亡国の証書


もう一つ、『新教育指針』の中で注目に値するのは、

「教育者自身も、教育会や教員組合などを健全に発達させて、自ら助けると共にたがいに助けあい、(厳しい生活の)解決につとめられることを、われわれは期待しているのである」

と公然と発言したことである。

しかし、白米より大切なものは精神的なものである、と文部省は強調した。

終戦直後、このような文部省の言葉は、教師たちに残酷に聞こえたことだろう。

国民は食糧難に喘ぎ、マッカーサーが日本国民の食糧要求を「大衆騒動によって無秩序と暴力を招く」ものと見ていた時だった。



美徳の崩壊


文部省は、日本国民の欠点、かつて国民の美徳として称えられてきたことを、繰り返し攻撃し、嘲り、日本人であることが恥であると言った。

そうした「欠点」を教え込んだ責任は文部省にあったのだが、公に「一億総懴悔」を国民にさせれば、GHQが同省の過去を許してくれるのではないかと期待していたのであろう。

文部大臣に任命される直前の1946年3月、田中耕太郎が次のように述べているのも偶然ではなかった。

「敗因は原子爆弾を発明しえなかった自然科学の低位に帰するのではなく、また統制経済を円滑に遂行しえなかった政治科学の不振に見いだされるのでもない、真の敗因は本来開始すべからざる戦争、というのは道義的見地から許されない戦争をあえて開始した点に存する。即ち真の敗因は正に国民の道徳的欠陥に存する」


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『新教育指針』は、敗者日本が恰も魂を売り飛ばしたかのごとく、勝者アメリカによる洗脳に没頭した屈辱の証書である。世界史上でも、滅多にない惨劇であった。