「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

朴真秀 が読む「一九三二年三月十五日」

2010-04-06 13:45:51 | 小林多喜二「一九二八年三月十五日」を読む
小林多喜二の文学と私の青春/朴眞秀
 小林多喜二は私より七十年も前の時代を生きた先人です。しかし私にとって彼は、ほぼ同時代を過ごした、ちょっとした兄貴のような感覚で浮かんできます。それは、はじめて多喜二の作品に接したときから、強く共感を覚えながら読んだからではないかと思います。
 私の二十代、一九八〇年代のソウルは、激動の時空間でした。
 七九年独裁者朴正熙の急死による民主化への期待は、八〇年の光州事件以来、全斗煥の率いる二つ目の軍事政権の登場により、挫折してしまいました。
 以後、韓国全土の大学では、政府に民主化を要求する学生デモが、だんだん激しくなっていきました。特に大統領の直接選挙を求めた八七年六月には、学生運動が一般市民の熱烈な支持を得て、連日数十万人のデモが続くと、軍事政権はやむを得ず制度的民主化を約束します。
 八三年、大学に入学した私は、ほとんど毎日催涙ガスとたたかいながら四年間を過ごさなければなりませんでした。このような社会的空気のなかで私は、当時禁止されているマルクス主義と、労働運動・階級闘争に関する書籍を読みはじめたのです。
 しかし、日本文学専攻の私には、社会科学の理論書より、日本のプロレタリア文学のほうに、当然目が向けられました。
 このなかで、心をひいたのが、多喜二の「一九二八・三・一五」でした。三・一五事件を、多様な人物の視点からとらえている、その技法的側面もおもしろく思われました。
 多喜二は結果的に、蔵原(惟人)の理論の「前衛の眼(め)」を、単なる「闘士の眼」ではなく、「弱者の眼」として構成しています。「眼」は「視点」とかかわる問題です。「自分の眼」に閉ざされず、「相手の眼」、「他者の眼」へと客観化し、また立場を置き換えてみる柔軟性、これこそ反エゴイズム=ヒューマニズムの芸術ではないでしょうか。
  

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