復耶会が既出の組織かどうかはさておいて。この辺で少し伽耶に関して整理しておかなければならない。
伽耶というのは、高句麗・百済・新羅の三国時代に朝鮮半島の南側地域に存在し、6世紀半ばに消滅した国であるが、その実態にはいまだ謎が多いとされる。
そもそも「国」とは言うが、実際には小国の連合と言ったほうが正解で、三国に匹敵する統一した勢力にはなりえなかった・・・だからこそ、最終的には新羅に吸収されることになるわけである。小国の連合ということで言えば、ドラマ「朱蒙」における卒本(チョルボン)をイメージしてみるとわかりやすいかもしれない。
その小国の連合(伽耶連盟と言われたりもするが)の中で覇権を争っていた二大勢力が金官伽耶と大伽耶(伴跛)だ。この辺の背景がわかるとユシンとウォルヤがどういう関係にあるのか理解しやすいと思う。
ウォルヤ(月夜)
私はテガヤ(大伽耶)最後の太子であるウォルガン太子の嫡男である。わが名はウォルヤ、そう、復耶会の真の長(おさ)だ。
キム・ユシン
そなたの父君であるテガヤのウォルガン太子と、わがクムグァンガヤ(金官伽耶)最後の王、クヘ王が成せなかったことを、われらが今日ここで行うのだ。
ウォルヤは大伽耶(伴跛)の王族の血をひくものであり、同様にユシンは金官伽耶の王族の血をひくものである。
つまり、伽耶連盟の時代に両国が統一勢力を築くことはできなかったが、新羅のこの時代においてその子孫同士が同盟を結び、同じ目標に突き進もうということをユシンは訴えていたわけだ。