「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

「蟹工船」のイタリア語版を出したファリエロ・サリスさん

2013-03-03 00:10:43 | 小林多喜二「蟹工船」を読む

多喜二の歩んだ道/作品に一目ぼれした/「蟹工船」のイタリア語版を出したファリエロ・サリスさん

 小林多喜二は、学生時代、日本の文学史でその存在を知りました。西洋で一般的に知られている日本文学とは異なる味わいでした。

 社会の構造を見抜いて世界を覆うベールをはがす―そんな作家の一人だと、一目ぼれをしたのです。生涯を知る中で、虐殺されたという事実に衝撃を受けました。

 「蟹工船」には、「歴史記録文書」としての価値があると思います。暗い時代の残酷な現実をあからさまに伝えようとしています。見ないふりをして通り過ごすことはできない、ぜひイタリア人に読んでほしい、と思いました。
 

イタリア語版を出したのは、2006年。出版社は中身の厳しさにためらっていましたが、原文通りでこそ意味がある、と主張しました。その結果、翻訳料はわずかの契約になりましたが、全く後悔していません。

 「党生活者」も好きですし、多喜二の作品をもっと翻訳できたらと願っています。
 (98年から日本在住、語学学校講師)
(2013年02月17日,「赤旗」)


キャンベル氏がハングル動画サイトで語る「蟹工船」の文学世界

2011-07-31 21:48:48 | 小林多喜二「蟹工船」を読む

 

『Jブンガク-英語で出会い、日本語を味わう名作50』の動画版のようです。

内容は以下。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロバート キャンベル編

あらすじや時代背景をおさえつつ、作品の「心臓部」を原文と英訳で味わう。英訳から興味深い英語表現をピックアップ。英語的発想を学ぶ。キャンベル流の日本文学の読み解き方が満載。

「BOOKデータベース」より

[目次]

  • 諸君、集合!-学びのJブンガク
  • その海を越えて-世界へ飛び出すJブンガク
  • お恨みを伝へまいらせそうろう-恋文のJブンガク
  • ハッとする一瞬-慌てて驚くJブンガク
  • 食べることは生きること-食道楽のJブンガク
  • 数え上げ、世界を見つめなおす-楽しみ数えるJブンガク
  • わざわいを刻み込む-災害のJブンガク
  • 旅の苦労は人生の宝なり-貧乏と放浪のJブンガク
  • 日常に亀裂が走る-恐怖とスリルのJブンガク
  • 縁日の風景-祭りのJブンガク
  • 降り立つ美女-愛と誘惑のJブンガク
  • 愛憎のブラッド・ブラザーズ-兄弟のJブンガク
  • 港へ向かう途中-海上のJブンガク ※「蟹工船」

 

http://tvpot.daum.net/clip/ClipView.do?clipid=22635957&srcid=217468


「蟹工船」で青少年読書感想文全国コンクール優秀賞/愛知

2011-02-05 22:59:16 | 小林多喜二「蟹工船」を読む

「蟹工船」で青少年読書感想文全国コンクール優秀賞 /愛知

 第56回青少年読書感想文全国コンクール(全国学校図書館協議会・毎日新聞社主催、内閣府・文部科学省後援)で、県内から金城学院高3年、小林円加(まどか)さんの作品「今、『蟹工船』を読む」が毎日新聞社賞(優秀賞)に輝いた。

 ◆毎日新聞社賞

 ◇書くうち、希望感じた--小林円加さん=金城学院高3年

 受賞に「わりと冷静でした」と照れ笑い。高校で文化祭委員を務めた時、クラスで舞台発表をする案が出たものの、「忙しい」などの理由で具体案が出ず、結局は不参加に。自宅で「団結なんて信じられない」と母、美幸さんにこぼしていたところ、「蟹工船」を読むよう勧められた。感想文は約2週間かけて何度も推敲(すいこう)し、音読し、最後は母に読んでもらった。

 著者の小林多喜二と時代背景についても調べ、「弾圧を受けた多喜二の時代と違い、私たちは主張できるにもかかわらず、人と人とのつながりが薄くなってしまった」と感じた。感想文には、そんな現代だからこそ「本当の団結や連帯が求められるのではないか」と書いた。書くうち、「また団結できるのではないかと希望を感じた」と話す。

 読み書きが苦手だったという小学校低学年から、美幸さんは絵本を薦め、時には本が書かれた時代背景も解説してくれた。その影響もあり、今では毎日童話を読むように。将来は薬剤師を目指しており、引き続き好きな童話にも親しんでいくつもりだ。

 

読書感想文県コンクール作品紹介:/9 高校の部・知事賞 /愛知

 ◇今、「蟹工船」を読む--金城学院高3年・小林円加さん

 団結は力となり、世界を変革するエネルギーとなると無意識に信じていた。しかし、価値が多様化した現代では団結はもはや幻想に過ぎないのではないかという疑念が私の中に湧いてしまった。クラスや学校で、そのことが如何(いか)に難しいことか思い知らされたからだ。

 文化祭でクラス発表を計画した時、案自体に実現不可能な問題点があったのにもかかわらず、各々の多忙や無関心から代案もなく、結局私のクラスは不参加となった。クラスが団結する機会を放棄した事態に、文化祭委員だった私は強い無力感におそわれた。また、生徒総会にある提案を出したが、あっさり否決されるという経験もした。それは、この提案が現在起きている問題を解決した上、皆の連帯感を高めるのに役立つに違いないと確信し、良い案には自然と賛成が集まると思っていた私にとってかなり辛(つら)い結果だった。自分自身が否定されたかのようにさえ感じた。空回りする自分と動くことのない集団の間に深い溝を感じた私は、団結そのものに冷めた感情を抱くようになった。しかし、約八十年前、小林多喜二によって書かれた「蟹工船」はそうした私の感情を揺さぶるほど団結への希望や信念を熱く語るのだ。団結の難しさを実感した今、私はこの本を通して改めてその意味を探ろうと思った。

 「蟹工船」は群像劇だ。特定の個人が主人公ではない。多喜二は、この船に乗り込む労働者たちの背負う様々(さまざま)な背景を明らかにすることで、搾取する側とされる側の社会構造を顕(あらわ)にしていく。彼らは、東北の貧村から送り込まれた農民、周旋屋の口車に乗って来た苦学生、炭坑の劣悪な労働環境から逃れるためにやってきた元炭坑夫などである。彼らは、巧妙に仕組まれた人集めによって連帯のない状態に置かれている。同じ学舎(まなびや)で学ぶ私たちよりも、遥(はる)かにばらばらの状態なのだ。しかし、多喜二は分断されていた労働者が、生死の境に接することで一致団結していく過程を描いていく。生への渇望が彼らをまとめていく。団結に必要なものは、真摯(しんし)な思いや共通の利害であり、それらが皆に浸透しなくては事は起こせないと気付かされる。確かに、クラス発表や校則の件では切迫した思いに欠け、また思いを伝える熱意も足りなかった。しかし、強い思いだけで集団は動くものだろうか。

 多喜二はそこで敵の存在を提示する。その一つは、全てのものを慈しみ育みながら、時には突き離し、その牙を剥(む)いてくる自然だ。ここでは、北の海の空と波と風に集約してその脅威が描かれる。その描写は明快にして簡潔、読み手を一瞬にして船酔いする波のうねりと体の芯まで凍る冷気の中に放り込む。多喜二を作家としてより、弾圧の歴史のひとこま(・・・・)として理解していた私は、ここでたちまち彼の優れた自然描写の虜(とりこ)となった。そして、その自然が牙を剥く時、労働者たちは死を意識し、生き残るという共通認識を持つ。

 労働者の前に、はっきりと姿を現すもう一つの敵が監督浅川だ。彼は、転覆すれば即死を意味する嵐の海での操業を命じる。それは、労働者の命は消耗品に過ぎないという彼の考えを体現したものだ。浅川は、滑稽(こっけい)なほど暴力的で、権力側におもねり、儲(もう)けや実績のためなら如何なることもできる卑劣な男として描かれる。しかし、そこに多喜二の計算があるように思う。労働者の憎しみを一身に浴びる浅川という人物を創り出すことで、労働者の団結が更に堅固となることを描き、背後にいる資本家・経営者の存在を匂わすのだ。実際、後日談で浅川がストライキを阻止できなかったことにより解雇される哀れなスケープゴートにしか過ぎなかったことがわかる。本当の敵は誰なのか考えさせる展開だ。私たちが、立ち向うべき本当のものは、見えにくいかもしれないという含みを残しているのだ。いずれにせよ、多喜二は、そうした敵の存在が労働者の団結を強め、ひとりの落伍者や裏切り者を出さないことが要求を成就させると力強く訴えた。

 多喜二の時代と異なり、私たちは権利や尊厳を守る法の下にいる。しかし、現実の社会は正規労働者と非正規労働者の格差、不当なリストラや過労死の問題を抱えている。それは、勝ち組負け組、自己責任という個人に原因を転嫁する言葉が流布する経済至上主義の非情な競争社会でもある。更に、個人を優先させる風潮にあって、各々(おのおの)の興味は分散し、関心のないことには冷淡になれる孤立する個人が増える社会でもある。それは、安逸な高校生活をおくる私たちにも言えることだ。そこに共通の思いなどない。立ち向うべき敵の姿も見えてこない、団結しにくい状況下に私たちは置かれている。しかし、社会に閉塞感を感じ、人々の絆が断ち切られ個人が痛めつけられやすい時代だからこそ、本当の団結や連帯が求められるのではないか。多喜二が本編の最後に希望を託した言葉に従い、私ももう一度(・・・・)その可能性を信じてみようと思った。(小林多喜二著「蟹工船・党生活者」)


高知で1/29 映画「蟹工船」上映

2011-01-29 11:44:02 | 小林多喜二「蟹工船」を読む
上映会場-愛宕劇場(高知市愛宕町1-1-22)
       高知駅より徒歩約7分
       土電帯屋町駅より徒歩約7分

上映時間-10:30~
       13:00~
       16:00~   左記の4回を予定しています
       19:00~     

チケット-一般(当日1000円、前売り800円)
      学生500円

チケット、その他のお問い合わせは
 →民青同盟高知県委員会(088-822-0854)
    こちらまでご連絡ください


土佐「蟹工船」上映会1/29

2011-01-09 09:56:05 | 小林多喜二「蟹工船」を読む

土佐「蟹工船」上映会

1293440569


 松田龍平さん主演の新しいバージョンです。

◇上映日時 2011年1月29日(土)①10:30~ ②13:00~ ③16:00~ ④19:00~ 

◇ 会場 あたご劇場

◇一般当日1000円 前売800円 学生・高校生500円 中学生以下無料

◇チケット  高知市内 TSUTAYA、高新プレイガイド、民青同盟高知県委員会(088-822-0854)


小林多喜二の『蟹工船』を読んで みんなで語ろう!トーク・イン・群馬

2010-11-17 23:41:18 | 小林多喜二「蟹工船」を読む

みんなで語ろう!トーク・イン・群馬
小林多喜二の『蟹工船』を読んで

 

『蟹工船』の時代と現代

最初の語り手・能島龍三さん

【日 時】:11月21日(日)13時30分~

【会 場】:群馬教育会館(前橋公園前)3階中会議室

参加費:500円(当日受付にての納入にご協力を)

主催:群馬民主文学会
連絡先:027-347-4313 新井宅


Kanikosen. El Pesquero, de Takiji Kobayashi

2010-10-29 22:44:50 | 小林多喜二「蟹工船」を読む
Kanikosen. El Pesquero, de Takiji Kobayashi
Fco. Martínez Hidalgo   15/10/2010
 
 
     Cuando la incerteza devora la sociedad japonesa, diluyendo todas las creencias que justificaban su forma de estar en el mundo, Kobayashi ofrece un faro de luz.
 
Portada de Kanikosen. El Pesquero, de Takiji KobayashiA los treinta años Takiji Kobayashi (1903-1933) moría después de ser sometido a una brutal paliza por la policía japonesa, víctima de la fuerte represión que promovía la alianza de intereses entre el ultranacionalismo conservador nipón y el amenazado imperialismo tradicionalista.

Aquella asociación no era extraña, es más, fundamentaba las bases de su sociedad por aquel entonces –aún conservada muy precariamente en la actualidad. Sin embargo, se sentía por primera vez acosada por varios fenómenos simultáneos e interdependientes que habían surgido en la segunda mitad del siglo XIX: la caída del sistema feudal y la crisis del aparato tradicional de gobierno, el derrumbe de la política aislacionista y la percibida como amenaza occidental, la rápida modernización y el deterioro de su estructura socioeconómica primaria (agrícola y pesquera, fundamentalmente), o la influencia de ideas y filosofías rivales a aquella que legitimaba la aceptada divinidad imperial (el capitalismo y el comunismo, principalmente).

La estructura neofeudal japonesa se resquebraja, la élite se ahoga en su propia necedad, y la desesperanza social brota de la falta de bases conocidas y reconocibles sobre las que poder mirar a los ojos del futuro.

La élite japonesa reaccionaba con gran virulencia ante cualquier alternativa o referencia que pudiese suponer una amenaza a su status quo de privilegio. La alianza de la nobleza tradicional con los grandes empresarios occidentales estaba consolidando un imperialismo nacionalista encapsulado en una emergente estructura empresarial; de la que surgieron los grandes grupos que conocemos hoy en día. Este contexto era el de una hipocresía oculta tras una presunta modernización y democratización que no eran otra cosa, in fine, que una actualización de las viejas estructuras a los nuevos contextos. Un pseudocapitalismo que escondía tras de sí el mantenimiento, prácticamente incólume, del feudalismo que durante siglos mantuvo a la mayor parte de la población japonesa subyugada a los intereses del patrón. Todo se hacía, o se justificaba, en interés de Japón –y de su sibilina élite gobernante.

Dos tipos de reacciones sociales y culturales se dieron en el país ante este profundo proceso estructural de transformación. El nacionalismo tradicionalista, que añoraba las viejas estructuras y formas de vida, entendía este proceso como una corrupción del espíritu patrio. Mientras el discurso socialista, que arreciaba con fuerza en todo el mundo sobre todo después de la Revolución Rusa de 1917, era claramente combativo tanto con las estructuras feudales previas, como con este nuevo pseudocapitalismo.

Takiji Kobayashi era una de las voces más potentes y claras, combativas y beligerantes, del socialismo japonés de las décadas de 1920 y 1930. Sin embargo, aunque su discurso era deudor del marxismo clásico y estaba articulado claramente en el materialismo histórico y la dinámica de la lucha de clases, su base era mucho más humanista que ideológica.

Su obra más relevante, ‘Kanikosen. El pesquero’ (1929, disponible en FantasyTienda), que nos regala en una preciosa edición Ático de los Libros, es la mejor muestra de ello. En la travesía del barco cangrejero Hakko Maru por las gélidas aguas de Kamchatka, en el recóndito noreste ruso, son los padecimientos de los trabajadores la principal causa de desvelo del narrador omnisciente: los olores pútridos y las atmósferas irrespirables, el frío carnívoro que insensibiliza y devora el cuerpo de los hombres, una inanición capaz de someter a la propia voluntad aún en las peores condiciones imaginables… Un sufrimiento personal de tal magnitud que es capaz, por sí sólo, de hacer reflexionar a personas sin preocupaciones o intereses políticos previos, por los motivos de su situación.

Takiji KobayashiEste es el momento, cuando los trabajadores se preguntan por las causas y razones de su dolor, en que la acción de las injustas y despiadadas estructuras de poder entra en juego. Piensan en los motivos del patrón de la nave, Asakawa, para maltratarlos y despreciarlos constantemente. Piensan en el destino de los beneficios de todo su esfuerzo, y el merecimiento de la exigua paga que reciben. Piensan en porqué su vida parece condenada, irremediablemente, a la precariedad y el abuso en todas partes a las que vayan, y en cualquier trabajo que hagan. Entonces es cuando, tras la reflexión, llegan a la decisión que cualquier acción será mejor que la pasividad en la que parece sumidos: contra el patrón, contra la empresa pero, sobre todo, por sí mismos, por una cuestión de supervivencia y dignidad.

Este punto es el que motiva la mayor controversia en la interpretación crítica de ‘Kanikosen. El pesquero’, ¿es la novela de Kobayashi una metáfora de la conciencia de clase, de su justificación y nacimiento?, ¿o es un retrato realista y humanista de los abusos a los que está universalmente sometido el hombre cuando se expone a un poder injusto? ¿Qué prima en esta novela, la ideología, el humanismo o ambos elementos a la vez?

Los jóvenes japoneses, que se lanzaron en masa a descubrir ‘Kanikosen. El pesquero’ desde 2008, alcanzando cifras de fenómeno editorial (más de 1,6 millones vendidos en Japón en dos años) cuando han transcurrido más de 80 años desde su publicación, parecen inclinarse más por su lado humano. La competencia global y el exceso de confianza del ultracionalismo nipón han sometido el país a los dictados del capitalismo. La lealtad a la propia empresa o el trabajo para toda la vida, que distinguía al toyotismo del taylorismo, han sido finalmente derrotados. La estructura neofeudal se resquebraja, la élite se ahoga en su propia necedad, y la desesperanza social brota de la falta de bases conocidas y reconocibles sobre las que poder mirar a los ojos del futuro.

Las voces con la honestidad, la sinceridad y la esperanza de Kobayashi vuelven al primer plano. Más allá de estancarnos en la denuncia social o en los evidentes rastros ideológicos que aderezan la novela, la fuerza descomunal de ‘Kanikosen. El pesquero’ reside en su mensaje directo y personal: la confianza en un potencia transformador que nos convierte a todos en seres capaces de cualquier cosa, la fe en el poder de la unidad como base sobre la que reconstruir el sentido de la humanidad, la credibilidad en el ser humano y su futuro a partir de un diálogo igualitario y solidario entre semejantes…

Cuando la incerteza devora la sociedad japonesa, diluyendo todas las creencias que justificaban su forma de estar en el mundo, Kobayashi ofrece un faro de luz, una salida para el agujero de desconfianza colectiva en que se encuentra sumido el país. ‘Kanikosen. El pesquero’ tiene la fuerza de voluntad que Kobayashi abrigaba en vida y que el tiempo, a pesar de la crueldad inmisericorde con la que se intentó erradicar, se ha encargado de conservar tan vital como el primer día. Una voz honesta, una novela necesaria y un mensaje imprescindible.
 


『世界は「蟹工船」をどう読んでいるか』シンポジウム動画(2009)。

2010-09-26 19:16:28 | 小林多喜二「蟹工船」を読む

 

2009年 5月17日、小林多喜二原作「蟹工船」をテーマに4カ国の­文学研究者を招くトークイベント『世界は「蟹工船」をどう読んでいるか』のシンポジウム動画。
 
http://www.youtube.com/watch?v=4LcvpleGVLI
 
「蟹工船」翻訳者シンポ 梁喜辰(ヤン・ヒジン)さん
http://www.youtube.com/watch?v=KlQtDzd5VyU
 
翻訳者シンポ フランス・ エブリン・オドリさん
http://www.youtube.com/watch?v=GtWEPD0AMVo

「蟹工船」翻訳者シンポ 島村 輝教授

http://www.youtube.com/watch?v=hJ4MjPH-pPc&feature=related


米議会図書館で検閲書き込み「蟹工船」展示

2010-09-23 20:06:39 | 小林多喜二「蟹工船」を読む

米議会図書館で日本書籍展

9月22日 12時58分 動画あり twitterでつぶやく

http://www.nhk.or.jp/news/html/20100922/t10014131561000.html

 

海外で最も日本語の蔵書が多いことで知られるアメリカの連邦議会図書館で特別展が開かれ、戦前の日本で検閲された小説など、日本国内には残っていない貴重な資料が展示されています。

米議会図書館で日本書籍展

特別展は、アメリカの首都ワシントンにある連邦議会図書館が、本格的に日本語の書籍や資料の収集を始めてから80年になるのを記念して開いているものです。会場には、60巻すべてそろった「絵入源氏物語」の一部や、江戸時代に狂歌をまとめて編さんされた「宝歌集」など、日本国内でも珍しい書物が展示されています。また、戦前のプロレタリア文学の作家小林多喜二の代表作「蟹工船」の表紙に、当時の内務省の検閲官が手書きで表現の削除を指示した跡が残っているものなど、第2次大戦後の占領下、アメリカ側に引き渡され、国内には残っていない貴重な資料も並べられています。21日には議会図書館で、日米の図書館関係者が出席してシンポジウムが開かれ、日本国外では最も多いおよそ120万点の日本語の蔵書をデジタル化して、アメリカ国民や日本の研究者が容易に閲覧できるようにすることなどが話し合われました。