「日本書紀」、「続日本紀」に記録されている日食。しかし、その数があまりにも多い。というか頻繁に起こりすぎていて現実味がない。おそらく事実ではないのだろう。
実は「続日本紀」のあとの、「日本後紀」、「続日本後紀」に至っても状況は同じである。「続日本紀」ほどではないにせよ、延々と日食の記録が残されている。
これらが、すべては事実でないのだとしたら(おそらくそのほとんどは事実ではないと思われるが)、一体どういうわけで「日有蝕之」の記録がこれほどまでに多いのだろうか。
いまのところその理由はよくわからないのだが少し気になるポイントが。
「日本書紀」と「続日本紀」にある日食の記録のうち、年に2回日食があるものだけをピックアップし、さらにその近辺に起こった出来事を並べてみる。
680
693
694 藤原京遷都
697 文武天皇即位
698
706
707 元明天皇即位
709
710 平城京遷都
711
715 元正天皇即位
768
770 光仁天皇即位
771
(注:紺色・太字が日食の起こった年、グレーの文字は参考)
なんとなく意味がありそうな気もするが、ちょっと苦しいか。
ちなみに日本書紀に初めて記録された628年(推古天皇36年)3月2日の日食は事実のようであり、実はこの日食からまもなく推古天皇は亡くなるのである(628年4月15日)。