朱蒙(チュモン)が見た日本古代史(仮題)

「朱蒙」「風の国」「善徳女王」・・・韓国発歴史ドラマを題材に日本史を見つめ直す

「ヨンゲソムン」における隋

2009年11月15日 | ヨンゲソムン
ドラマ「ヨンゲソムン」の舞台は主として高句麗と新羅だが、隋の国内事情も緻密に描かれている。Wikipediaの記述などを読むと、比較的歴史書に忠実に作られていることがわかる。

「漢」の滅亡以降、実質的に分裂状態にあった中国を数世紀ぶりに統一したのが「隋」の初代皇帝である文帝(楊堅)。ドラマではすでにおじいちゃんだが、あまりにこどもっぽいというか、皇后に頭のあがらない情けないキャラクター設定となっている。この辺は韓国ドラマだからという印象。

その皇后(独孤皇后)は嫉妬深く、後宮に他の女性を迎えさせないばかりか、結婚の際には自分以外に子供を生ませないよう文帝に約束させている。また政治にもかなり口出ししていたらしい。

文帝には5人の子供がいたが、当初皇太子であった長男の楊勇は色好みで身を崩し廃太子に追い込まれる。結局次男の楊広(晋王)が後を継ぐわけだが、彼が後の煬帝というわけである。ドラマ中ではやたら胡散臭い感じの俳優さんが役を努めているが、歴史的には煬帝は暴君として語られることが多い。結果として彼の代で隋は滅びてしまうのである。

ところで、隋といえば日本とも関係の深い国。
日本が始めて遣隋使を送ったのが607年だが、このときはすでに煬帝の治世。当時の日本で活躍していたのが聖徳太子こと厩戸王子である。

「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」から始まる国書を送ったのはあまりにも有名な話だが、これに激怒したのが煬帝その人だったわけだ。