戦後の思潮は、イデオロギーから現実を解釈する傾向が強かった。それを過疎の村から論壇に異議申し立てをさりげなく提起したのが哲学者・内山節だと思えてならない。(内山氏の画像は、森づくりフォーラムHPから)
一昨日紹介した『里の在処』(農文協)で、著者の内山節は「武蔵野から山中谷(サンチュウヤツ)へと向かう景色のすべてに里の景色があり、里に暮らす人々の営みの景色があるという安心感に支えられていることを発見する」と、時間が逆流する感覚に心地よい懐かしさを見出していく。
とは言っても、村にバイパスが開通すると従来のゆったりした時間が壊され、「村もまた効率性を無視できない時代のなかに巻きこまれていた」とも指摘する。「自然の循環は、村人の営みの循環と一体化している」が、その関係が危なくなってきている。
「現代世界全体を見渡せば、自然が怒る理由などいくらでもある。人間たちは、何かを間違えたのかもしれない」と、内山氏らしい言葉でやんわり人間世界を揶揄する。
「この世界の基準では、能動的な働きかけと変革こそが善であった。…ところが、ここではその自然が機嫌が悪いときは、機嫌のなおる時を待っているのが一番よい。山里で自然と人間が結んだ約束は、変革ではなく、自然と人間が永遠に無事な関係を維持していこうということである」として、欧米の近代化路線や戦後日本の効率化がもたらす自然や田畑の衰退を静かに告発する。
山里に暮らすようになってから著者は、「真理は一つという考え方から、真理は見方によって変わるという精神を受け入れ始めた瞬間に、私はここで暮らそうと思うようになった」という。以前、ゴルフ場建設の話もあったが、「ゴルフ場は都市の論理でつくられるもの」であり、「そこに雇われても、都市の人たちのための奉仕係」ではない、と断じる。
共同体研究を総観して著者は、1960年までは共同体は近代化の桎梏として解体の対象と捉えられたが、70年代では共同体の必然性と必要性が提起されたことをふまえ、上野村の経験からそれら否定・肯定説は現実には合っていないとする。共同体は多層的でそこは矛盾にも満ちており、村の記憶や歴史が示してきたことをふまえて自然に「折り合い」をつけてきたのが実態だったのではないか、という。そこに内山氏「折り合い」理論とでもいう独自の思考をみる。
本書を読んで改めてオイラの居住いを糾された気がする。というのは、従来の古い共同体は進歩を阻害するものと長らく思っていた。それが十数年前出会った町会が作ったNPOの可能性に目を開かされた体験と本書の内容が重なったのだ。
著者が学んでいることは、「学問の中から近代的な知の回路を捨て去ってしまわなければ、農業近代化に抵抗してきた村の農民たちと、…本当の意味で時空を共有することはできなかった」という記述に窺われる。本書に出てくる村の固有名詞の住民への優しいまなざしと、エッセイ風な文脈に貫かれたやわらかな哲学に心を奪われた。横文字がふんだんの難解な西部邁と村人に心寄せる釣り師の内山節との違いとが見えてきた本書でもあった。