


■ハートのイヤリング
松田聖子さんの「ハートのイヤリング」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

作曲は 佐野元春さんです。

松田聖子さんの歌の中では 重いリズムが 特徴で 僕の好きな歌です。

歌詞の中で 「あの子のうわさなど 信じたくないけど 本当だったら はっきりさせてね」という一節がとても好きです。

はっきりすると安心する というのが 私たち 人間の 心ではないでしょうか。しかし、はっきりしないことが多い世の中ですね。 はっきりしないことになれることも大切とは思います。

↓松田聖子さんの「ハートのイヤリング」をカラオケDAMの音源で歌いました。

感覚のマヒ また免責

2022年11月27日 | 日記歌入り
11月26日付の読売新聞に東京五輪の談合で電通を捜索したという記事が一面に出ている。

談合が本当だとすると もう これは 順法精神など失われてしまっている 感覚のマヒだなと改めて思う。

大手の 広告会社などに勤めていると 日本を動かしているのは俺たち 少々のことは 許される。 少々のことは 必要悪だ。

というような 感覚になってしまうのかもしれない。

旧約聖書の箴言に こんな風に書いてある。

「高ぶりは滅びに先立ち
誇る心は倒れに先立つ。
へりくだって貧しい人とともにいるのは
高ぶるものとともにいて 獲物を分けるのにまさる」と。
※旧約聖書 箴言 第16章より引用

高ぶるのとともにいて 獲物を分けるのにまさる

と箴言に書いてある。

本当に 談合って 簡単に言えば 高ぶる人たち(広告会社のエリート社員)が まさに 広告収入と言う獲物を分け合うことだ。

本当に 旧約聖書に書いてある 言葉は 現代の世の中でも そのまま当てはまる 生き続けているな と思う・


こういう機会に 古くから 伝わっている 人間の 処世術ともいえる 箴言のような 言葉の重みを 改めてかみしめていきたいなと思う。

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大手の 販売店で ダウンジャケットの補修テープがないかと 尋ねたら 親切に 「当店での扱いはありませんが 近所の 島本屋に行ったら あるかもしれません」と販売員のお兄さんが教えてくれた。

それで 道を聞くなら 3階のレジで 聞くより 一階の 出口付近の レジで 「あそこを曲がって、、、」という感じで教えてもらった方がわかりやすいと思って 僕は一階のレジのお姉さんに 尋ねた。

「3階のお兄さんから 補修テープが ここでは扱ってないけど 近所の島本屋にあるかもしれないと 教えてもらった。 それで 島本屋に行ったみたいのですが この 近くですか」と僕は言った。

「はい あの 道を まっすぐ行って 最初の 信号機を超えてすぐの 茶色のビルが島本屋です。 ですが たぶん まだ やっていると 思いますが 週末なので 早く お店を閉めることも ありますのでご注意ください」とお姉さんは言った。

道の教え方は とても わかりやすかった。

でも もう しまっているかもしれない その際は ご了承ください って また 免責発言かと思った。

数日前も 郵便局で 普通郵便を出したら 普通郵便では 追跡もできないし 事故があった時の保証もない と 免責を言われた。

特に 若い 世代の人は もう 強迫観念のように 免責発言をしてしまう人が多いように思う。

昔の話をすると 歳をとった証拠だけれど 本当に 昔は 「三階のお兄さんが 島本屋にあるかも って 言ってたんやけど 島本やって どこかな」 「ああ 島本屋なら ここまっすぐ行って最初の信号機超えてすぐです」「わかりました どうもありがとう」で 簡単に かつ 気持ちよく すんでいた話だと思う。

今の時代は まず 免責を 言うように 上からも うるさく 指導されているのかもしれない。

お客さんから 些細なクレームを よほど 受けているのかもしれない。

でも ネットで 接客七大用語を調べてみると ごく 最近のサイトに次のように出ている
1、いらっしゃいませ
2、かしこまりました
3、少々お待ちください
4、お待たせいたしました
5、恐れ入ります
6、ありがとうございます
 7、申し訳ございません
と。

もう 接客七大用語など 開店前に 唱えたとしても ポイントの確認 レジ袋の有料の確認 カードの確認 免責の確認 いろいろ ありすぎて ありがとう と言う 暇も余裕もなくなってしまっている。

本当に 大変な時代と思うけれど それでも 接客七大用語に 見られるような 言葉と気持ちは忘れないようにしたいものだなと思う。



■そして神戸
内山田洋とクールファイブの「そして神戸」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

神戸の街を思い浮かべながら 聴くと そして 歌うと いい歌だなあと思います。

↓内山田洋とクールファイブの「そして神戸」をカラオケDAMの音源で歌いました。

免責事項

2022年11月25日 | 日記
夜 駐車場に 自動車を止めて 東の空を見ると オリオン座が見える。

大阪にいる頃は オリオン座を見る習慣は 途絶えていた。

僕が住んでいた近辺は マンションなどが建て込んでいて オリオン座は見えなかったから、、、。

今は 見えるので 空を見上げることが多くなった。

やはり こちらの方が田舎なのだなあと思う。

郵便局の窓口に 普通郵便を 出す。

窓口の 職員の方が 「配達は月曜日になります 普通郵便なので 追跡もできないですし 保証もないですが よろしいですか」とおっしゃる。

「はい 大丈夫です」と僕。

まあ 普通郵便に保証がないのは 昔からだから 知っている。

でも 郵便を引き受けるときには 「かしこまりました お引き受けいたします」というのが望ましい言葉遣いであるように思う。

「普通郵便やから 追跡もでけへんし 保証もないで。 おまえ それでも ええんか?」と 考えようによっては 郵便職員の言葉は 喧嘩をうっているようなものにも思えてくる。

免責事項をまず明らかにする という 現代の風潮なのだと思うけれど やはり なぜか殺伐とした 世の中だなと思ってしまう。

年賀状など 普通郵便で 出しても 相手が引っ越したりした場合は 「あてどころに 届きませんでした」 という ハンコを押して わざわざ 戻ってくるくらい 普通郵便でも 丁寧に 作業を しているわけだから まあ 普通郵便の 事故率って きわめて 低いと 思うのだけれど、、、。

ある方が 「郵便番号は 書かなくても 郵便配達の人は ちゃんと 届けてくれますよ」と僕に言ったことがある。

そして それは 僕の経験から言っても 事実だ。

町名 番地 宛名が しっかり 書いてあれば 郵便番号を 書いてなくても 郵便配達の人は ちゃんと 届けてくれる。
 
郵便に 信頼を寄せ 万一の時は 万一の時に 考えればいい。

個人のレベルでは そういう 考え方が むしろ 普通であるように していきたいな と思う。

それは ともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを 第一に 願っていきたい。










感覚のマヒ 中の島ブルース

2022年11月23日 | 日記歌入り
“”日本国憲法第九条

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。“”

上記の 日本国憲法第九条の条文を読んだ直後に 新聞に書いてある 反撃能力「不可欠」という見出しを見ると もう 誰も 日本の防衛力のあり方を考える場合に 憲法第九条のことなど まともに 考えていない ということが ありありと わかる気がする。

反撃能力とは 相手のミサイル発射拠点などを破壊する能力 と新聞に書いてあるのだから もう 憲法九条のことなど誰もまともに考えていないことが よりいっそう 明らかになる。

反撃能力は 抑止力向上のために不可欠 という 「抑止力向上のため」というところに 憲法九条に対するわずかな配慮が感じられるのみだ。

武力ではない あくまで抑止力だ というわけのわからない理屈になるのだろうけれど、、、。

僕も 憲法九条をガチンコに順守して 丸腰でいることを 望んでいるわけではないけれど 誰も 守ることなど 考えていない 条文ならば やはり 改める必要があるのではないか と思う。

このままでは 歯止めが利かなくなってしまうように思う。

同じ新聞の一面に載っている 東京五輪での 広告会社の談合のニュースを見ると ここでも 誰も コンプライアンスのことなど まともに考えていないことがよくわかる。

感覚がマヒしてしまっているのだと思う。

話を戻して 防衛力の強化ということに戻ると もう 憲法九条に書いてあることが 現実とかなり かけ離れてしまっているから それを 守ろうとする 感覚が ここでも マヒしてしまっている ということになると思う。

感覚のマヒって怖いことだと思う。

感覚をマヒさせないためにも 常に 私たちは 法律はどうなっているのか ということを 確かめてみる必要があるのだと思う。

そして 確かめる意味のない 法律 憲法の条文ならば やはり 改めるべきなのではないか そんな 気がする。

改めることは難しいとは思うけれど、、、。

しかし、行動の 規範を考えるときに やはり 私たちは 法律や あるいは 聖書の世界なら 律法 がどうなっているか ということを 振り返ってみることは とても大切なことだと改めて思う。


■中の島ブルース
内山田洋とクールファイブの「中の島ブルース」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

バブルのころレーザーディスクのカラオケでよく この歌を歌っていました。

いい歌だなあと思います。

↓内山田洋とクールファイブの「中の島ブルース」をカラオケDAMの音源で歌いました。

見ないことで 見たい気持ちにうち勝つ

2022年11月20日 | 日記歌入り
11月19日付の読売新聞の人生案内に

『自分が妊娠しているときに SNSの交流サイトで そのことを話題にしていたら 幸せ自慢しないで と批判をしてきた人がいた。

それで しばらくすると その人が 妊娠して 今度は 自分がSNSで幸せ自慢をしている。

人のことを批判したのに 自分も同じことをしているのかと思うと 無性に腹が立った。

もう そんな サイト 見たくないと思っても 気になって 何度も見てしまう。

時間の 無駄と思ってもやめられない。』

という主旨の 投稿があった。

ああ それって あるあるだな と思った。

僕も あほくさ と思っても 何度もサイトを見てしまうことがある。

例えば 最近では 病気を告白した人の 動画。

そんな 病気なんて わざわざ みんなに 動画サイトで告白しなくても ごく 親しい人だけと そのことを わかちあい しっかり 自分自身が病気と向き合えばいい と思いつつも そんな 動画を 何度も見てしまったことが 最近もあった。

また、 動画サイトを見ていると 自分が 見たサイトに 関連したサイトが いっぱい 画面に 表示される。

あほくさ と思いつつも つい クリックしてしまう。

本当に あるあるだなと思う。

新聞の 回答者は 依存症に類することだろう と語っておられて それも そうだと 思うけれど こういうのって 戸締りを何度も確認したりしてしまう 強迫行動ともにているように思う。

以前 「強迫行動への向き合い方」 という 小冊子を見ていたら 一番効果的な 方法は 強迫行動をやめること つまり 確認の 強迫が あるのならば 一度確認したら もう 不安でも 確認しない。 そうすると しばらくは 不安が 高まるけれど 時間の経過とともに 不安は 必ず 下がる。という 国立大学医学部教授の 方法論が掲載されていた。

これは 手洗いを何度もしてしまう人も 同じことで 手洗いをしても まだ 汚いのではないかと 不安に なっても 手洗いを 我慢する。

そうすると 手を洗いたいという強迫的な衝動は 時間とともに軽減する という風にも 応用できるとのことだったと思う。

しかるべき 実験データもあるようで これは 信ぴょう性のある 冊子だなと思った。

確認しないことで 確認の 強迫にうち勝つ。

手を洗わないことで 手洗いの 衝動に 打ち勝つ。

そういう メソッドだ。

考えてみると ブッダの言葉にも
「怒らないことによって怒りにうち勝て」というのがある。

確かに 怒りを 我慢していると 怒りの衝動が下がる。

ただ これは 自分さえ我慢すれば 周りは 幸せになる と思って セクハラを言い出せないで 我慢すると 余計に 事態が 悪化する ということもあるから 100パーセント 正解というわけではない。

けれども 自分の 身の危険に 直接 関係のない怒りは 多くの場合 怒らないことで 軽減してくことが多い。

いろいろと そういう 考え方を 自分なりに応用していきたいなと思う。




■夏の扉
冬ですが 松田聖子さんの「夏の扉」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

先日 県庁所在地の百貨店の食料品売り場に行ったら 伊藤ハムのソーセージを売っているコーナーに 小さいモニターがあり そのモニターの中で おばちゃんたちが 「フレッシュ フレッシュ フレッシュ」という旋律のついた 文句に合わせて 踊っていました。

聴いた瞬間に 松田聖子さんの「夏の扉」とわかりました。

爽快な歌だと思います。

調べてみると 聖子さんは コンサートのラスト もしくは ラスト近くでこの歌を歌うことが多いそうです。

その話を読んで なるほどと 納得してしまいました。

↓松田聖子さんの「夏の扉」をカラオケDAMの音源で歌いました。