「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

「一九二八年三月十五日」第4章

2010-03-30 18:04:04 | 小林多喜二「一九二八年三月十五日」を読む

 今度の検挙が案外広い範囲に渡っていることをお恵はお由から知らされた。××鉄工場の職工が仕事場から、ナッパ服のまま連れて行かれたり、浜の自由労働者や倉庫の労働者が毎日五人、十人と取調べに引かれたり、学生も確か二、三人は入っていた。
 龍吉の家で毎火曜の晩開かれる研究会に来ていた会社員の佐多(さた)も、それから二日遅れて警察へ引張られて行った。
 佐多は龍吉達に時々自分の家のことをこぼしていた。――家には、佐多だけを頼りにしている母親が一人しかいなかった。その母は自分の息子が運動の方へ入ってゆくのを「身震い」して悲しんでいた。母親は彼を高商まであげるのに八年間も、身体を使って、使って、使い切らしてしまった。彼はまるで母親の身体を少しずつ食って生きてきたのだった。しかし母親は、佐多が学校を出て、銀行員か会社員になったら、自分は息子の月給を自慢をしたり、長い一日をのん気にお茶を飲みながら、近所の人と話し込んだり、一年に一回位は内地の郷里に遊びに行ったり、ボーナスが入ったら、温泉にもたまに行けるようになるだろう、……今までのように、毎月の払いにオドオドしたり、言訳をしたり、質屋へ通ったり、差押えをされたりしなくてもすむ。それはまるで、お湯から上ってきて、襦袢(じゅばん)一枚で縁側に横になるような、この上ない幸福なことに思われた。母親は長い、長い(――実際それは長過ぎた気がした)苦しさの中で、ただ、それ等のことばかりを考え、予想し、それだけの理由で苦しさに堪えてきた。
 毎日会社に通う。――月末にちゃんちゃんと月給が入ってくる。――なんとそれは美しい、静かな生活ではないか! 佐多が学校を出て、就職がきまり、最初の月給を「袋のまま」受取ったとき、母親はそれを膝の上にのせたまま、じいッとしていた。が、しばらくすると母親の身体が、見えない程小刻みに、ふるえてきた。母親は何度も、何度も袋を自分の額に押しあてた。佐多はやっぱり変な興奮と、逆に「有りふれて、古い、古い。」と思いながら、二階に上った。ちょっとすると、下で仏壇の鈴(りん)のなる音がした。
 晩飯まで本を読んで、下りてくると、食卓にはいつもより御馳走があった。仏壇にはローソクが明るくついて、袋がのっている「お父さんに上げておいたよ。」と母がいった。
 それまではよかった。
 母親は、今までなかった色々の写真が、佐多の二階の室にだんだん貼られてきたのに気を使いだした。
 「これは何んという人?」
 母親は佐多の机のすぐ前の壁にかかっているアイヌのような、ひげにうずまった――ひげの中から顔が出ている、のを指さした。佐多は曖昧にふくみ笑った。
 「お前、別になんでもないかい。」
 どこから聞いてくるか、しかしハッキリではなく、こんないい方をすることもあった。表紙の真赤な本が増えて来たのにも気づいていた。労農党××支部、そう言う裏印を押した手紙がくると、母親は独りであわてて、自分の懐にしまい込んだ。佐多が帰ってくると、何か秘密な恐ろしいものででもあるように、それを出して渡した。「お前、そのう、主義者だか、なんだかになったんでないだろうねえ。」
 佐多は、母親がだんだん浮かないような顔をする日が多くなり、夜など朝まで寝がえりをうって、眠れずにいるのを知った。会社から帰ってくると、仏壇の前に座って、泣いているのも、何度も見た。それが皆自分のことからである、とハッキリ思った。特別な事情で育てられてきた佐多には、そういう母親を見ることは心臓にツルハシを打ち込まれる気がした。龍吉やお恵はずいぶん佐多から、この事では相談されたことがあった。
 佐多が二階にいると、時々母が上ってきた。その回数がだんだん多くなってきた。母親はその度に同じことをボソボソいった。――お前一人がどうしようが、どうにもなるものじゃない、もしもの事があり、食えなくなったらどうする、お前は世間の人達の恐れているようなそんな事をする人間ではなかったはずだ、キット何んかに憑かれているんだ、お母さんは毎日お前のために神様や、死んだお父さんにお祈りしている……。佐多はイライラしてくると、
 「お母さんには分らないんだ。」と、半分泣かさっている声で、どなった。
 「それより、お母さんにはお前の心が分らないよ。」母は肩をすぼめて、弱々しくいった。
 佐多は面倒になると、母を残して二階をドンドン降りてしまった。降りてもしかし、佐多の気持はなごまなかった。俺をこんなに意気地なくするのは母だ、「母親なんて案外大きな俺だちの敵なのだ。」彼は興奮した心で考えた。
 その後で、もう一度そういう事があった。佐多はムッとして立ち上ると、
 「分った、分った、分ったよ! もういい、沢山だ!」いきなり叫んだ。「もうやめたよ。お母さんのいうように、やめるよ。いいんだろう。やめたらいいんだろう。やめるよ、やめるよ! うるさい!」
 彼は母をつッ飛ばすようにして表へ出てしまった。外へ出てしまうと、しかし逆な気持が帰ってきた。
 「お母さんには分らないんだ。」
 佐多は十六日に、仲間から龍吉の方や組合に大検挙のあった事をきいた。しかしその仲間も、それが何んのことでやられたのか見当がついていなかった。佐多は家へ帰ると、色々な書類をまとめて近所の家へ頂け、整理してしまった。その日はなんでもなかった。彼はホッとする一方、組合へでかけて行って、様子をみてみようと思った。そこへ前の仲間が来て、組合や党の事務所には私服がたくさん入りこんでいて危いことを知らせてくれた。そして組合にウッカリ来る者は、それが関係のあるものであろうと、無かろうと、引張ってゆく。組合の小さい小林が十五日の午後、何気なく組合に行くと、私服がドカドカと出てきて、いきなり小林をつかまえた。小林はハッとして、とっさに、俺は印刷屋の掛取りだ、掛を取りに来たんだ、といったら、今誰もいないから駄目駄目、といってつッ返されてきた。彼はもちろんその足で、組合員の家を廻って、注意するようにいった。仲間はそんな事を話した。彼は行かないでよかった、と思った。

 しかし検束のために、警官がやって来たのは、十七日の夜、佐多が夕刊を読んでいたところだった。佐多はイザとなったとき、自分でも案外な覚悟と落着きが出来ていた。
 彼は活動写真や古い芝居で、よく「腰をぬかす」滑稽な身振りを見て笑った。しかし! 彼が外套を取りに行った二階から下りてきた時だった、彼は室の片隅の方にぺったりへたばったまま、手と足だけをバタバタやっている母親を見たのだった! 唇がワナワナ動いて、何か一生懸命ものをいおうとしているらしく、しかし何もいえず、サッと凄い程血の気の無くなった顔がこわばって、眼だけがグルグル動いている。手と足は何かにつかまろうとしているように振っている。しかし母親の身体はちっとも動かないではないか。佐多は障子を半分開きかけたそのままの格好で、丸太棒のように立ちすくんでしまった。
 佐多は三人の警官に守られながら外へ出た。彼は道々母のことを考え、警官に見られないように、独りで長い間泣いていた。
 お恵は工藤の家からの帰り、市の一番にぎかな花園町大通りを歩いてきた。まだ暮れたばかりの夜だった。そんなに寒気(しばれ)がきびしくなかった。街にはいつものように、沢山の人が歩いていたし、鈴をつけた馬橇(ばそり)、自動車、乗合自動車はしきりなしに往ったり来たりしていた。明るい店のショウ・ウインドウに、新婚らしい二人連れが顔を近く寄せて、何か話していた。――温かそうなコートや角巻の女、厚い駱駝のオーヴァに身体をフカフカと包んだ男、用達しの小僧、大きな空の弁当箱をさげたナッパ服、子供……それ等が皆、肩と肩を擦り合わせ、話し合い、急ぎ足であったり、ブラブラであったり、歩いている。お恵は不思議な気持がしてくるのを覚えた。今、この同じ××の市で、あんなに大きな事件が起き上っている。しかし、それとここは なんという無関係であろう。それでいいのだろうか。あの何十人――何百人かの人達が、全く自分等の身体を投げてかかっている、誰でものためでない、無産大衆のためにやっているその事が、こんなに無関係であっていいというのだろうか――お恵は分らなくなった。ここには、そのちょッぴりした余波さえ来ていない気がした。政府が新聞に差止めしているズルイ方法のためがあったかも知れない。ズルイ方法だ! しかしどの顔も、そのどの態度もみな明るく、満足し、皆てんでの行先に急いでいるように思われた。
 夫達は誰のためにやっているのだ。お恵は変に淋しい物足りなさを感じた。夫達がだまされている! 馬鹿な、何をいう! しかし、暗い気持は馬虻(うまあぶ)のように、しつこくお恵の身体にまつわって離れなかった。

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