「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

多喜二と今野大力

2010-04-06 21:46:22 | 多喜二と同時代を生きた人々



多喜二とともに特高につかまり、事実上の獄死を遂げた今村恒夫。
そのもっとも身近な戦友が今野大力でした。

今野大力の「花に送られる」という詩を
私は忘れることができない。

  ※ ※ ※

小金井の桜の堤はどこまでもどこまでもつづく
もうあと三四日という蕾の巨きな桜のまわりは
きれいに掃除され、葭簀張りののれんにぎやかな臨時の店々は
花見客を待ちこがれているよう

私の寝台自動車はその堤に添うて走る
春めく四月、花の四月
私は生死をかけて、むしろ死を覚悟して療養所へゆく
すでに重症の患者となった私は
これから先の判断を持たない
恐らく絶望であろうとは医師数人の言ったところ

農民の家がつづく
古い建物が多く
赤や桃色の椿が咲く、家も庭も埋めるごとく
今満開の美しい花々
桜の満開のところがある、八重の桜も咲いている

自動車は花あるところを選ぶ如く走る
花に送られて療養所に入る私を
療養所のどの寝台が待っているか
二度と来ぬわが春とは思われる。春はおろか
この秋までも、誰かこの生命を保証する
私は死を覚悟の眼で美しき花々の下を通ってゆく

  ※ ※ ※

彼は秋を待たず6月に亡くなりました。

その家族の姿は、宮本百合子「小祝の一家」に描かれています。
そして佐多稲子「歯車」にも。



                          

最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
小金井の桜堤 (めい)
2009-01-18 15:30:36

学生時代、小金井公園の近くに住んでいたので、感慨深く読ませていただきました。

小金井の桜堤とは、玉川上水と平行してのびている五日市街道のものでしょうか。
確かに、春になると、長く長く続く桜の並木は圧巻です。

療養所へゆくのに、大力は五日市街道を通ったのでしょうか。そして満開の桜を見上げながら、死を覚悟しつつ最後の生を生きたのでしょうか。

今年の春は、今野大力を想いながら、小金井の桜を味わいたいと思いました。





返信する
小金井桜 (めい)
2009-01-20 19:12:02
”小平市丸ポストマップ”というパンフレットからの抜粋です。

小金井桜

場所 学園西町1丁目商大橋付近から武蔵野市境橋付近まで 玉川上水両岸

小金井桜は、元文2(1737)年に、武蔵野新田世話役であった川崎平右衛門が幕命により植えたもので、小金井橋を中心に玉川上水の両岸、およそ6KMにわたり、2千余本が植えられていました。また、大正13年には「小金井(サクラ)」として国の名勝に指定されています。

返信する
多喜二と「桜」 (佐藤)
2009-01-21 00:54:02
多喜二は桜を作品中に描くことはありませんでしたね。北海道、とりわけ小樽の桜はそれほど印象深くはないのでしょうか? 花見などはしなかったのでしょうね。
私は山桜はいいけれど、ソメイヨシノは汚れた印象があります。上野公園のゴミのやまが印象にあるからでしょうか。


              



          
返信する
確かに。。。 (めい)
2009-01-21 17:04:58
わたしも小さい頃は、山桜しか知りませんでした。
山奥で育ったので^^

大きくなって、松前町(北海道の南端)の松前城周りの桜を見に連れていってもらって、大感動して、それから桜が待ち遠しくなりました。

が、桜は、やはり、権力者が故意に植えさせるもので、地方の庶民にはなかなか縁のないものなのかななんて、思っています^^

大力が、権力者の手によって破壊された身体で見上げる美しい桜が、やはり権力(幕命)によって植えられ、国の名勝となっている桜であることを思うと、切ないですね。。





返信する
Unknown (Unknown)
2010-04-06 04:39:43
こころに残る詩のご紹介ありがとうございます。

椿と桜が時期を重ねて作く様子はいまとなっては不思議に思えます。小樽生まれで関東大震災直前に上京した祖母によると、当時はソメイヨシノ以外に色々な桜があり、なかには黄色いものもあったそうです。

いつからソメイヨシノが桜を代表する、というか、桜の規範のようになったのでしょう。

美しいものと権力。大力と桜を合わせてイメージするのはほんとうに切ないですね。同時に、美しいものと権力の関係は積極的に断ちたい、という思いもあります。それにはその美しいものだけを取り返す、というのではなく、賞美する状況全体を視野に入れなければならないのでしょうね。
返信する
『太宰治検定』 (御影暢雄)
2010-04-06 22:00:49
 前掲コメントはるもい様だと思いますが・・・・

 玉川上水といえば・・。今日送られてきた雑誌に太宰治検定のことが紹介されていました。

 「津軽」編・初級,上級。
 検定日 本年6月19日(土)
 検定会場 五所川原市&三鷹市(東京)
 検定料 初級3000円
     上級4000円
 受験申込締め切り 5月20日
 (100問出題 70点以上で合格)
 問い合わせ:特定非営利活動法人
「おおまち第2集客施設整備推進協議会」
 青森県五所川原市元町83-4
 TEL0173-33-6338
 FAX0173-33-6338

 11月には「富嶽百景」編の検定も予定されているそうです。(中学二年の時の教科書で学びました)「富嶽」には井伏鱒二が登場していたと記憶します。井伏は多喜二と何度か阿佐ヶ谷の食堂で会っていますし、太宰は多喜二とニアミスの機会があったと想像されるので、二人が多喜二について語ったことはあるのではないでしょうか。

 
返信する
Unknown (るもい (ノーマ・フィールド))
2010-04-07 00:04:31
御影暢雄さま、ご推測の通りです。記事の内容と対話に気が取られていました。
返信する
久子の詩 (akio)
2010-04-07 20:43:45
 今野大力の青春時代(旭川)と同じく、北海道上川地方で育ちました。
 大力の妻、久子が愛する夫を看取った時に詠った「短歌」があったと思いますが。
 解りますか?
返信する

コメントを投稿