「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

2009『蟹工船』製作委員会

2009-03-08 23:20:31 | 多喜二と映画
支配する者と支配される者、果てなき欲望と絶望の激突

再燃ベストセラー160万部突破!
今、「蟹工船」が時代を超えて一大ブームに!!!
それは、ある書店の1枚のPOPから始まった。

新聞、web、雑誌、TVとあらゆるメディアに取り上げられ、2008年流行語大賞のTOP10入りを果たした「蟹工船」。文庫本はもとよりコミックス版が店頭で平積みされた全国の書店では、一週間に300冊以上も売り上げた店舗まで現れた。そして、「蟹工船」ドラマCDが発売され、旅行会社からは小林多喜二ツアーが組まれるなど、今、時代を超えて再び脚光を浴びている。

このセカイを突き破れ!!!

船上で蟹の缶詰を加工する蟹工船。そこでは出稼ぎ労働者たちが劣悪な環境におかれ、安い賃金で酷使されていた。監督・浅川(西島秀俊)は労働者を人間扱いせず、非道のかぎりを尽くしたが、労働者たちは過酷な労働に疲弊し、絶望の中、ただ言われるがままに働いた。しかし、労働者の一人・新庄がそんな環境に慣れてしまった労働者たちに「自分たちが変わらなければ何も変わらない!」と提起をし、労働者をまとめ支配者・浅川監督に立ち向かった!!

80年前のプロレタリア文学の名作「蟹工船」が、ついに新機軸で映画化決定!

「混迷の現代に生きるすべての人にこの作品を贈ります。受け取り方はきっとそれぞれ違うでしょう。しかし、一人ひとりの背中を少しでも押す作品になればと思います。」─SABU監督
 



原作:小林多喜二
脚本+監督:SABU
製作:『蟹工船』製作委員会
制作プロダクション:スモーク
制作協力:ダブ
撮影協力:足利市/中山産業株式会社

松田龍平/西島秀俊/高良健吾/新井浩文/柄本時生/木下隆行(TKO)/
木本武宏(TKO)/皆川猿時/谷村美月/大杉漣/森本レオ

協賛:スギヨ
特別協力:新潮社+角川書店
配給・宣伝:IMJエンタテインメント
配給協力:ザナドゥー

 



SABU監督「蟹工船は名作になる」-日刊スポーツ

2008-12-23 17:03:11 | 多喜二と映画
日刊スポーツ2008年12月23日付によると、新作映画「蟹工船」は「蟹工船」は世界に誇る名作になると、SABU監督が豪語しているという。

詳細は以下。

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SABU監督宣言「蟹工船は名作になる」

「蟹工船」を撮影中の、前列左からSABU監督、松田龍平、西島秀俊ら  映画「蟹工船」(来夏公開予定)の撮影が栃木・足利市で行われている。今年の流行語にもなったプロレタリア作家・小林多喜二の同名小説の映画化。このほどSABU監督(43)、主演の松田龍平(25)らが現地で取材に応じた。

 SABU監督は開口一番、「絶対に名作になる。世界を驚かせる」と宣言した。酷使される労働者たちと支配する経営側の対立。現代の格差社会にも通じるテーマにほれ込んでメガホンを取っただけに、鼻息は荒い。海外配給も視野に入れる。

 男くさい現場だ。約60メートル×30メートルの倉庫に「くそだめ」と呼ばれるタコつぼのような漁民の寝所、缶詰加工場など4つのセットを設置した。ここで映画の大部分を男だけの役者で撮影する。宿舎は近くのアパートとホテル。船内さながら、缶詰め状態で“労働”に集中している。主演の松田も「素晴らしいセットでテンション上がる」。顔を黒く汚し、漁民になりきっていた。

 悲惨さの中にも、人間的なこっけいさをユーモアたっぷりに描き出すのがSABU流だ。「自分で考えて立ち上がる、というのが最大のメッセージ。現代に生きる若者すべてにこの作品を贈りたい」。撮影は年内いっぱい続く。








多喜二と戦艦ポチョムキン

2008-12-16 12:04:30 | 多喜二と映画
小林多喜二と映画―「蟹工船」と「戦艦ポチョムキン」について考えています。

「時代を撃て・多喜二」の冒頭は、坂東妻三郎の「雄呂地(おろち)」で始まります。当時は無声映画の時代。坂東妻三郎はアイドルでした。

その一方で「蟹工船」には、過酷な労働の合間、収穫物を回収にきた場面で、無声映画と弁士が乗り込んでくるシーンがある。漁夫たちは、その上映会で何を見せら
れたか?



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――最初「実写」だった。宮城、松島、江ノ島、京都……が、ガタピシャガタピシャと写って行った。時々切れた。急に写真が二、三枚ダブって、目まいでもしたように入り乱れたかと思うと、瞬間消えて、パッと白い幕になった。
 それから西洋物と日本物をやった。どれも写真はキズが入っていて、ひどく「雨が降った」それに所々切れているのを接合させたらしく、人の動きがギクシャクした。――然しそんなことはどうでもよかった。皆はすっかり引き入れられていた。外国のいい身体をした女が出てくると、口笛を吹いたり、豚のように鼻をならした。弁士は怒ってしばらく説明しないこともあった。

 西洋物はアメリカ映画で、「西部開発史を取扱ったものだった。

……最後は、会社の、各所属工場や、事務所などを写したものだった。「勤勉」に働いている沢山の労働者が写っていた。


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と書いていることにも、興味を惹かれます。
「蟹工船」の船中での上映会。。。。

小学生の時、学校で見せられた文部省推薦映画会を思い出します。
「蟹工船」では3本の映画が上映されたのです。

「西部開拓史」を扱った映画については、多喜二が恋人・タキと見に行った映画のことを書いた日記のなかにもあります。

恋人と映画を見ていて「蟹工船」の構想を練っていたいたのです。
無粋な恋人です。

タキに嫌われるのも分かりますよね(笑)

また、多喜二の好きな映画俳優はチャップリンでした。
チャップリンの歩き方を真似て、友人達の間で笑いをとっていたそうです。


それも多喜二の一面ですよね。
さて、とりあえずここでは全集に収録されている映画評について紹介しておきます。ごらんあれ!!



多喜二の映画「評論」表示数 12作品

◇1926年(昭和元年)
●チャップリンのこと其他 (『シネマ』十二月創刊号 )
●『海戦』を中心の雑談 評論 (『シネマ』二八年一月号)

◇1928年(昭和3年)
●とても重大な事 (『シネマ』二月号)
●さて、諸君! (『シネマ』三月号) )
●『ヴォルガの船唄』其他 (『シネマ』五月号 )
●『第七天国』 (『シネマ』六月号)
●映画には顕微鏡を? (『シネマ』二九年一月号)

◇1929年(昭和4年)
●無鉄砲過ぎる期待だろうか? (『松竹座パンフレット』十二月二十日発行第一集 )
●『寄らば切るぞ!』(『海上生活者新聞』三月二十二日発行第三号)
●北海道の『俊寛』 (『大阪朝日新聞』三〇年一月九日号 )

◇1930年(昭和5年)
●『シナリオ』の武装 (『プロレタリア映画運動の展望』 )
●現行映画検閲制度に就いて (『新興映画』五月号)




多喜二の映画についての論評は、これまでどう論じられてきたのか。
以下の情報があるのみだと思う。
●佐藤勝太郎「蟹工船」と「戦艦ポチョムキン」(『秋田と小林多喜二』)※

佐藤勝太郎は、

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――1929年9月号の『キネマ旬報』に蔵原惟人は「最近のソヴィエト映画界」という紹介をしている。「私はモスクワでこれ(戦艦ポチョムキン)を見た時、いかにこの映画が観客をアジテートしたかを覚えている。常に静かに眺めているロシアの観客もこのときばかりは絶えず嵐のような拍手を送り、感嘆して声を発するものもすくなくなかった」、1929年、多喜二は札幌松竹座の新築で発行されたパンフレットに、「無鉄砲過ぎる期待だろうか?」という一文を寄せ、「映画が芸術の「王座」に座る日の来るのは空想ではなくなった……。『戦艦ポチョムキン』のような映画が日本に出てくれば『それこそ全く素晴らしくはないだろうか』これは無鉄砲すぎる期待だろうか」と書いたことに着目している。


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このへんで、映画評論家の研究を紹介したい。

●山田和夫 「多喜二の映画論」『赤旗』(1968.12.13)
●岩崎昹 「多喜二の映画論」(『文化評論』1973.2月号)
●日本映画テレビプロデューサー学校 岩波ホール編 『映画で見る日本文学史』 (1979.2)

最新の情報は以下。

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「蟹工船」と「戦艦ポチョムキン」/山田和夫/時空こえ、響き合う2作/「幻の名画」に思い馳せた多喜二
 小林多喜二原作の映画化「蟹工船」(一九五三年)が再上映されている。むろん爆発的ブームを続ける原作の波及効果。その機会に映画化作品を見た何人かの友人から「『戦艦ポチョムキン』そっくりね」と同じ感想を聞かされた。

 いうまでもなく一九〇五年の第一次ロシア革命の挿話を映画化したセルゲイ・エイゼンシュテインの名作映画(一九二五年)との比較だが、一九三三年に官憲によって虐殺された多喜二は、この名作映画を見ていない。日本には一九二六年に一度横浜税関にまで到着しながら、当時の天皇制映画検閲によって輸入そのものを禁止され、ソビエト本国に送り返された。

 戦後は米占領軍による一方的な外国映画の輸入統制で、一九五九年二月の非劇場自主上映開始まで、「戦艦ポチョムキン」は幻の名画のまま。一九五三年に俳優の山村聡が第一回監督作品として、自分の独立プロで「蟹工船」の映画化に成功したときも、製作スタッフはだれもこの名画を見る機会はなかった。

見たいと切望
 にもかかわらず、「蟹工船」がフランスで公開されたとき、共産党員の世界的映画史家ジョルジュ・サドゥールも「この映画は『戦艦ポチョムキン』に酷似しており、エイゼンシュテインの技法に大きな影響を受けている」と書いた(『映画辞典』The Dictionary of Films 一九六四年)。
 多喜二自身、たしかにこの名画を見ることが出来なかったが、「戦艦ポチョムキン」についてはかなりくわしく知っていて、あこがれの名画としてぜひ見たい、日本映画にもこのような作品をと切望していた。

 一九二七年十一月二十一日、小樽市中央座で上演された築地小劇場の演劇、ドイツのプロレタリア作家ゲーリング作『海戦』を見て「自分は幕が下りた時、興奮したまま『戦闘艦ポチョムキン』を考えていた。その二つの間に、しかし厳然として存在している大きな画線について考えた」と書き、「築地の『海戦』(もう少しだ)」と見出しをつけている(「『海戦』を中心の雑談」、『シネマ』誌一九二八年新年特輯号)。対象となった『海戦』が反戦劇であること以上、筆者は知らないが、多喜二は明らかに「戦艦ポチョムキン」の一貫した革命性とくらべ、「もう少しだ」と指摘している。

 そして多喜二が『蟹工船』を書いた一九二九年末、札幌松竹座が新築開場したときの「松竹座パンフレット」第一集に「我等の観点から1930年以後の松竹映画に望む事」のアンケートに答え、当時の日本映画が人気小説の映画化に夢中になっている状況を批判、「『不壊の白珠』の代りにゴールキーの『母』であったらどうだろう。『斬人斬馬剣』の代りに『戦闘艦ポチョムキン』ならどうだろう」と書いて、さらに「何も外国に例をとらなくても」と尊敬する葉山嘉樹の『海に生くる人々』と並んで自分の『蟹工船』『不在地主』の名前を挙げている。『斬人斬馬剣』は多喜二が期待する伊藤大輔監督が時代劇の形を借りて反権力のテーマを試みた力作だ。

 さらに一九二七年九月号の『キネマ旬報』誌に「最近のソビエト映画界」と題するレポートが掲載された。このレポートはモスクワ滞在中の蔵原惟人によるもので、現地で見た「戦艦ポチョムキン」を詳細に論じている。蔵原はすでにプロレタリア文化運動の指導者の一人であり、多喜二の文学上の師である。小樽映画鑑賞会の積極的な活動家であり、数多くの映画論も執筆している多喜二が、蔵原の「戦艦ポチョムキン」論を読まなかったはずはない。多喜二がこの名作を「戦闘艦ポチョムキン」と表記しているのも、蔵原論文にならったと思われる。

 蔵原はエイゼンシュテインがアメリカ映画のスター中心主義を排除していることを指摘、「この映画からあえて主人公を求めれば、それは帝政の軛に圧せられながら、それでも何等かの出口を見出そうとしている『大衆』である」と書く。多喜二が『蟹工船』を書きつつ、まだ見ぬ「幻の名画」に思いを馳せたとすれば、たとえばこの言葉に響き合ったに違いない。映画化スタッフも原作のなかで同じ共鳴を感じ取ったであろう。ただ今回改めて原作を読み直し、映画を見直して考えさせられたのは、原作と違うラストのあり方である。

ラストの改変
 原作ではストライキを決行した漁夫たちの指導者らが水兵に連行され、ストは敗北するが映画では漁夫たちは水兵に抵抗して虐殺される。映画化当時(一九五三年)、日本は自衛隊創設へ向かう「再軍備」反対闘争が盛り上がっていたので、日本軍隊の反国民的な性格を強調したかったが故の改変であろう。

 しかし「戦艦ポチョムキン」は一九〇五年革命が敗北に終わったが、ロシアの民衆はまさに「もう一度!」立ち上がって一九一七年の革命に勝利した史実の予兆として、反乱の勝利で映画をしめくくった。多喜二の『蟹工船』は多くの新しい読者を奮起させた本文の末尾「そして、彼等は、立ち上った。もう一度!」で結び、さらに「付記」として漁夫たちの二度目の闘争の勝利を簡潔に伝える。原作のこのラストは多喜二の文学的才能を示すあざやかさである。

 多喜二の『蟹工船』とその映画化作品、そして時空を超えて響き合う「戦艦ポチョムキン」――この歴史的共鳴をさぐり考える作業はなお進行中。十二月四日、東京で行われる活弁つき「戦艦ポチョムキン」上映も、その一つである。
 (やまだ・かずお 映画評論家)