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マヤーク核施設

2013-02-17 21:49:41 | Weblog

ウラル核惨事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
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座標: 北緯55度42分45秒 東経60度50分53秒 / 北緯55.7125度 東経60.84806度 / 55.7125; 60.84806

ウラル核惨事における核施設

ウラル核惨事(ウラルかくさんじ)は、1957年9月29日ソ連ウラル地方チェリャビンスク州で発生した原子力事故爆発事故)。また、後年にかけて放射性廃棄物に起因して発生する事故等も包括することも多い。

概要 [編集]

核分裂性物質貯蔵施設。貯蔵施設の主な管理とセキュリティは建物の南側で行われる。
建設中の核分裂性物質貯蔵施設。

オジョルスク市(Ozyorsk)にある「Маяк Mayak マヤーク」("lighthouse" 灯台の意味)は、兵器(原子爆弾)用プルトニウムを生産するための原子炉5基および再処理施設を持つプラントであり、1948年から建設された。プラントの周囲には技術者が居住する都市が造られ、チェリヤビンスク65という暗号名を持つ秘密都市として形成された。事故は、この施設を中心に発生した。国際原子力事象評価尺度でレベル6(大事故)。

キシュテム事故 [編集]

1950年代当初のソ連では、一般には放射能の危険性が認知されていない、もしくは影響を低く考えられていたため、放射性廃棄物の扱いはぞんざいであり、液体の廃棄物(廃液)は付近のテチャ川(オビ川の支流)や湖(後にイレンコの熱い湖、カラチャイ湖と呼ばれる)に放流されていた。やがて付近の住民に健康被害が生じるようになると、液体の高レベルの放射性廃棄物に関しては濃縮してタンクに貯蔵する方法に改められた。

放射性廃棄物のタンクは、絶えず生じる崩壊熱により高温となるため、冷却装置を稼働させ安全性を保つ必要があるが、1957年9月29日、肝心の冷却装置が故障。タンク内の温度は急上昇して爆発が生じ、大量の放射性物質が大気中に放出される事態となった(East Urals Radioactive Trace)。爆発規模はTNT火薬70t相当で、約1,000m上空まで舞い上がった放射性廃棄物は南西の風に乗り、北東方向に幅約9km、長さ105kmの帯状の地域を汚染、約1万人が避難した。避難した人々は1週間に0.025-0.5シーベルト、合計で平均0.52シーベルト、最高0.72シーベルトを被曝した。特に事故現場に近かった1,054人は骨髄に0.57シーベルトを被曝した。

放射性廃棄物の飛散 [編集]

放射性廃棄物貯蔵所でもあった湖(イレンコの熱い湖)は、放射性ストロンチウム90などで汚染されていたが、1967年春に干魃が発生した際に湖底が干上がって乾燥した。放射性物質を含む砂や泥が風にのって空気中に飛散したため、汚染地域が広がり周辺住民に放射性物質による被曝で、新たな健康被害を生むこととなった。

また1950年代に河川に投棄されていた放射性廃棄物は、対策が講じられず河床に沈殿されたままとなっており、年々下流域の住民の健康被害を深刻なものとしている。

事故の表面化 [編集]

事故は旧ソ連で起こったために極秘とされたが、1958年には「何かがあったらしい」程度の情報がアメリカ国内にも伝わることとなった。概要が明らかになったのは、1976年11月にソ連から亡命した科学者ジョレス・A・メドベージェフが英科学誌「ニュー・サイエンティスト」に掲載した論文による(彼はその後『ウラルの核事故』(日本語訳有り)を出版する)。この告発をソ連は真っ向から否定した。原子力を推進する立場の人々からは、このような事故はあり得ず、これは単なる作り話であるとされていた。これは、当初流布された噂では、核爆発に達する臨界事故が起きたとされていたためである。

このため、1989年9月20日グラスノスチ(情報公開)の一環として、外国人(日本人5人)記者団に資料が公開されるまで真相は明らかにされてこなかった。また地域住民に、放射能汚染が正式に知らされたのはロシア政府発足後の1992年前後であり、対策は後手に回り被害を拡大させる一因となった。

現在のマヤーク [編集]

1980年代までに兵器用核物質の生産は終了、2000年代には民生用のコバルト60の生産や使用済み核燃料の再処理が続けられている。再処理施設は国内唯一の施設であり、後継処理場の建設が頓挫していることから、今後も稼働が続くことは確実視されている。

参考文献 [編集]

  • 『ウラルの核惨事』 ジョレス・A・メドベージェフ著 梅林宏道訳 技術と人間 1982年7月 ISBN 4764500248

外部リンク [編集]

マヤーク核施設 その3 膨大な廃液 今なお投棄 (01/9/30) http://www.chugoku-np.co. jp/abom/nuclear_age/former_soviet/010930.html 対策なく 住民に不信感 チェリャビンスク市[Chelyabinsk]からエカテリンブルグ市[Yekaterinburg]へ ...

satehate.exblog.jp/16720998/ - キャッシュ

マヤーク核施設は、広島・長崎原爆投下直後の一九四五年十月、ソ連政府が最初の プルトニウム生産工場敷地として決定。 ... 今も高レベル放射能汚染のため、マヤーク核 施設周辺の約三百五十平方キロメートルは「健康保護ゾーン」として、農業や居住を禁止 ...

www.chugoku-np.co.jp/abom/nuclear_age/.../010916.html - キャッシュ

ロシアの放射能事故といえば「チェルノブイリ」があまりにも高名だ。そのため、 チェルノブイリの影に隠れがちだが、1957年に「マヤーク核施設で起きた放射能事故も 忘れてはならない。 放出された放射線量はチェルノブイリのおよそ40%を ...

eikojuku.seesaa.net/article/203415168.html - キャッシュ

書籍:『ウラルの核惨事』ジョレス・メドベージェフ著 梅林宏道訳絶版) Mayak1.jpg 2000年9月ロシア - Argayaschメディカルスクールの瓶に保存されている変形した胎児 マヤーク核施設とロシアのウラル山脈のマヤークの周りの地域で発生 ...

breakingnew-site.seesaa.net/article/216111408.html - キャッシュ
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97%の都市で地下水汚染=高まる危機感―中国 2013.2

2013-02-17 21:41:19 | Weblog

 【北京時事】中国の64%の都市で、地下水が深刻な汚染に見舞われていることが分かった。118都市で継続して調査したデータを基にしたもので、33%の都市も軽度の汚染があるといい「基本的に地下水が清潔な都市」は3%にとどまった。

(時事通信)


[記事全文]



◇一部工場が汚水排出

中国:工場汚染水の違法排出が横行、地下水質の悪化進む -

亜州IR(2月14日)

 


◇汚染源は「家庭ごみ」との指摘も

ごみや排水の増加で地下水汚染が深刻化、抜本策見えず―北京市 -

Record China(2011年10月19日)

 


◇大気汚染は悪化

春節明け、大気汚染また悪化=危険物質も検出―中国 -

時事通信(2月17日)

 

 

大気汚染の状況

 

くらし☆解説 「中国の大気汚染・日本への影響は」 -

PM2.5という目に見えない物質が日本に飛んできて、健康に差し障りが出るのではないかと問題になっている。

NHK解説委員室ブログ(2月14日)

 

質問なるほドリ:「PM2.5」って、どんな物質?=回答・比嘉洋 -

毎日新聞(2月5日)

 

 

PM2.5飛来による大気汚染

 

 
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【福島第1原発の現状】試運転に向け評価大詰め 放射性物質の除去設備 <試運転に向け評価大詰め?>

2013-02-17 16:27:51 | Weblog

 東京電力福島第1原発の事故収束作業で、原子炉の冷却に使った水から約60種類の放射性物質を除去できる「多核種除去設備(ALPS)」の試運転に向けた安全性評価が大詰めを迎えている。

除去された放射性物質を保管する容器に強度不足が見つかり、東電は耐久性を上げる対策を取った。原子力規制委員会の21日の検討会で、試運転に踏み切れるかどうか方向性が示される見込みだ。

 第1原発で貯蔵する汚染水は1月時点で約22万立方メートルに上り、千トン単位の汚染水タンクで構内に保管されている。ALPSは、従来の設備で除去できなかった放射性セシウム以外の放射性物質も取り除ける。東電の試算では、2月中に運転を始めれば2019年には保管されている汚染水の処理が全て終わる。

 ALPSで除去される放射性物質は、濃縮してコンパクトな円筒形容器(直径約1・6メートル、高さ約1・9メートル)で保管する。ただ容器は樹脂製で、落下試験で中身が漏れ出るケースもあったため、昨年内に予定された試運転は延期となった。

 東電はステンレスで容器を補強して強度を高め、移動時の落下防止策も取り入れた。東電は規制委側から「追加の宿題はない」との感触を得ており、早期の試運転開始が現実味を帯びている。

 しかしALPSが稼働しても構内にたまった水そのものがなくなるわけではなく、処理後の水には除去できない放射性トリチウムも残る。東電は希釈した上で海洋放出を模索するが、漁業関係者を中心に反発は必至だ。

 (2013年2月12日、共同通信)

 ≪福島第1原発の現状一覧≫こちらをクリック

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西部ワシントン州のハンフォード核施設で15日、地下にある放射性廃棄物貯蔵タンク1基から汚染水漏れが

2013-02-17 13:44:53 | Weblog
 核施設で再び汚染水漏れ=原爆製造拠点―米西部
 
地図ではシアトルに近い

 

ハンフォード核施設の汚水流出、ワシントン州知事が強い懸念

 

CNN.co.jp 2月16日(土)12時33分配信

 

(CNN) 米ワシントン州のジェイ・インスリー知事は15日、同州南東部ハンフォードの核廃棄物貯蔵施設にあるタンクから放射性物質を含んだ液体が年間150~300ガロン(約560~1200リットル)ずつ流出していると発表した。

インスリー知事は、この流出が直ちに公衆衛生上の危険をもたらすわけではないとしながらも、「大変毒性の強い放射性物質がワシントン州の地面や地下水に流れ込んでいる。これを食い止めるため、断固とした方針で対処する必要がある」と述べ、放置するわけにはいかないと語った。

これを受け、米エネルギー省のスティーブン・チュー長官は、インスリー知事を召喚。インスリー知事は来週、ワシントンDCに飛び、チュー長官と会談するとしている。

インスリー知事の事務所によると、タンクは1940年代に作られた一重殻タンク(貯槽が1枚の鋼板で作られている)で、約44万7000ガロンの汚泥が貯蔵されているという。ハンフォードの貯蔵施設には177のタンクがあり、そのうち149は一重殻タンクだという。

 

最終更新:2月16日(土)12時59分

 

CNN.co.jp

 

〔終戦特集〕太平洋戦争の歴史を振り返る

  • 〔特集〕真珠湾攻撃~ワレ奇襲ニ成功セリ~
  • 〔写真特集〕特別展「ヒトラーとドイツ人」
  • 〔写真特集〕1945年8月~被爆した広島、長崎~
  • 「スターリンの町」名称復活=独ソ激戦終結70年
  • 米西部ワシントン州政府は15日、同州のハンフォード核施設で、放射性廃液を貯蔵する
    地下タンクから汚染水が漏れ出しているのが確認されたと発表した。ハンフォード核施設は
    長崎に投下された原爆のプルトニウムを製造したことで知られる。

    州政府は「周辺住民の健康に直ちに被害が出る恐れはない」としている。
    ただAP通信によると、15日記者会見したインズリー知事は、長期的には地下水が
    汚染される可能性があるとして強い懸念を表明した。

    州政府が米エネルギー省から受けた連絡によると、177基の地下タンクのうち1基で、
    1年間に約570~1140リットルが漏れているという。

    *+*+ 47NEWS +*+*
    http://www.47news.jp/CN/201302/CN2013021601001335.html
  • ハンフォード核施設]

     1943年、「マンハッタン計画」の三つの拠点施設の一つとして、ワシントン州ハンフォードの荒野を軍が接収する。当時、農業を営んでいた約1200人は強制移住させられた。面積は広島市の約2倍の1520平方キロ。辺境の地で秘密が守れること、原子炉運転に必要な冷却用の豊富な水が得られることなどからこの地が選ばれた。

     大戦中のピーク時には技術者ら約5万1000人の労働力が動員され、3基の原子炉をはじめ、ウラン燃料工場、再処理工場を完成。工場規模で世界初のプルトニウム生産に成功。長崎への原爆投下に使用された。

     旧ソ連との核軍拡競争が展開された冷戦期に、さらに6基の原子炉が建設され、87年の全面的生産停止までに約55トンの兵器用プルトニウムが製造された。

     89年からは、40年以上に及ぶ生産活動で生まれた放射性物質や化学物質による膨大な汚染の除去作業に取り組んでいる。現在の労働力は、エネルギー省との契約企業の従業員を中心に約1万1000人。
  • 第二次世界大戦から冷戦末期まで、兵器用プルトニウム生産工場と してアメリカの核 戦略体制を支えてきたハンフォード核施設は、そ ばを流れる ... 完成後、タンクの上部 は 約3メートルの厚さの土で覆われた(ハンフォード核施設)=米 エネルギー省提供 ...

    www.chugoku-np.co.jp/abom/nuclear_age/us/020224.html - キャッシュ
ハンフォード核施設 上


 大量廃液 地下水を汚染
 大量廃液 地下水を汚染 ■ タンク爆発の危険性も

  ワシントン州最大の都市シアトル市から南東へ約三百五十キロ。 第二次世界大戦から冷戦末期まで、兵器用プルトニウム生産工場と してアメリカの核戦略体制を支えてきたハンフォード核施設は、そ ばを流れるコロンビア川から立ち上る水蒸気にすっぽり包まれ、不 気味な静寂を保っていた。 

(上)コロンビア川対岸のハンフォード核施設について説明するケイシ ー・ルードさん。「汚染処理ははかどっていない」(ワシントン州 ハンフォード核施設南東部)
(下)建設中の高レベル放射性廃液貯蔵タンク。完成後、タンクの上部 は約3メートルの厚さの土で覆われた(ハンフォード核施設)=米 エネルギー省提供


 氷点下四度。朝の冷え込みが緩み始めた正午前、ようやく川向こ うの半砂漠の大地に、原子炉の建屋が見えてきた。

 「ハンフォードの北に当たるコロンビア川のこの一帯は『100 エリア』と呼ばれている。プルトニウム製造のために、川沿いに九 つの原子炉が造られた。ほら、いま見えているのは、一番西側のB原子炉。長崎で使用されたプルトニウム型原爆の核燃料棒が取り出された原子炉だよ」

 かつてハンフォード核施設で、検査官として働いていたケイシー・ルードさん(46)が、広大な地にぽつねんと建つ灰色の建物を指さしながら言った。 
 



 一九四四年、マンハッタン計画の一環で建設が始まったB原子炉。第二次大戦中にさらに二基が完成。大戦後も、ソ連(現ロシア)との冷戦が続く中で六三年のN原子炉に至るまで増設は止まらなかった。

 「これほど原子炉が集中しているのは、世界中でもここだけ。プルトニウムを取り出す再処理工場も新旧三種類が建造された。放射性廃棄物による汚染状況も、全米で最悪だよ」。ルードさんは、目の前をゆったりと流れるコロンビア川の水面を見つめながら言った。

 カリフォルニア州ロサンゼルス近郊で生まれ育ち、高校卒業後、州内の原発で溶接工や非破壊検査などの検査官として勤務。その経験を買われて八五年、当時エネルギー省との契約でハンフォード核施設の操業を担当していた米有力企業のロックウェル社に入社。再処理工場などの作業工程に欠陥がないかをチェックする検査官として働いた。

 「当時は強力に軍拡を推し進めたレーガン政権下。プルトニウムの増産が求められ、安全性や環境などはおかまいなしだった」

 プルトニウム溶液の入ったドラム缶のふたの開閉は、盗難防止のために必ず二人一組で作業すること。製品化したプルトニウムは、指定の貯蔵所で厳重に保管すること…。

 作業に伴ういくつもの基本マニュアルがあった。だが、ドラム缶の開閉は何度も一人で行われた。通路に放置されたままのプルトニウム容器。溶接ミスによる容器の破損でプルトニウム溶液が床にあふれ、作業員が被曝する事故も起きた。

 安全性の無視やデザインの欠陥に伴う多くの危険。ルードさんは、何度も上司に改善を訴えたが、まともに耳を傾けてくれなかったという。
 



 そんな職場に失望していた彼に強い決意を促したのは、八六年一月に起きたスペースシャトルの爆発事故だった。

 「事故を起こしたスペースシャトルをつくったのは、同じロックウェル社。シャトルのプログラムに参加していて、ハンフォードに移ってきたエンジニアもいた。その一人が漏らした言葉が、自分には重かった。『問題点を指摘してきたが、何も改善されなかった』とね」

 このままではハンフォードでも大事故が起き、従業員ばかりでなく、外部の住民をも犠牲にしかねない…。そう思ったルードさんは、欠陥記録を手に工場長に直訴し、「改善されるまで工場を閉鎖すべきだ」と迫った。

 問題が公になれば、エネルギー省との契約更新ができなくなる。工場長はルードさんに「三カ月のうちに改善するから待ってくれ」と言った。三カ月後。変わらぬ事態に今度は「四十億ドル(約四千八百億円)の再契約後は、特進待遇を与える」と、甘言で黙認を迫った。

 ルードさんは拒否し、シアトルに出向いて地元の新聞社に内情を暴露した。ハンフォードで最初の「ホイッスル・ブロアー(内部告発者)」となった彼は、八六年十月に下院議会でも証言。その日のうちにすべての工場は閉鎖され、ロックウェル社はエネルギー省との契約を失った。

 ハンフォードで働いていた者は、全員新しい契約企業のウエスティングハウス社に移った。だが、内部告発した者への嫌がらせは想像以上に強く、八八年に解雇された。労働省に「不当解雇」訴えて訴訟を起こし、勝訴した。が、職場には戻らなかった。

 同じころ、ハンフォードでのプルトニウム生産はだぶつき、米ソ関係の改善とも相まってストップした。八九年からは、年間約二十億ドル(約二千四百億円)の予算で敷地内の除染作業が始まった。半世紀近くの間に蓄積された「負の遺産」の処理である。

 「敷地の中央部に再処理工場がある。『200エリア』と呼ばれるそこが、敷地内で最も汚染されている所だよ。特にそばにある高レベル放射性廃液を貯蔵している百七十七個の巨大な地下タンクが危険なんだ」

 紆(う)余曲折を経ながら、ワシントン州政府職員として働いていたルードさんは九三年、当時のヘイゼル・オレアリー・エネルギー長官に「あなたのような人こそハンフォードに必要だ」とスカウトされ、特にタンクの漏れについて調査するよう命ぜられた。

 オレアリー長官は、四〇~七〇年代にかけて国内で行われた医学者らによる放射性物質を使った人体実験の秘密資料を公開するなど、米核開発に伴う「歴史の暗部」に光を与えようと情報公開に努めていた。

 調査のためのマネジメントを任されたルードさんは、相棒に地球物理学が専門のジョン・ブロディアさん(44)を選んだ。ブロディアさんは、調査の必要性を強く訴えながら実現できないためにハンフォードを去り、先住民の科学アドバイザーに就いていた。

 「地下タンクがどうなっているか、その実態を一番理解しているのはジョンだよ」

 ルードさんにハンフォードの周辺を案内してもらったその夜、彼が住むケネウィック市から車で十五分ほど離れた農場に家を構えるブロディアさんを訪ねた。

 ミシガン州デトロイト生まれ。気さくなブロディアさんは、地下の書斎に足を運ぶと、九四年からほぼ三年がかりで調査した地下タンクの状況について説明を始めた。

 「百七十七個のタンクのうち、四三年から六四年までに造られた百四十九個は一重の炭素鋼でできている。一番大きいタンクは百十万ガロン(約四百二十万リットル)。そこにプルトニウムの再処理過程で生まれたセシウム137やストロンチウム90など高レベルの放射性廃液が貯蔵されてきた」

 これら百四十九個の一重タンクのうち、すでに七十二個のタンクから廃液が漏れ出しているというのだ。

 「この図を見れば、放射性物質が地下に漏れ出し、どこまで拡散しているかひと目で分かるだろう」。コンピューターで自ら作成したタンク下の汚染図を示しながら彼は言った。

 コンピューターと連動させた分光ガンマー測定器を使用して、一つひとつのタンクについて調査した。「エネルギー省は『漏れていても地下水を汚染するようなことはない』という。しかし現実には、すでに地表から約六十五メートル下の地下水に達しているものもある」

 タンク内には硝酸塩、フェロシアン化物などの化学物質も多く含まれ、水素ガスも出ている。核分裂による熱や化学反応によって、タンクが爆発する可能性もある。「ハンフォードの地下にチェルノブイリを抱えているようなものだよ…」とブロディアさん。

 すべてのタンクを合わせた高レベル放射性廃液の量は、約二百四億四千万リットル。放射能量にしてチェルノブイリ原発事故時に放出された量の四・三倍に当たる七百九十六万

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