山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

雨プロのプレイパーク

2019-03-21 20:16:40 | 市民活動・まち育て
 途切れることのない静かな雨が秋葉神社下社キャンプ場を包む。本来ならば広大な河原やまわりの雑木林を利用して親子で遊ぶことになっていた。さいわい、長屋のような屋根付きの休憩所があったので、そこで木工作やゲームを中心に遊ぶことになった。同時に、焚き火に子どもたちは釘付けになった。

 
             
 さっそく小学生を中心に、イワシの焼き魚を七輪で焼いたり、カボチャ・玉ねぎをダッチオーブンで蒸したり、菊芋のホイル焼きをしたりして団扇や火バサミを離さない。

  
              
 畑で爆発したキャベツを持ち込んで、ダッチオーブンのなかでベーコンを炒めて水を入れ、塩・胡椒・コンソメで味をととのえスープにする。初めて挑戦したメニューだったが大好評だった。おとなはコーヒー豆を挽いて乾杯をする。

       
 
 また、割った丸竹をフライパンにした卵焼きにも挑戦。みんなで一口ずつ食べあった。さらにわが家で採れたシイタケ焼きは味付けを含めほとんどを子どもが受け持った。これをやればシイタケの嫌いな子はいなくなる。シイタケを焼きながら子どもたちはボリボリつまみ食いをしていたので、大量にあった「どんこ」があれよという間になくなった。

 ひさしぶりに、子どもののびのびした歓声を浴びる。仲の良い親子グループの親和力は雨だったことを忘れさせてくれた。幸福度58位の日本はここでは1位のような気がする。      

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ひとりボランティア

2019-03-20 18:13:11 | 出会い・近隣
 近所の茶畑がどんどん無くなっていく。放置された茶畑に侵出した竹林の生命力もばかにならない。聞いてみるとその茶畑と竹林を抜根してほおずきの畑にするそうだ。重機による抜根作業を委託すると一日35000円くらいかかるという。チェンソーで伐採した竹が大量に横たわっている。

          
 ちょうど、国道の法面の土留めやアジサイなどの支柱が欲しかったので、支柱づくりを始める。50本以上を作ってハンマーで打ち付けていく。


          
 同時に、大量に出た竹を支柱にロープで縛っていく。意外にこれに時間がかかる。これをしないと川から吹き付ける風で竹が飛んでしまうのだ。以前は集落によびかけてやっていたが高齢と忙しさでなかなかすすまない。というわけで、ひとりボランティアをやることになる。

          
 自分の気分とあいた時間できままにやる。一日数時間内でやるようにして4・5日はかかった。100mほどの距離だったがなんとか終了する。おそらく竹を80本くらいは使ったと思う。次は、抜根した枯れた茶樹を敷いていく作業だ。土留めとグランドカバーもどきがねらいだが、効果のほどはさほどではないかもしれない。要するに資源の活用のために一石二鳥をやってみようとするだけだ。まずは2年効果あればそれで良しとする。
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パトリ(郷土)から撃つ

2019-03-19 21:29:29 | 読書
 二人の政治学者が地方から近代日本の左右の硬直した対立構造の奔流をえぐる、『日本/根拠地からの問い』(毎日新聞、2008.2)を読む。在日二世で東大名誉教授・姜尚中(カンサンジュン)と新進気鋭の中島岳志東工大教授の対談だ。本の装丁も中身もアートに満ちている。文学にも造詣が深い二人のパトスと明治以降から現代にわたる日本の論壇に登場する豪華なキャストの名前がこんこんと出てくる。それにふさわしい並々ならぬこだわりが本書の装丁から放射してくる。

       
 「地方の人たちは国というものから、<棄民>されている」「そもそも戦後、これほどまでに国と地方が肉離れを起こしている時代は、僕が知る限り、そうなかったような気がします」という姜さんの現状認識。
 それに対し、地方から「根拠地」の思想を構築する、という「根拠を持ったアイデンティティ=ゆるやかな地域主義」にもどっていく補填が必要とする中島さんの提起とがコラボする。


                  
 そして、「どこであれ、何であれ人との付き合い・ネットワークを持ちながら、豊かに他者を想像しながら生きていける社会」を掴んでいく。それで「根拠を失った貧困」を打破したい(中島)と結んでいく。それが2013年出版された『「リベラル」保守宣言』に結実される。

     
 それらを受けて、姜さんの「あとがき」がさすがだ。中島さんの「狂」と「侠」の情念を「奥深くしまい込んだ若き気鋭の学徒」にほだされて、姜さんも「鳥肌が立つような興奮、血が騒ぐ思い」を覚えたという。


       
 「この惨憺たる日本の現状に、右翼も左翼も、保守も進歩もなすすべがないままへたりこんでいる」なかで、「自己の存在根拠を支える土地と人への愛情」(姜)が本来の原点ではないかとあとがきで結んでいる。10年前に発刊したものだが色あせぬ対談だ。
 本来の保守主義こそリベラルだとする中島さんの論旨はわからないでもないが、では日本の保守本流・理論家は誰かとなると名前が出ない。政治家としては石橋湛山、戦後では西部邁をあげているが、つまり本当の保守主義がまだ発展途上というところだろうか。革新側も民主党政権のていたらくのように戦前以来全く未熟児のままだ。その意味で原点にもどって根拠地・パトリを構築することには意味はある。
 本書は対談なのであっという間に読みきってしまった。二人のふつふつとした情念が空疎な時代とオイラを撃つ。

           
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ビフォア&アフター?

2019-03-18 21:22:48 | 農作業・野菜
 このところ風は冷たいが陽の当たる所は暖かい。そのため雑草の勢力も無視できず、毎日のように草取りに追われる。草刈機だとあっという間に終わるが、手で草取りするのは数倍時間がかかる。「パセリ」はなんとか冬越しできたものの雑草に埋もれている。


     
 したがって、畝で育った雑草の茎は太く大きく、パセリはひ弱な姿だった。これからが本番だ。頑張ってもらわなければならない。


             
 ブロッコリーの畝にも雑草軍団の包囲にビビっていた。まだブロッコリーは葉だけだが、ブロッコリーもこれからが本番だ。


             
 雑草を除去するときは意外に力が必要になる。これを黙々とやっていると疲れるのでときどきモズに話しかける。しかし日本語はわからないようだった。これでブロッコリー畑らしくなった。
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TVケーブルを集落で保守・点検する

2019-03-17 20:25:40 | 出会い・近隣
 わが集落のテレビは地域住民による組合が一部管理している。中山間地なのでテレビケーブルに樹木の枝が突風や台風のときに揺れて接触することがときどきある。すると、画面がブツブツ切れたりひどいときは見えなくなってしまう。そのため1年に1~2回そのケーブルを集落あげて保守点検する。


                
 集落の仲間から柄の長いチェンソーを持ってきてもらって、接触樹木を伐り出す。樹を切断にともないケーブルが切れてしまわないよう注意する。足場が悪くしかもチェンソーが重いのでけっこう不安定な姿勢になってしまいながらも、枝を少しづつ伐りだしていく。

  
 切断した枝がチェンソーを動かしている人に当たりそうに見えたが、さすが山仕事に慣れているプロの存在も大きく粛々と作業が進められた。

      
 樹の根元近くまで切断する。それによりケーブル下を歩けるよう道も作っていく。集落の12世帯から10人が集まる。病気で来られない3軒を除きほぼ全戸が集結したことになる。都会では考えられない作業だ。

         
 最近、チェンソー事故が続いているので作業する人はヘルメット着用を心掛けている。ケーブルにかかりそうな箇所は約10ヶ所近くもあった。柄長チェンソーの活躍はもちろん、木に登って鋸で伐ったりして危ない灌木・枝は除去された。


            
 ケーブル下に鬱蒼と生えてしまった竹や乱雑に伸びてきた灌木を伐りだしたりしながら、100mほどのジャングルに歩道を作っていく。これらの作業を業者に頼んだら数十万円かかるかもしれない。それを自前でやってしまうところに過疎をかかえながらも健全な地域力が秘められている。それは作業が終わってからのご苦労さん会が7時間もかかっているところにもみられる。もちろん、酒とつまみを楽しみながら愉快な脱線談論が果てしない。

 
          
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湧き水復活!

2019-03-16 20:53:15 | 風景
 国道沿いに湧き出ていた湧水がついに復活。しばらく枯渇していた湧水がこのところの雨量の効果か、それぞれの湧き口から以前の通りに「透明」な恵みを流し続けていた。水の国・日本が戻ってきたのだ。やはり異常気象は人間の暮しへの影響力が大きい。(2019/1/26ブログ参照)


 
 よく見ると、石垣の隙間からも湧き水が出ているのもわかった。この場所には水汲みに来る人が複数で群がる光景がよく見られたが、しばらくそれは見られなかった。きょうも人影がなかった。きっと、復活の情報が伝わっていないために違いない。それはともかく湧き水が復活したことでホッとする。
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辛い農薬を作る

2019-03-15 21:46:32 | 農作業・野菜
 霜の害にあって収穫を放置していたトウガラシを炬燵で乾燥させていたものを、「ミルサー」で粉末にする。これは食用にはせず自然農薬にするつもりだ。アブラムシやホコリダニ等に効果があるようだ。DASH村でも作ったようだが、コーヒー・茶殻、ニンニク、ショウガ等をはじめ6種類も投入する自然作物が多くて、簡便ではない。

                       
 このトウガラシの粉末に水と焼酎や木酢液などを入れて散布するつもりだ。スプレーが詰まってしまうことはないか心配だけど、効果はやってみないとわからない。少なくとも作物や環境に優しい自然農薬であることを期待したい。
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文学は何しているか、戦後も今も

2019-03-14 21:42:19 | 読書
 中国文学者の竹内好が戦後間もなくの1950年代前半に提起した「国民文学論」は、伊藤整・野間宏・桑原武夫・蔵原惟人らを巻き込んで当時の文学界を揺るがした。本棚の奥に埋もれていた、民科・芸術部会編『国民文学論/これからの文学は誰が作りあげるか』(厚文社、1953年4月)を読んでみた。当時はGHQの占領下を経験したり、日米安保条約・日米地位協定調印、冷戦の始まりなど戦後日本の骨格を決定される時代だった。


              
 ちょうどオイラが小学校に通って間もないころだ。レッドパージも吹き荒れ、松本清張の「黒い霧」シリーズに出てくる怪事件も頻発していた敗戦国日本は、加害者責任を問う論議をあいまいにしたまま経済第一主義に走っていく。そんななかで竹内好らは、明治から戦前までの日本の文学の私小説に見られる狭隘さと文壇の高踏主義・戦争責任を問うものでもあった。
 本書はとくにプロレタリア文学の階級史観にもとづく側からの論説が強かった。

        
 伊藤整ら近代文学系の作家・評論家は、欧米型の近代的主体の確立を重視し、「プロ文」系の作家・評論家は要するに文学に対する政治の優位性を主張していた。竹内好は、政治に対する文学の自立性を擁護するとともに大衆文学と純文学との乖離を埋めるものとしての「国民文学」を提唱したものだった。

             
 しかし、誌上のシンポジウムの発言で「実は聞いていて話があっちにいったりこっちにいったり、つかもうとしてつかめない」という古川清氏の感想が、ぴったりオイラの感想でもあった。結局、いろいろな人が登場するがそれだけに散漫になっていく印象がぬぐえない。同時に、本書では元気だった「プロ文」系作家はその後、作品の上でも評論の上でも退潮がはなはだしい。

             
 竹内好が提起した国民文学は成就しなかったかもしれないが、それを生み出すほどの作品が出現せず、いまだ文壇文学の既定路線変わらずということか。70年近くたったのに、彼が言わんとした提起にまだ答えていないのが現状だ。その文学の脆弱さは景気第一主義・平和ボケポピュリズムのいまの風潮に吸収されているからだろうか。
 なお、国民文学に匹敵する作家としては北村透谷・島崎藤村・石川啄木・夏目漱石らが共通してあげられていた。    

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ぶどうジュースが山梨から到着

2019-03-13 21:18:01 | 出会い・近隣
 先日、誕生日祝いとして娘からぶどうジュースが山梨直送でどっさり届く。持ち上げるとけっこう重い。考えてみると一緒に旅行したりホテルに泊まったことは皆無だった。むしろ、テントと野外用具を持ってキャンプ場で泊ったことはある。しかしそれも子ども会のキャンプで親子ではなく、こちらはリーダー、娘はみんなと同じ班員、忙しくて会話すらできなかった。つまり、親らしいことはつねにできなかった関係の歴史だった。


                        
 ジュースが到着してまもなくついぐいぐい飲んでしまってあわてて制御する。市場にあまり出回らない「葡萄100%粗濾過果汁」は関係者しか知らないものだったようだ。それを「保存料無添加」で製品化し、モンドセレクションを3年連続で金賞を受賞している。そんな貴重なジュースはバレンタインチョコ以上にうれしい。ポリフェノールたっぷりのジュースを飲んでどろどろの血液をサラサラにしていきたい。いつ死んでもいいと思っていたがおかげで生きる欲望が少しは出てきたぞ。ありがとう。
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フキノトウはやはり天ぷら

2019-03-12 19:59:25 | 食彩・山菜・きのこ
 なんだかんだ大量に採れてしまったフキノトウを天ぷらにすることにする。いままでいろいろ調理をしたものの、やはり天ぷらの味がいい。


   
 近所にもおすそ分けして、食べ過ぎないように注意する。山菜は食べ過ぎると舌が痛くなるし、油分の取り過ぎが心配だ。まだまだフキノトウは芽が出ているがこれで終わりにする。採り過ぎるとやはり生命力は弱ってしまう。

          
 ついでに、掘りとったキクイモの素揚げを残りの油で挑戦する。菊芋の旨さが「ポテチ」のようなお菓子感覚で食べられる。これもついつい、食べ過ぎてしまうのでこれも近所におすそ分けする。畑では「のらぼう菜」がずいぶん伸びてきた。さっそく味噌汁に入れて春を堪能する。
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