山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

文学は何しているか、戦後も今も

2019-03-14 21:42:19 | 読書
 中国文学者の竹内好が戦後間もなくの1950年代前半に提起した「国民文学論」は、伊藤整・野間宏・桑原武夫・蔵原惟人らを巻き込んで当時の文学界を揺るがした。本棚の奥に埋もれていた、民科・芸術部会編『国民文学論/これからの文学は誰が作りあげるか』(厚文社、1953年4月)を読んでみた。当時はGHQの占領下を経験したり、日米安保条約・日米地位協定調印、冷戦の始まりなど戦後日本の骨格を決定される時代だった。


              
 ちょうどオイラが小学校に通って間もないころだ。レッドパージも吹き荒れ、松本清張の「黒い霧」シリーズに出てくる怪事件も頻発していた敗戦国日本は、加害者責任を問う論議をあいまいにしたまま経済第一主義に走っていく。そんななかで竹内好らは、明治から戦前までの日本の文学の私小説に見られる狭隘さと文壇の高踏主義・戦争責任を問うものでもあった。
 本書はとくにプロレタリア文学の階級史観にもとづく側からの論説が強かった。

        
 伊藤整ら近代文学系の作家・評論家は、欧米型の近代的主体の確立を重視し、「プロ文」系の作家・評論家は要するに文学に対する政治の優位性を主張していた。竹内好は、政治に対する文学の自立性を擁護するとともに大衆文学と純文学との乖離を埋めるものとしての「国民文学」を提唱したものだった。

             
 しかし、誌上のシンポジウムの発言で「実は聞いていて話があっちにいったりこっちにいったり、つかもうとしてつかめない」という古川清氏の感想が、ぴったりオイラの感想でもあった。結局、いろいろな人が登場するがそれだけに散漫になっていく印象がぬぐえない。同時に、本書では元気だった「プロ文」系作家はその後、作品の上でも評論の上でも退潮がはなはだしい。

             
 竹内好が提起した国民文学は成就しなかったかもしれないが、それを生み出すほどの作品が出現せず、いまだ文壇文学の既定路線変わらずということか。70年近くたったのに、彼が言わんとした提起にまだ答えていないのが現状だ。その文学の脆弱さは景気第一主義・平和ボケポピュリズムのいまの風潮に吸収されているからだろうか。
 なお、国民文学に匹敵する作家としては北村透谷・島崎藤村・石川啄木・夏目漱石らが共通してあげられていた。    

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