朱蒙(チュモン)が見た日本古代史(仮題)

「朱蒙」「風の国」「善徳女王」・・・韓国発歴史ドラマを題材に日本史を見つめ直す

日本にやってきた陜父とは?

2011年07月21日 | 朱蒙

最近になってようやくわかったことだが、ドラマ「善徳女王」の人物設定は「花郎世紀」をベースに作られたものらしい。

例えば、「三国史記」において「真平王の長女である」とハッキリ書いてあるトンマンがドラマでは(双子とはいえ)次女の扱いとなっている点や、「三国史記」でも「三国遺事」でも同一人物とされる龍樹(ヨンス)と龍春(ヨンチュン)が兄弟となっているところは「花郎世紀」の記述を踏まえているらしい。

また、花郎(ファラン)の多くは架空の人物かと思っていたが、意外と実在の人物が多いようだ。

「花郎世紀」は、現時点では日本語訳されたものは入手できないようだが、あちこちのサイトに参考となる資料が掲載されているので、Webで調べるだけでも意外と面白い事実が見つかる。

例えば、

  • 真平王とミシルの間には宝華(ポファ)という娘が生まれている(トンマンの異母姉妹だよな?)。この宝華の息子が善品といい、21代目の風月主(プンウォルチュ)となった人物だが、この善品の娘が文武王(チュンチュの息子)の王妃となっている。
  • 真興王(チヌン大帝)の王妃は思道(サド)夫人であるが、この二人の間には阿陽(アヤン)という娘が生まれており、阿陽と武力(ムリョク)の間に生まれたのが舒玄(ソヒョン)である・・・なぬ?じゃあソヒョンはチヌン大帝の孫ってこと???

 

ところで、以前にも言及したが、「花郎世紀」は一般には偽書とされているものである。
しかし、正史の記録が100%真実とは限らないのと同様に、偽書の記述が100%ウソを書き並べたものとも言い切れないのである。(そのあたり、このブログではニュートラルな姿勢でのぞみたいと考える)

さて、「花郎世紀」と同様、一般には偽書と認識されているが、朝鮮半島内では歴史の資料として活用されているらしい「桓檀古記」というものがある。

この「桓檀古記」の中には日本(倭国)に関係する驚くべき記述がある。
とりあえず、その部分を引用してみよう。



『桓檀古記』高句麗国本紀

陝父は、南韓に奔走して、馬韓の山中に隠り住居する。将、革を知り、浿水(清川江)を下り、海に出て狗邪韓国に至り、加羅海の北岸に居する。転じて阿蘇山に移住して多婆羅国の始祖となった。後に任那を併せて連合国として治めた。そのうちの三国は海にあり、七国は陸に在る。

多婆羅国には、弁辰狗邪国人が先住して狗邪韓国といった。多婆羅国は多羅韓国ともいう。忽本より来たりて高句麗と早くから親交を結び、烈帝(広開土王)が制した。多羅国は安羅国と同隣して同姓である。旧熊襲城を有す。今、九州の熊本城がこれである。

さて、この陝父とはいかなる人物か?
このブログをご覧の方には簡単すぎる問題かもしれないが、とりあえず続きは次回で。