「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

プロレタリア文学前史

2010-09-19 20:29:18 | 多喜二研究の手引き

『ソヴエート・ロシヤ文学の展望』(ペ・エス・コーガン 黒田辰男訳 柳瀬正夢装丁 叢文閣 1930年)

昭和5年 初版 四六判軽装 321P 
■コーガンは当時のロシアで高名だった文学史家。“ソヴエート・ロシヤの文学を説述した彼の
類書中でも、最も最近のもので、又従って、最も全面的に組織的に系統的に”まとめられた著
作だという。緒言、序論、『十月』の前夜、プロレタリア文学、同伴者文学、の全4章。

『 建設期のソヴエート文学』(アウエルバッハ 上田進訳 叢文閣 1932年)
昭和7年 初版 四六判軽装 368P ■アウエルバッハは当時「モップ」機関誌の編集長。当書
の「第一部プロレタリア文学のヘゲモニイのために」は1931年全連邦プロレタリア作家団体統
一同盟総会における報告と結語を、「第二部プロレタリア文学の主線」は同じ年に行われた他
団体での報告や『文学新聞』などに発表された論文、声明などから選抜したものに加え、ロシ
ヤ・プロレタリア作家同盟書記長名によって発表された声明「スターリンの演説とラップの任
務」を併せて収める。第一部=文化反動と文化革命、人種論の実践、重大な危険性を持つ大ロ
シヤ愛国主義について、「文学戦線」派とは如何なるものであったか他 第二部=ラップの日記
から、新しい段階にたつラップ他。

『文戦1931年集』(労農芸術家連盟文学部編 改造社 1931年)
昭和6年 初版 福田新生・城木要装丁四六判 軽装 549P ■“特別委員会の厳正批判によっ
て編成された詩、戯曲、小説及び論文であり、単に勢揃ひのためのアンソロジーではない”(編
集責任者・前田河廣一郎による序文より)。青野季吉「プロレタリア文学理論の展開」、葉山嘉
樹「人間肥料」、伊藤永之介「平地蕃人」、小牧近江「新あらびあんないと」、金子洋文「蒼ざめ
た大統領」、前田河「アトランテツク号」他、里村欣三、鶴田知也等による20篇を所収。


『 狼へ!( わが労働 )』(藤森成吉 柳瀬正夢装 春秋社 1926年)
大正15年 初版 四六判 上製函 318P  ■雑誌『改造』に連載された“私の労働記録”である
表題作「狼へ!」に、「余言」、「細井和喜蔵君」、「婦人と労働」、「評論と思索」に分類された
“労働に関係ある感想、或は一般労働問題についての評論随筆等を合わせ”て所収。また、
巻末には「附録」として「新潮記者と作者の一問一答録」を収める。石鹸工場、牧畜その他、豚
飼い、鉄工場、製糸工場、本所深川、細井君、大正娘の足・不足、国民性への疑い他




『クラルテ』(アンリ・バルビュス著 小牧近江・佐々木高丸訳 柳瀬正夢装丁 叢文閣 1924年)
大正13年 重版 B6 軽装判 532P ■柳瀬正夢装丁。“普通の、世間並みの腰弁”シモン・ポオ
ランを主人公とする長編小説。“小牧が滞仏中、クラルテ出版記念会の席上、作家バルビュス
から翻訳を委任されて直接手渡された1918年の初版本をテキストとし、そのうち抹消されてあ
る所は1921年の第80版本を以て補い、且つ傍ら、奥田嘉治氏が英訳より重訳されたものを参
考にした。”“私達は、この私達民衆の聖典を、今君の前に捧げ得たことを、心の底から悦
ぶ。”(読者に)。


クラルテ 第3号 クラルテ社 1926.2

種蒔く人
復刻・種蒔く人 日本近代文学館編

種蒔く人―小牧近江の青春 北条常久 筑摩書房 1995年
※金子洋文「平沢君の靴」、パルビュスの肖像、武者小路実篤と洋文、今野 武者小路兄へ(「中央公論」大正七年
八月号)
20世紀文学の黎明期―種蒔く人前後 祖父江昭二 新日本出版社
※大杉栄「武者小路実篤の新しき村の事業」  新潮1922年5月号

文藝戦線 第3巻第1号文芸戦線社 大正15年1月号
復刻・文藝戦線 日本近代文学館編

戦旗

 

 


日本における左翼思想、プロレタリア芸術運動の始点の一つに雑誌『種蒔く人』がある。『種蒔く人』はアンリ・バルビュスが提唱した反戦運動「グループ・クラルテ」に大きな影響を受けた小
牧近江がその日本への移植を構想し、故郷である土崎港で小学校時代の同級生、今野賢三、金子洋文とともに1920(大正10)年に創刊、3号までを発行したが休刊していた雑誌であ
った。そしてこの『種蒔く人』東京版には、小牧も属していた「フランス同好会」を通じて村松正
俊と佐々木孝丸が参加することになる。そして、新宿・中村屋主人の相馬愛蔵、黒光夫妻も東
京版の発行に関わっている。
1920(大正9)年、関西で開催された秋田雨雀の脚本朗読会の話に触発されて佐々木たち
は自分たちも脚本朗読会をやろうということになる。相馬黒光の好意により中村屋の二階に集
まることにし、会の名前を秋田の代表作「土」三部作にちなんで「土の会」としたのだった。会に
は秋田、佐々木、佐藤青夜、能島武文、黒光、娘の千賀子、神近市子などが参加し、創作戯
曲を朗読した。会の聞き手は相馬愛蔵、盲目の詩人エロシェンコであった。ときには日本最初
の映画女優である花柳はるみが朗読指導に来たりもした。『種蒔く人』の同人である小牧、金
子は東京で雑誌を再刊することを企てていたのだが、政府に納める保証金がないためにでき
ないでいた。しかし、着々と準備を進め、1921(大正10)年9月ついに『種蒔く人』創刊号を出
すまでにこぎつけた。同人は前記5人のほかに松本弘二、山川亮、柳瀬正夢の合計8人。名を
つらねた寄稿家には秋田雨雀、有島武郎、アンリ・バルビュス、ワシリー・エロシェンコ、江口
渙、藤森成吉、平林初之輔、神近市子、白鳥省吾、山川菊栄、吉江喬松などがいる。印刷・製
本が出来上がったはいいが、この期に及んで印刷屋に払う金がない。発売前日、佐々木が中
村屋に駆け込んで愛蔵に借金を申し込んだのだった。愛蔵は翌日社員に支払う給料となるは
ずの現金から二百円を融通してくれたという。創刊号の表紙は柳瀬正夢によるもの。表紙の
上に、赤い紙に「世界主義文芸雑誌」と印刷してまいた。愛蔵の支援があったればこそ創刊号
の発行ができたのだった。同人もその後、平林初之輔、津田光造、松本淳三、青野季吉、上
野虎雄、前田河広一郎、中西伊之助、佐野袈裟美、武藤直治、山田清三郎と号を重ねるごと
に増加した。創刊号からさっそく発売禁止になったにも関わらず『種蒔く人』は20号まで継続
し、関東大震災の被災によって廃刊となるが、その同人や影響を受けた周囲、読者などが、そ
の後のプロレタリア芸術運動の一つの核となっていった。また脚本朗読会は相馬が買った麹
町平河町の大名屋敷の土蔵を小劇場とする「土蔵劇場」で上演する「先駆座」という劇団にま
で発展、実際に観客をいれて演劇を上演するまでになった。
 ところで佐々木孝丸であるが、ネットで検索すると「仮面ライダー俳優名鑑」の中に登場す
る。1974年「仮面ライダーX」の堂本博士の役である。だが佐々木はバルビュスの著作『クラ
ルテ』の翻訳者(小牧との共訳)であり、『種蒔く人』東京版の創刊時の同人であり、1925(大
正14)年に創立された「日本プロレタリア文芸聯盟」の初代議長であったのだ。佐々木の出生
地は北海道の標茶町。1898年に生まれ1986年に88歳で没している。


震災後に廃刊となった「種蒔く人」の後継雑誌『文芸戦線』が青野季吉、小牧近江、武藤直治
らによって1924(大正13)年5月に創刊されている。そして、『戦闘文芸』『解放』『文芸市場』
東京帝国大学社会文芸研究会などによって翌年10月4日に日本プロレタリア文芸聯盟の発
起人総会が実施され、12月6日には佐々木孝丸を議長に、『戦闘文芸』の岩崎一、山田清三
郎、佐々木孝丸を大会委員に創立大会を80余名の参加のもとに行なった。第二回大会は19
26(大正15)年11月14日に牛込神楽坂倶楽部で開催され、委員長を山田清三郎、文学部
委員に中野重治、林房雄、演劇部委員に佐々木孝丸、久板栄二郎、美術部委員に柳瀬正
夢、小林源太郎、音楽部委員に小野宮吉、書記長に小堀甚二を選出している。「東京熊本人
村」に竹中らが集まっていた時期はまさに日本プロレタリア文芸聯盟の発起人総会から第二
回大会の期間にあたる。文学部委員である林房雄は熊本の五高社研で竹中と関わりがあっ
たはずであるが、この時期の東京での関わりはわからない。
経緯は不明であるが、プロレタリア文芸関連諸氏が落合に移ってきだすのは1927(昭和2)
年頃以降のことである。現在の西武新宿線が下落合駅を始発駅として開通したのが昭和2年
である。藤森成吉が『何が彼女をそうさせたか』を発表したのが同年1月。この本の装幀は村
山知義である。11月には「前衛劇場」が小野宮吉、久板栄二郎、関鑑子、村山知義、小川信
一、辻恒彦、柳瀬正夢、仲島淇三、佐藤誠也、野村康、村雲毅一、山田清三郎、青野季吉、
林房雄、前田河広一郎、葉山嘉樹、佐野碩、千田是也、佐々木孝丸を同人として結成されて
いる。さて、1927(昭和2)年当時、落合に移住していたのは、片岡鐵兵、山田清三郎、佐々
木孝丸、小川信一。それ以前から村山知義は上落合に住んでいた。1928(昭和3)年1月、
雑誌『前衛』を創刊するが発行所は上落合215番地の佐々木孝丸の自宅であった。上落合<
前芸>派と呼ばれたのは、川口浩、山田清三郎、村山知義、小川信一、佐々木孝丸、橋本英
吉、立野信之、本庄睦男、中村雅男、蔵原惟人であった。
1928(昭和3)年10月28日国際文化研究所を発行元、大河内信威を編集人として雑誌『国
際文化』が創刊された。ちなみに、大河内信威は子爵にして理化学研究所の3代目所長であ
る大河内正敏の長男、ペンネーム小川信一のことである。
 そして、それまで分裂を繰り返していた団体を一つにまとめる動きが出始める。1927(昭和
2)年12月21日、無産者新聞編集局の肝煎りで、本郷・赤門前の一白荘という喫茶店で合同
促進第一回協議会が開かれた。これには、日本プロレタリア芸術連盟から中野重治、谷一、
鹿地亘、森山啓、佐藤武夫、佐野碩、久板栄二郎が、前衛芸術家同盟からは蔵原惟人、林房
雄、川口浩、村山知義、永田一修、山田清三郎、佐々木孝丸が参加。中立な立場の無産者新
聞の門田博が議長を務め、労農党本部から代表がオブザーバーとして出席した。第二回の協
議会は1928(昭和3)年1月10日に上落合の前芸本部つまり佐々木孝丸の自宅を会場に開
かれた。合同の機運はこうして徐々に高まったのである。
 一方、1928(昭和3)年には初の普通選挙が行われた。2月20日のことである。労農党候
補は二人の当選者以外は全て落選だった。そして3月15日、共産党に対する大検挙が行わ
れた。後に小林多喜二が『一九二八年三月十五日』に描いた弾圧である。この3・15事件が
一つの契機となり、3月25日「全日本無産者芸術連盟」として合同されることが声明された。略
して「ナップ」の誕生である。そして合同声明発表から4月28日の創立大会までの間に小規模
な左翼芸術団体が一斉に新組織になだれ込んできた。その中の一つに「左翼芸術聯盟」があ
ったのである。本稿の冒頭で竹中が参加したと記述した機関誌『左翼芸術』の壺井繁治、三好
十郎、高見順、上田進らのメンバーである。竹中とナップとの関わりは『左翼芸術』への関わり
以外には見出せないようである。この合同によって、プロ芸の機関誌『プロレタリア芸術』は10
号をもって、また前芸の機関誌『前衛』は4号をもって廃刊し、新たにナップの機関誌『戦旗』が
刊行されることになった。『戦旗』創刊号は山田清三郎を責任編集として1928(昭和3)年5月
5日に創刊された。『左翼芸術』の壺井繁治は山田清三郎のあとを受けて1930(昭和5)年9
月号より責任編集を担当する。

 1928(昭和3年)、ナップ作家同盟や国際文化研究所は上落合の月見岡八幡神社のそば
におかれた。また『戦旗』発行所は一時、中井駅から下落合駅に向かう妙正寺川沿いにおか
れた。蔵原惟人、永田一修、立野信之なども上落合に移住、この頃、上落合地域は「落合ソビ
エト」と呼ばれた。獄中の村山知義にあてた妻・籌子の手紙の中には息子の亜土が「ピオニー
ル」活動に夢中であるとの記述がある。ソビエト連邦にならって、落合ソビエトにもピオニール
が組織されていたのだ。『戦旗』11月号、12月号には前述した小林多喜二の「一九二八年三
月十五日」が掲載された。翌4年3月、戦旗発行所に小樽の小林多喜二から「蟹工船」の原稿
が届き、5月号から掲載が始まった。1930(昭和5)年11月27日ソビエトから帰国した中條
百合子がナップに加盟した。1931(昭和6)年には中野重治、壺井繁治・栄夫妻、井汲卓一、
野川隆、今野大力、中條百合子などが上落合の住人となった。だが、時代は大きなうねりの中
にあった。関東大震災後の混乱がふたたびないようにとの名目で、政府は治安維持法を192
5(大正14)年4月22日に成立させていた。治安維持法は「国体変革・私有財産制否定を目
的とした結社運動の取締り」を主たる目的とする法律である。しかも、普通選挙法とセットに同
時に可決された法案であった。1928(昭和3)年2月20日の選挙は普通選挙法下で行われ
る最初の選挙だった。この選挙直後に大規模な検挙を始めたのであった。そして6月29日に
は勅令129号によって治安維持法は大幅に改定、強化された。7月、全国の府県警察に特高
警察が設置された。本格的な思想弾圧の始まりである。蔵原や小林は地下に潜ることを余儀
なくされる。1933(昭和8)年2月、地下にもぐっていた小林多喜二が密告により築地署に連
行され、拷問によって殺された。多喜二30歳のことであった。思想弾圧を激しくするのに並行
するように日本は泥沼のような日中戦争から太平洋戦争、第二次世界大戦という全面戦争へ
と突き進んでしまう。その前夜のことであった

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7 コメント

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今を生きる哲学 (花神)
2024-01-20 18:52:38
最近はアルゴリズム革命でイデオロギーがらみの変革も起きつつありますよね。国富論の神の見えざる手の理解をあらたな経営学理論KPI競合モデルとかで書き換えて、大企業独占市場が無限に価格を吊り上げることはできないとか。これも人工知能(AI)のアルゴリズムからでてきた思想らしい。プロレタリアル文学もそのうちAIが書くことができるようになるのかな。
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グローバルビジネス (メガトレンド志向)
2024-03-28 08:52:44
明治維新というのは、闘争階級であるサムライ自体が自らの階級を解体するというマルクス理論から逸脱する大革命だったともいうべきものかもしれません。その根底には一神教と多神教のちがいがあって、そのことは今の日本らしさの文化の根底に息づいているような気がします。
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世界史的位置づけ (リベラルアーツ関係)
2024-03-30 17:39:24
そうですね、そう考えると明治維新の尊王思想の原動力となった本居宣長に代表される古事記伝などのこととプロレタリアル文学の関連性を考える必要が出てきますね。そうすると明治維新の世界史的における社会革命の種類の中での位置付けをしっかりさせておかなければならないと思うのです。
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日本のダイナミクス (サムライアスリート)
2024-03-31 10:53:05
企業文化もそうだけど日本らしさを再考したビジネスという観点からも日本版グローバル哲学はビジネスの軸受のいわば求心力ともすべきもので、従来の経営の神様的存在を超越したオールジャパンであるべきなのだと思う。
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穿ちすぎか? (出雲古典文学研究者)
2024-03-31 12:00:36
なんかNHKでやっていたプロテリアル安来製作所鳥髪木炭銑工場を思い出すんだよな。
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日本海側もいいよね (熊野古道ファン)
2024-04-05 04:54:07
出雲だったらヤマタノオロチの怪物退治で有名なスサノオノミコトだな。
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Unknown (とことんやれ)
2024-05-17 09:29:08
明治維新はサムライ主導のグローバル革命と位置付けることができますね。
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