朱蒙(チュモン)が見た日本古代史(仮題)

「朱蒙」「風の国」「善徳女王」・・・韓国発歴史ドラマを題材に日本史を見つめ直す

「ヨンゲソムン」を検証する

2009年11月13日 | ヨンゲソムン

なんだかんだでドラマ「ヨンゲソムン」も25話まで到達した(これでやっと4分の1であるが)。

とりあえず第25話に出てきた諸国の名前をメモしておこう。 これがまた後で重要な話につながっていくのである。

大佛臨国(テブルリム):東ローマ帝国
波斯(パサ)国:ペルシャ
大食(テシク)国:アラビア

さて、この辺でドラマ「ヨンゲソムン」の設定と史実について少し検討してみたい。 もっとも気になるのはヨン・ゲソムンとキム・ユシンの関係。ゲソムンがユシンの家の使用人になったというのはドラマ上の設定と思われるが、二人が歴史上何らかの形で関わっていたのはおそらく事実である。(その検討は今後の課題)

ヨンゲソムンの生い立ちや幼少期についてWikipediaには詳しい記事がないのだが、これまた英語版Wikipediaで調べてみると次のようなネタがある。

Yeon Gaesomun was the first, and oldest son of Yeon Taejo, the Prime minister (막리지, 莫離支) of Goguryeo during the reigns of King Pyeongwon of Goguryeo and King Yeongyang of Goguryeo. It is known that the Yeon family was always of high rank and status in Goguryeo. Yeon's grandfather Yeon Ja-Yu was also a prime minister of Goguryeo. Information about Yeon Gaesomun comes largely from the Samguk Sagi's accounts of King Yeongnyu and King Bojang (Goguryeo vols. 8-10) and its biography of Yeon Gaesomun (vol. 49), surviving tomb engravings belonging to his sons Yeon Namsaeng and Yeon Namsan, and the biographies of those same sons that appear in the New Book of Tang.

ヨン・ゲソムンは高句麗の嬰陽王と栄留王の時代に莫離支であったヨン・テジョの長男である。ゲソムンの家系は高句麗で高い地位とステータスにあったことが知られており、ゲソムンの祖父(Yeon Ja-yu)もまた莫離支であった。ヨン・ゲソムンに関する情報は主として「三国史記」の栄留王と宝臧王の条(高句麗本紀 (巻第20-22) 第8-10)と蓋蘇文伝 (巻第49)に記載があり、またゲソムンの息子たちの現存する墓碑や「新唐書」にも記録がある。

Very little is known of Yeon's early days, until he became the Governor of the Western province (西部), where he oversaw the building of the Cheolli Jangseong, a network of military garrisons to defend the Liaodong area from Tang invaders.

ゲソムンの生い立ちについてはほとんど知られていないが、高句麗西部の高官になったあとは唐の侵入から遼東地域を守るため山城のネットワーク「千里長城」の建築を監督した。

ところで、ドラマの初期で嬰陽王が隋との戦いを始めるため靺鞨の部族を率いて遼西に向ったのは、歴史上は598年のこと。同じ頃、幼少のヨンゲソムンが新羅へ向かうとき自分は8歳であると言っていたので、これに従えばヨンゲソムンは590年ごろの生まれということになる。キム・ユシンの生まれが595年だから5歳ほどお兄さんということか。

一方、Wikipediaによれば生年不詳とされているのだが、不思議なことに同じWikipediaの英語版では603年生まれとなっている。

いずれにしても亡くなったのは665年(とされている)なので、当時としてはそこそこ長生きしたということか。

不思議なことに「日本書紀」天智天皇3年(664年)の条には、淵蓋蘇文(ヨンゲソムン)の遺言に関する記述がある。三国史記など本国の歴史書にそのような記述はまったくないにも関わらずだ。