朱蒙(チュモン)が見た日本古代史(仮題)

「朱蒙」「風の国」「善徳女王」・・・韓国発歴史ドラマを題材に日本史を見つめ直す

「日本書紀」における日食の記述 その2

2010年05月10日 | 考察ノート
日本書紀における日食の記述からの続き

日本書記の記録によれば693年と694年の3月、6月にそれぞれ日食が起こったということなのだが、どうにも納得がいかない。そんなに頻繁に日食が起きるだろうか。

もちろん日食といっても皆既日食とは限らず、部分日食ということもあるわけだが、それにしても6ヶ月ごとに4回続くということがありうるのだろうか。

2年連続して起きるということは実際にある。
例えば、247年3月、248年6月には北部九州で続けて皆既日食が起きており、これが卑弥呼の死と関係しているのではないかという有力な説もあるくらいだ。(卑弥呼は「日の巫女」であり、太陽が消えてなくなるという異常事態の責任を取らされたというのは十分考えられる話だ。)

しかし、さすがに2年のうちに4回はおかしいのではないか・・・と思って調べていたらこんな便利なページが見つかった。

NASAによる681~700年の皆既・金冠日食


この図によればこの期間に日本で日食が起きているのは700年5月だけ、しかもその中心は東北地方である。693、694年だけでなく、681、691、696年の日食も実際には起きていなかったということか?

ところで、今年は平城京遷都1300年記念ということで京の都は大いに盛り上がっているが、平城京遷都は710年のことであり、つまり4回の日食というのはその16、7年前ということになる。この頃であればすでに平城京への遷都は決定事項だったかもしれないし、大極殿の建築にも取り掛かっていたのかもしれない。(4回の日食で平城京への遷都を暗示した、というのはあまりにこじつけか。)

さらに不思議なのは、693~694年頃といえばすでに日本書紀の編修が始まっていた時期ということだ。(日本書紀の編修の開始は天武天皇10年(681年)とされる)

その当時なら過去の不確かな記録とは違って、現在進行形の事象を正確に記録にとることができたはずなのである。日食は事実でないのだとしたら、「日有蝕之」とは何を意味しているのだろうか。