山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

浅瀬を渡る雄牛

2020-11-20 23:05:08 | 自動車・エンブレム

 今年の「オールドカーin春野」はコロナの影響で中止となった。車の珍しいエンブレムはこういうときでないと出会うことはかなり難しい。昨年出会ったイギリス車「モーリス」のエンブレムの由来が面白い。

         

 創業者のウィリアム・モーリスの出身地は、テムズ川がかかわるオックスフォード地区だった。この辺には浅瀬があり牛の渡し場があったことで、「オックスフォード」と呼ばれる。エンブレムの中の青い三本はその川でそこを赤い牡牛が渡るという紋章のようだ。

       

 同じデザインでもカラーでないのもあった。1900年代には、イギリスの自動車の4割以上をこの地域で生産していたという。1970年代では2万人が雇用され、移民労働者があふれてもいた。いっぽう、オックスフォード大学があることでも有名だ。

  

  三台目の車のフロントには、技術者でありラリードライバーでもあるジョン・クーパーの名前が登場していた。いよいよ、「MINI」の小型車の時代がやってきた合図とも言える。1964年のモンテカルロのラリーで「ミニクーパーS」が初優勝したことで世界を驚愕させた。最近、街中で「MINI」に出会うことが少なくない。しかし現在はドイツのBMWの傘下にくだっている。そんな歴史の一端を担ったMORRISの栄光を知らせる車だった。    

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荒地に花木を

2020-11-19 21:47:20 | 農作業・野菜

 畑の隣に手つかずの荒れ地がある。数年前からなんとかしようと草刈りをはじめ、去年の6月頃に挿し木で育ったアジサイやロウバイ等をここに十数本定植する。今のところ枯れてはいないが夏後半は危なかった。

 今回は、樹の周りのツル植物等を除去し、整枝・誘引・支柱打ちなどを行ってから、木くず肥料をたっぷり追肥する。支柱は裏山から伐採した木や竹を利用している。これらをやるだけでも三日以上かかってしまった。が、これで荒れ地に花が定着してくれれば一段落だ。そういうことで挿し木をしてきた地味な作業も報われるというものだ。

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がんばれナメコ

2020-11-18 17:58:11 | 食彩・山菜・きのこ

                  

 裏山にあったほだ木にナメコがなっていた。ここ数年、ほだ木を代えていなかったのでもう細い老木となっていて量は少ない。それでも、なんとかナメコらしいかわいい芽を出してくれていた。二日後には傘がだいぶ開いてきたのがわかる。

      

 往年の四分の一くらいの収穫だったが、原木栽培はどうしてもゴミがついてしまう。これを除去するのがまたひと手間かかる。冷たい水道水で傘についたゴミを一つずつ取っていく。暖かい日はいいが、寒風吹きすさぶ日はまさにブルブルと震えてしまう。

  

 そうしてやっと、きれいなスッピンとなる。ヌメリは胃炎や癌の予防に効果あるという「ムチン」が含有されているらしい。だから、ヌルヌルを採りすぎないよう注意する。感染症にもいいらしいから、時節柄効果的かもしれない。

     

 一昨日の焚き火会で残ったうどんに汁を足してナメコをさっそく入れる。冷え込む夜の食事にピッタリ、いただきまーす。なお、桧や杉の木でもおが屑・糠・水・ナメコ菌をブレンドしたものを輪切りにスライスした杉・桧で挟んでも栽培できるらしい。桜の樹が入手できなかったらこれでいこう!!

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野生化した菊芋がうまい

2020-11-17 18:51:54 | 農作業・野菜

 畑の隅に野生化した「菊芋」を掘り出す。放置していると歩道にまで侵出してしまうのでそれを阻止するためでもある。掘り出すと次々出てくるのでついつい収穫してしまう。しかし、その泥付きの菊芋を洗いだすのがいつも面倒なのだ。

           

 「畑のインシュリン」と言われるほど糖尿病やメタボに効能があるのはわかっているが、この冷たい水道水で洗うのを震えながら毎年やっている。昨日、ベジタリアンのアコさんは茹でた菊芋を何度もおかわりしてくれたのでずいぶん減ってきたが、それでもまだ食べきれないほどの量だ。

             

 和宮様がこの菊芋を天ぷらにして揚げてくれたが、いちばん最初に平らげたのがキクイモ揚げだった。まるで、フライドポテトと間違えてしまうほどの旨みと甘さがあった。その意味で、今後もっともっとレシピを開発しなければならないほどの食材だ。

 長期保存するには、土のなかに埋めるのがいいようだ。それもさっそくやってみることにする。

 

 

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焚き火がつないだものは

2020-11-16 19:41:35 | 野外活動

 平日になってしまったが、久しぶりの「焚き火会」をやることになった。張り切って馳せ参じた山猿さんの準備とメニューが先陣を切った。ドラム缶のBQ用コンロが大活躍。さっそく、焚き火の熾火を入れて山猿さんが用意した鶏肉のスペアリブと手羽先肉を焼きだす。うどん作りがまごまごしている間につい最初に食らいついてしまった。

   

そのうちに、50cmくらいのサーモンが登場したのでそれも焼いていく。昨日から山猿さんが用意したカボチャ・人参・きのこ・大根・豚肉・コンニャクなどの具たくさんの煮物を鍋ごと持参してくれたので、そこに遅れ気味のうどんを入れて食べることにする。これがまた味が染みていて秋らしい風味となった。山猿さんの右手は胃とその周辺を全摘出した大手術のときの採血跡がいまだ生々しい。

         

 さらには、和宮様お手製の天ぷらも好評だった。人参とその葉のかき揚げ、採りたてシイタケをはじめ、旨いの連発のキクイモを用意してくれた。なお、食べるときや話すときはいつの間にかヒィジカル(ソーシャル)ディスタンスを保っていたのも素晴らしい。

            

 そうして昼食たけなわの頃、自転車で全国を行脚しているというアコさんらも参画する。ベジタリアンのアコさんは、できるだけ電気やガスを使わない暮しをしているようで、薪づくりをてきぱきとやってくれた。コーヒーを飲まないというので、畑のミントを干しておいたハーブティを飲んだらみんなが旨いということになっておかわりが続いた。

              

 夕方が近づいてきたころ、山から横倒しのままの太い枯木を伐りだしに行き薪を補充する。するとまた、アコさんが薪づくりをしてくれてファイヤーキーパーもしてくれた。さらには、お互いが読んだ本の交流が行われ、まず川勝平太県知事の論文が高く評価されたがそれが県政に反映されず、表面的なトラブルばかりがニュースに流れている落差に唖然としあう。

 また、反原発・基地を掲げるアコさんが、姜尚中・中島岳志氏の「根拠地」をめぐる対談集にも興味を持ったようだ。

         

 そうしているうちに、ベニハルカの焼き芋が出来上がり、その旨さを共有して盛り上がる。その結果、お土産コールが始まる。ほんとうは、15時頃解散の予定だったが、いつの間にか暗くなってきたのであわてて撤収する。

 コロナ禍でなかなか会えなかったので、久しぶりの焚き火会となった。総勢5人だったが、散乱していた木や竹が回収・焼却され、おかげで山も畑もだいぶきれいになった。そしてきょうの夕食分まで腹に納める。焚き火がつないだものは、GoTo Eatだったのだろうか。いやもちろん違うね…。ポイントも商品券も出なかったけど、みんな感動の余韻を持って別れたもんね。 

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「のらぼう菜」の間引き

2020-11-15 18:28:35 | 農作業・野菜

  いただいた「のらぼう菜」の種は、「残りの種なので芽が出るかどうか自信がない」と言われていたが元気に芽を出していた。畝が狭かったので密植気味となってしまったが生命力抜群であった。

  

 「のらぼう菜」は、菜の花の仲間だが、江戸中期どうやらジャワ島経由のオランダ船が持ち込んだ西洋アブラナらしい。当時の飢饉に対し、幕府が「ジャバ菜」の種を配布して救済したという。それが現在、東京西部から埼玉飯能にかけて今に伝わっているようだ。味が優れているので「比企のらぼう菜」として特産化している地域もある。和宮様お薦めの菜花だ。

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誰の石碑かなー、岩水寺(4)

2020-11-14 22:47:08 | 石仏・石造物

 遠州・浜北区にある岩水寺の中央の「赤池」周辺には、個人の石碑が並んでいる。きっと、お寺にかかわった人や郷土の人に違いない。しかし、なじみのないオイラにはそれがどんな人だったかがわからない。それを案内板かなにかに解説があるとそれらの石碑が宝となる。またそれを寄進した人にもお礼にもなると思うのだが。

     

 そのなかに、「小杉吉乎?翁之碑」というのがあった。小杉さんがどういう人であったかはわからない。注目したのはその揮毫をしたのが、岡田良平という元文部大臣だった。近くにあるデカイ「山下青厓」(郷土の日本画家)の石碑の揮毫も岡田良平だった。(2020.8.31blog)

 岡田良平は掛川市出身の「大日本報徳社」の社長でもあった。オイラは報徳社の活動は今でいう日本版のNPOではないかと思っている。ルーツはもちろん二宮尊徳だが、彼の社会貢献の思想をもっと学ぶべきだとかねがね思っている。彼の哲学をふまえた事業家が戦前にはいたが、現代にはなかなか見当たらない。

           

 小杉翁の近くには倒れそうな石碑があった。刻んだ文字を見ると「豊竹和田太夫碑」と読み取れる。どうやら浜松出身の浄瑠璃の太夫のようだ。昭和4年75歳で亡くなって西来院に墓があるらしい。ということは明治から大正にかけて義太夫節が健在だったということか。日本のオペラでもある義太夫節の語り手と音楽の三味線と人形遣いの「三業」による総合芸術は、江戸中期以降日本の各地に広まっていた。今でいう流行歌くらいの存在だった。したがって、「太夫」はそれらのコーディネーター・監督の役割だったようだ。

 さりげない石碑の痕跡からそんな片鱗が見え隠れする。なお、小杉・豊竹の石碑の間には、「山崎宋?三郎君之墓」というシンプルな墓碑があったようだが、全くその存在の意味がわからない。謎だらけの岩水寺の石碑群に混濁するオイラだが、寺に漂う世俗化がもったいない。

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琴平・金刀比羅・クンビーラ

2020-11-13 22:52:50 | 旅行・散策

 先日、買い物ついでに立ち寄った所が「金刀比羅(コトヒラ)神社」だった。いかにも観光地らしからぬ雰囲気ではあったが、境内は清楚に清掃され、建物も石造物も丹精込めた心意気を感じた。

              

 石段を登る前には金属製の灯篭があってこれもなかなかなかなか手が込んでいる。集落あげて金銭面でも投資してきたのを感じさせる。観光地でも名所旧跡でもない清貧な庶民の姿が浮かんでくる。

   

 こじんまりした拝殿らしき建物も端然と夕陽を浴びている。しばらくその清楚なたたずまいに身を置く。神道の本当の心はこういうところにこそあるような気がする。観光化されるとどうしても世俗化が目に余る。

              

  拝殿の扁額には「金刀比羅神社」と彫られていた。ここは浜松市浜北区だが、本宮は香川県琴平町にある。いわゆる、「こんぴらさん」として江戸中期以降爆発的な人気があった。「金刀比羅」のルーツは、インドのガンジス川に住むワニを神格化した「クンビーラ」にある。したがって、海の神・航海の安全祈願をはじめ、農業・病気平癒の神として一世を風靡した。

   

 しかし、それが明治の廃仏毀釈で山岳仏教的な部分が排除され、「金刀比羅宮」が「神社」に変更されてしまった。それでも、全国に600社もあるほどの一大勢力を堅持している。そんな変遷に関係なくここの静謐な空気は農村地帯の伝統を保持している。まわりは、みかん・柿の一大産地にもなってオイラも利用させてもらっている。

   

  場所的には車が通過するだけで歩いている人はなかなか見られない。まわりも店らしき建物もないし、車を止めるスペースもない。それがまた、品格を増幅させているのかもしれない。これこそ、本当の穴場なのではないかとゴミ一つない境内で満悦させていただいた。

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キウイを磨く

2020-11-12 21:03:52 | 農作業・野菜

 和宮様がひたすらキウイを磨いている。磨いているとかなりのゴミが出てくる。今までそれをあまり配慮していないまま人に献上していた。しかし、このところのキウイの実は大小合わせて1000個近くになる。といっても、半分以上は近隣や友人に渡される。これを磨くとなるとかなりの労働となる。

          

 和宮様の命令によりその作業をやることになったが、かなりの埃が出る。マスクをしながらもくもくと磨きをかける。果樹農家はこうやって一個一個手がけて市場に出していた苦労に想いめぐらす。

 キウイフルーツは、植物繊維や高血圧予防のカリウムなどがトップクラスの果樹であるとともに、造血作用を維持する「葉酸」や抗酸化作用のあるビタミンEも豊富にあるいいとこどりの果物だ。しかし、ミカンのように手軽に食べられるものではない。ひと月ほどの成熟期間がないと食べられないので、つい敬遠されてしまう。

 わが家では毎日5~6個のキウイをジュースにしているのであっという間に消化されてしまう。今年は生り年のようなので順調だが、来年はどうなるかはわからない。剪定で失敗しませんように、また極端な気候変動が起きませんようにと願うばかりだ。

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最後のジャンボ落花生を収穫して

2020-11-11 21:40:22 | 農作業・野菜

 毎年やられていた害獣からの防御に成功した「落花生」の最後を収穫する。昨年近所からいただいた新品種「おおまさり」の種を保存し、それを今年畝に撒いて生育したものだった。その後、余った種を遅れて片隅に撒いたものだったが、通常の2倍もある大きさというだけあって見事に実ってくれた。

           

 千葉県の落花生は全国の8割を占める生産量だが、この「おおまさり」は、「大きさや味が勝る」と言うだけあって大きさも甘みも優れている。とくに、「茹で落花生」に特化していて1kgあたり2500円前後で販売されている。今年も収穫したものの中から種を冷蔵庫に保存して来年また楽しもうというわけだ。近所のかたのお裾分けが希望の種を育んでくれた。ありがたい。

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