最近身体がだるいなとなんとなく思っていたんですけど、筋トレした後の日の睡眠はすさまじく素晴らしく大変爽快でありました。たまにはよく身体動かさないとダメですね。医大生・たきいです。
同級生が面白いことを言っていて、生理学は医学部の上の学年になってから勉強したほうがいいんじゃないか、とのこと。確かにまだ何もわからぬ低学年のうちに生理学を勉強させられてもその重要性や臨床とのリンクを説明できる学生はほとんどいないというのはごもっともなことだろう。多くの医学生がそうであるように、生理学は大事だとさんざん聞かされてきたが、少なくとも私は低学年のうちはまだ学問の奥行に気づけるほど理解できていなかった。上の学年になって勉強するプランは妙案かもしれない。とはいえ内科学は生理学と切っても切れない関係にあるし、実際にはそうしたカリキュラムを組むのは難しそうだが。
似たように。医学部に入学して、いきなり分子生物学的内容をこまごまと勉強させられたのは大変だった思い出だが、どうしてまずそこを勉強しなくてはいけないのだろうという疑問は少し抱いた記憶がある。歴史的な時間軸に沿ってものごとを考えるならば、分子生物学は最後の方に出てくるはずだ。人が人を見るとき、まずは普通、大きな枠組みで構造や機能を考えるはずだ。科学的思考とは分割することだから、いずれ分子生物学的アプローチにたどり着けばそれでよいではないか。
先人たちにはこれまでどういう困難があって、それを乗り越えるべく発展してきた医学の歴史的経緯を軸に医学カリキュラムを組むのも面白い気がする。系統立てられた教科書を頭から読むより、経験的にも必要に迫られた学問の方が勉強のモチベーションは高くなりそうである。
医学は変人に近い天才たちが裾野を広げてきたという経緯がある。だとすると、思考の手順は凡人に理解できるもののほうが少ないのかもしれないから、それはそれで現代の若者が学ぶには厳しい点も多いかもしれない。あるいは整合性のとれた背景が少ないケースの方が多いのかもしれない。そうするとまた新たな「困難」を生じさせてしまうことになる。
医学教育というのも難しい領域だ。解剖、生理に始まり基礎医学の後に臨床医学を学ぶ。大昔からこの学ぶ順番は変わっていないのだからよくできたカリキュラムなのだと思う。情報量の増えるスピード的に、「覚える」だけでは医者は食っていけない時代が間違いなくくるだろう。そうした時代に、どういった頭の使い方のできる医者が求められてくるのかが、医学教育の在り方の指針のひとつとなるのかもしれない。
(TVからスマホの着信音が鳴ると焦ってしまう人(笑))