「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

最初の英訳「蟹工船」

2024-02-27 12:26:43 | 海外で読む多喜二

翻訳者 ビカートンについて詳しい情報は以下にあります。

堀邦維 著 · 2018英訳された『蟹工船』

 
J-Stage
https://www.jstage.jst.go.jp › article › cac › _pdf › -char
 
 
 
堀邦維 著 · 2018 — The English version s tittle was The Cannery Boat by Takiji. Kobayashi, and Other Japanese Short Stories. But its translator s name was not written anywhere in ...
 
 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/cac/38/1/38_21/_pdf/-char/ja

 


理論と実践社版「『小林多喜二選集』ハングル版刊行の意義」

2013-03-25 23:43:21 | 海外で読む多喜二
2013年3月25日付「しんぶん赤旗」に掲載された茶谷十六氏の「『小林多喜二選集』ハングル版刊行の意義」

 
昨年8月に、韓国の出版社「理論と実践社」(代表・金泰京)から、ハングル版『小林多喜二選集』(全3巻)の第1巻が刊行された。「蟹工船」「防雪林」「一九二八年三月十五日」の3作品が収録されている。
 翻訳者朴真秀・黄奉模両氏は{韓国における多喜二文学研究の第一人者たちである。

全3巻の内容
 巻頭に多喜二の生涯と作品に関する写真が10ページにわたって掲載され、巻末には、作品解題と年譜のほか、翻訳者黄奉模氏による小論「小林多喜二の文学世界」、さらに多喜二自身による3作品についての解説が掲載され、全体で440ページに及ぶ大冊である。
 引き続き第2巻には、「党生活者」を中心として多喜二の生涯の頂点に至る組織生活を取り扱った作品が収録され、さらに第3巻は、多喜二作品の理解につながる文芸理論、多喜ニの人間像を生々しくあらわす手紙、母セキの多喜二への回想によって構成される予定だという。

民主化闘争で
 金泰京氏から韓国での『小林多喜二選集』刊行の約束をいただいたのは、2008年2月のことであった。この年、第43回秋田県多喜二祭で、「80年代韓国民主化闘争の中で息づいた多喜二の文学」をテーマにパネルディスカッションがもたれ、韓国から李貴源・李相焚両氏を招き私と3人での座談をした。両氏は、1980年代韓国の全斗煥軍事政権下でたたかわれた民主化闘争の中で小林多喜二の文学に接し、「蟹工船」「一九二八年三月十五日」「党生活者」の3作品をハングルに翻訳して、87年8月15日に『蟹工船』の表題で出版した。李貴源氏はその翻訳者であり、李相焚氏は出版社の代表だった。金泰京氏は、共にたたかった同志として両氏と一緒に来訪し、その中で選集刊行を決意したのである。

生き方たたえ
 選集「刊行の辞」の中に金氏の次の言葉がある。
 「ここに一人の男がいる。絵画と音楽と映画が好きで、虐待されるすべての存在を愛することに自分を燃やしながら、30歳にもならないうちに、天皇制権力によって虐殺された人間がいる。『蟹工船』作者の小林多喜二である。われわれは火のように生きて去ったこの人をほめたたえるために『小林多喜二選集』を刊行することにした」
 金氏は計画直後に脳梗塞を患った。半身不随の体で阿修羅のごとくに奮闘したその熱誠に、ただただ感服するばかりだ。
 多喜二の文学世界と全生涯が韓国で本格的に紹介されるのは初めてのことである。多喜二の文学を、現代の韓国の若者たちにこそ読んでほしいと切望し、さまざまな働きかけを積み重ねてきた者として、刊行を心から喜ぶと共に、全3巻完結の一白も早い実現を望みたい。韓国での小林多喜二国際シンポジウム開催をめざして新たな行動を開始したい。
  (ちゃだに・じゅうろく 秋田県・民族芸術研究所研究員)

ハングル版『小林多喜二選集』(全3巻 理論と実践社)第1巻が刊行

2013-03-04 23:32:21 | 海外で読む多喜二

多喜二祭が盛況/秋田と大館で開催

母セキの言葉を紹介「多喜二の仕事は大きなもの、必ず知られるときが来る」
 第48回秋田県多喜二祭が16日、秋田市の生涯学習センターで、第34回大館市小林多喜二記念の集いが17日、大館市立中央公民館で、開かれました。

 両会場とも、小樽商科大学の荻野富士夫教授が「多喜二と母セキは戦争をどのようにとらえたか~多喜二虐殺80周年の意味~」と題して講演しました。

 荻野氏は、セキの「多喜二の仕事は大きなものであって、必ず世間の人々に知られるときが来るでしょう」などの言葉を紹介し、「セキさんは、多喜二らの時代がやってくることを確信していた」とのべました。
 また、荻野氏は、「『蟹工船』のもう一つの読み方」として、多喜二が『蟹工船』の中に軍艦を登場させ、労働者を鎮圧する側面だけでなく、「ソ連の海岸線にそって軍艦が存在している役割を描き、軍隊・戦争を大きくとらえた」と話し、現在の自衛隊の「海外派遣」との類似性にもふれました。

 秋田会場には、県外からの参加者も含む141人が参加しました。工藤一紘同祭実行委員長は、昨年3月の「小林多喜二展」で韓国の金泰京(キム・テギョン)理論と実践社代表が約束したハングル版『小林多喜二選集』(全3巻)の第1巻が刊行されたことを報告しました。
 大館会場には青森県をはじめ、市内のセキ・多喜二ゆかりの人たちなど100人余が参加し、用意した資料が足りなくなりました。
 

大館会場に参加した女性は、「〝何代がかりの運動〟や〝火を継ぐもの〟など(荻野教授の話を)もっと聞きたかった」といいます。「セキさんの話が新鮮だった」という男性(66)は、「『蟹工船』の漁場での軍艦の役割の話は、いまの自民党・安倍内閣の動きと似ている。重く受け止めた」と話していました。