「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

「一九二八年三月十五日」第8章上

2010-04-03 16:24:24 | 小林多喜二「一九二八年三月十五日」を読む

 警察署は、一週間のうちに労働運動者、労働者、関係のインテリゲンチャを二百人も、無茶苦茶に、豚のようにかりたてた。差入れにきた全然運動とは無関係の弟を、そのまま引きずりこんで「なぐりつけ」一週間も帰さなかった。だが、こんな事はエピソードの百分の一にも過ぎない。
 取調べが始まった。
 渡に対しては、この共産党事件がなくても、警察では是が「非でも」やっつけなければならない、と思っていた。合法的な党、組合の運動にクサビのように無理にねじこんで、渡を引ッこ抜こうとした。
 普段から、していた。そういう中を彼は、しかし文字通りまるで豹(ひょう)のように飛びまわっていた。そこをつかまえたのだから「この野郎、半殺しにしてやれる」と喜んだ。
 渡は、一言も取調べに対しては口を開かなかった。「どうぞ、勝手に。」といった。
 「どういう意味だ。」司法主任と特高がだんだんアワを食い出した。
 「どういう意味ででも。」
 「拷問するぞ。」
 「仕方がないよ。」
 「天野屋(あまのや)気取りをして、後で青くなるな。」
 「貴方達も案外眼がきかないんだな。俺が拷問されたからいうとか、半殺しにされたからどうとか、そんな条件付きの男かどうか位は、もう分っていてもよさそうだよ。」
 彼等は「本気」にアワを食ってきた。「渡なら」と思うと、そうでありそうで内心困ったことだと思った。何故か? 彼等がもし、この共産党の「元兇(げんきょう)」から一言も「聞取書」が取れないとなると、(が、何しろ元兇だから、ちょっと殺せはしないが、)逆に、自分達の「生」首の方が危なかった。
 ――何より、それだった。
 渡は裸にされると、いきなりものもいわないで、後から竹刀でたたきつけられた。力一杯になぐりつけるので、竹刀がビュ、ビュッとうなって、その度に先がしのり返った。彼はウン、ウンと、身体の外面にカを出して、それに堪えた。それが三十分も続いた時、彼は床の上へ、火にかざしたするめのようにひねくりかえっていた。最後の一撃(?)がウムと身体にこたえた。彼は毒を食った犬のように手と足を硬直さして、空へのばした。ブルブルっと、けいれんした。そして、次に彼は気を失っていた。
 しかし渡は長い間の拷問の経験から、ちょうど気合術師が平気で腕に針を通したり、焼火箸(やけひばし)をつかんだりするそれと同じことを会得した。だから、拷問だ!、その緊張――それが知らず知らずの間に知った気合だかも知れない――がくると、割合にそれが堪(こた)えなかった。
 ここでは、石川五右衛門(いしかわごえもん)や天野屋利兵衛(あまのやりへえ)の、あの残虐な拷問は、何百年か前の昔話では決してなかった。それは、そのまゝ今だった。しかし勿論こういうことはある。――刑法百三十五条「被告人に対しては丁寧親切を旨とし、其利益となるべき事実を陳述する機会を与うべし。」(!!)
 水をかけると、息をふきかえした。今度は誘い出すような戦法でやってきた。
 「いくら拷問したって、貴方達の腹が減る位だよ。――断然何もいわないから。」
 「皆もうこッちでは分ってるんだ。いえばそれだけ軽くなるんだぜ。」
 「分ってれば、それでいゝよ。俺の罪まで心配してもらわなくたって。」
 「渡君、困るな、それじゃ。」
 「俺の方もさ。――俺ア拷問には免疫なんだから。」
 後に三、四人拷問係(!)が立っていた。
 「この野郎!」一人が渡の後から腕をまわしてよこして、首をしめにかかつた。「この野郎一人で、小樽がうるさくて仕方がねエんだ。」
 それで渡はもう一度気を失った。
 渡は警察に来る度に、こういうものを「お巡りさん」といって、町では人達の「安寧」と「幸福」と「正義」を守って下さる偉い人のように思われていることを考えて、いつでも苦笑した。ブルジョワ的教育法の根本は――方法論は「錯覚法」だった。内と外をうまくすりかえて普及させる事には、つくづく感心させる程、上手でもあったし、手ぬかりもなかった。
 「おい、いいか、いくらお前が拷問が免疫になったって、東京からはもし何んならブッ殺したっていいッていってきているんだ。」
 「それアいい事をきいた。そうか。――殺されたっていいよ。それで無産階級の運動が無くなるとでもいうんなら、俺も考えるが、どうしてどうして後から後からと。その点じゃ、さらさら心残りなんか無いんだから。」
 次に渡は裸にされて、爪先と床の間が二、三寸位離れる程度に吊し上げられた。
 「おい、いい加減にどうだ。」
 下から柔道三段の巡査が、プランと下った渡の足を自分の手の甲で軽くたたいた。
 「加減もんでたまるかい。」
 「馬鹿だなア。今度のは新式だぞ。」
 「何んでもいい。」
 「ウフン。」
 渡は、だが、今度のにはこたえた。それは畳屋の使う太い針を身体に刺す。一刺しされる度に、彼は強烈な電気に触れたように、自分の身体が句読点位にギュンと瞬間縮まる、と思った。彼は吊されている身体をくねらし、くねらし、口をギュッとくいしばり、大声で叫んだ。
 「殺せ、殺せ――え、殺せ――え!!」
 それは竹刀、平手、鉄棒、細引でなぐられるよりひどく堪(こた)えた。
 渡は、拷問されている時にこそ、始めて理窟抜きの「憎い――ッ!!」という資本家に対する火のような反抗が起った。拷問こそ、無産階級が資本家から受けている圧迫、搾取の形そのままの現れである、と思った。渡は自分の「闘志」に変に自信が無くなり、右顧左顧を始めたと思われるとき、いつでも拷問を考えた。不当に検束され、歩くと目まいがする程拷問をされて帰ってくると、渡は自分でも分る程「新鮮な」階級的憎悪がムチムチと湧くのを意識した。その感情こそは、とくに渡達の場合、マルクスやレーニンの理論を知って「正義的」な気持から運動に入ってきたインテリゲンチャや学生などの夢にも持てないものだ、と思った。「理論から本当の憎悪が虱のように湧くかい!」渡と龍吉はこの事でいつでも大論争をやった。――
 針の一刺毎に、渡の身体は跳ね上った。
 「えッ、何んだって神経なんてありやがるんだ。」
 渡は歯を食いしばったまま、ガクリと自分の頭が前へ折れたことを、意識のどこかで意識したと思った。――「覚えてろ!」それがしまいの言葉だった。渡は三度死んだ。
 息を三度目にふき返した。渡は自分の身体が紙ッ片のように不安定になって居り、そして意識の上に一枚皮が張ったようにボンヤリしているのを感じた。そうなれば、しかしもう「どうとも勝手」だった。意識がそういう風に変調を来たしてくれば、それは打撃に対しては麻酔剤のような効果(ききめ)を持つからだった。
 主任が警察で作った共産党の系図を出して、「もう、こんなになってるんだ。」といって、彼の表情を読もうとした。
 「ホウ、偉いもんだ。成る程――。」酔払ったようにいった。
 「おい、そう感心して貰っても困るんだ。」
 係はもうほとんど手を焼きつくしていた。
 しまいに、警官は滅茶苦茶になぐったり、下に金の打ってある靴で蹴ったりした。それを一時間も続け様に続けた。渡の身体は芋俵のように好き勝手に転がされた。彼の顔は「お岩」になった。そして、三時間ブッ続けの拷問が終って、渡は監房の中へ豚の臓物のように放りこまれた。彼は次の朝まで、そのまま、動けずにうなっていた。

 続けて工藤が調べられた。
 工藤は割合に素直な調子で取調べに応じた。そういう事では空元気を出さなかった。色々その場、その場で方法を伸縮さして、うまく適応するように自分をコントロールしてゆくことが出来た。
 工藤に対する拷問は大体渡に対するのと同じだった。ただ彼がいきなり飛び上ったのは、彼を素足のまま立たして置いて、後から靴の爪先で力一杯かがとを蹴ることだった。それは頭の先までジーンときた。彼は取調室を、それをされて二回も三回もグルグル廻った。足首から下は擂木のように、しびれてしまった。かがとから出た血が室の中に円を描いた。工藤は金切声(彼の声はいつもそうだった。)をあげながら、痩馬のように跳ね上った。彼はしまいにへなへなに座り込んでしまった。
 それが終ると、両手の掌を上に向けてテーブルの上に置かせ、力一杯そこへ鉛筆をつきたてた。それからよくやる指に鉛筆をはさんで締める。――これ等を続け様にやると、その代り代りにくる強烈な刺戟で神経が極度の疲労におち入って、一時的な「痴呆状態」(!)になってしまう。弾機(ばね)がもどって、ものにたえ性がなく、うかつな「どうでもいい」気持になってしまう。そこをつかまえて、警察は都合のいい白状をさせるのだった。
 そのすぐ後で取調べられた鈴本の場合なども、同じ手だった。彼は或る意味でいえば、もっと危い拷問をうけた。彼はなぐられも、蹴られもしなかったが、ただ八回も(八回も!)続け様に窒息させられた事だった。初めから終りまで警察医が(!)彼の手首を握って、脈搏をしらべていた。首を締められて気絶する。すぐ息をふき返えさせ、一分も時間を置かずにまた窒息させ、息をふきかえさせ、また……。それを八回続けた。八回目には鈴本はすっかり酔払い切った人のように、フラ、フラになっていた。彼は自分の頭があるのか、無いのかしびれ切って分らなかった。たゞ主任も特高も拷問係の巡査も、室も器具も、表現派のように解体したり、構成されて映った。そういう「もうろう」とした意識のまゝ、丁度大人に肩をフンづかまれて、ゆすぶられる子供のように、取調べを進められた。鈴本は、これは危いぞ、と思った。が、自分が一つ一つの取調べにどう答えているか、自分で分らなかった。

 佐多が入れられた留置場には色々なことで引張られてきている四、五人がいた。それは留置場の一番端の並びにあって、取調室がすこし離れてその斜め前にあった。
 彼は警察につれて来られたとき、自分達は偉大な歴史的使命を真に勇敢にやろうとしていたために、こうされるのだ、と繰り返し、繰り返し思って、自分に納得を与えようとした。しかし彼の気持はそれとはまるっきり逆に心(しん)から参ってしまっていた。そして留置場に入ったとき、彼は自分の一生が取返しがつかなく暗くなった、と思った。崖の方へ突進して行く自動車を、もうどうにも運転出来ず、アッと思って、手で顔を覆う、その瞬間に似た気持を感じた。その殆んど絶対的な気持の前には、彼が今まで読んだレーニンもマルクスも無かった。「取りかえしがつかない、取りかえしがつかない。」それだけが昆布巻のように、彼の全部を幾重にも包んでしまった。
 それに、この塵芥(ごみ)箱の中そのままの留置場は、彼のその絶望的な気持を二乗にも、三乗にも暗くした。室は昼も朝も晩も、それにけじめなく始終薄暗く、どこかジメジメして、雑巾切れのような畳が中央に二枚敷かさっていた。が、それを引き起したら、その下から岨や虫や腐ってムレたゴミなどがウジョウジョ出る感じだった。空気が動かずムンとして、便所臭い匂いがしていた。吸えば滓でも残りそうな、胸のむかつく、腐った溝水のような空気だった。
 彼は銀行に勤めている関係上、いつも裏からではあったが、真に革命的な理論をつかんで、皆と同じように実践に参加していたが、その色々な環境と生活から来る膚合いからいって、低い生活水準にいる労働者とはやっぱりちがわざるを得なかった。普段はそれが分らずにいた。勿論彼さえ務めていれば、それからくる事はちっとも運動の邪魔にならなかった。――留置場の空気が、二日もしないうちに、その上品な彼の身体にグッとこたえてきた。彼は時々胸が悪くなって、ゲエ、ゲエといった。しかしかえすのでもなかった。自家(うち)にいれば、毎朝行くことになっている便所にも行かなくなった。粗食と運動不足がすぐ身体に変調を来たさした。四日目の朝、無理に便所に立った。しかし三十分もふんばっていて、カラカラに乾いた鼠の尻尾(しっぽ)程の糞が三切れほどしか出なかった。
 留置場の中では、彼は一人ぽつんと島のように離れていた。彼には、どうしても、彼等がこういうところに入っていて自由に、気楽に(そうに見えた。)お互が色々なことを話し合ったりする事が分らなかった。佐多はしかし、じっとしている事がすぐ苦しくなりだした。今度は彼は立ち上ると、室の中を無意味に歩き出した。が、ひょいと板壁に寄りかかると、そのままいつまでも考えこんでしまった。自分よりはきっともっと悲しんでいるだろう母を思った。母のいった「小じんまりとした、しかし幸福な生活」が出来たのではなかったか、それを自分が踏みにじった、そしてこれからの長い生涯、自分は監獄と苦闘! その間を如何に休みなく、つんのめされ、フラフラになり、暗く暮して行かなければならないか、彼にはその一生がアリアリと見える気がした。要らない「おせっかい」を俺はしてしまった、とさえ思った。そして彼は水を一杯に含んだ海綿のように、心から感傷的に溺れていた。
 三十年問「コソ泥」をしてきたという眼の鋭い六十に近い男が、
 「可哀相に、お前さんのような人の来るところじゃないのに。」と彼にいった。
 思わず、その言葉に彼は胸がふッとあつくなり、危く泣かされるところだった。彼はしかもそういう気持を押えるのではなしに、かえって、こっちからメソメソと溺れ、甘えかかって行くところさえあった。そうでなければ、たまらなかった。
 初めての――しかも突然にきた、彼には強過ぎる刺戟に少し慣れてくると、佐多はその考えから少しずつ抜け出て来ることが出来るようになった。少しの犠牲もなくて、自分達の運動が出来る筈がなかった。自分ではちっとも何もせず、一足飛びに直ぐ(キット他の誰かがしてくれた)革命の成就してしまった世界のことだけを考えて、興奮している者にはこういう経験こそ、いいいましめだ。――そこまで佐多は自分で考え得られる余裕を取りもどせていた。他事(よそごと)だ、余計なおせっかいさえしなければ、自分達は小じんまりと暮せるんだという中間階級につきものの意識が、いつでも表へ出てくる。労働者がこの運動をするのは、自分が苦しいからするので、それは誰のためのものでもない。自分のためのものだ。ところが、佐多達からはいつでも何か「他人のため」というそれが、鎖を離れたがる犬のように、油断を心に許せば直ぐひょい、ひょいと出たがる気持だった。――その、いつでも前から危険に思い、思い来たそれに危うく陥りかけていたのを知り、佐多はその冒涜(ぼうとく)な自分に驚いた。
 けれども、佐多は、それはしっかりそういう考えになれたのではなかった。一日毎に――また一日のうちにも、彼にはこの逆な二つの気持が代る代る起った。彼はその度に憂鬱になったり、快活になったりした。恐ろしく長い、しかも何もする事なく、たった一室の中にだけいなければならない彼には、その事より他に考えることが無かった。
 夜、十二時を過ぎていた頃かも知れなかった。佐多は隣に寝ていた「不良少年」に身体をゆすられて起された。
 「ホラ……ホラ聞えないか?」暗がりで、変にひそめた声が、彼のすぐ横でした。
 佐多は始め何の事か分らなかった。
 「じっとしてれ。」
 二人は息をしばらくとめた。全身が耳だけになった。深夜らしくジイン、ジイン、ジーンと耳のなる音がする。佐多はだんだん睡気から離れてきた。
 「聞えるだろう。」
 遠くで剣術をやっているような竹刀の音(たしかに竹刀の音だった。)が彼の耳に入ってきた。それだけでなしに、そしてその合間に何か肉声らしい音も交ってきこえた。それはしかしはっきり分らなかった。
 「ホラ、ホラ……ホラ、なあ。」その音が高まる度に、不良少年がそう注意した。
 「何んだろう。」佐多も声をひそめて、彼にきいた。
 「拷問さ。」
 「………!?」いきなりのどへ鉄棒が入ったと思った。
 「もっとよく聞いてみれ。いいか、ホラ、ホラ、あれアやられてる奴のしぼり上げる声さ、なあ。」
 佐多には、それが何んといっているか分らなかったが、一度きいたら、心にそのまま沁み込んで、きっと一生忘れる事が出来ないような悲痛な叫び声だった。彼はじいッと、それに耳をすましているうちに、夜不気味な半鐘の音をきゝながら、火事を見ている時のように、身体がふるわさってきた。
 「歯の根」がどうしても合わなかった。彼は知らない間に、片手でぎっしり敷布団の端を握っていた。
 「分る、分るよ! な、殺せ――え、殺せ――えッて、いってるらしい。」
 「殺せ――えッて?」
 「ん、よく聞いてみれ。」
 二人はまたじっと息を殺して、きいた。叫び声は遠くから、ヴァイオリンの一番高い音の、細い鋭さをもって、針先のように二人の鼓膜をついた。殺せ――え、殺せ――えッ! そうだ、確かにそういっている。
 「なア、なア。」
 「………………」
 佐多は耳を両手で覆うと、汗くさいベト、ベトした布団に顔を伏せてしまった。彼の耳は、そしてまた彼の脳髄の奥は、しかしその叫声をまだ聞いていた。しばらくして、それが止んだ。取調室の戸が開いたのが聞えてきた。二人は小さい窓に顔をよせて廊下を見た。片方が引きずられている乱れた足音がして、二人が前の方へやってくるのが見えた。薄暗い電燈では、それが誰か分らなかった。うん、うん、うんという声と、それを抑える低い、が強い息声が静まりかえっている廊下にきこえた。彼等の前を通るとき、巡査の声で、
 「お前は少し強情だ。」
 そういうのが聞えた。
 佐多はその夜、どうしても眠れず、ズキ、ズキ痛む頭で起きてしまった。
 彼は「拷問」それを考えると、考えただけで背の肉がケイレンを起すように痛んだ。膝頭がひとりでにがくついて、へなへなと座りこんでしまいたくさえなるのを感じた。すぐ咽喉が乾いてたまらなかった。
 それから二日ばかりした。佐多は立番の巡査に起された。来た! と思った。立ち上るには立ち上った。しかし彼の身体は丸太棒のように、自分の意志では動かなかった。彼は、巡査に何かいおうとした。しかし彼の顎ががくりと下がって、思わず「あふは、あふは、あふは……」赤子がするような発音が出た。
 巡査は分らない顔をして、今までフウ、フウとはいていた煙草の煙の輪をとめて「どうした?」といった。

 龍吉の取調べは――初め、彼が学校に出ていたとき、三回程検挙された事があった。けれども、その時は彼から見れば、こっちがかえって恐縮するようなものだった。「お前」とか「貴様」そういいはしなかった。「貴方」だった。それに彼等が龍吉からかえって色々な事を教わる、という態度さえあった。それが、しかし、龍吉が学校を出て運動の「表」へ出かかるようになってから、だんだん変って行った。「貴方」と「お前」をどまついて混用したり、また露骨に今までの態度を変えた。しかしそれでもインテリゲンチャである彼には、渡とか鈴本とか工藤などに対するのとはちがってずウッと丁寧であった。それには龍吉は苦笑した。渡は、「小川さんはねえ、警察で一度ウンとこさなぐられたら、もっと凄く有望になるんだがな。」といったことがあった。渡はこういう事では、いつでもズパズパいった。
 「君より感受性が鋭敏だから、結局同じことさ。」
 彼は今までにただちょっとしたおどかしの程度に平手しか食っていなかった。が、今度の事件では渡などと殆んど同じに警察から龍吉がにらまれた。それが「凄く」彼に打ち当ってきた。

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