「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

おい手を出せ。しっかり握ろう。おい、お前も! おい、お前もだ!

2012-07-26 00:50:49 | 小林多喜二「一九二八年三月十五日」を読む

小林多喜二「一九二八年三月十五日」を読む。

来年は、多喜二が虐殺されて80年になる。

 

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夜でも昼でーェも、
 牢屋は暗い。

 渡は、四、五日前から鈴本の歌っていたのを聞きながら、何時の間にか覚えた、「夜でも昼でも牢屋は暗い。」の歌を小声で、楽しむように、一つひとつ味いながら、うたって、小さい独房の中を歩いてみた。渡の頭には何も残っていない。そう云ってよかった。然し時々今日全国的に開かれる反動内閣倒閣演説会が出来なくなった事と、自分達の運動が一寸の間でも中断される残念さがジリジリ帰ってきた。が正直に云って--又不思議に、今、渡には、それらの事は眠りに落ちようとする間際に、ひょい、ひょいと聯絡もなく、淡く浮かんだり消えたりする不気味なもののようでしかなかった。
 

渡は口笛を吹いて歩きながら、板壁を指でたたいてみたり、さすってみたりした。彼は実になごやかな気持だった。監獄に入れられて沈んだり憂鬱になったりする、そういう気持はちっとも渡は知らなかった。彼には始めからそんな事にには縁がなかった。女学生のようにデリケートな、上品な神経などは持ち合わせていなかった。然しもっと重大な事は、自分達は正しい歴史的な使命を勇敢にやっているからこそ、監獄にたたき込まれるんだ、と云う事が、渡の場合、苦しい、苦しいから跳ね返す、跳ね返さずにはいられないその気持ちと理屈なしに一致していた。彼は自分の主義主張がコブのように自分の気儘な行動をしばりつけているような窮屈さや、それに対する絶えない良心の苛責などは嘗て感じなかった。渡は、自分ではちっとも、何も犠牲を払っているとは思っていないし、社会的正義のために俺はしているんだぞ、とも思っていない。生のままの「憎い、憎い!」そう思う彼の感情から、少しの無理もなくやっていた。これは彼の底からの気持と云ってよかった。それに彼はがんばりの意志を持っていた。裏も表もなく、ムキ出しにされていた彼の、その「がんばり」はある時には大黒柱のように頼りにされたが、別な場合には他の組合員の狂犬のような反感をムラムラッとひき起こすこともなくはなかった。色々な点で渡と似ていた工藤は、然し彼のように何時でも一本調子に「意思」をムキ出しにしなかった。だから彼は渡のそばにいなければならない「エンゲルス」だ、と皆にひやかし半分に云われていた。--渡には「二つの気持」ということがなかった。一つの気持がすることを、他の気持が思いかえしたり、思いめぐらしてクヨクヨすることが決してなかった。この事が外から見て、或は「鋼のような意志」に見えたかも知れなかった。彼は何時でもズバズバとやってのけていた。

 彼は前へすぐ下る髪を、頭を振って、うるさげに払いあげながら、一人いる留置場を歩き廻った。彼の長くない、太い足は柔道をやる人のように外に曲がっていた。それで彼の上体はかえって土台のしっかりしたものに乗っている、と云う感じを与えた。彼は一歩々々踵に力を入れて、ゆっくり歩く癖があった。彼の靴は一番先きに、踵の外側だけが、癖の悪い人に使われた墨のように斜めに減った。彼は歩きながら同志の者たちはどうしているだろう、と思った。誰かこういう弾圧に恐怖を抱くものがあっては、その事が一番彼の考えを占めた。若しも長びくようだったら、それがもっとも工合悪くなる、彼はそれに対する策略を考えてみた。

 壁には爪や、鉛筆のようなもので、色々が落書きがしてあった。退屈になると、彼は丹念にそれを拾い、拾い読んだ。何処にも書かれる男と女の生殖器が大きく二つも三つもあった。
 「俺は泥棒ですよ、ハイ。」「ここの署長は剣難死亡の相あり--骨相家。」「火事、火事、火事、火、火。(これが未来派のような字体で。)」「不良青年とは、もっとも人生を真剣に渡る人のことでなくして何ぞや。呵々。」「社会主義者よ、何んとかしてくれ。」「お前が社会主義者になれ。」男と女の生殖器を向い合わせて書いてある下に「人生の悲喜劇は一本に始まって、一本に終わるか。嗚呼。」「私は飯が食えないんです。」「署長よ。御身の令嬢には有名な虫が喰ッついる。」「何んでえ、こったら処。誰がおっかながるものか。」「労働者よ、強くなれ。」「ここに入ってくるあらゆる人に告ぐ。落書きはみっともないから止しにしよう。」「糞でも喰え。」「不当にも自由を束縛されたものにとって、落書きは唯だ一つののびのびと解放された楽天地だ。ここに入ってくるあらゆる人に告ぐ、大いに落書きをし給え。」「労働者がこの頃生意気になりました。」「この野郎、もう一度云ってみろ、たたき殺してやるぞ。労働者。」「巡査さん、山田町の吉田キヨと云う人妻は、男を三人持っていて、サック持参で一日置きに廻って歩いてるそうだ。探査を望む。」「お前もその一人か。」「妻と子あり、飢えている。俺はこの社会を憎む。」「ウン、大いに憎め。」「働け。」「働け? 働いて楽になる世の中だか考えてから云え、馬鹿野郎。」「社会主義万歳。」……。

 渡は何時でも入ってくる度に、何か書いてゆくことにしていた。今迄に、決めて何度もそうしていた。
 「俺はとうとう巡査の厄介になったよ。悲しい男。」「巡査の嬶で、生活苦のために一回三円で淫売をしているものが、小樽に八人いる。穴知り生。」

 渡はそう書かれている次の空いている壁に、爪で深く傷をつけながら丹念に落書きを始めた。熱中すると、知らないうちに余程の時間を消すことが出来た。それは画でも書いているような気持ちで出来る愉快な仕事だった。成るべく長く書こうと思った。彼は肩先に力を入れて仕事にとりかかった。熱中したときの癖で、何時の間にか彼は舌を横に出して、一生懸命一字々々刻んで行った。


おい皆聞け!
この留置場は俺達貧乏人だけをやっつけるためにあるものなんだ。
警察とは、城のような塀で囲んだ大きな庭を持っている金持ちが、金をたんまりつかませて傭っておく番犬のようなものなんだ。
金持ちが一度だって、警察に引張られて来た事があるか。
だが、いや全く、だが、俺だちはクヨクヨしている暇に力を合わせて、碌でもない金持ちと手先きの官憲と、そしてもこの碌でもない政治を打ッ壊すことをしなければならないのだ。
クヨクヨしたって涙を損するだけだ。
メソメソしたんじゃ何時迄経ったって、俺だちはやっつけられるだけだ。
おい、兄弟!
第一番先きに手を握ろう。しっかり手を握ることだ。

警察の生くらサーベルで俺だちの団結が、たたき切れると思ったら、たたき切ってみろ!
俺だち労働者は、働いて、働いて、前へつんのめる位働いて、しかも貧乏している。こんなベラ棒なことがあるか。
働くものの世界--労働者と百姓の世界。利子で食い、人の頭をはねて遊んで食う金持ちをタタキのめしてしまった世界。
俺だちはその社会を建てるのだ。
おい手を出せ。
しっかり握ろう。
おい、お前も! おい、お前もだ!
皆、皆!


 かなり長い時間それにかかった。渡は読み返してみて満足を感じた。口笛を吹きながら、コールテンのズボンに手をつッこんで、離れてみたり、近寄ってみたりした。
 


朴真秀 が読む「一九三二年三月十五日」

2010-04-06 13:45:51 | 小林多喜二「一九二八年三月十五日」を読む
小林多喜二の文学と私の青春/朴眞秀
 小林多喜二は私より七十年も前の時代を生きた先人です。しかし私にとって彼は、ほぼ同時代を過ごした、ちょっとした兄貴のような感覚で浮かんできます。それは、はじめて多喜二の作品に接したときから、強く共感を覚えながら読んだからではないかと思います。
 私の二十代、一九八〇年代のソウルは、激動の時空間でした。
 七九年独裁者朴正熙の急死による民主化への期待は、八〇年の光州事件以来、全斗煥の率いる二つ目の軍事政権の登場により、挫折してしまいました。
 以後、韓国全土の大学では、政府に民主化を要求する学生デモが、だんだん激しくなっていきました。特に大統領の直接選挙を求めた八七年六月には、学生運動が一般市民の熱烈な支持を得て、連日数十万人のデモが続くと、軍事政権はやむを得ず制度的民主化を約束します。
 八三年、大学に入学した私は、ほとんど毎日催涙ガスとたたかいながら四年間を過ごさなければなりませんでした。このような社会的空気のなかで私は、当時禁止されているマルクス主義と、労働運動・階級闘争に関する書籍を読みはじめたのです。
 しかし、日本文学専攻の私には、社会科学の理論書より、日本のプロレタリア文学のほうに、当然目が向けられました。
 このなかで、心をひいたのが、多喜二の「一九二八・三・一五」でした。三・一五事件を、多様な人物の視点からとらえている、その技法的側面もおもしろく思われました。
 多喜二は結果的に、蔵原(惟人)の理論の「前衛の眼(め)」を、単なる「闘士の眼」ではなく、「弱者の眼」として構成しています。「眼」は「視点」とかかわる問題です。「自分の眼」に閉ざされず、「相手の眼」、「他者の眼」へと客観化し、また立場を置き換えてみる柔軟性、これこそ反エゴイズム=ヒューマニズムの芸術ではないでしょうか。
  

「一九二八年三月十五日」第9章

2010-04-05 16:26:25 | 小林多喜二「一九二八年三月十五日」を読む

 龍吉が演武場から隔離される二、三日前の事だった。それより四、五日前に、取調べの結果隔離されて監房一号に行っていた労働者で、彼が組合で知り合っていた木下というのがいた。夜の十時頃、それが巡査と一緒に演武場に入ってきた。そして二人で、彼がそこに残して行った持物をまとめにかかった。龍吉が眼を覚した。
 「オ。」龍吉が低く声をかけた。
 木下は龍吉の方を見ると、頭をかすかに振ったようだった。――「札幌廻しだ。」木下が低くそういった。
 龍吉は「う?」といったきり、いきなり何かに心臓をグッと一握りにされた、と思った。札幌廻り、というのは十中八、九もう観念しなければならない事を意味していたからだった。
 演武場を出るときは、髪を長くのばしていたのを知っていた龍吉は、彼が地膚の青いのが分るほど短く刈っていたのに気付いた。「頭は?」
 木下はフト暗い顔をした。
 「あんまりグングンやられるんで刈ってしまった。」
 持物がまとまってしまうと、巡査が木下をうながした。出しなに、木下はしかし、何かためらったように巡査にいっている。すると、巡査は龍吉の所へきて、面倒臭そうな調子で、「木下が、煙草があったら君から貰ってくれないかっていってるんだが。」といった。
 そうだ! 気付いた。――組合でも、木下は煙草だけは皆から一本、二本と集めて、いつでも甘そうにのんでいた。札幌へ護送される木下のために、せめて煙草だけでも贈ることが出来ることを龍吉は喜んだ。それが何よりだった。彼は、まるで、あわてた人のように、自分の持物のところへ走って、急いでバットの箱を取り出した。所が、何んという事だ、一箇しかない、しかも、それが軽いじゃないか! 意地の悪い時には、悪いものだ。三本! たった三本しか入っていなかった。彼は飛んでもない悪いことをした子供のように、
 「君、三本しか無いんだ。」済まなさを心一杯に感じながらいった。
 「いい、いい! 本当に沢山! 有難う、有難う!」木下は子供が頂戴々々をするときのように両手を半ば重ねて出した。
 「一本で沢山だ!」
 側に立っていた巡査がいきなり二本取りあげてしまった。瞬間二人は、二人ともものもいえず、ぼんやりした。
 「のませてやる事すら、過ぎた事なんだぜ!」
 何が「ぜ」だ! 龍吉は身体が底からブルブルふるわさってくる興奮を感じた。しかし、
 「お願いです。僅か三本です。それに木下君は特に煙草……。」
 みんないわせなかった。「誰が、僅か三本だッていうんだ。」
 木下は石のような固い表情をして、黙っていた。たった一本のバットをのせたきりになっている彼の掌が分らない程にふるえていた。――二人が出て行ってしまってから、龍吉は木下の気持を考え、半分自分でも泣きながら、巡査の返してよこしたバットを粉々にむしってしまった。
 「えッ糞、えッ糞、糞ッ! 糞ッ! 糞ッ! 糞ッ!!」
 三日になり、四日になり、十日になる、しかしこれは、そんな風に単純に算えてしまう事が出来ない長さ――無限の長さに思われた。渡や工藤や鈴本などは、それでもそういう場所の「退屈」に少しは慣れていた。しかしまた、たとえ同じように慣れていないとしても、龍吉や佐多にくらべて、太い、荒い神経を持っていたので、よりそれには堪え得た。とくに佐多は惨めに参ってしまっていた。
 佐多の入っていたところは渡のところから、そう離れてはいなかった。夜になり、佐多は身体の置きところもなく、詰もなく、イライラするのにも中毒して、半分「バカ」になったように放心していると、幾つにも扉をさえぎられた向うから、低く、
 夜でも 昼でーエも
 牢屋は暗い。
 いつでも 鬼めが
 窓からのぞく。
 歌うのが聞えてきた。渡が歌うのだった。立番の巡査もそう渡には干渉しなくなっているらしかった。
 のぞことままよ、
 自由はとらわれ、
 鎖はとけず。

 一番後の「鎖はとけず。」の一連に、渡らしい底のある力を入れて歌っているのが分った。そこだけを何度も、必ず繰り返して歌った。彼には渡の気持が直接に胸にくる気がした。
 佐多には、それがいつでも待たれる楽しみだった。きまって夕暮だった。佐多はいつもなら、そんな歌は彼がよく軽蔑していう言葉で「民衆芸術」と片付けてしまったものだった。それがガラリと変ってしまった。しかしまた歌でなくても、外を歩く人の単純なカラカラという音、雪道のギュンギュンとなる音、そういうものにも、よく聞いてみて複雑な階調のあるのを初めて知ったり、どこからか分らないボソボソした話声に不思議な音楽的なデリケートなニュウアンスを感じたりした。天井に雪が降る微かにサラサラする音に一時間も――二時間も聞き入った。すると、それに色々な幻想が入り交り、彼の心を退屈から救ってくれた。彼は、何も要らなかった。「音」が欲しかった。彼の心が少しでもまだ「生物」である証拠として、動くことがあるとすれば、それは「音」に対してだけだった。一緒にいる不良少年の女をひっかける話や、浮浪者の惨めな生活などは、いつもならキット佐多の興味をひいた。が、それは二、三日すると、もう嫌になってしまっていた。
 小樽の一つの名物として、「広告屋」がいた。それは市内商店の依頼を受けると、道化の恰好をして、辻々に立ち、滑稽な調子で、その広告の口上をいう。それに太鼓や笛が加わる。――それが一度留置場の外の近所でやった。拍子木が凍えた空気にヒビでも入るように、透徴した響を伝えると、道化た調子の口上が聞えた。
 スワッ!! それは文字通り「スワッ!!」だった。留置場の中の全部は「城取り」でもするように、小さい、四角な高いところにつけてある窓に向って殺到した。遅れたものは、前のものの背に反動をつけて飛び乗った。そして、その後へも同じように外のものが。――「音」には佐多ばかりではなかったのだ!
 彼は夜、何遍も母の夢を見た。とくに母が面会に来た日の夜、ウツラウツラ寝ると母の夢を見、また眠ると母の夢を見……それが朝まで何回も続いた。
 「お前、やせたねえ。顔色がよくないよ。」
 面会に来た母が彼の顔を見ると、見ただけで息をつまらしてそういった。
 「お前が早く出て来てくれるようにッて、仏様に毎日お願いしてるよ。」母が皺くちゃの汚れたハンカチを出して、顔を覆った。母の「仏様」というのは死んだ父の事だった。綺麗好きな母が、こんなにハンカチを汚していることが彼の胸を突いた。母はしかし、いつものようにワケも分らない事をクドクドいって、すすり上げた。彼は外方を向いていた。その合間に、彼の着物の襟の折れているのを、手をのべて直してくれた。彼はぎこちなく首を曲げて、じっとしていた。母の匂いを直接(じか)に顔に感じた。
 留置場に帰って、母の差入れてくれたものを解いてみた。色々なものの中に交って、紫色した小さい角瓶の眼薬が出てきた。佐多が家にいたとき、いつでも眠る前に眼薬を差す習慣があった。
 「やっぱりお母アさ。面会はお母アか?」隣りで、着物を解くのを見ていた不良少年が、それを見てロを入れた。「俺にだって、お母アはいるんだよ。」
 佐多はそれから四、五日して警察を出された。
 彼は、自分でも自分が分らない気持で外へ出た。――だが、確かに、それは外だった。明るい雪に「輝いている」外にちがいなかった。彼は外へ出た瞬間目まいを感じた。とにかく「外」だ!○○の家がある。××屋がある。×××橋がある。どれも皆見覚えがある。空、そして電信柱、犬! 犬までが本当にいる。子供、人、「自由に」歩いている人達、何より自由に!
 ああ、とうとうこの世の中に帰ってきた!
 彼はそこを通っている人に、男でも、女でも、子供にでも何か話しかけ、笑いかけ、走り廻りたい衝動を感じた。それはそして少しの誇張さえもされていない気持だった。彼は自分の胸をワクワクと揺すって、底から出てくる喜びをどうする事も出来なかった。「とうとう、とうとう出て来た!」――彼は思わず泣きだした。泣きだすと、後から、後からと心臓の鼓動のように、ドキを打って涙があふれてきた。彼は、道を歩いている人が立ち止って彼の方を不審に見ているのもかまわずに、声を出して、しゃくり上げた。彼は何も考えなかった。自分以外の誰のことも、何も! そんな余裕がなかった。
 「とうとう出た! とうとう!!」

 ――佐多が出たという事が一人から一人へ、各監房にいる者に伝わって行った。
 渡は別にどういう感じもそれに対しては起さなかった。何も好きこのんで監房にたたき込まれている必要はないのだから、よかったとは思った。彼は佐多をあまり知らなかった。同じ運動にいても、会社員――インテリゲンチャというものからくるものと、やっぱり膚が合わなかった。別にイヤではなかった。無関心でいた、といってよかった。
 しかし工藤は、龍吉などと同じように、こういうインテリゲンチャがどしどし運動の中に入ってきて、自分達の持てない色々の方面の知識で、ともすれば経験の少ない向う見ずな一本調子になり易い自分達の運動に、厚さと深さを加えなければならない、と思っていた。勿論佐多などには、それらしい多くの欠点はあるにしても、裏にいてもらって、その都度――彼でなければならない役に、役立って貰えればよかった。とくに工藤は、この方面にはまだまだ自分達が沢山の事をしなければならないもののある事を考えていた。

 * * *

 取調べは官憲の気狂いじみた方法で、ここには書き切れない(それだけで一冊の本をなすかも知れない)色々な残虐な挿話を作って、ドシドシ進んで行った。そして「事実」の確定したものは、札幌の裁判所へ順繰りに送られて、予審へ廻された。
 護送される前に、それぞれの取調べに当った司法主任や特高は自腹(?)を切って、皆に丼や寿司などを取り寄せて御馳走した。自分も一緒に食いながら、急に、接木をしたような親しみを皆に見せた。
 「とにかくさ、」――話のついでに(ついでに!?)軽くはさんだ。「とにかく、ここで取調べられた時にいった通りの事をいえばいいのさ。詰が違ったりすると、結局君等の不真面目な態度が問題になって、不利だからなあ……。」
 そして世間話をしながら、また何気ない調子で、その同じ事を繰り返した。
 「こんなに奢(おご)っていいのか。」意味をちアんと知っている渡や工藤や鈴本はひやかした。「分った。分った。何もいわない。その通りさ。」笑談半分に何度もうなずいて見せた。
 初めての斉藤や石田は、変な顔をして御馳走をうけた。変だなあ、そうは思うが、それが特高や主任の「手」であることは分らなかった。彼等は、自分達の手で作りあげた取調書が予審でガラリと覆えるようなことがあると、「首」が危くなったり、「覚え」が目出度なくなり、昇進や出世に大きく関係したからだった。その事情をすっかりつかんでいる渡などは、逆に利用して、札幌へ行く途中、附添の特高にねだって、停車場で弁当や饅頭(まんじゅう)を買ってもらった。
 「可哀相に、あまりせびるなよ。」特高の方で、そんな風にいい出すようになった。
 四月二十日までには小樽警察に抑留されていた全部が札幌へ護送されて行ってしまった。急に署内がガランとした。壁の落書だけが、人のいない室に目立った。皆を入れて置いた壁には申し合わせたように、次の文句がほとんどちがいなく、入念に刻みこまれていた。
 三月十五日を忘れるな!
 共産党 万歳!

 三月十五日を銘記せよ。
 日本共産党万歳!

 一九二八・三・一五!
 田中反動内閣を殺せ!

 共産党 万歳
 労働農民党 万歳
 万国の労働者 団結せよ
 三月十五日を覚えてろ。

 三月十五日を忘れるな
 労働者と農民の政府を作れ。

 日本共産党 万歳!
 (一九二八・八・一七)

「一九二八年三月十五日」第8章下

2010-04-04 16:25:20 | 小林多喜二「一九二八年三月十五日」を読む
 取調室の天井を渡っている梁に滑車がついていて、それの両方にロープが下がっていた。龍吉はその一端に両足を結びつけられると、逆さに吊し上げられた。それから「どうつき」のように床に頭をどしんどしんと打ちつけた。その度に堰口を破った滝のように、血が頭一杯にあふれる程下がった。彼の頭、顔は文字通り火の玉になった。眼は真赤にふくれ上がって、飛び出した。
 「助けてくれ!」彼が叫んだ。
 それが終ると、熱湯に手をつッこませた。
 龍吉は警察で非道い拷問をされた結果「殺された」幾人もの同志を知っていた。直接には自分の周囲に、それから新聞や雑誌で。それ等が惨めな死体になって引渡されるとき、警察では、その男が「自殺」したとか、きまってそういった。「そんな筈」の絶対にない事が分っていても、しかしそれではどこへ訴えてよかったか?――裁判所? だが、外見はどうあろうと、それだって警察とすっかりグルになってるではないか。
 警察の内では何をされても、だからどうにも出来なかった。これは面白い事ではないか。
 「これが今度の大立物さ。」拷問係がいっている。彼はグラグラする頭で、そういうのを聞いていた。
 次に、龍吉は着物をぬがせられて、三本一緒にした細引でなぐりつけられた。身体全体がビリンと縮んだ。そして、その端が胸の方へ反動で力一杯まくれこんで、肉に食いこんだ。それがかえってこたえた。彼のメリヤスの冬シャツがズタズタに細かく切れてしまった。――彼が半分以上も自分のでなくなっている身体を、ようやく巡査の肩に半ば保たせて、よろめきながら廊下を帰ってゆくとき、彼が一度も「拷問」を受けた事のなかった前に、それを考え、恐れ、その惨酷さに心(しん)から惨めにされていた事が、しかし実際になってみたとき、ちっともそうではなかった事を知った。自分がその当事者にいよいよなり、そしてそれが今自分に加えられる――と思ったとき、不思議な「抗力?」が人間の身体にあった事を知った。殺してくれ、殺してくれという、しかし本当のところ、その瞬間残酷だとか、苦しいとか、そういう事はちっとも働かなかった。いえば、それは「極度」に、そうだ極度に張り切った緊張だった。「なかなか死ぬもんでない。」これはそのまま本当だった。龍吉はそう思った。しかし彼がゴロツキの浮浪人や乞食などの入っている留置場に入れられたとき、――入れられた、とフト意識したとき、それッ切り彼は気を失ってしまった。
 次の朝、龍吉はひどい熱を出した。付添の年のふけた巡査が額を濡れた手拭で冷やしてくれた。始終寝言をしていた。一日して、それが直った。ゴロツキの浮浪人が、
 「お前えさんのウワ言はなかなかどうして。」
 龍吉はギョッとして、相手に皆いわせず、「何んか、何んか?」と、せきこんだ。彼は付添の巡査のいるところで、飛んでもない事をいってしまったのではないか、とギクリとした。外国では、取調べに、ウワ言をする液体の注射をして、それに乗じて証言を取る、そういう馬鹿げた方法さえ行われている事を、龍吉は何か本で読んで知っていた。
 「ねえ、なかなか死ぬもんか。―― ちょっとすると、またなかなか死ぬもんか、さ。何んだか知らないが、何十回もそれッばっかりウワ言をいっていたよ。」
 龍吉は肩に力を入れて、思わず息を殺していたが、ホッとすると、急に不自然に大声で笑い出した。が「痛た、痛た、痛た……。」と、笑声が身体に響いて、思わず叫んだ。

 演武場では、斎藤が拷問されたので気が狂いかけている、といっていた。それは、斎藤が取調べられて「お定(き)まり」の拷問が始まろうとしたとき、突然「ワッ!!」と立ち上ると、彼は室の中を手と足と胴を一杯に振って、「ワア――、ワア――、ワア――ッ!!」と大声で叫びながら走り出した。巡査等は始め気をとられて、棒杭のようにつッ立っていた。皆は変な不気味を感じた。拷問、それが頭に来た瞬間、カアッとのぼせたのだ、気が狂ったのだ、――そう思うと、誰も手を出せなかった。
 「嘘(たら)だ。やれッ!」
 司法主任が鉛筆を逆に持って、聴取書の上にキリキリともみこみながら、低い、冷たい声でいった。巡査等は、不器用な舞台の兵卒のように、あばれ馬のように狂っている斎藤を取りかこんだ。
 ――なぐりつけた。一度なぐると、しかし皆は普通の「拷問意識」に帰っていた。誰かが斎藤の顔の真中を、竹刀で横なぐりに叩きつけたらしかった。花火でも散るように「見事」に鼻血があふれ飛んだ。見るうちに着物の前が真赤に染ってしまった。彼はワア――、ワア――と、(が、どこかに変な空虚をもった)叫声をあげて、跳ねとんでいた。彼の顔も真赤になった。血の中からあげた、そのまゝの顔だった。
 「これア今駄目だ。」司法主任が「やめた、やめた。――この次だ。」といった。
 そして後で証拠の尾をつかまれぬように、巡査は血のドロドロについた着物を取りあげてしまった。
 斎藤はそのまま十日も取調べをうけなかった。そのうち三日程演武場にいて、監房へ移されて行った。が、拷問があってから、斎藤は今までよりは眼に見えて、もっと元気になった。しかしその元気にどこか普通でない――自然でないところがあった。何か話しかけて行っても、うっかりしている事が多く、めずらしく静かにしている時には、独りでブツブツいっていた。

 沢山の労働者が次から次へと、現場着のまま連れられてきた。毎日――打ッ続けに十日も二十日も、その大検挙が続いた。非番の巡査は例外なしに一日五十銭で狩り出された。そして朝から真夜中まで、身体がコンニャクのようになる程馳けずり廻された。過労のために、巡査は附添の方に廻ると、すぐ居眠りをした。そしてまた自分達が検挙してきた者達に向ってさえ、巡査の生活の苦しさを洩らした。彼等によって拷問をされたり、また如何に彼等が反動的なものであるかという事を色々な機会にハッキリ知らされている者等にとって、そういう巡査を見せつけられることは「意外」な事だった。いや、そうだ、やっぱり「そこ」では一致しているのだ。たゞ、彼等は色々な方法で目隠しをされ、その上催眠術の中にうまくと落されているのだった。では、どうすればよかったか?誰が一体その目隠しを取り除けてやり、彼等の催眠術を覚してやらなけれはならないのだ?――これア案外そう俺達の敵ではなかったぞ、龍吉も他の人達と同じようにそう思った。
 しまいには、検挙された人の方で、こき使われている巡査が可哀相で見ていられない位になった。どんなボロ工場だって、そんなに「しぼり」はしなかった。
 「もう、どうでもいいから、とにかく決ってくれればいいと思うよ。」頭の毛の薄い巡査が、青いトゲトゲした顔をして龍吉にいった。「ねえ、君。これで子供の顔を二十日も――えゝ、二十日だよ――二十日も見ないんだから、冗談じゃないよ。」
 「いや、本当に恐縮ですな。」
 「非番に出ると――いや、引張り出されると、五十銭だ。それじゃ昼と晩飯で無くなって、結局ただで働かせられてる事になるんだ、――実際は飯代に足りないんだよ、人を馬鹿にしている。」
 「ねえ、水戸部さん(龍吉は名を知っていた。)貴方にこんな事をいうのはどうか、と思うんですが、僕等のやっていることっていうのは、つまり皆んなそこから来ているんですよ。」
  水戸部巡査は急に声をひそめた。「そこだよ。俺達だって、本当のところ君等のやってる事がどんな事か位は、実はちアんと分ってるんだが……。」
 龍吉は笑談のように、「そのがが要らないんだがなあ。」
 「うん。」巡査はしばらく考え込むように、じっとしていた。「……何んしろ、見かけによらないヒドい生活さ。ね、君は教授をした位の人だから、こっそり話すがね。(龍吉は苦笑してうなずいてみせた。)咋日さ、どうにもこうにも身体が続かないと思って、附添をしながら思い切って寝てしまったんだよ。いいあんばいだと思っていると、また検挙命令さ。がっかりしてしまった。それでもイヤイヤ四人ででかけた。ところが、途中でストライキをやろうッて話が出たんだよ。」
 「へえ。――巡査のストライキ。」しかし巡査が案外真面目な顔でいうのを見て、彼はフトその笑談を止めた。
 「ストライキなら、その道の先生が沢山いるんだから、教わればいい。それに今度の事件は全国的で、どこもかしこも、てんてこ舞をしてるんだから、やったら外れッこなく万々歳だ、という事になったんだ。」
 龍吉はその話にグイグイ魅力を感じてきた。
 「そのうちでは、ただ俺は署長をたたきのめして、ウ、ウ――ンと思う存分手と足をのばして、一度――たった一度でいいから、グッすり寝こんでみたい、というのがあったり、署長の野郎の元気のいいのは、今度の事件で市内の大地主や大金持から特に応援費として、たんまり懐に入れてるからだとか……。」
 龍吉は聞耳をたてた。
 「偉いことになったんだ。皆は、嫌になった、といって、ワザと、ブラブラ歩いた。それからどこかへ行って一休みして行こうや、という事になって、ついでにH派出所へ寄って漫談をやらかしてしまったよ。」
 「それで?」
 「それだけだけどさ。」
 「………………。」
 「内密だけど、腹をわって見れば、どの巡査だって皆同じさ。ただねえ、ただ巡査だっていうんでそれに長い間の巡査生活で根性が心(しん)からひねくれて、なかなかおいそれと行かないだけさ。」
 龍吉は明らかに興奮していた。これらのことこそ重大な事だ、と思った。彼は、今初めて見るように、水戸部巡査を見てみた。蜜柑箱を立てた台に、廊下の方を向いて腰を下している、厚い幅の広い、しかし円く前こごみになっている肩の巡査は、彼には、手をぎっしり握りしめてやりたい親しみをもって見えた。頭のフケか、ホコリの目立つ肩章のある古洋服の肩を叩いて、「おい、ねえ君。」そういいたい衝動を、彼は心一杯にワクワクと感じていた。

「一九二八年三月十五日」第8章上

2010-04-03 16:24:24 | 小林多喜二「一九二八年三月十五日」を読む

 警察署は、一週間のうちに労働運動者、労働者、関係のインテリゲンチャを二百人も、無茶苦茶に、豚のようにかりたてた。差入れにきた全然運動とは無関係の弟を、そのまま引きずりこんで「なぐりつけ」一週間も帰さなかった。だが、こんな事はエピソードの百分の一にも過ぎない。
 取調べが始まった。
 渡に対しては、この共産党事件がなくても、警察では是が「非でも」やっつけなければならない、と思っていた。合法的な党、組合の運動にクサビのように無理にねじこんで、渡を引ッこ抜こうとした。
 普段から、していた。そういう中を彼は、しかし文字通りまるで豹(ひょう)のように飛びまわっていた。そこをつかまえたのだから「この野郎、半殺しにしてやれる」と喜んだ。
 渡は、一言も取調べに対しては口を開かなかった。「どうぞ、勝手に。」といった。
 「どういう意味だ。」司法主任と特高がだんだんアワを食い出した。
 「どういう意味ででも。」
 「拷問するぞ。」
 「仕方がないよ。」
 「天野屋(あまのや)気取りをして、後で青くなるな。」
 「貴方達も案外眼がきかないんだな。俺が拷問されたからいうとか、半殺しにされたからどうとか、そんな条件付きの男かどうか位は、もう分っていてもよさそうだよ。」
 彼等は「本気」にアワを食ってきた。「渡なら」と思うと、そうでありそうで内心困ったことだと思った。何故か? 彼等がもし、この共産党の「元兇(げんきょう)」から一言も「聞取書」が取れないとなると、(が、何しろ元兇だから、ちょっと殺せはしないが、)逆に、自分達の「生」首の方が危なかった。
 ――何より、それだった。
 渡は裸にされると、いきなりものもいわないで、後から竹刀でたたきつけられた。力一杯になぐりつけるので、竹刀がビュ、ビュッとうなって、その度に先がしのり返った。彼はウン、ウンと、身体の外面にカを出して、それに堪えた。それが三十分も続いた時、彼は床の上へ、火にかざしたするめのようにひねくりかえっていた。最後の一撃(?)がウムと身体にこたえた。彼は毒を食った犬のように手と足を硬直さして、空へのばした。ブルブルっと、けいれんした。そして、次に彼は気を失っていた。
 しかし渡は長い間の拷問の経験から、ちょうど気合術師が平気で腕に針を通したり、焼火箸(やけひばし)をつかんだりするそれと同じことを会得した。だから、拷問だ!、その緊張――それが知らず知らずの間に知った気合だかも知れない――がくると、割合にそれが堪(こた)えなかった。
 ここでは、石川五右衛門(いしかわごえもん)や天野屋利兵衛(あまのやりへえ)の、あの残虐な拷問は、何百年か前の昔話では決してなかった。それは、そのまゝ今だった。しかし勿論こういうことはある。――刑法百三十五条「被告人に対しては丁寧親切を旨とし、其利益となるべき事実を陳述する機会を与うべし。」(!!)
 水をかけると、息をふきかえした。今度は誘い出すような戦法でやってきた。
 「いくら拷問したって、貴方達の腹が減る位だよ。――断然何もいわないから。」
 「皆もうこッちでは分ってるんだ。いえばそれだけ軽くなるんだぜ。」
 「分ってれば、それでいゝよ。俺の罪まで心配してもらわなくたって。」
 「渡君、困るな、それじゃ。」
 「俺の方もさ。――俺ア拷問には免疫なんだから。」
 後に三、四人拷問係(!)が立っていた。
 「この野郎!」一人が渡の後から腕をまわしてよこして、首をしめにかかつた。「この野郎一人で、小樽がうるさくて仕方がねエんだ。」
 それで渡はもう一度気を失った。
 渡は警察に来る度に、こういうものを「お巡りさん」といって、町では人達の「安寧」と「幸福」と「正義」を守って下さる偉い人のように思われていることを考えて、いつでも苦笑した。ブルジョワ的教育法の根本は――方法論は「錯覚法」だった。内と外をうまくすりかえて普及させる事には、つくづく感心させる程、上手でもあったし、手ぬかりもなかった。
 「おい、いいか、いくらお前が拷問が免疫になったって、東京からはもし何んならブッ殺したっていいッていってきているんだ。」
 「それアいい事をきいた。そうか。――殺されたっていいよ。それで無産階級の運動が無くなるとでもいうんなら、俺も考えるが、どうしてどうして後から後からと。その点じゃ、さらさら心残りなんか無いんだから。」
 次に渡は裸にされて、爪先と床の間が二、三寸位離れる程度に吊し上げられた。
 「おい、いい加減にどうだ。」
 下から柔道三段の巡査が、プランと下った渡の足を自分の手の甲で軽くたたいた。
 「加減もんでたまるかい。」
 「馬鹿だなア。今度のは新式だぞ。」
 「何んでもいい。」
 「ウフン。」
 渡は、だが、今度のにはこたえた。それは畳屋の使う太い針を身体に刺す。一刺しされる度に、彼は強烈な電気に触れたように、自分の身体が句読点位にギュンと瞬間縮まる、と思った。彼は吊されている身体をくねらし、くねらし、口をギュッとくいしばり、大声で叫んだ。
 「殺せ、殺せ――え、殺せ――え!!」
 それは竹刀、平手、鉄棒、細引でなぐられるよりひどく堪(こた)えた。
 渡は、拷問されている時にこそ、始めて理窟抜きの「憎い――ッ!!」という資本家に対する火のような反抗が起った。拷問こそ、無産階級が資本家から受けている圧迫、搾取の形そのままの現れである、と思った。渡は自分の「闘志」に変に自信が無くなり、右顧左顧を始めたと思われるとき、いつでも拷問を考えた。不当に検束され、歩くと目まいがする程拷問をされて帰ってくると、渡は自分でも分る程「新鮮な」階級的憎悪がムチムチと湧くのを意識した。その感情こそは、とくに渡達の場合、マルクスやレーニンの理論を知って「正義的」な気持から運動に入ってきたインテリゲンチャや学生などの夢にも持てないものだ、と思った。「理論から本当の憎悪が虱のように湧くかい!」渡と龍吉はこの事でいつでも大論争をやった。――
 針の一刺毎に、渡の身体は跳ね上った。
 「えッ、何んだって神経なんてありやがるんだ。」
 渡は歯を食いしばったまま、ガクリと自分の頭が前へ折れたことを、意識のどこかで意識したと思った。――「覚えてろ!」それがしまいの言葉だった。渡は三度死んだ。
 息を三度目にふき返した。渡は自分の身体が紙ッ片のように不安定になって居り、そして意識の上に一枚皮が張ったようにボンヤリしているのを感じた。そうなれば、しかしもう「どうとも勝手」だった。意識がそういう風に変調を来たしてくれば、それは打撃に対しては麻酔剤のような効果(ききめ)を持つからだった。
 主任が警察で作った共産党の系図を出して、「もう、こんなになってるんだ。」といって、彼の表情を読もうとした。
 「ホウ、偉いもんだ。成る程――。」酔払ったようにいった。
 「おい、そう感心して貰っても困るんだ。」
 係はもうほとんど手を焼きつくしていた。
 しまいに、警官は滅茶苦茶になぐったり、下に金の打ってある靴で蹴ったりした。それを一時間も続け様に続けた。渡の身体は芋俵のように好き勝手に転がされた。彼の顔は「お岩」になった。そして、三時間ブッ続けの拷問が終って、渡は監房の中へ豚の臓物のように放りこまれた。彼は次の朝まで、そのまま、動けずにうなっていた。

 続けて工藤が調べられた。
 工藤は割合に素直な調子で取調べに応じた。そういう事では空元気を出さなかった。色々その場、その場で方法を伸縮さして、うまく適応するように自分をコントロールしてゆくことが出来た。
 工藤に対する拷問は大体渡に対するのと同じだった。ただ彼がいきなり飛び上ったのは、彼を素足のまま立たして置いて、後から靴の爪先で力一杯かがとを蹴ることだった。それは頭の先までジーンときた。彼は取調室を、それをされて二回も三回もグルグル廻った。足首から下は擂木のように、しびれてしまった。かがとから出た血が室の中に円を描いた。工藤は金切声(彼の声はいつもそうだった。)をあげながら、痩馬のように跳ね上った。彼はしまいにへなへなに座り込んでしまった。
 それが終ると、両手の掌を上に向けてテーブルの上に置かせ、力一杯そこへ鉛筆をつきたてた。それからよくやる指に鉛筆をはさんで締める。――これ等を続け様にやると、その代り代りにくる強烈な刺戟で神経が極度の疲労におち入って、一時的な「痴呆状態」(!)になってしまう。弾機(ばね)がもどって、ものにたえ性がなく、うかつな「どうでもいい」気持になってしまう。そこをつかまえて、警察は都合のいい白状をさせるのだった。
 そのすぐ後で取調べられた鈴本の場合なども、同じ手だった。彼は或る意味でいえば、もっと危い拷問をうけた。彼はなぐられも、蹴られもしなかったが、ただ八回も(八回も!)続け様に窒息させられた事だった。初めから終りまで警察医が(!)彼の手首を握って、脈搏をしらべていた。首を締められて気絶する。すぐ息をふき返えさせ、一分も時間を置かずにまた窒息させ、息をふきかえさせ、また……。それを八回続けた。八回目には鈴本はすっかり酔払い切った人のように、フラ、フラになっていた。彼は自分の頭があるのか、無いのかしびれ切って分らなかった。たゞ主任も特高も拷問係の巡査も、室も器具も、表現派のように解体したり、構成されて映った。そういう「もうろう」とした意識のまゝ、丁度大人に肩をフンづかまれて、ゆすぶられる子供のように、取調べを進められた。鈴本は、これは危いぞ、と思った。が、自分が一つ一つの取調べにどう答えているか、自分で分らなかった。

 佐多が入れられた留置場には色々なことで引張られてきている四、五人がいた。それは留置場の一番端の並びにあって、取調室がすこし離れてその斜め前にあった。
 彼は警察につれて来られたとき、自分達は偉大な歴史的使命を真に勇敢にやろうとしていたために、こうされるのだ、と繰り返し、繰り返し思って、自分に納得を与えようとした。しかし彼の気持はそれとはまるっきり逆に心(しん)から参ってしまっていた。そして留置場に入ったとき、彼は自分の一生が取返しがつかなく暗くなった、と思った。崖の方へ突進して行く自動車を、もうどうにも運転出来ず、アッと思って、手で顔を覆う、その瞬間に似た気持を感じた。その殆んど絶対的な気持の前には、彼が今まで読んだレーニンもマルクスも無かった。「取りかえしがつかない、取りかえしがつかない。」それだけが昆布巻のように、彼の全部を幾重にも包んでしまった。
 それに、この塵芥(ごみ)箱の中そのままの留置場は、彼のその絶望的な気持を二乗にも、三乗にも暗くした。室は昼も朝も晩も、それにけじめなく始終薄暗く、どこかジメジメして、雑巾切れのような畳が中央に二枚敷かさっていた。が、それを引き起したら、その下から岨や虫や腐ってムレたゴミなどがウジョウジョ出る感じだった。空気が動かずムンとして、便所臭い匂いがしていた。吸えば滓でも残りそうな、胸のむかつく、腐った溝水のような空気だった。
 彼は銀行に勤めている関係上、いつも裏からではあったが、真に革命的な理論をつかんで、皆と同じように実践に参加していたが、その色々な環境と生活から来る膚合いからいって、低い生活水準にいる労働者とはやっぱりちがわざるを得なかった。普段はそれが分らずにいた。勿論彼さえ務めていれば、それからくる事はちっとも運動の邪魔にならなかった。――留置場の空気が、二日もしないうちに、その上品な彼の身体にグッとこたえてきた。彼は時々胸が悪くなって、ゲエ、ゲエといった。しかしかえすのでもなかった。自家(うち)にいれば、毎朝行くことになっている便所にも行かなくなった。粗食と運動不足がすぐ身体に変調を来たさした。四日目の朝、無理に便所に立った。しかし三十分もふんばっていて、カラカラに乾いた鼠の尻尾(しっぽ)程の糞が三切れほどしか出なかった。
 留置場の中では、彼は一人ぽつんと島のように離れていた。彼には、どうしても、彼等がこういうところに入っていて自由に、気楽に(そうに見えた。)お互が色々なことを話し合ったりする事が分らなかった。佐多はしかし、じっとしている事がすぐ苦しくなりだした。今度は彼は立ち上ると、室の中を無意味に歩き出した。が、ひょいと板壁に寄りかかると、そのままいつまでも考えこんでしまった。自分よりはきっともっと悲しんでいるだろう母を思った。母のいった「小じんまりとした、しかし幸福な生活」が出来たのではなかったか、それを自分が踏みにじった、そしてこれからの長い生涯、自分は監獄と苦闘! その間を如何に休みなく、つんのめされ、フラフラになり、暗く暮して行かなければならないか、彼にはその一生がアリアリと見える気がした。要らない「おせっかい」を俺はしてしまった、とさえ思った。そして彼は水を一杯に含んだ海綿のように、心から感傷的に溺れていた。
 三十年問「コソ泥」をしてきたという眼の鋭い六十に近い男が、
 「可哀相に、お前さんのような人の来るところじゃないのに。」と彼にいった。
 思わず、その言葉に彼は胸がふッとあつくなり、危く泣かされるところだった。彼はしかもそういう気持を押えるのではなしに、かえって、こっちからメソメソと溺れ、甘えかかって行くところさえあった。そうでなければ、たまらなかった。
 初めての――しかも突然にきた、彼には強過ぎる刺戟に少し慣れてくると、佐多はその考えから少しずつ抜け出て来ることが出来るようになった。少しの犠牲もなくて、自分達の運動が出来る筈がなかった。自分ではちっとも何もせず、一足飛びに直ぐ(キット他の誰かがしてくれた)革命の成就してしまった世界のことだけを考えて、興奮している者にはこういう経験こそ、いいいましめだ。――そこまで佐多は自分で考え得られる余裕を取りもどせていた。他事(よそごと)だ、余計なおせっかいさえしなければ、自分達は小じんまりと暮せるんだという中間階級につきものの意識が、いつでも表へ出てくる。労働者がこの運動をするのは、自分が苦しいからするので、それは誰のためのものでもない。自分のためのものだ。ところが、佐多達からはいつでも何か「他人のため」というそれが、鎖を離れたがる犬のように、油断を心に許せば直ぐひょい、ひょいと出たがる気持だった。――その、いつでも前から危険に思い、思い来たそれに危うく陥りかけていたのを知り、佐多はその冒涜(ぼうとく)な自分に驚いた。
 けれども、佐多は、それはしっかりそういう考えになれたのではなかった。一日毎に――また一日のうちにも、彼にはこの逆な二つの気持が代る代る起った。彼はその度に憂鬱になったり、快活になったりした。恐ろしく長い、しかも何もする事なく、たった一室の中にだけいなければならない彼には、その事より他に考えることが無かった。
 夜、十二時を過ぎていた頃かも知れなかった。佐多は隣に寝ていた「不良少年」に身体をゆすられて起された。
 「ホラ……ホラ聞えないか?」暗がりで、変にひそめた声が、彼のすぐ横でした。
 佐多は始め何の事か分らなかった。
 「じっとしてれ。」
 二人は息をしばらくとめた。全身が耳だけになった。深夜らしくジイン、ジイン、ジーンと耳のなる音がする。佐多はだんだん睡気から離れてきた。
 「聞えるだろう。」
 遠くで剣術をやっているような竹刀の音(たしかに竹刀の音だった。)が彼の耳に入ってきた。それだけでなしに、そしてその合間に何か肉声らしい音も交ってきこえた。それはしかしはっきり分らなかった。
 「ホラ、ホラ……ホラ、なあ。」その音が高まる度に、不良少年がそう注意した。
 「何んだろう。」佐多も声をひそめて、彼にきいた。
 「拷問さ。」
 「………!?」いきなりのどへ鉄棒が入ったと思った。
 「もっとよく聞いてみれ。いいか、ホラ、ホラ、あれアやられてる奴のしぼり上げる声さ、なあ。」
 佐多には、それが何んといっているか分らなかったが、一度きいたら、心にそのまま沁み込んで、きっと一生忘れる事が出来ないような悲痛な叫び声だった。彼はじいッと、それに耳をすましているうちに、夜不気味な半鐘の音をきゝながら、火事を見ている時のように、身体がふるわさってきた。
 「歯の根」がどうしても合わなかった。彼は知らない間に、片手でぎっしり敷布団の端を握っていた。
 「分る、分るよ! な、殺せ――え、殺せ――えッて、いってるらしい。」
 「殺せ――えッて?」
 「ん、よく聞いてみれ。」
 二人はまたじっと息を殺して、きいた。叫び声は遠くから、ヴァイオリンの一番高い音の、細い鋭さをもって、針先のように二人の鼓膜をついた。殺せ――え、殺せ――えッ! そうだ、確かにそういっている。
 「なア、なア。」
 「………………」
 佐多は耳を両手で覆うと、汗くさいベト、ベトした布団に顔を伏せてしまった。彼の耳は、そしてまた彼の脳髄の奥は、しかしその叫声をまだ聞いていた。しばらくして、それが止んだ。取調室の戸が開いたのが聞えてきた。二人は小さい窓に顔をよせて廊下を見た。片方が引きずられている乱れた足音がして、二人が前の方へやってくるのが見えた。薄暗い電燈では、それが誰か分らなかった。うん、うん、うんという声と、それを抑える低い、が強い息声が静まりかえっている廊下にきこえた。彼等の前を通るとき、巡査の声で、
 「お前は少し強情だ。」
 そういうのが聞えた。
 佐多はその夜、どうしても眠れず、ズキ、ズキ痛む頭で起きてしまった。
 彼は「拷問」それを考えると、考えただけで背の肉がケイレンを起すように痛んだ。膝頭がひとりでにがくついて、へなへなと座りこんでしまいたくさえなるのを感じた。すぐ咽喉が乾いてたまらなかった。
 それから二日ばかりした。佐多は立番の巡査に起された。来た! と思った。立ち上るには立ち上った。しかし彼の身体は丸太棒のように、自分の意志では動かなかった。彼は、巡査に何かいおうとした。しかし彼の顎ががくりと下がって、思わず「あふは、あふは、あふは……」赤子がするような発音が出た。
 巡査は分らない顔をして、今までフウ、フウとはいていた煙草の煙の輪をとめて「どうした?」といった。

 龍吉の取調べは――初め、彼が学校に出ていたとき、三回程検挙された事があった。けれども、その時は彼から見れば、こっちがかえって恐縮するようなものだった。「お前」とか「貴様」そういいはしなかった。「貴方」だった。それに彼等が龍吉からかえって色々な事を教わる、という態度さえあった。それが、しかし、龍吉が学校を出て運動の「表」へ出かかるようになってから、だんだん変って行った。「貴方」と「お前」をどまついて混用したり、また露骨に今までの態度を変えた。しかしそれでもインテリゲンチャである彼には、渡とか鈴本とか工藤などに対するのとはちがってずウッと丁寧であった。それには龍吉は苦笑した。渡は、「小川さんはねえ、警察で一度ウンとこさなぐられたら、もっと凄く有望になるんだがな。」といったことがあった。渡はこういう事では、いつでもズパズパいった。
 「君より感受性が鋭敏だから、結局同じことさ。」
 彼は今までにただちょっとしたおどかしの程度に平手しか食っていなかった。が、今度の事件では渡などと殆んど同じに警察から龍吉がにらまれた。それが「凄く」彼に打ち当ってきた。

「一九二八年三月十五日」第7章

2010-04-02 16:22:12 | 小林多喜二「一九二八年三月十五日」を読む

 十五日一日のうちに、また五、六人の労働者が連れられて来た。その室が狭くなると、皆は演武場の広場に移された。室の半分は畳で、半分は板敷だった。室の三方が殆んど全部ガラス窓なので、明るい外光が、薄暗い所から出て来た皆の目を、初めまばゆくさした。中央には大きなストーヴが据えつけられていた。お互に顔を見知っている者も多かったので、ストーヴを囲むと、色々な話が出た。監視の巡査は四人程ついた。巡査も股を広げて、ストーヴに寄った。
 初め、それでも皆は巡査に気兼ねをして、だまっていた。が退屈してくると、巡査の方を見ながら、話が切れ、切れに出た。叱られたらいつでも直ぐ止められる心構えをしながら。巡査はしかし、かえってそういう話に同意をしたり、うながしたりした。巡査も退屈していた。
 日暮れになると、皆表に出された。裏口から一列に並んで外へ出ると、警察構内を半廻りして、表口からまた入れられた。「盥(たらい)廻し」をされてしまったのだった。急に皆の顔が不安になった。どやどやと演武場に入ってくると、お互に顔を寄せて、どうしたんだといい合った。今度の検束が何か別な原因からだ、という直感が皆にきた。実(み)の入っていない塩っ辛い汁で、粘気がなくてボロボロした真黒い麦飯を食ってしまってから、皆はまたストーヴに寄った。が、ちっとも話がはずんでゆかなかった。
 八時過ぎに、工藤が呼ばれて出て行った。皆はギョッとして、工藤の後姿を見送った。
 夜が更けてくると、ブスブス煙っているような安石炭のストーヴでは、背の方にゾクゾクと寒さが滲みこんできた。龍吉は丹前(たんぜん)を持ち出しに、薄暗い隅の方へ行った。あとから石田がついてきた。
 「小川さん、俺こんな事皆の前でいってええか分らないので、黙っていたんだけど。」と低い声でいった。
 龍吉は胃がまた痛み出してきたのを、眉のあたりに力を入れて、我慢しながら、
 「うん?」と、ききかえした。
 演武場の外を、誰かが足音をカリッ、カリッとさせて歩いていた。
 ――少し前だった。石田が洗面所に行った。別々の室に入れられている皆が、お互に顔だけでも見合わされ――また運よく行って、話でも出来るのは、実は一つしかないために共同に使われていた洗面所だった。皆がそこへ行くときは、それでその機会をうまくつかめるように、心で望んでいた。石田が入ってゆくと、正面の板壁に下げてある横に長い鏡の前で、こっちへは後を向けた肩巾の広い、厚い男が顔を洗っていた。その時は、石田は何かうっかりほかのことを考えていたかも知れなかった。その男の側まで行って、彼は――と、その時ひょいと、その男が顔をあげた。石田が何気なく投げていた視線と、それがかっちり合った。「あッ!」石田はたしかに声をあげた。頭から足へ、何か目にもとまらない速さで、スウッと走った。彼は、自分の体が紙ッ片(きれ)のように軽くなったのを感じた。彼は片手を洗面所の枠に支えると、反射的に片手で自分の眠から頬をなでた。顔!?――それが顔だろうか? 腐れた茄子(なす)のようにブシ色にはれ上った、文字通り「お岩」の顔、そして、それが渡ではないか!
 「やられたよ。」自分で自分の顔を指さすような恰好で、笑ってみせた。笑顔!
 石田は一言もいえず、そのままでいた。心臓の下あたりがくすぐったくなるように、ふるえてきた。
 「しかし、ちっとも参らない。」
 「うん……。」
 「皆に恐怖病にとッつかれないようにって頼むでえ。」
 その時は、それだけしかいえる機会がなかった。
 「キット大きな事だって思うんだ。」石田が怒ったように、低い声でいった。
 「うむ。……心当りがない事もないが。しかし、大切なことはやっぱり恐怖病だ。」龍吉はストーヴの廻りにいる仲間や巡査の方に眼をやりながらいった。
 「それアそうだ。しかし警察へ来てまで空元気を出して、乱暴を働かなけア闘士でないなんて考えも、やめさせなけア駄目だ。警察に来ておとなしくしているというのは、何も恐怖病にとッつかれているという事ではないんだと思う。」
 「そうだ。うん。」
 「斎藤なんぞ、」そういって、ストーヴのそばで何か手振りをしながらしゃべっている斎藤を見ながら、「此前だ、警察へ引っぱられてきて、一番罪が軽かったら、それを恥しく思って首でも吊らなかったら、そんな奴は無産階級の闘士でないなんていい出したもんだ!」
 「……うん、いや、その気持も運動をしている者がキット幾分はもつ……何んていうか、センチメンタリズムだよ。同志に済まないって気がするもんだからな、そんな場合。しかし、勿論それア機会ある毎に直して行かなけアならない事だよ。」
 石田は相手を見て、何か言葉をはさもうとした、しかしやめると、考える顔をした。
 「それはしかし、案外面倒な方法だと思うんだ。そいつをあまり真正面から小児病だとか、なんとかいい出すと、ところが肝心要めの情熱そのものを根っからプッつり引っこ抜いてしまう事にならないとも限らないからなあ。勿論それア、その二つのものは別物だけどさ。」
 石田は自分の爪先を見ながら、その辺を歩き出した。
 「大切なことは、その情熱をそのまま正しい道の方へ流し込んでやるッて事らしいよ。――情熱は何んといったって、やっぱり一番大きな、根本的なものだと思うんだ。」龍吉は何かを考えて、フト言葉を切った。「革命的理論なくして、革命的行動はあり得ないッて言葉があるさ、君も知ってる有名な奴さ。けれども、それはそれだけじゃ本当は足りないと、俺は思ってるんだ。その言葉の底に当然のものとして省略されてる大物は、何んといったって情熱だよ。」
 「線香花火の情熱はあやまるよ。牛が、何がなんであろうと、しかし決してやめる事なく、のそりのそり歩いていく、それがとくに俺達の執拗な長い間の努力の要る運動に必要な情熱じゃないか、と思うんだ。」
 「そうだ。情熱はしかし、人によって色々異った形で出るものだよ。俺だちの運動は二、三人の気の合った仲間ばかりで出来るものじゃないのだから、その点、大きな気持――それ等をグッと引きしめる一段と高い気持に、それを結びつけることによって、それ等の差異をなるべく溶合するように気をつけなければならない、と思うんだ。――それア、どうしたって個人的にいって不愉快なこともあるさ。だが勿論そんなことに拘わるのは嘘だよ。俺だって渡のある方面では嫌なところがある。渡ばかりじゃない。しかし、決してそれで分離することはしないよ。それじゃ組織体としての俺達の運動は出来ないんだから。」
 「うん、うん。」
 「これから色々困難な事に打ち当るさ。そうすればキットこんな事で、案外重大な裂目を引き起さないとも限らないんだ。俺だちはもっともっとこういう隠れている、何んでもないような事に本気で、気をつけて行かなければならないと思ってるよ。」
 「うん、うん。」石田は口の中で何遍もうなずいた。
 二人がストーヴに寄ってゆくと、皆は巡査と一緒に猥談(わいだん)をやっていた。どういうわけで引張られてきたか、ちっとも分らないといっていた労働者は二、三人いた。それ等は始めからオドオドして、側から見ていられない程くしゃんとしていた。が、時々その猥談に口をはさんだり、笑っていた。話がとぎれて、ちょっと皆がだまる事があると、走り雲の落してゆく影のように、彼等の顔が瞬間暗くなった。
 斎藤が手振りで話していたのは、女の陰部のことだった。それが口達者なので、皆を引きつけていた。話し終ると、
 「ねえ、石山さん、煙草一本。」
 一生懸命に聞いていた頭の毛の薄い、肥った巡査に手を出した。
 石山巡査は、下品にえへ、えへへへと笑いながら、上着の内隠しから、くしゃくしゃにもまれて折れそうになっているバットを一本出して、斎藤に渡してくれた。
 「ありがてえ、ありがたえ。もう一席もッと微細なところをやるかな。」
 こすい眼付きで、相手をちらっと見て笑った。斎藤はそれを掌の上で丹念に直して、それからそれに唾を塗って、なるべく遅くまで残るように濡らした。
 「いや、勿体ない。これは後でゆっくりとやる。」そして耳に煙草をはさんだ。
 「……早く何んとかしてくれないかな。」
 片隅で誰か独言した。
 「う。」皆はその言葉でひょいとまた、自分の心に懐中電燈でもつきつけられたように思った。
 「浜の現場から引っぱられて来たんで、家でどッたらに心配してるかッて思ってよ。俺働かねば嬶(かかあ)も餓鬼(がき)も食っていけねえんだ。」
 「俺らもよ。」
 「……こんな運動こりこりした。おッかねえ。」――変に実感をこめて、そういったのは相当前から組合にいる労働者だった。
 「どうしてよ!」斎藤が口を入れた。
 斎藤にいわれて、その労働者は口をつむんでしまった。斎藤は怒った調子を明から様に出して、
 「うん?」と、うながした。
 「いいいい。」石田が巡査の方を眼くばせして、斎藤の後を突ッついた。
 その木村という労働者は長く組合にいたが、表立っては別に何もしてきていなかった。彼はいつでもいっていた。――それは、あまり彼の出ている倉庫の仕事が苦しかった。ところが労働組合がそういう労働者の待遇を直して呉れるためにある、という事を知った。それで彼が入ってきたのだった。が、警察に引張られなければならないようでは、とても彼は困ると思ったし、それにそんな「悪い事」まですることは、どうしても彼には分らなかった。恐ろしいとも思った。そんな事でなしに、うまくやって行くのが労働組合だと思っていた。彼は思い違いをしていた。彼は、これでは、いつかやめなければならない、と考えた。彼は結局後から押されるようにして、今まで知らず知らずの間に押されてきていた。何かものにつまずけば、すぐそれが動機になって、軌道から外へ転げ落ちる形のままだった。彼は組合の仕事も、ちっとも積極的でなしに、人形のように、割り当てられた事だけしかしなかった。
 総選挙の時だった。敵候補方のポスターをはぎ取ったという事で、労農党から誰か警察に犠牲になって行く必要が起きた。渡が木村に頼んで、色々注意を話してきかせた。
 「少しなぐられるかも知れないけれども、我慢してくれよ。」といった。
 「嫌だ!」
 一言でそういい切った。
 そんな答をちっとも予期していなかった渡が、「ええ?」と反射的にいったきり、かえって黙ったまま木村の顔を見た。
 「俺アそったら事して、一日でも二日でも警察さ引ッ張られてみれ、飯食えなくなるよ。嫌だ!」
 「君は俺達の運動という事が分らないんだな。」
 「お前(め)え達幹部みたいに、響察さ引ッ張られて行けば、それだけ名前が出て偉くなったり、名誉になったりすんのと違(ちが)んだ。」
 渡は息をグッとのんだまま、すぐ何かいえず、黙った。そこにいた龍吉は「これア悪い空気だ。」と思った。組合の幹部と平組合員が「こんな事で」にらみ合っていては困る、と思った。
 「今のところ、まア別人に行って貰うことにしてもいいさ。」
 龍吉は是非そういわなければならなかった。――この木村にとって、今度の事は、だから、「手をひく」いい動機だった。ここから出たら、きっぱりとやめようと思っていた。そう決めていた。
 「意気地のない野郎だ」
 斎藤はズウッと前にあった、その木村のことを思い出していた。彼はワザと横を向いた。
 「木村君、やっぱり組合員は組合員らしくするんだなア。とくにこういう事になれば、俺達がしっかりしなけア困る時だ、と思うんだ。」
 龍吉はストーヴの温かさで、かゆくなった前股のあたりをさすりながらいった。木村はしかし黙っていた。龍吉はフト、文字通り戦闘的だといわれている左翼組合に、案外こういうもの等が数の上ででも中枢をなしていることは、そう軽々しく考え捨てることの出来ない事だと思った。
 木村の紹介で、最近組合に入った柴田は両膝をかかえて、皆を見ていた。彼は木村と同じフトンに寝るので、彼が心底からぐしゃんと参っていることを聞かされて知っていた。柴田自身も、しかし、初め参ったとは思った。とくに組合で寝こみを襲われた時血の気がなくなった。しかし勿論こんなことはたえ切って行かなければならない事だと、普段から思っていた。自分で、そういう点ではとくに至らない、つまらないものであると思っていたから、彼は人一倍一生懸命になった。彼はだから渡や工藤や斎藤、龍吉――そういう人達の一挙一動に細かい注意を払って、自分の態度に「意識的に過ぎる」とさえ思われる程鞭を加えてきていた。今度の事件は、そして、色々な人間に対する厳重なフルイであった。ドシドシ眼の前で網の目から落ちて行く同志を見るのは、可なり淋しいことだった。しかしそれはあるいはかえって必要な過程であるかも知れなかった。――柴田は、俺はいくら後から来た若造だって、畜生、落ちてはなるまいぞ、と思った。
 ストーヴの廻りの話がこの事でちょっと渦を巻いて澱んだ、が、誰が話しだすとなく、女の話がまた出ていった。
 八時になると、畳の方へ床を敷いて、二人ずつ寝た。「眠れさえすれば」眠るのが、たった一つの自由な楽しみだった。
 何人もが一緒に帯を解いたり、足袋(たび)を脱いだりする音がゴソゴソ起った。
 「早く寝て夢を見るんだ。」口に出していうものがいる。
 「留置場の夢か、たまらない。」
 「糞。」
 相手がクスクス笑った。宿屋に着いた修学旅行の生徒のように、一しきりザワめいた。巡査が時々「シッ」「シッ」といった。
 何十人かのあかのついた鯣(するめ)のような夜具の襟が、ひんやりと気持わるく頬に触った。
 「あ――あ、極楽だ。」襟で口を抑えられたボソボソした声だった。
 「地獄の極楽か。」
 とんでもなく離れた方から、「い――い夢見たい。」
 「寝ろ 寝ろ。」
 「女でも抱いたつもりでか。」
 「こんなところで、それをいう奴があるか。」
 「ああ抱きたい。」
 「馬鹿だな、誰だい。」
 「何が馬鹿だ……。」
 「寝ろ 寝ろ。」
 そんな言葉が時々間を置いて、思い思いにあっち、こっちから起った。それがだんだん緩く、途切れ勝ちになって行った。二十分もすると、思い出したように、寝言らしい言葉が出る位になってしまった。――そして静かになった。
 演式場の外は、淋しい暗がりの多い通りだった。それであまり人通りは無かったが、時々下駄が寒気(しばれ)のひどい雪道をギュンギュンならして通って行くのが、今度は耳についてきた。署内で、誰かが遠くで呼んでいる声が、それがそれより馬鹿に遠くからという風に聞えた。
 「眠れるか。」
 龍吉は眠れないので、一緒に寝ている斉藤にそっと言葉をかけてみた。斉藤は動かなかった。眠っていた。もう眠ったのかと思うと、それが如何にも斎藤らしかったので、彼は独りで微笑ましくなった。龍吉はズキン、ズキンと底から(そうひどくはなかったが)痛んでくる胃を、片手で揉むように押しながら、色々なことを考えていた。……
 「オイオイ。」――誰だ、と思った。今こんな面倒な頁を読んでいるのにと思うと、ムラムラと癪にさわった。「オイオイ。」ぐいと肩をつかまれた。糞ッ! 振りかえろうとして、龍吉は眼をさました。非常に眠かった。その瞬間、ダブった写真のように、夢と現実の境をつけるのに、彼はしばらく眼をみはった。そうだ、すぐ眼の前に汚い、鬚だらけの大きな巡査の顔があった。
 「オイオイ、起きるんだ。取調べだ。」
 ギョッとすると、龍吉は自分でも分らずに、身体を半分起していた。
 寝ぼけたところを引張って行くいつもの彼等の手だった。ガヂャガヂャと、静かな四囲に不吉な鍵の音をさして、巡査のあとから龍吉はついて出た。
 三十分程した。凄い程すっかり顔色のなくなった工藤が巡査に連れられて帰ってきた。が、演武場に置いておいた荷物をまとめると、すぐ巡査にうながされて出て行った。彼はその時、何かいおうとするように皆の寝ている所を見廻した。が、身体を廻すと、ズングリな後を見せて出て行った。
 ――がじゃんと鍵が下りた。二人の、歩調の合っていない足音が廊下にいつまでも聞えていた。
 寝がえりを打つ音や、嘆息や、発音の分らない寝言などが、泥沼に出るメタン瓦斯(がす)のようにブツブツ起った。

「一九二八年三月十五日」第6章

2010-04-01 16:19:56 | 小林多喜二「一九二八年三月十五日」を読む

 龍吉と一緒の室にいた斎藤が便所に行く途中、廊下の突き当りの留置場の前で、
 「おい。」――その留置場の中にいる誰かに呼ばれた、と思った。
 斎藤は足をとどめた。
 「おい。」――声が渡だった。小さい窓へ、内から顔をあてているのが、そういえば渡だった。
 「渡か、俺だ。――何んだ、独りか?」
 「独りだ。皆元気か。」いつもの、高くない底のある声だった。
 「元気だ。――うむ、独りか。」独り、というのが斎藤の胸に来た。
 少し遅れて附いてきた巡査が寄ってきたので、
 「元気でいれ。」といって、歩き出した。
 歩きながら、何故か、これは危いぞ、と思った。室に帰ってから、斎藤はその事を龍吉にいった。龍吉はだまったまま、それがいつもの癖である下唇をかんだ。
 石田は、渡とは便所で会った。言葉を交すことは出来なかったが、がっしり落付いた、いつもの鋼(はがね)のように固い、しっかりした彼の表情を見た。
 「おい、バンクロフトって知ってるか。」石田が斎藤にきいた。
 「バンクロフト? 知らない。コンムュニストか?」
 「活動役者だよ。」
 「そんな、ぜいたくもの覚えてるかい。」
 石田は渡に会ったとき、ひょいと「暗黒街」という活動写真で見た、巨賊に扮したバンクロフトを思い出した。渡――バンクロフト、それが不思議なほど、ピッタリー緒に石田の頭に焼付いた。

 渡は、自分が独房に入れられたとき、(最初組合に踏込まれたときと同じように、) 自分等が主になってやっている非合法的な運動が発覚した、と思った。瞬間、やっぱり顔から血がスウと引けてゆくのが自分でも分った。彼にとっては、しかし、それはそれっきりの事だった。すぐいつもの彼に帰っていた。そしてとくに独房にどっかり座ったとき、遠い旅行から久し振りで自家に帰って来た人のような、広々とくつろいだ気持を覚えた。――渡でも誰でも、朝眼をぱっちり開ける、と待っていたとばかりに、運動が彼をひッつかんでしまう。ビラを持って走り廻る。工場の仲間や市内の支部を廻って、報告を聞き、相談をし、指令を与える。中央からのレポートがくる。それが一々その地の情勢に応じて、色々の形で実行に移されなければならない。委員会が開かれる。石投げのような喧嘩腰の討論が続く。謄写版(とうしゃばん)。組合員の教育、演説会、――準備、ビラ、奔走、演説、検束……彼等の身体は廻転機にでも引っかかったように、引きずり廻される。それは一日の例外もなしに、打(ぶ)ッ続けに、どこまで行っても限りのない循環小数のように続く。――もう沢山だ! そういいたくなる位だ。そしてそのあらゆる間、絶え間なく彼等の心は、張り切り得る最高の限度に常に張り切ッていなければならなかった。しかし「別荘」はその気持に中休みを入れさせてくれる効果を持っている。だから「別荘行き」には皮肉な意味を除けば、ブルジョワの使う「休息」そういう言葉通りの意味も含まっていた。しかし誰もこの後の方の事を口には出していわなかった。そんなことをいえば、一言のもとに非戦闘的だとされることを皆はこっそり知っていたからだった。
 渡は、足を二本前に投げ出して、それを股から膝、脛、足首――それから次には逆に――揉んだり、首や肩を自分の掌刀でたたいたり、深呼吸するように大きく、ゆっくりあくびをしたりした。ふと、渡は、自分は今までゆっくりあくびさえした事のなかった事を思い出した。そして独りで可笑(おか)しくなって、笑い出した。
 四、五日前から鈴本の歌っていたのを聞きながら、いつの間にか覚えた、「夜でも昼でも牢屋は暗い。」の歌を小声で、楽しむように、一つ一つ味いながら、うたって、小さい独房の中を歩いてみた。渡の頭には何も残っていない。そういってよかった。しかし時々今日全国的に開かれる反動内閣倒閣演説会が出来なくなった事と、自分達の運動がちょっとの間でも中断される残念さがジリジリ帰ってきた。が正直にいって――また不思議に、今、渡には、それらの事は眠りに落ちようとする間際に、ひょい、ひょいと連絡もなく、淡く浮んだり、消えたりする不気味なもののようでしかなかった。
 渡は口笛を吹いて歩きながら、板壁を指でたたいてみたり、さすってみたりした。彼は実になごやかな気持だった。監獄に入れられて沈んだり憂鬱になったりする、そういう気持はちっとも渡は知らなかった。彼には始めから、そんな事には縁がなかった。女学生のようにデリケートな、上品な神経などは持合わせていなかった。しかしもっと重大な事は、自分達は正しい歴史的な使命を勇敢にやっているからこそ、監獄にたたき込まれるんだ、という事が、渡の場合、苦しい、苦しいから跳ね返す、跳ね返さずにはいられないその気持と理窟なしに一致していた。彼は、自分の主義主張がコブのように自分の気儘な行動をしばりつけているような窮屈さや、それに対する絶えない良心の苛責などは嘗て感じなかった。渡は、自分ではちっとも、何も犠牲を払っているとは思っていないし、社会的正義のために俺はしているんだぞ、とも思っていない。生(き)のままの「憎い、憎い!」そう思う彼の感情から、少しの無理もなくやっていた。これは彼の底からの気持といってよかった。それに彼はがんばりの意志を持っていた。裏も表もなく、ムキ出しにされていた彼の、その「がんばり」はある時には大黒柱のように頼りにされたが、別な場合には他の組合員の狂犬のような反感をムラムラッとひき起すこともなくはなかった。色々な点で渡と似ていた工藤は、しかし彼のようにいつでも一本調子に「意思」をムキ出しにはしなかった。だから彼は渡のそばにいなければならない「エンゲルス」だ、と皆にひやかし半分にいわれていた。――渡には「二つの気持」ということがなかった。一つの気持がすることを、他の気持が思いかえしたり、思いめぐらしてクヨクヨすることが決してなかった。この事が外から見て、あるいは「鋼(はがね)のような意志」に見えたかも知れなかった。彼はいつでもズバズバとやってのけていた。
 彼は前へすぐ下る髪を、頭を振って、うるさげに払いあげながら、一人いる留置場を歩き廻った。彼の長くない、太い足は柔道をやる人のように外に曲っていた。それで彼の上体はかえって土台のしっかりしたものに乗っている、という感じを与えた。彼は一歩々々踵(かかと)に力を入れて、ゆっくり歩く癖があった。彼の靴は一番先きに、踵の外側だけが、癖の悪い人に使われた墨のように斜めに減った。彼は歩きながら同志の者だちはどうしているだろう、と思った。誰かこういう弾圧に恐怖を抱くものがあっては、その事が一番彼の考えを占めた。もしも長びくようだったら、それがもっと工合悪くなる、彼はそれに対する策略を考えてみた。
 壁には爪や、鉛筆のようなもので、色々な落書がしてあった。退屈になると、渡は丹念にそれを拾い、拾い読んだ。どこにも書かれる男と女の生殖器が大きく二つも三つもあった。
 「俺は泥棒ですよ、ハイ。」「ここの署長は剣難死亡の相あり――骨相家。」「火事、火事、火事、火、火。(これが未来派のような字体で。)」「不良青年とは、もっとも人生を真剣に渡る人のことでなくして何んぞや。呵々(かか)。」「社会主義者よ、何んとかしてくれ。」「お前が社会主義者になれ。」
 男と女の生殖器を向い合わせて書いてある下に「人生の悲喜劇は一本に始って、一本に終るか。鳴呼(ああ)。」
 「私は飯が食えないんです。」「署長よ。御身の令嬢には有名な虫が喰ッついている。」「何んでえ、こったらところ。誰がおっかながるものか。」「労働者よ、強くなれ。」「ここに入ってくるあらゆる人に告ぐ。落書はみっともないから止しにしよう。」「糞でも喰え。」「不当にも自由を束縛されたものにとって、落書は唯だ一つののびのびと解放された楽天地だ。ここに入ってくるあらゆる人に告ぐ、大いに落書をし給え。」「労働者がこの頃生意気になりました。」「この野郎、もう一度いってみろ、たたき殺してやるぞ。労働者。」「巡査さん、山田町の吉田キヨという人妻は、男を三人持っていて、サック持参で一日置きに廻って歩いてるそうだ。探査を望む。」「お前もその一人か。」「妻と子あり、飢えている。俺はこの社会を憎む。」「ウン、大いに憎め。」「働け。」「働け? 働いて楽になる世の中だか考えてからいえ、馬鹿野郎。」「社会主義万歳。」……。
 渡はいつでも入ってくる度に、何か書いてゆくことにしていた。今までに、決めて何度もそうしていた。
 「俺はとうとう巡査の厄介になったよ。悲しい男。」「巡査の嬶(かかあ)で、生活苦のために一回三円で淫売をしているものが、小樽に八人いる。穴知り生。」
 渡はそう書かれている次の空いている壁に、爪で深く傷をつけながら丹念に落書を始めた。熱中すると、知らないうちに余程の時間を消すことが出来た。それは画でも書いているような気持で出来る愉快な仕事だった。成るべく長く書こうと思った。彼は肩先きに力を入れて仕事にとりかかった。熱中したときの癖で、いつの間にか彼は舌を横に出して、一生懸命一字々々刻んで行った。
 おい皆聞け!
 この留置場は俺達貧乏人だけをやッつけるためにあるものなんだ。
 警察とは、城のような塀で囲んだ大きな庭をもっている金持が、金をたんまりつかませて傭っておく番犬のようなものなんだ。
 金持が一度だって、警察に引張られて来た事があるか。
 だが、いや全く、だが、俺たちはクヨクヨしてる暇に力を合わせて、ろくでもない金持と手先きの官憲と、そしてこの碌でもない政治を打ッ壊すことをしなけれはならないのだ。
 クヨクヨしたって涙を損するだけだ。
 メソメソしたんじゃいつまで経ったって、俺だちはやっつけられるだけだ。
 おい、兄弟!
 第一番先(まっさ)きに手を握ろう。しつかり手を握ることだ。
 警察の生くらサーベルで俺だちの団結が、たたき切れると思ったら、たたき切ってみろ!
 俺だち労働者は、働いて、働いて、前へつんのめる位働いて、しかも貧乏している。こんなベラ棒なことがあるか。
 働くものの世界――労働者と百姓の世界。利子で食い、人の頭をはねて遊んで食う金持をタタキのめしてしまった世界。
 俺だちはその社会を建てるのだ。
 おい、手を出せ。
 しっかり握ろう。
 おい、お前も! おい、お前もだ!
 皆、皆!

 かなり長い時間それにかかった。渡は読み返してみて満足を感じた。口笛を吹きながら、コールテンのズボンに手をつッこんで、離れてみたり、近寄ってみたりした。
 夜が明けていた。電燈が消えるとしかし、眼が慣れない間、室の中が急に暗くなった。壁の落書も見えなくなった。青白い、明け方の光が窓の四角に区切られて、下の方へ三、四十度の角度で入ってきていた。渡は急に大きく放屁(ほうひ)した。それから歩きながらも、カを入れて、何度も続けて放屁した。渡は痔(じ)が悪かったので、屁はいくらでも出た。そしてそれが自分でも嫌になるほど、しつこく臭かった。「えッ糞、えッ糞!」渡はその度に片足をちょっと浮かして放屁した。
 八時頃かも知れなかった。入口の鍵がガチャガチャ鳴った。戸が開いて、腰に剣を吊していない巡査が指先の分れている靴下に草履(ぞうり)を引っかけて入ってきた。
 「出るんだ。」
 「動物園の獣じゃないよ。」
 「馬鹿。」
 「帰してくれるのかい、有難いなあ。」
 「取調べだよ。」
 そういったが、急に「臭い、臭い!」と、廊下に飛び出てしまった。
 渡はそれと分ると、大きな声を出して笑い出した。おかしくて、おかしくてたまらなかった。身体を一杯にくねらして、笑いこけてしまった。こんな事が何故こうおかしいのか分らなかったが、おかしくて、おかしくて、たまらなかった。

「一九二八年三月十五日」第5章

2010-03-31 16:18:26 | 小林多喜二「一九二八年三月十五日」を読む

 十五日の夜明け、警察署から帽子の顎紐をかけた警官が何人もあわてた様子で、出たり入ったりしていた。それが何度も何度も繰返された。空色に車体を塗った自動車も時々横付けにされた。自動車がバタバタと機関の音をさせると、警察のドアーが勢よく開いて、片手で剣をおさえた警官が走って出てきた。自動車は一きわ高い爆音をあげて、そこから直ぐ下り坂になっているところを、雪道の窪みにタイヤを落して、車体をゆすりながら、すべり下りてすぐ見えなくなった。ちょっとすると戻ってきて、別な人を乗せると、また出た。
 留置場は一杯になっていた。
 先きに入れられた者等は、扉の錠がガチャガチャし出すと、今まで勝手にしゃべり散らしていたのを、ぴたりやめて、そこだけに目を注いで――待った。入ってきたのが、渡、鈴本、斎藤、阪西達だと分ると、思わず一緒に歓声をあげた。警備に当っている巡査が鶏冠(とさか)のように赤くなって、背のびをしながら怒鳴ったが、ちっとも効きめがなかった。一緒にされた十四、五人は皆いつも顔を合わせ、第一線に立って闘争してきたものばかりだった。彼等は、それぞれ自分の相手に、興奮してこの不法行為に就いて、大声で論議をし合った。十七、八人ものその声で、室の中は喧噪(けんそう)した。そして彼等は、皆が一緒になったという事から、それに恃(たの)んで、無茶苦茶な乱暴をしたい衝動にかられた。
 斎藤は、いきなり身体をマリのように縮めると、ものもいわずに、板壁に身体全部で打ち当って行った。唇をギュッとかんで、顔を真赤にして力みながら、闘牛のように首を少しまげて、それを繰り返した。
 「チェッ!」
 駄目だと分ると、今度は馬のように後足で蹴り出した。皆も真似をして、てんでに、板壁をたたいたり、蹴ったりした。石田は(彼だけ)腕ぐみをして、時々独り言をしながら、室の中央を歩いていた。
 また扉が開いた。しかし今度は鈴本と渡が呼び出されて行った。「どうしたんだ。」――皆は頭株の二人がいなくなると、変に気抜けしてきた。そして、壁をたたくものが、一人やめ、二人やめ、だんだんやめてしまった。
 石田は、壁の隅ッこに両足を投げ出したまま眼をつぶっている龍吉に、気付いた。彼は、小川さんも! と思うと、今度の事はとてつもなく大変な事である気がした。と、同時に、その親しさから、どこか頼りある気持にされた。
 「小川さん。」石田は寄って行った。
 龍吉は顔をあげた。
 「今度のは何んです。」
 「ウン、俺にも分らないんだよ。今、渡君にでも聞こうと思ってたんだ。」
 「今日やる倒閣――。 」
 「そうかとも思ってるんだ――が。そうなら今日一日でいいわけだ――が……。」
 皆が二人を取巻いてきた。何等理由もきかせず、犬の子か猫の子を処置するように、引張ってきて、ブチ込んだことに対して憤慨した。龍吉もそれはそうだった。
 「ねえ、法律にはこう決めてあるんだよ。日出前、日没後に於ては、生命とか身体とか財産に対して、危害切迫せりと認むる時だ、またはさ、賭博、密淫売(みついんばい)の現行ありと認むる時でなかったら、そこに住んでいる人の意に反してだ――どうだ、いいか――現居住者の意に反して、邸宅に入ることを得ず、ッてあるんだ。それを何んだ、夜中の寝込みを襲って! それに理由もいわずに検束するなんて! 警察はこんな事をするところだよ。」
 労働者達は一心に聞いていた。そして、畜生、野郎、と叫んで、足ぶみをした。
 龍吉は興奮していた。「所が、どうだ憲法にはこうあるんだ、憲法にだぜ。――日本臣民は、だ、法律によるに非ずして逮捕、監禁、審問、処罰を受くることなし。俺達は、ところがどうだ、ちァあんと正式の法律の手続をふんで、一度だって、その逮捕、監禁、審問を受けたことがあったとでもいうのか。――このゴマカシと嘘八百!」
 こういわれて、皆は今の場合――現実に、その不当な仕打のワナにかかって、身もだえをしている場合、それらの事がムシ歯の神経に直接(じか)に触わられるように、全身にこたえて行った。
 「おい、そこの扉を皆でブチ割って、理由を聞きに行こうじやないか。」
 「やろう!」他の者も興奮して、それに同意した。「ひでえ騒ぎ、たゝき起してやるべえ!」
 「駄目、駄目」。龍吉が頭を振った。
 「どうしてだい」!?
 斎藤は組合などでもよくする癖で、肩でつッかかるように龍吉に向って行った。
 「こう入ってしまえば、何をしたって無駄さ。逆に、かえってひでえ目に会うが落ちさ。――万事、俺達の運動は、外で、大衆の支持で! 五人、十人の偉そうな乱暴と狂噪(きょうそう)は何んにもならないんだ。俺達が夢にでも忘れてはならない原則にもどるよ。」
 「そ、そんなことで、じっとしてられるか! それこそ偉そうな理窟だ、理窟だ!」
 石田は側で、相変らずだなア、と思った。巡査が四人入って来た。
 皆はギョッとして、そのままの格好に、じいッとしていた。顔一面ザラザラしたひげの、背の低い、がっしりした身体つきの巡査が、留置場の中をグルグル見廻してから、
 「貴様等、ここは警察だ位のことは分ってるんだろうな。何んだこのやかましさは!」
 一人々々の肩をグイグイと押しのめした。斎藤のところへ来たとき、彼はひょいと肩を引いた。はずみを食らって、巡査の手と身体が調子よく前にヨロヨロと泳いだ。と、巡査は「この野郎!」と不気味な声でいうと、いきなり、斎藤の身体に自分の身体をすり寄せた。斎藤の身体は空に半円を描いて、龍吉の横の羽目板に「ズスン」と鈍い音をたてて、投げつけられていた。
 巡査はせわしく肩で息をして、少しかすれた声で「皆、覚えておけ、少しでも騒いだりすると覚悟が要るんだぞ!」といった。
 後から入って来た巡査は、紙を見て、一人々々名前を呼んで、その者だけを廊下に出るようにいった。ブツブツいいながら、呼ばれた者は小さい潜り戸を、蹲みながら出て行った。あとに六人残った。
 倒れた斎藤が横になったまま、身体を尺取虫(しやくとりむし)のようにして起き上ろうとしていたところを、先の巡査は靴のまま、続けて二度蹴った。
 しばらくして、また別な巡査が入ってきて、中にいる六人に一人ずつ附添って、話も出来ないようにしてしまった。

 龍吉は高く取り付けてある小さい窓の下に座った。汚く濁った電燈の光が、皆の輪廓をぼかして、動いているのは影だけででもあるような雰囲気だった。それが五分経ち――十分経って行くうちに、初め黄色ッぽい光だった電燈が、へんに薄れて行くようで――一帯が青白くなり、そしてだんだんするうちに、室の中が深い海底(うみそこ)ででもあるような色に変ってゆくのが分った。どこか一部分だけがズキズキする頭で、龍吉は夜が明けかかっているのだな、と思っていた。夜明けらしい、底に滲みこんでくる寒気が、ジリジリときた。寝足りない短い生あくびが室の隅ッこから、それから飛びとびに起きた。龍吉も顔をしかめたまま、生あくびをした。が、そうしても何かカスのようなものが頭と胸にごみごみと不快に残った。
 構内は静かになった。凍え切った静かさだった。時々廊下を靴をはいて、小走りにゆくコツコツという音がした。足音が止んで扉を開ける、それが氷でも砕ける響のように聞えた。ドタドタと足音が乱れて、誰か腕をとられながら、何かいい争うようにして前を通ってゆくのもあった。それが終わると、しかし、もとの夜明けらしいどこか変態的な静けさにかえった。誰か、やっぱり短い生あくびをして、表を通り過ぎて行った。
 「ねむてえ。寝せてけないのか。」
 ボソボソした調子で、片隅からそういうのが聞えた。
 「もう夜明けだ。夜が明けるよ。」
 巡査も、寝不足の、はれぼったい、ぼんやりした顔をしていた。
 龍吉は板壁に身体を寄りかゝらせて、眼をつぶっていた。身体も神経も妙に疲れきっていた。じっと、そうしていると、船にでも乗っているように、自分の身体が静かに巾大きく、揺れているように感じた。彼は検束された時、いつでもそうする癖をつけていたように、取りとめのないことの空想や、想像や、思い出やに疲れてくると、一度読んだ事のある重要な本の復習や、そこから出てくる問題を頭の中で理論的に筋道をつけて考えることに決めていた。また組合や党などで論争された自分の考えなどについて、もう一度始めから清算してみることにしていた。それを始めた。
 龍吉は、この前の研究会の時、マルクスの価値説とオーストリア学派の限界効用説に就いて起った議論を、自分が考え、また読んだことのある本の中から材料を探してきて、もう一度考え直そう、そう思っていた……。
 彼はすっかりアワを食っていた。ズボンをはきながら、のめったり、よろめいたり、自分ながらそういう自分に不快になるのを感じさえした。しかし、彼は襖一重隣の室で自分を待っている巡査の、カチャカチャするサアベルの音が幸子の耳に聞える、今にも聞える、そう思って、ハラハラしていた。彼はその音が幸子に聞えれば、幸子の「心」にひゞが入ることを知っていた。
 「お父さんはねえ、学校の人と一緒に旅行へ行くんだよ。」
 幸子が黒い大きな眼をパッチリ、つぶらに開いて、彼を見上げる。
 「おみやに何もってきて?」
 彼はグッとこたえた。が「うんうん、いいもの、どっさり。」
 と、幸子が襖の方へ、くるりと頭を向けた。彼はいきなり両手で自分の頭を押えた。ピーン、陶器の割れるその音を、彼はたしかにきいた。彼は、アッと、内にこもった叫声をあげて、かけ寄ると、急いで幸子の懐を開けてみた。乾葡萄をつけたような二つの乳房の間に、陶器の皿のような心がついている――見ると、髪の毛のようなひゞが、そこに入っているではないか!
 あっ、あっ、あっ、あっ……龍吉は続け様にむせたような叫び声をあげた……。
 眼を開けると、室の中はけぶったような青白い夜明けの光が、はっきり入ってきていた。皆は疲労しているような恰好で、大きな頭を胸にうずめたり、身体を半分横にしたり、ぼんやりうつろな眼差しを板壁の中位のところに浮かばしていたり、していた。龍吉は軽くゴツンゴツンと板壁に自分の頭を打ちつけてみた。頭の左側の一部分が、やはり、そこだけズキ、ズキしていた。彼は今うつつに見た夢が、不気味な実感の余韻をいつまでも心に残していることを感じた。
 しかし、龍吉は今では自分でもそうと分る程、こういうところにたたき込まれた時のおきまりの感傷的な絶望感から逃れ得ていた。それは誰でもが囚われる――そして、それは或る場合、当人を事実全く気狂いのようにしてしまうかも知れない――堪え難い、ハケ口のない陰鬱な圧迫だった。このためにだけでも、何人もこの運動から身を引いて行った人のあることを龍吉は見て来ていた。龍吉だっても、勿論そこを危い綱渡りのように通ってきた。そして一回、一回不当な残虐な弾圧を受ければ、受けるその度毎に、今までに彼のうちに多分に残されていた末梢神経がドシドシすり減らされて行った。ムシ歯に這い出ている神経のように、ちょっとしたことにでもピリピリくる彼の(軽蔑の意味でのデリケートな)心がだんだん鋼鉄のように鍛えられて行くのを感じた。それは、しかし龍吉にとっては、文字通り「連続した拷問」の生活だった。龍吉のように、「インテリゲンチャ」の過去を持ったものが、この運動に真実に、頭からではなしに、「身体をもって」入り込もうとする時、それはしかし当然の過程として課せられなければならない「訓練」であった。それはまた、そして、単純な道ではあり得なかった。――髪の毛をひッつかんで引きずり廻されるような、ジグザックな、しかも胸突八丁だった。
 龍吉は、インテリゲンチャはその階級的中間性の故に、結局中ぶらりんで、農村と工場からの健康な足音に対しては没落することしか出来ないものであり、あるいはその運動に合流して行ったところで、やっぱりそこには、どこか膚合(はであい)の決して合わないところがあり、またその知識の故に、ブルジョワ文化に対しては強いなり、淡いなり、またはこっそりと、未練と色気を抱き勝ちであり、――そして、ひっくるめていって、インテリゲンチャはそういう事を、あまりに強く、度々、意識するために「自己催眠」的に、俺は駄目だ、とし、結局何ごとも出来ないし、しない事になるのを、彼は知っていた。自分が、とどのつまり何んにもしない、という事に一生懸命理窟をつける、そんな事は馬鹿げ切ったことでしかない、と思った。そういう事を本気に、憑かれたように考えることは危険であり、そのために、この時間さえ贅沢にも消費することは、どうしたって正しい事ではない、と思った。彼は、自分達は胸突八丁を一つ、一つの足場を探し、踏みしめ登って行きさえすれば、結局何かを「している」事になるのではないか、そう思うと、青白く考えこんでばかりいる彼等が不思議でならなかった。
 頭の中でばかり考え込んでいれば、それは室の中に迷いこんだ小鳥のように、その四つの壁に頭がつッかえるのは分り切ったことではないか。考えるのはもう沢山だ。お前達は「理窟」が小うるさく多すぎる。理窟で家の出来たためしが無いんだ!
 龍吉は今では警察に留置されることには、無意識に近くなれた。東京からの同志たちは監獄(今では、たゞ言葉だけ上品に! いいかえられて刑務所)に行ったり、検束されることを、ブルジョワの口吻(こうふん)を借りて「別荘行き」といっていた。いくら無産階級先鋒の闘士だって嬉々として別荘行きはしなかったが、一般人の生活にとっては可なりの重大事件でなければならない監獄行きを、そういえる程の気楽さにまでなれていた。自分達の運動で、いつでもクヨクヨ監獄に拘っていたのでは、クサメーつさえ気儘に出来ないではないか。この運動は道楽なスボーツではないんだ。
 ――龍吉は妙に、しかし心にしみこんで来る幸子のことを頭から払い落そうとするように、大きくあくびをした。片隅で斎藤が余程長く伸びている髪を、やけに両手の指を熊手のようにして逆にかき上げた。
 交代の時間が来て、一人に一人ずつ付いていた巡査が出て行った。時々龍吉の家にくるので知っている須田巡査が、出て行きしなに彼へ、
 「ねえ、小川君、実際こんなことがあるとたまらないよ。――非番も何もあったもんでない。身体が参るよ。」――そう言ったのに、変な実感があった。
 彼は、人をふんだり、蹴ったりする巡査らしくない親しみを感じ、ひょっとすると、それが彼の素地であるかも知れないものをそこに見た気がして、意外に思った。
 「実際、ご苦労さんだ」。
 皮肉でなく、そういわさった。
 斎藤は「ご苦労――お。」と、ブッ切ら棒に捨科白(すてぜりふ)のように巡査の後に投げつけた。
 外の巡査が皆出てしまうと、須田巡査が、
 「何か自家(うち)にことづけが無いか。」と、ひくくきいた。
 龍吉はちょっと何もいえずに、思わず須田の顔を見た。
 「いいや、別に――ありがとう…… 」。
 須田は頭でうなずいて出て行った。少し前こごみな官服の円い肩が、妙に貧相に見えた。
 「あ――あ、煙草飲みたいなア。」誰かが独言のようにいった。
 「もう、夜が明けるぞ……。 」

「一九二八年三月十五日」第4章

2010-03-30 18:04:04 | 小林多喜二「一九二八年三月十五日」を読む

 今度の検挙が案外広い範囲に渡っていることをお恵はお由から知らされた。××鉄工場の職工が仕事場から、ナッパ服のまま連れて行かれたり、浜の自由労働者や倉庫の労働者が毎日五人、十人と取調べに引かれたり、学生も確か二、三人は入っていた。
 龍吉の家で毎火曜の晩開かれる研究会に来ていた会社員の佐多(さた)も、それから二日遅れて警察へ引張られて行った。
 佐多は龍吉達に時々自分の家のことをこぼしていた。――家には、佐多だけを頼りにしている母親が一人しかいなかった。その母は自分の息子が運動の方へ入ってゆくのを「身震い」して悲しんでいた。母親は彼を高商まであげるのに八年間も、身体を使って、使って、使い切らしてしまった。彼はまるで母親の身体を少しずつ食って生きてきたのだった。しかし母親は、佐多が学校を出て、銀行員か会社員になったら、自分は息子の月給を自慢をしたり、長い一日をのん気にお茶を飲みながら、近所の人と話し込んだり、一年に一回位は内地の郷里に遊びに行ったり、ボーナスが入ったら、温泉にもたまに行けるようになるだろう、……今までのように、毎月の払いにオドオドしたり、言訳をしたり、質屋へ通ったり、差押えをされたりしなくてもすむ。それはまるで、お湯から上ってきて、襦袢(じゅばん)一枚で縁側に横になるような、この上ない幸福なことに思われた。母親は長い、長い(――実際それは長過ぎた気がした)苦しさの中で、ただ、それ等のことばかりを考え、予想し、それだけの理由で苦しさに堪えてきた。
 毎日会社に通う。――月末にちゃんちゃんと月給が入ってくる。――なんとそれは美しい、静かな生活ではないか! 佐多が学校を出て、就職がきまり、最初の月給を「袋のまま」受取ったとき、母親はそれを膝の上にのせたまま、じいッとしていた。が、しばらくすると母親の身体が、見えない程小刻みに、ふるえてきた。母親は何度も、何度も袋を自分の額に押しあてた。佐多はやっぱり変な興奮と、逆に「有りふれて、古い、古い。」と思いながら、二階に上った。ちょっとすると、下で仏壇の鈴(りん)のなる音がした。
 晩飯まで本を読んで、下りてくると、食卓にはいつもより御馳走があった。仏壇にはローソクが明るくついて、袋がのっている「お父さんに上げておいたよ。」と母がいった。
 それまではよかった。
 母親は、今までなかった色々の写真が、佐多の二階の室にだんだん貼られてきたのに気を使いだした。
 「これは何んという人?」
 母親は佐多の机のすぐ前の壁にかかっているアイヌのような、ひげにうずまった――ひげの中から顔が出ている、のを指さした。佐多は曖昧にふくみ笑った。
 「お前、別になんでもないかい。」
 どこから聞いてくるか、しかしハッキリではなく、こんないい方をすることもあった。表紙の真赤な本が増えて来たのにも気づいていた。労農党××支部、そう言う裏印を押した手紙がくると、母親は独りであわてて、自分の懐にしまい込んだ。佐多が帰ってくると、何か秘密な恐ろしいものででもあるように、それを出して渡した。「お前、そのう、主義者だか、なんだかになったんでないだろうねえ。」
 佐多は、母親がだんだん浮かないような顔をする日が多くなり、夜など朝まで寝がえりをうって、眠れずにいるのを知った。会社から帰ってくると、仏壇の前に座って、泣いているのも、何度も見た。それが皆自分のことからである、とハッキリ思った。特別な事情で育てられてきた佐多には、そういう母親を見ることは心臓にツルハシを打ち込まれる気がした。龍吉やお恵はずいぶん佐多から、この事では相談されたことがあった。
 佐多が二階にいると、時々母が上ってきた。その回数がだんだん多くなってきた。母親はその度に同じことをボソボソいった。――お前一人がどうしようが、どうにもなるものじゃない、もしもの事があり、食えなくなったらどうする、お前は世間の人達の恐れているようなそんな事をする人間ではなかったはずだ、キット何んかに憑かれているんだ、お母さんは毎日お前のために神様や、死んだお父さんにお祈りしている……。佐多はイライラしてくると、
 「お母さんには分らないんだ。」と、半分泣かさっている声で、どなった。
 「それより、お母さんにはお前の心が分らないよ。」母は肩をすぼめて、弱々しくいった。
 佐多は面倒になると、母を残して二階をドンドン降りてしまった。降りてもしかし、佐多の気持はなごまなかった。俺をこんなに意気地なくするのは母だ、「母親なんて案外大きな俺だちの敵なのだ。」彼は興奮した心で考えた。
 その後で、もう一度そういう事があった。佐多はムッとして立ち上ると、
 「分った、分った、分ったよ! もういい、沢山だ!」いきなり叫んだ。「もうやめたよ。お母さんのいうように、やめるよ。いいんだろう。やめたらいいんだろう。やめるよ、やめるよ! うるさい!」
 彼は母をつッ飛ばすようにして表へ出てしまった。外へ出てしまうと、しかし逆な気持が帰ってきた。
 「お母さんには分らないんだ。」
 佐多は十六日に、仲間から龍吉の方や組合に大検挙のあった事をきいた。しかしその仲間も、それが何んのことでやられたのか見当がついていなかった。佐多は家へ帰ると、色々な書類をまとめて近所の家へ頂け、整理してしまった。その日はなんでもなかった。彼はホッとする一方、組合へでかけて行って、様子をみてみようと思った。そこへ前の仲間が来て、組合や党の事務所には私服がたくさん入りこんでいて危いことを知らせてくれた。そして組合にウッカリ来る者は、それが関係のあるものであろうと、無かろうと、引張ってゆく。組合の小さい小林が十五日の午後、何気なく組合に行くと、私服がドカドカと出てきて、いきなり小林をつかまえた。小林はハッとして、とっさに、俺は印刷屋の掛取りだ、掛を取りに来たんだ、といったら、今誰もいないから駄目駄目、といってつッ返されてきた。彼はもちろんその足で、組合員の家を廻って、注意するようにいった。仲間はそんな事を話した。彼は行かないでよかった、と思った。

 しかし検束のために、警官がやって来たのは、十七日の夜、佐多が夕刊を読んでいたところだった。佐多はイザとなったとき、自分でも案外な覚悟と落着きが出来ていた。
 彼は活動写真や古い芝居で、よく「腰をぬかす」滑稽な身振りを見て笑った。しかし! 彼が外套を取りに行った二階から下りてきた時だった、彼は室の片隅の方にぺったりへたばったまま、手と足だけをバタバタやっている母親を見たのだった! 唇がワナワナ動いて、何か一生懸命ものをいおうとしているらしく、しかし何もいえず、サッと凄い程血の気の無くなった顔がこわばって、眼だけがグルグル動いている。手と足は何かにつかまろうとしているように振っている。しかし母親の身体はちっとも動かないではないか。佐多は障子を半分開きかけたそのままの格好で、丸太棒のように立ちすくんでしまった。
 佐多は三人の警官に守られながら外へ出た。彼は道々母のことを考え、警官に見られないように、独りで長い間泣いていた。
 お恵は工藤の家からの帰り、市の一番にぎかな花園町大通りを歩いてきた。まだ暮れたばかりの夜だった。そんなに寒気(しばれ)がきびしくなかった。街にはいつものように、沢山の人が歩いていたし、鈴をつけた馬橇(ばそり)、自動車、乗合自動車はしきりなしに往ったり来たりしていた。明るい店のショウ・ウインドウに、新婚らしい二人連れが顔を近く寄せて、何か話していた。――温かそうなコートや角巻の女、厚い駱駝のオーヴァに身体をフカフカと包んだ男、用達しの小僧、大きな空の弁当箱をさげたナッパ服、子供……それ等が皆、肩と肩を擦り合わせ、話し合い、急ぎ足であったり、ブラブラであったり、歩いている。お恵は不思議な気持がしてくるのを覚えた。今、この同じ××の市で、あんなに大きな事件が起き上っている。しかし、それとここは なんという無関係であろう。それでいいのだろうか。あの何十人――何百人かの人達が、全く自分等の身体を投げてかかっている、誰でものためでない、無産大衆のためにやっているその事が、こんなに無関係であっていいというのだろうか――お恵は分らなくなった。ここには、そのちょッぴりした余波さえ来ていない気がした。政府が新聞に差止めしているズルイ方法のためがあったかも知れない。ズルイ方法だ! しかしどの顔も、そのどの態度もみな明るく、満足し、皆てんでの行先に急いでいるように思われた。
 夫達は誰のためにやっているのだ。お恵は変に淋しい物足りなさを感じた。夫達がだまされている! 馬鹿な、何をいう! しかし、暗い気持は馬虻(うまあぶ)のように、しつこくお恵の身体にまつわって離れなかった。

「一九二八年三月十五日」第3章

2010-03-29 16:15:08 | 小林多喜二「一九二八年三月十五日」を読む

 お恵は夫があんな風にして連れて行かれてから、どこかガランとした家の中にいる事が、たまらなかった。自家(うち)へ時々やって来る組合の書記の工藤の家へ行ってみようと思った。それに、組合の人達の様子や、今度のことの内容や、その範囲なども知りたかった。しかし工藤もやっぱり検束されていた。
 ――工藤の家へ警官が踏みこんだ時は、家の中は真暗だった。警官は、「オイ、起きろッ!」といいながら、電灯のつる下っているあたりを、手さぐりした。三人いる子供が眼をさまして、大きな声で一度に泣き出した。電灯の位置をさがしている警官は「保名」でも躍る時のような手付きをして、空を探していた。と、闇の中でパチン、パチンとスウイッチをひねる音がした。
 「どうしたんだ、ええ?」
 「電灯はつかんよ。」
 それまで何もいわないでいた工藤は、警官のあわてているのとは反対に、憎いほど落付いた声でいった。
 工藤の家は電灯料が滞って、二ヵ月も前から電灯のスウイッチが切られてしまっていた。しかし、といって、ローソクを買う金も、ランプにする金もなかった。夜になると、子供を隣の家に遊ばせにやったり、妻のお由(よし)は組合に出かけたりして、六十日も暗闇の中で過していた。「明るい電灯、明るい家庭。」暗い電灯さえ無い彼等には、そんなものは糞くらえだった。
 「逃げないから大丈夫」そういって、工藤が笑った。
 お由は泣いている子供に、「誰でもないよ。いつも来る人さ。なんでもない、さ、泣くんでない」といっていた。子供は一人ずつ泣きやんで行った。工藤の子供達は巡査などに馴れてさえいた。組合の人達は、冗談半分だけれども、お由が自分の子供等に正しい「階級教育」をほどこしているというので、評判をたてていた。が、お由は勿論自分では何か理窟があって、そうしているのではなかった。――お由は秋田のドン百姓の末娘に生れた。彼女は小学校を二年でやめると、十四の春ま地主の家へ子守にやられた。そこでお由は意地の悪い気むずかしい背中(せなか)の子供と、所嫌わずなぐりつける男の主人と、その主人よりもっと残忍な女主人にいじめられ、こづき廻された。五年の間、一日の休みもなくコキ使われた。そして、ようやくそこから自家へ帰ってくると、畑へ出された。一日中エビの様に腰を二つに折り、そのために血が頭に下って来て、頬とまぶたが充血して腫れ上った。十七の時、隣村の工藤に嫁入した。が、その次の次の日から(!)――ちょうど秋の穫り入れが終った頃なので――工藤と二人で近所の土工部屋のトロッコ押しに出かけて行かなければならなかった。雑巾切れのように疲れきって掃ってくると、家の仕事は、そして山のように溜っていた。お由は打ちのめされた人のように、クラックラッする身体でトロッコと台所の間を往き来した。ジリジリ焼けつく日中に、トロッコを押しながら、始めての夫婦生活の疲労と月経から気を失って、仰向けにひッ倒れた事があった。
 子供が生れてから、生活は尻上りに、やけに苦しくなってきた。そんな時になって、どうすればいいか分らくなった工藤は、自分とお由とで行李(こうり)を一つずつ背負って、暗くなってから村を出てしまった。暗い、吹雪いた、山の鳴る夜だった。そして北海道へ渡ってきた。
 小樽で二人はある鉄工場に入った。が、北海道と内地とは、人がいうほどの大したちがいはなかった。ここもやっぱりお由達には住みいいところではなかった。では、どこへ行けばよかったろう。だが、どこへ行くところがある! プロレタリアはどこへ行ったって、締木(しめぎ)で鰊粕(にしんかす)か大豆粕のように搾(しぼり)り取られるのだ。――お由の手は、自分の身体には不釣合に大きく蟹のはさみのように、両肩にブラ下っていた。皮膚は樹の根のようにザラザラして、汚れが真黒に染み込んでいた。それは、もう、一生とれッこが無い程しみていた。子供が背中をかゆがると、お由は爪でなくて、そのザラザラした掌でいつも掻いてやった。子供はそれでそうされるのを、非常に気持よがった。
 お由はその長い間の自分の生涯で、身をもって「憎くて、憎くてたまらない人間」を、ハッキリと知っていた。ことに夫が組合に入り、運動をするようになってから、それ等のことが、もっとはっきりした形でお由の頭に入ってきた。
 工藤はそれから仕事には無論つけなくなった。組合の仕事で一週間も家へ帰れない事が何度もある。お由は自分で――自分一人で働いて、子供のことまでしてゆかなければならなかった。が、今までとは異った気持で、お由は仕事が出来た。お由は浜へ出て石炭かつぎや、倉庫で澱粉や雑穀の袋縫いをしたり、輸出青豌豆の手撰工場へ行ったり、どんな仕事もした。末の子が腹にいた時、十ヶ月の大きな腹をして、炭俵を皆に交って、艀(はしけ)から倉庫へかついだ。見廻りに来た巡査も、それには驚いて、親方が叱られた事さえあった。
 家の障子は骨ばかりになった。寒い風が吹き込むようになっても、しかし障子紙など買う金がなかったので、組合から「無産者新聞」や「労働農民新聞」の古いのを貰ってきて、それを貼った。煽動的なストライキの記事とか、大きな「火」のような見出しが斜めになったり、倒さになったり、半分隠れたりして貼られた。お由は暇な時、ボツリボツリそれを読んでいた。子供の「これ何アに、あれ何アに」を利用して、それを読んできかせた。家の壁には選挙の時に使い余ったポスター、ビラ、雑誌の広告などをべたべた貼りつけた。渡や鈴本が工藤の家にやってくると、「ほオ!」と何度もグルグル見廻って歩いて「我等の家」だなんていって、喜んだ。
 …………工藤は起き上ると、身仕度をした。身仕度をしながら、工藤は今度は長くなると思った。そうなれば、一銭も残っていない一家がその間、どうして暮して行くか、それが重く、じめじめと心にのしかかってきた。これは、こんな場合、いつでも同じように感ずる心持だった。しかし何度感じようが、鬼のようなプロレタリア解放運動の闘士だとしても、この事だけはどこまで行こうが慣れッこになれるものでは断じてない、陰鬱な気持だった。組合で皆と一緒に興奮している時はいい、しかしそうでない時、子供や妻の生活を思い、やり切れなく胸をしめつけられた。プロレタリアの運動は笑談にも呑気(のんき)なものではなかった。全く!
 お由は手伝って、用意をしてやると、
 「じや、行っといで」といった。
 「ウム。」
 「今度は何んだの。当てがある?」
 彼は黙っていた。が、
 「どうだ、やって行けるか。長くなるかも知れないど。」
 「後?――大丈夫。」
 お由はいつもの明るい、元気のいい調子でいった。
 漠然ではあるが、何んのことか分っている一番上の子供が、
 「お父(どう)、行(え)ってお出(え)で」といった。
 「こんな家へ来ると、とてもたまったもんでない。」警官が驚いた「まるで当りまえのことみたいに、一家そろって行ってお出で、だと!」
 「こんな事で一々泣いたりほえたりしていた日にゃ、俺達の運動なんか出来るもんでないよ。」
 工藤は暗い、ジメジメさを取り除くために、毒ッぽく いい返した。
 「この野郎、要らねえ事をしゃべると、たたきのめすぞ。」
 警官が変に息をはずませて、どなった。
 「気をつけて。」
 「ウム。」
 彼は妻に何かいい残して行きたいと思った。しかし口の重い彼は、どういっていいかちょっと分らなかった。妻がまた苦労するのか、と思うと、(勿論それは自分の妻だけではないが)、膝のあたりから、妙に力の抜ける感じがした。
 「本当、どうにかやって行けるから。」
 お由は夫の顔を見て、もう一度そういった。夫はだまって、うなずいた。
 戸がしまった。お由は皆の外を歩く足音を、しばらく立って聞いていた。
 自分達の社会が来るまで、こんな事が何百遍あったとしても、足りない事をお由は知っていた。そういう社会を来させるために、自分達は次に来る者達の「踏台」になって、さらし首にならなければならないかも知れない。蟻の大軍が移住をする時、前方に渡らなければならない河があると、先頭の方の蟻がドシドシ川に入って、重なり合って溺死し、後から来る者をその自分達の屍を橋に渡してやる、ということを聞いた事があった。その先頭の蟻こそ自分達でなければならない、組合の若い人達がよくその話をした。そしてそれこそ必要なことだった。
 「まだ、まだねえ!」
 そうお由はお恵にいった。
 お恵はなかば暗い顔をしながら、しかし興奮してお由にうなずいてみせた。

「一九二八年三月十五日」第2章

2010-03-28 16:13:39 | 小林多喜二「一九二八年三月十五日」を読む

 空気が空間を充しているそのままの形で、青白く凍えてしまっているようだった。何んの音もしないし、人影もなかった。――夜が更けていた。ジリジリと寒気が骨まで透(し)みこんでくる。午前三時だった。
 カリカリに雪が凍っている道に、五、六人の足音が急にした。それは薄暗い小路からだった。静まりかえっている街に、その足音が案外高く響きかえった。電柱に裸の電灯がともっている少し広い道に、足音が出てきた。――顎紐(あごひも)をかけた警官だった。サアベルの音がしないように、片手でそれを握っていた。
 ドカドカッと、靴のまま(!)警官が合同労働組合の二階に、一斉にかけ上った!
 組合員は一時間程前に寝たばかりだった。十五日は反動的なサアベル内閣の打閣演説会を開くことに決めていた。その晩は、全員を動員して宣伝ビラを市内中に貼らせたり、館の交渉をしたり、それに常任委員会があったり――ようやく二時になって、一先ず片付いたのだった。そこをやられた。
 七、八人の組合員は、いきなり掛けフトンを剥(は)ぎとられると、靴で蹴られて跳ね起きた。皆が丸太棒(まるたんぼう)のようにムックリと起き上ると、見当を失って身体をよろつかせ、うろうろした。
 鈴本は、しまった!と思った。彼は実は、あるいはと思っていた。言論の自由は完全に奪われている、そこへもってきて、無理にねじ込んで、御本尊――田中内閣の打閣運動をやろうとする、警察がその当日になって、中止々々で弁士を将棋倒しにするのは分り切っているし、覚悟はしていたが、その前にあるいは(野郎達のことだ!)総検束でもしないか、よくやりたがる手だ、そう思っていた、それが来たんだ、そう瞬間、鈴本は思った。
 「組合のドンキ」で通っている阪西が、猿又(さるまた)一つで、
 「何んかあるのか」と、顔なじみのスパイにきいた。
 「分らんよ。」
 「分らん? 馬鹿にするなよ。――ねむいんだぜ。」
 続いて上ってきた私服が片ッ端から、書類を調べ始めた。
 「貴様等、こんなところにゴロゴロしてるからろくなことをしねえ事になるんだ。」
 巡査が、横着な格好に構えている「関羽」そっくりの鈴本をじろり、じろり見ながら、毒ッぽい調子で皆に聞えるように、はき出した。鈴本はそんなものにからかってはいられなかった。
 「働いてみろ、つまらん考えなんか無くなるから。」
 ――独りでしゃべろ、誰が相手になっていられる!
 「一つ世話して貰いたいもんです。」
 阪西はいつもの人の好い笑い声をして、茶を入れた。――組合の連中は阪西を足りない事にしていた。どこへもって行っても、つぶしがきかないし、仕事がルーズだった。しかしその人のよさが憎めない魅力をもっていた。
 その時、渡があわてて階段をかけ降りようとした。が、巡査がすぐその前に立ってしまった。
 「どこへ行くんだ。」
 鈴本はその渡の態度を見て、おや、と思った。渡はその態度ばかりでなしに、顔の色がちっとも無かった。普段若手として、実際にはいつでも一番先頭に立って働いている、がっしりした、「鉄板」みたいな渡が、――渡らしくない! 鈴本は変な予感を渡に対して感じた。
 皆は前と後と両側を巡査に守られながら、階段をゾロゾロ降りた。しかし渡を除くと皆元気だった。こういう事には慣れていた。一つ、二つ平手が飛んだ。
 普段何かすると、すぐ「我々は戦闘的でなければならない。」と、だれかれの差別なく振りまわして歩く斎藤は、しかしやっぱり一番元気だった。彼が鈴本のところへ寄ってくると、
 「明日の演説会(あれ)にさしつかえるから、頑張ろう。」
 「うん、やる必要がある。」
 斎藤が、そして何かいおうとした。
 「オイオイッ!」いきなり斎藤の後首に警官が手をかけると、こづき廻すようにして、鈴本から離して別な方へ引っ張って行った。
 民衆の旗、赤旗は……
 前の方で、誰か突然歌い出した。――ピシリ、という平手の音がした。
 「なんだ、この野郎!」身体でもって、つッかかって行く声だった。サアベルでなぐりつける音が、平手打ちの音にまじって聞こえた。
 皆は前と後と、すっかり腕をつなぎ合わせていた。ワザと強く足ぶみをして歩いた。
 「うるせえッよ!」斎藤が、小さい身体一杯に叫んで、立ち止ってしまった。「おい、皆、わけも分らないで引ッ張られてゆくのは反対だ。なアッ!一つ訊くんだ。」
 「んだ、んだ!」皆それに賛成した。
 鈴本は渡だけに眼をつけていた。いつでもこういう時には、弾んだバネのように一緒にはじけ上る渡が、棒杭の様につッ立っている。――警官は小さい斎藤のまわりをぐるりと取り巻いてしまった。ほかの組合員は、警官の肩と肩の間に自分の肩をクサビ形に割り込ませようとした。その身体と身体のモミ合いが、そこに小さい渦巻きを起した。
 「馬鹿野郎、理由を云(ゆ)れ!」
 「行けば分る。」――ここでも、これだ。
 「行けば分るで、一々臭えところさ引張られて行(え)ってたまるか。」
 「人権蹂躙(じゅうりん)だ!」後からも叫んだ。
 警官の一人が斎藤をなぐりつけたらしかった。人の輪が急に大きく揺れた。握りこぶしを固めた組合員が輪の外から、それを乗り越そうと、あせった。それで急に騒ぎが大きくなった。
 「貴様等は!……貴様等はな!」口を何かで抑えられて無理に出している斎藤の声が、切れ、切(ぎ)れに聞えた。――「貴様等が、いくらこったら事したって、この運動が……な、無くなるとでも……畜生、無くなるとでも思ってるのか! 糞(くそ)ッ!」
 皆は興奮して、ワッと声をあげた。
 何かに気をとられた形でいた渡が、この時肩幅の広い、がっしりした身体で、その渦の中に割り込んで行った。それを見ると、鈴本は、何んでもなかったのか、そう思ってホッとした。
 「正当な理由が無(ね)えうち、俺だちこの全部の力にかけて行くこと反対だ!」かすれた、底のある低い声でいった。渡の低い声は皆に対していつも不思議に大きな力を持っていた。
 渦巻きから離れて立っていた石田は、空元気を出して騒いでいる組合員を、いつものように苦々(にがにが)しく思い、だまって見ていた。石田は騒ぐ時と、そうでない時――そうあってはならない時がある、と思っている。この事をよくわきまえて、そうする事は、何も非戦闘的なことであるとは思えなかった。斎藤などは、石田には狂犬病患者であるとしか考えられなかった。石田はこの運動をしているものに、特に「斎藤型」の多いのを知っている。それ等を見ると、石田はいつでも顔をそむけた。それ等には「小児病」と、人間らしい侮蔑語(ぶべつご)を使うのさえ勿体(もったい)なかった。「こんな時に、それが何んになる。フン、勇敢な無産階級の闘士だ。」――石田は自分の周囲に唾(つば)をはくと、靴の爪先(つまさき)でそれを床にこすりつけた。
 渡が出て、皆の結束ががっしりした。――と、その時、入口からもう七、八人の巡査がどやどやッと突入してきた。それで、結束はその力で一もみにもみ潰されてしまった。皆は大きな渦巻きになって、表へ、入口の戸をメリメリさせ、もみ出た。
 戸の外からは、カミソリの刃のような寒気がすべり込んできた。夜明けに近く、冷えるにいいだけ冷えきった、零下二十度の空気だった。それに皆は寝起きのすぐの身体なので、その寒さがとくにブルンブルンとこたえた。皆は顎と肩に力を入れて、ふるえをこらえた。
 夜はまだ薄明りもしていなかった。雪を含んだ暗い空の下で、街は地の底からジーンと静まりかえっていた。歩くと、雪道は何かものでも毀(こわ)れる時のようにカリッカリッと鳴った。垢(あか)でベタベタになっているシャツをコールテン地の服の下に着ていた石田や斎藤は、直接(じか)に膚へ寒さを感じた。皮膚全体が痛んできた。そして、しばらくすると、手先や爪先が感覚なく、しびれてくるのを覚えた。
 皆は一人一人警官に腕を組まれて外へ出た。
 一週間程前に組合に入ったばかりの、まだ二十(はたち)にならない柴田は始めっから一言も、ものをいえず、変にひきつッた顔をしていた。彼は皆がどなる時、それでも、それについて自分でもそうしようと努めた。が、半分乾きかけた粘土のようになっている頬は、ピクピクと動いたきり、いうことをきかなかった。彼は、いつでもこういう事には、これから打(ぶ)ち当る、だから早く慣れきってしまって置かなければならない、そう思っていた。今、しかし始めての柴田には、やっぱりそれはドシンと体当りに当ってきた。彼はひとたまりもなく、投げだされた形だった。彼は寒さからではなしに、身体がふるえ、ふるえ――歯のカタカタするのを、どうしても止められなかった。
 皆は灰色の一かたまりにかたまって、街の通りを、通りから通りへ歩いて行った。寒さを防ぐために、お互に身体をすり合わせ、もみ合わせ、足にワザと力を入れて踏んだ。ひっそりしている通りに、二十人の歩く靴音がザック、ザック……と、響いて行った。
 組合の者達は妙にグッと押し黙っていた。そうしているうちに、皆にはしかし、不思議に一つの同じ気持が動いて行った。インクに浸された紙のように、みるみるそれが皆の気持の隅から隅まで浸してゆくように思われた。一つの集団が、同じ方向へ、同じように動いて行くとき、そのあらゆる差別を押しつぶし、押しのけて必ず出てくるたった一つの気持だった。「関羽」の鈴本も渡も、「ドンキ」の阪西も、斎藤も、石田も、また新米の柴田も、その他のそれぞれの差別を持ち、それ故にまたその各自の存在をもっている四、五人の組合員も、たった一つの集団の意識の中に――同じ方向を持った、同じ色彩の、調子の、強度の意識の中に、グッ、グッと入り込んでしまっていた。「それ」はいつでも、こういう時に起る不思議な――だが、しかしそれこそ無くてはかなわない、「それ」があればこそ、プロレタリアの鉄の団結が可能である――気持だった。が、この気持はただ単純に、それぞれの差別を否定するというものではなしに、その差別自身が一定の高度にまで強調された時、必然にアウフヘーべンされる(だから、それによってかえって強固になる)――従って、没個人的な、大きな掌でグッと一掴(つか)みにされた気持だった。
 今、この九人の組合員は、九人という一つ、一つの数ではなしに、それ自身何かたった一つのタンクに変っていた。彼等は互に腕と腕をガッシリ組合わせ、肩と肩をくっつけ、暗いしかし鋭い眼で前方を見据え、――それは恰かも彼等のたった一つの目標に向って――「革命」に向って、前進しているかの如く、見えた。

「一九二八年三月十五日」作品を読む

2010-03-27 16:27:12 | 小林多喜二「一九二八年三月十五日」を読む
一九二八年三月十五日

「一九二八年三月十五日」作品を読む


「一九二八年三月十五日」 March 15,1928

作品紹介

1828年2月、日本で初めて行われた普通選挙の直後の3月15日に、立候補した左翼活動家やその応援者たちに下された狂暴な弾圧・拷問の実態を、革命家、妻「お恵」、娘「幸子」、下級警官などの複眼をもって描き、小樽警察署壁面の落書きが強烈な印象を刻む「一九二八年三月十五日」――――。
小林多喜二のこの作品は、国家権力が自らオカシた国家犯罪を冷静に、スケール大きく告発し、世界が思想評価をこえて近代日本文学の成果として注目した多喜二のプロレタリア文学゛デビュー作゛です。


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 「一九二八年三月十五日」の多喜二のノート原稿には、「我がプロレタリアート前衛の闘志に捧ぐ。」という献辞があり、原稿の末尾には執筆の経過が以下のように書かれています。
 「一九二八――五、二六から七、一七夜迄。にて完了。『一刀一拝』的に ! 約五十日間。東京から帰って、すぐ筆をとる。七、二一(第一回訂正ヲナス。)八、一七に清書終了。」とある。

 ノートには、作中人物のモデルになった人々の氏名が、小樽警察の留置場周辺の見取図とともに書きのこされている。「龍吉―古川、渡―渡辺、鈴本―鈴木、阪西―大西、斉藤―鮒田、高橋、石田―X(理想的な人物に、伊藤信二)、柴田―新米、工藤―__、佐多―寺田」。「理想的人物に」のところには、「渡―渡辺」と線で結ばれている。以上の人々は、小樽の三・一五事件で検挙された人たちで、当時、作者とも近い関係にあった人々が多い。
 龍吉の古川友一は、一九二七年の秋、小林多喜二が加わった社会科学研究会の主宰者で、労働農民党員、小樽の労働運動にも関係の深い理論家。鈴木源重は、小樽合同労働組合の委員長であり、また渡のモデルといわれている渡辺利右衛門は、小樽合同の組織部長で、組合の中心的な働き手でした。


 もっとも早く多喜二の作品に注目した中国で、夏衍が1930年2月に発行した『拓荒者』(中国左翼作家連盟)第二期(《小林多喜二的“一九二八年三月十五日”》,で、「この作は、凶暴で反動的な支配者がいかにこの作品を恐れたかをさらに証明した」、「進んだ司法がいかに反動的役割を果たしたか、牢屋生活がいかに悲惨か、自由が奪われた人々がいかにこの「修養所」で鉄鋼のような意志を鍛えたか」を描いた。また、作者は「いろいろの欠陥はあるにしても、日本プロレタリア文学の発達した歴史から見れば、画期的な作品と言っても過言ではない。第一、この作品は偉大な規模で我が国の革命的労働者の生活を描いた。第二に、死んだ型を描かずに生きた人間を描いた。」と蔵原惟人の評論も紹介した。

 ロシアでは「蟹工船」「一九二八年三月十五日」が国際革命作家同盟機関誌『世界革命文学』ロシア語版第十号に訳載された。抄訳ではあるが前後して、英、ドイツ・モップル出版所、フランス語版に訳載された。
 ドイツでは、1931年に『一九二八年三月十五日』が、ドイツ・プロレタリア作家同盟との協力で、滞在中の国崎定洞の抄訳で出版しました。裏表紙には「いかに困難だからといって、社会主義の闘争が挫折したことはかつて一度もなかったし、また今後も決してないだろう。どんな反動勢力でも、労働者・農民の運動を絶滅させることはできない」という片山潜の言葉があります。
 エスペラント語版としては、貫名美隆訳で『la,marto,1928』(日本エスペラント図書刊行会 06-841-1928)が現在刊行されています。


 「一九二八年三月十五日」の原稿は、勝本清一郎の手で保存され、20年後の1948年に原型に復元する底本となりました。勝本は、戦時中この原稿の保存について心を砕き、特高の家宅捜索と空襲による焼失の両方の危険をさけるために、もとの第一銀行本店の地下室の貸し金庫のなかに置きました。この日本で第一級の近代的地下設備は直撃の爆弾にも安全だったし、資本主義の制度上、特高の目から絶対に安全な死角となりました。


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● このテキストは、『小林多喜二全集 第2巻』(新日本出版社 82年 4725円)を底本に、岩波文庫『蟹工船・一九二八年三月十五日』(515円)を参照しながら当ライブラリーで読みやすい表記に直しました。

● そのほか現在書店で入手できるものとしては『小林多喜二名作ライブラリー 一九二八年三月十五日・東倶知安行』(新日本出版社 94年 1500円)があります。

● 関連推薦作品=中野重治「春さきの風」、五木寛之「戒厳令の夜」、白土三平「カムイ伝」
(佐藤三郎)

「一九二八年三月十五日」第1章

2010-03-27 00:33:12 | 小林多喜二「一九二八年三月十五日」を読む

 お恵(けい)には、それはそうなかなか慣れきることの出来ない事だった。何度も――何度やってきても、お恵は初めてのように驚かされたし、ビクビクしたし、あわてた。そしてまたその度に夫の龍吉(りゅうきち)にいわれもした。しかし女にはそれはどうしても強過ぎる打撃だった。
 ――組合の人達が集って、議題を論議し合っているとき、お恵がお茶を持って階段を上って行くと、夫の声で、
 「嬶(かかあ)の意識の訓練となると手こずるッて…… 」そういっているのを一度ならず聞いた。
 「革命は台所から――これは動かせない公式だからなあ。小川(おがわ)さん、甘い、甘い。」
 「実際、俺の嬶シャッポだ。」
 「ワイフとの理論闘争になると、負けるんだなあ。」と、そして、皆にひやかれた。
 夫は声を出して、自分で自分の身体を抱えこむように、恐縮した。
 朝、龍吉が歯を磨いていた。側(そば)で、お恵が台所の流しに置いてある洗面器にお湯を入れてやっていた。
 「ローザって知ってるか」夫が楊枝(ようじ)で、口をモグモグさせながら、フト思い出して訊(き)いた。
 「ローザア?」
 「ローザさ。」
 「レーニンなら知ってるけど…… 。」
 龍吉はひくく「お前は馬鹿だ」といった。
 お恵はそういうことをちっとも知ろうと思い、またはそうするために努めた事さえ無かった。それ等は覚えられもしないし、覚えたって、どうにもならない気がしていた。「レーニン」とか「マルクス」とか、それは子供の幸(ゆき)子から知らされたぐらいだった。いったんそれを覚えると、自家(うち)にくる組合の工藤(くどう)さんとか、阪西(さかにし)さんとか、鈴本(すずもと)さんとか、夫などが口ぐせのように「レーニン」とか「マルクス」とかいっているのに気付いた。何かの拍子に、だから、お恵が、「マルクスは労働者の神様みたいな人なんだッてね。」と夫にいったとき、夫が、へえ!という顔つきでお恵を見て、「どこから聞いてきた。」と賞められても、そう嬉しい気は別にしなかった。
 しかしお恵は、夫や組合の人達や、またその人達のする事に悪意は持っていなかった。初め、しかし、お恵は薄汚い、それにどこかに凄味をもった組合の人達を見ると、おじけついた。その印象がそうすぐ近付けないものを、しばらくお恵の気持の中に残した。けれども変にニヤニヤしたり、馬鹿丁寧であったりする学校の先生(夫の同僚)などよりは、一緒に話し合っていて気持よかった。物事にそう拘(こだわ)りがなく、ネチネチしていなかった。かえって、子供らしくて、お恵などをキャッキャッと笑わせたり、初めモジモジしながら、御飯を御馳走になってゆくと、次ぎからは自分達の方から御飯を催促したりした。風呂賃をねだったり、タバコ銭をもらったりする。しかし、それが如何(いか)にも単純な、飾らない気持からされた。だんだんお恵は皆に好意を持ちだしていた。
 港一帯にゼネラル・ストライキがあった時、お恵は外で色々「恐ろしい噂」を聞いた。あの工藤さんや、鈴本さんなどの指導しているストライキが、その「恐ろしい」ストライキである事が、どうしても初め分らない、と思った。
 「誰にとって、一体あのストライキが恐ろしいッていうんだ。金持にかい、貧乏人にかい。」
 夫にそういわれた。が、腹からその理窟が分りかねた。
 「理窟でないよ。」
 新聞には、毎日のように大きな活字で、ストライキの事が出た。O(オー)全市を真暗にして、金持の家を焼打ちするだろうとか、警官と衝突して検束(けんそく)されたとか、(そういう中に渡(わたり)や工藤がいたりした。)このストライキは全市の呪であるとか……。お恵は夫の龍吉までが、ほとんど組合の事務所に泊りっきりでストライキの中に入っている事を思い、思わず眉をひそめた。龍吉が、寝不足のはれぼったい青い、険をもった顔をして帰ってきたとき、「いゝんですか?」ときいた。
 「途中スパイに尾行つけられたのを、今うまくまいて来たんだ。」
 そして、すぐフトンにくるまった。「五時になったら起してくれ。」
 お恵はその枕もとに、しばらく座っていた。お恵はこんな場合、いつでも夫のしていることを言葉に出してまでいった事がなかった。しかし、やっぱり、そんなに苦しんで、何もかも犠牲にしてやって、それが一体どの位の役に立つんだろう。皆が興奮すると叫ぶような、そんな社会――プロレタリアの社会が、そうそう来そうにも思えない、お恵はひょいひょい考えた。幸子もいる、本当のところ、あんまり飛んでもない事をしてもらいたくなかった。夫のしている事が、ワザワザ食えなくなるようにする事であるとしか思えなく、女らしい不服が起きてくる事もあった。
 しかしお恵は組合の人達の色々な話や労働者の悲惨な生活を知り、労働者達は苦しい、苦しくてたまらないんだ、だから彼等は理窟なしに自分達の生活を搾 (しぼ)りあげている金持に「こん畜生!」という気になるのだ。組合の人達はそれを指導し、その闘争を拡大してゆく、お恵にはそういう事も分ってきた。夫達のしている事が、それがお恵にはいつ見込のつくことか分らない事だとしても、非常に「大きな」「偉い」事をしているのだ、という一種の「誇り」に似た気持さえ覚えてきた。
 龍吉は三度目の検束で、学校が首になり、小間物屋でどうにか暮して行かなければならなくなった。その時――いつか来る、その漠然とした気持は持っていたとしても、お恵は何かで不意になぐられたようなめまいを感じた。しかしそのことにこだわって、クドクドいわない程になっていた。
 龍吉は勤めという引っかゝかわりが無くなると、運動の方へもっと積極的に入り込んで行った。
 それからスパイがよく家へやって来るようになった。お恵は店先をウロウロしている見なれない男を見ると寒気を感じた。だが、それだけなら、まだよかった。そういう男が表札を見ながら家へ入ってくると「ちょっと警察まで来てくれ。」そういって、龍吉を引張ってゆくことがあつた。夫が二人位の私服に守られて家を出てゆく、それは見ていれない情景だった。行ってしまってからは、変に物淋しいガランドウな気持がいつまでも残った。お恵は人より心臓が弱いのか、そういうことのあった時は、いつまでもドキついた鼓動がとまらなかった。お恵は胸を押えたまま、紙のように白くなった顔をして、家の中をウロウロした。
 ――それは全くお恵には、そうなかなか慣れきれる事の出来ないことだった。何度も――何度やってきても、お恵は初めてのように驚かされたし、ビクビクしたし、あわてた。そしてまたその度に夫にいわれたりした。しかし女には、それはどうしても強過ぎる打撃だった。お恵にはそうだった。
 三月十五日の未明に、寝ているところを起され、家の中をすっかり捜索されて、お互いにものもいわせないで、夫が五六人の裁判所と警察の人に連れて行かれたとき、お恵はかえってぼんやりしてしまって、いつまでも寝床の上に座ったままでいた。思わず、ワッと泣きだしたのは、それからよッぽど経ってからだった。
 
 その朝、幸(ゆき)子はオヤッと思って、何かの物音で眼をさました。幸子はパッチリ開いた眼で、無意識に家のなかを見廻してみた。何時だろう、朝だろうかと思った。何故って、次の室(へや)からは五、六人の人達の何かザワついている音が聞えてきていた。真夜中なら、そんな筈はない。だが、まだ電灯が明るくついている。朝ではない。どうしたんだろう。畳の上をひっきりなしに、ミシミシ誰か歩いている音がする。
 「次の室も調べる。」襖(ふすま)のそばで知らない人の声がした。
 寝るところですから、なんにもありません。」お母さんがことさらに低くしている声だった。
 「調べてもらったっていいよ。」父だった。
 「幸ちゃんが眼でもさますと……。」
 幸子には所々しかはっきり聞こえなかった。彼女は人が入って来たら、眠っている振りをしていなければならないのだ、と思った。
 棚からものを下したり、新聞紙がガサガサいったり、畳を起すような音がしたり、タンスの引出しを一つ一つ――七つまで開けている。それで全部だった、幸子はそれを心で数えていた。すると、台所の方では戸棚を開けている。幸子は身体のずゥと底の方からザワザワと寒気がしてきた。そうなると、身体をどう曲げても、どう向きを変えても、その寒気がとまらず、身体が顫(ふる)わさってきた。ひょいとすると、歯と歯が小刻みにカタカタと鳴った。びっくりして顎(あご)に力を入れてそれをとめた。父と母の一言もいうのが聞こえない。どうしているんだろう。何かいっているのは、よその人ばかりだった。
 自分の家には、いつでも沢山の人達がくる。しかし今来ている人達はそういう人達とは、まるッきりちがった恐ろしい人達である直感を感じた。
 襖が開いた。急にまばゆい光が巾(はば)広く、斜めに射しこんだ。幸子はあわてて眼をとじた。心臓の鼓動が急にドキドキし出した。が、寝がえりを打つ振りをして、幸子はうす眼をあけて見た。母が胸の上に手をくみながら、自分の寝顔を見ていた。血の気のない不気味なさえ顔をしている。父は少し離れて、よその人達の探す手先を見ていた。電灯の下っているすぐ横にいるせいか、父の顔が妙にいかつく見えた。
 知らない人は五人いた。一人はひげを生やした一番そのうちで上の人らしく、大きな黒い折かばんを持って、探している人達に何かいった。いわれた人達は、するとその通りにした。巡査が二人いた。あとの二人は普通の服を着ていた。――お父さんは何をしたんだろう。この人達はそして何をしようとしているんだろう。よその人は幸子の学校道具に手をかけたり、本を一冊々々倒さに振ったりした。色々な遊び道具を畳の上へ無遠慮に開けた。幸子は妙に感情がたかぶってきた。そして、それが眼の底へジクリ、ジクリと涙をにじませてきた。
 「それは子供のばかりです……。」
 母が立ったまま、低い声でいった。よその人達はなま返事を口の中で分らなくして、しかしやめなかった。
 一通りの取調べが終ると、皆は一度室の中をグルグル見廻して出て行った。襖が閉った。――室が暗くなった。幸子は危くワッと泣きだすところだった。
 父と折かばんが始め低く何かいっていた。だんだん声が高くなってきて、何を話しているか幸子にも聞えてきた。
 「とにかく来て下さい。」折かばんがいっている。
 「とにかくじゃ分らないよ。」
 「ここでいう必要がないんだ。来て貰えばいいんだ。」だんだん言葉がぞんざいになって行った。
 「理由は?」
 「分らん。」
 「じゃ、行く必要は認めない。」
 「認めようが、認めまいが、こっちは……。 」
 「そんな不法な、無茶な話があるか。」
 「何が無茶だ。来れば分るッていってるじやないか。」
 「いつもの手だ。」
 「手でもなんでもいい。――とにかく来て貰うんだ。」
 父が急に口をつむんでしまった。と、力一杯に襖が開いて、父が入って来た。後から母がついてきた。五人は次の間に立って、こっちを向いている。
 「ズボン。」
 父は怒った声で母にいった。母は黙ってズボンを出してやった。父はズボンに片足を入れた。しかし、もう片足を入れるのに、何度も中心を失ってよろけ、しくじった。父の頬が興奮からピクピク動いていた。父はシャツを着たり、ネックタイを結んだりするのにつッかかったり、まごついたりして――ことに、ネックタイがなかなか結べなかった。それを見て、母が側から手を出した。
 「いい いい!」父は邪険にそれを払った。父は妙にあわてていた。
 母はオロオロした様子で父に何か話しかけた。
 「お互に話してもらっては困る。」次の間から、折かばんがピタリ 釘を打った。
 また幸子の寝ている室が暗くなった。ドヤドヤと沢山の足音が乱れて、土間に降りたっている。――表の戸が開いた。ちょっとそこで足音よどむと、何か話声が聞えた。幸子はたまらなくなって、寝巻のまま起き立った。ブル、ブルンと一瞬間で頭から足の爪先(つまさき)まで寒気がきた。襖を細目に開けて覗(のぞ)いた。――父は上り端(はな)に腰を下して、かがんで靴の紐(ひも)を結んでいた。よその人は土間につッ立っている。母はやっぱり胸に手をあてたまま、柱に自分の体を支えて、青白い顔をしている。変な沈黙だった。
 ふと――ふと幸子は分った気がした。それもすっかり分った気がした。「レーニンだ!」と思った。これ等のことが皆レーニンから来ていることだ、それに気付いた。色々な本の沢山ある父の勉強室に、何枚も貼りつけられている写真のレーニンの顔が、アリアリと幸子に見えた。それは、あの頭の禿げた学校の吉田という小使(こずかい)さんと、そっくりの顔だった。そして、それに――組合の人達がくる度(たび)に、父と一緒に色々な歌をうたった。幸子はしかし、子供の歌に対する敏感さから、その当の誰よりも早く「赤旗の歌」や「メーデイの歌」を覚えてしまった。幸子は学校でも家でも、「からたちの唄」や「カナリヤの歌」なぞと一緒に、その歌を意味も分らずに、どこででも歌った。それで、何度も幸子は組合の人から頭をなでてもらった。――父は決して悪い人でないし、悪いこともするはずがない。幸子には、だから、それはやっぱり「レーニン」と「赤旗の歌」のせいだとしか思えない気がした。――そうだ、確かにそれしかない。
 父が立ち上った。幸子は火事の夜のように、歯をカタカタいわせていた。皆外へ出た。母の青い顔がその時動いた。唇も何かいうように動いたようだった。が、言葉が出なかった。出たかも知れないが、幸子には聞えなかった。母の、身体を支えている柱の手先に、力が入っているのが分った。――父はちょっと帽子をかぶり直し、母の顔を見た。それから、チョッキのボタンの一つかかっていたのを外し、それをまたかけ直した。落ち着きなくまた母の顔を見た。――父の身体が半分戸の外へ出た。
 「幸を気いつけろ…… 。」
 かすれた乾いた声でいうと、父は無理に出したような咳をした。
 母は後から続いて外へ出た。
 幸子は寝床に走り入ると、うつ伏せになって、そのまま枕に顔をあてて泣きだした。幸子は泣きながら、急に父を連れて行ったよその人が憎くなった。「憎いのはあいつ等だ、あいつ等だ」と思った。そう思うと、なお泣かさった。幸子は恐ろしさに顫えながら、何度も「お父さん」「お父さん」と父を呼びながら、心一杯に泣いた。

「一九二八年三月十五日」研究論文リスト

2010-03-17 16:27:59 | 小林多喜二「一九二八年三月十五日」を読む
「一九二八年三月十五日」研究論文リスト
●『戦旗』(28年11月号)蔵原惟人「『一九二八年三月十五日』について」

●『読売新聞』(12/4) 勝本清一郎「前衛線に於ける作家たち―三・一五について」

●『都新聞』(12/2) 神近市子「文芸時評」

●『都新聞』(28/12/17) 蔵原惟人「プロレタリア文芸の画期的作品―小林多喜二の『一九二八年三月十五日』―」=「本年度に現れた創作の中で最も注目に値するものの一つとして私は小林多喜二の小説『一九二八年三月十五日』を挙げる。この作についてはすでに、平林、勝本等の諸君が書いているが…

●『改造』(29年1月号) 鹿地亘「最近のプロレタリア文学と新作家」=「小林多喜二の小説『一九二八年三月十五日』は極めて重大な意義をもっている。これはわが国プロレタリアートにとって最も近い問題―三月十五日のいわゆる共産党事件を取り扱っている。これまでこの同じ事件を取り扱ったものには、左翼の若い作家の二、三の作品があったが、この事件を小さいエピソードとしてではなしに、一つの大きい時代的なスケールの中に取り扱ったものは、この作が初めてである。この作には、北海道における共産党事件の検挙を中心として、闘士たちの種々なるタイプとその生活が描かれている。が、それがこれまでしばしばあったように概念的ではなく、また英雄としてではなくして、その種々なる欠点と長所とをもった人間として描かれている、――この点においてもこの作はこの種の題材を取り扱った作品の一つの進展を示している」

●[中国]夏衍は1930年2月に発行した『拓荒者』第二期(《小林多喜二的“一九二八年三月十五日”》,沈端先,《拓荒者》第1卷第2期)で、小林多喜二の初期代表作である「一九二八年三月十五日」の創作の時代と背景、テーマ、表現方法及び反動的な社会に触れて出版禁止された理由」を紹介し、「この作は、凶暴で反動的な支配者がいかにこの作品を恐れたかをさらに証明した」、「進んだ司法がいかに反動的役割を果たしたか、牢屋生活がいかに悲惨か、自由が奪われた人々がいかにこの「修養所」で鉄鋼のような意志を鍛えたか」を描いた。また、作者は「いろいろの欠陥はあるにしても、日本プロレタリア文学の発達した歴史から見れば、画期的な作品と言っても過言ではない。第一、この作品は偉大な規模で我が国の革命的労働者の生活を描いた。第二に、死んだ型を描かずに生きた人間を描いた。」という蔵原惟人の評論を借りてこの作品を評した。

●[中国]1930年5月に出版『拓荒者』3、4期合併号(《激流怒涛中的最近的日本普?芸運――?京通?》,建南,《拓荒者》第四五期合刊)に、東京から「建南」という署名で「激流怒涛の中の最近の日本プロ芸術運動」という記事が発表された。=「ナップが成立以来、中心的な機構を設立し、日本プロレタリア芸術運動が長足の進歩を遂げて、労働者と農民を基盤とした革命文化運動になり、文学作品なら、小林多喜二の「蟹工船」、「一九二八年三月十五日」、「不在地主」など一連の優秀な作品が出てきた。芸術上にしろ、イデオロギー上にしろ、最高な地位を占め、民衆の中で強い影響力をもっている」。しかし、「蟹工船」と「一九二八年三月十五日」が発表した当日にすぐ禁止され、その後、「蟹工船」が単独出版として短期間で十回余り出版したが、再び禁止されてしまった。

●[英・ドイツ・フランス]「蟹工船」「一九二八年三月十五日」が国際革命作家同盟機関誌『世界革命文学』ロシア語版第十号に訳載された。抄訳ではあるが前後して、英、ドイツ・モップル出版所、フランス語版に訳載された。

●『一九二八年三月十五日』が、ドイツ・プロレタリア作家同盟との協力で、滞在中の国崎定洞の訳で出版されたが、発売禁止になった。「蟹工船」「工場細胞」も訳されたが、出版されたかどうかはわからない。

●小林多喜二「『一九二八年三月十五日』の経験」(『プロレタリア文学』 3月号)

●[ロシア]小林多喜二『蟹工船、一九二八年三月十五日』(『世界革命文学日本編』収、ロシア語訳 国立文学出版所)

●[ロシア]小林多喜二『蟹工船、一九二八年三月十五日』(『世界革命文学日本編』収、ロシア語訳 ウクラインシキーロビートニク出版所・ハリコフ)

●[アメリカ]小林多喜二『蟹工船』(「一九二八年三月十五日」、「市民のために!」収、英訳 インターナショナル出版社・ニューヨーク、マーティン・ロレンス社・ロンドン)

●蔵原惟人、中野重治編『小林多喜二研究』(解放社 48年)小林多喜二の生涯(手塚 英孝),「一九二八年三月十五日」と「東倶知安行」(瀬沼茂樹)

●蔵原惟人「小林多喜二の現代的意義」 (48年3月7日多喜二祭での講演 『文学前衛』48年11月)=「小林多喜二の現代的意義」―「小林多喜二は共産主義作家として、これらたたかう共産主義者の英雄的行為を描くとともに、当時前衛がもっていたさまざまの弱点や欠陥を批判し、『一九二八年三月十五日』『工場細胞』、『党生活者』などで、当時の最も先進的な、最も理想的な革命家の典型を造形したのである。しかしそのさい彼は当時の共産主義者のおかれていた過酷な現実や非合法運動の当面の必要からくるさまざまの歪みや誤りをも無批判に肯定し、かえってそれを理想化しているようなところがないわけではない。」

●『新日本文学』(52/3)水野明善「『一九二八年三月十五日』とその文学史的位置」

●『小林多喜二全集. 第2巻』 (青木書店53. 青木文庫) =防雪林・一九二八年三月十五日 収録

●多喜二・百合子研究会『年刊多喜二・百合子研究第2集』(河出書房55年)=「一九二八年三月十五日」の描写について(金達寿)

●[中国]楼建南=楼適夷は、(30年代に日本に留学して左翼運動に参加し、ゴリギーの作品を訳した。大衆文芸と革命のために、ゴリギーを学ぶべきと主張すると同時に、日本の文学作品をたくさん翻訳した。その後、秘密運動に参加し、逮捕された。抗日戦争勃発後、中国共産党に所属した『新華日報』(中国共産党が創設した新聞社)の編集者として働いた。新中国成立後、人民出版社で働き、小林多喜二の「蟹工船」や「一九二八年三月十五日」や「安子」などの代表作を訳し、たくさんの評論を発表し、中国で小林多喜二の作品を中国語に訳したことに力を尽くした。さらに彼は、1958年の小林多喜二没後25周年に、『人民日報』に「傑出的革命作家和戦士」(63年2月17日第5版)で、「世界のたくさんの優秀な革命作品が長期的かつ苦しい人民革命闘争に多大な力を与えたと同じく、日本の革命運動に身を投じた友人、とくに、小林多喜二のような私たちに力を与えた抜群な作家を忘れるわけにはいかない。中国と日本の人民は魯迅先生の誓いに忠実に従って共に手を携えて前に歩んでいる。抗日戦争のような残酷な歳月、中国人民が侵略者と戦った時にも、小林多喜二のような烈士が限界を血で洗ったので、両国人民の心も通じ合う。」と評論した。

●『小林多喜二全集. 第2巻』(小林多喜二全集編集委員会.青木書店,59)=一九二八年三月十五日収録

●[中国]楼適夷は「再読<一九二八年三月十五日」(《重読〈一九二八年三月十五日〉》――記念小林多喜二殉難三十周年、『文芸報』63年3月)の中で、「作者の意図のように、これはますますファッショ化になっていく日本の反動的な支配の野蛮、凶暴、無恥的なファッショの罪を反映した作品であり、人に驚かせた厳刑の場面から後の抗日戦争における日本軍国主義者が中国の陥落区で行った野蛮な支配、そして、第二次世界大戦におけるファシストの罪を思い出させずにはいられない。ひいては、滅亡に瀕した帝国主義の獣の本性を反映した」、そして「三十年前、作者が革命闘争に身を投じた時、インテリの思想改造の過程、そして、生まれつきの階級敵を持った労働者の革命的質をこれほどふかく、そして、細かく描き出したことに驚かずにはいられない。それに、この作品の日本革命文学史上の輝かしい記念碑の意味を一層理解した」と高く評価した。

●『定本小林多喜二全集 第3巻』(小林多喜二全集編纂委員会.?新日本出版社 68)=一九二八年三月十五日 収録

●『現代日本文学館 第26』小林秀雄.(文芸春秋, 69)葉山嘉樹・小林多喜二 一九二八年三月十五日 収録 解説(久保田正文) 注解・年譜(小田切進)

●臼井吉見編『日本短編文学全集 第31巻』(筑摩書房 68)=小林多喜二編,一九二八年三月十五日.収録

●『小林多喜二読本』(啓隆閣 70年)=小林多喜二の現代的意義(蔵原惟人)/「一九二八年三月十五日」(佐藤静夫)

●『国語と国文学』(75/4)小笠原克「小林多喜二の〈処女作〉―「一九二八年三月十五日」の周圏」

●『全集・現代文学の発見 第3巻』(学芸書林, 76.8)= 一九二八年三月十五日(小林多喜二)収録 解説(平野謙)

●『筑摩現代文学大系 38』(筑摩書房 78.12)=小林多喜二集 一九二八年三月十五日 収録

●『北海道文学全集 第6巻 』(立風書房 80.6)=小林多喜二一九二八年三月十五日.収録 解説 亀井秀雄

●『虚構の中のアイデンティ』(法政大学出版局 98年所収)「初期プロレタリア文学における<虚構>の問題―『防雪林』『一九二八年三月十五日』への転換を中心にして―」

●『小林多喜二全集. 第2巻』(新日本出版社82.6)=小説2 .一九二八年三月十五日収録

●『日本プロレタリア文学集 26』(新日本出版社 87.12)=小林多喜二集. 1 .一九二八年三月十五日 収録 解説 西沢舜一

●[韓国]イ・グィウォン(61年慶南忠武生。釜山大学歴史学科卒業)訳『蟹工船』(「一九二八年三月十五日」「蟹工船」「党生活者」翻訳(87年、釜山(プサン)・チング出版)

●『一九二八年三月十五日・東倶知安行』小林多喜二(新日本出版社 94.11)- (小林多喜二名作ライブラリー 1)

●『近代小説の〈語り〉と〈言説〉』(平成8年6月1日 有精堂)島村輝「〈身体〉の〈語り〉/〈空間〉の〈言説〉――小林多喜二「一九二八年三月十五日」の〈語り〉と〈言説〉」

●『民主文学』(98/2)多喜二没後65周年特集=乙部宗徳「『一九二八年三月十五日』から『地区の人々』へ」

●[韓国]『千里山文学論集』(99/03/13)黄奉模 HwangB 「小林多喜二「一九二八年三月十五日」」「小林多喜二「蟹工船」」

(04/4/25 作成:白樺文学館多喜二ライブラリー 学芸員 佐藤三郎)