先月の19日に雪が降り、開花準備をしていたボケは蕾のままだった。現在地に「入植」してあっという間に17年を数える。当初、スローライフを標榜していたが忙しい日々に追われるも、マイペースを保持していたのでなんとか生き延びている。わが家の入り口には大きな「イチイ」の針葉樹と1mくらいの「ボケ」が植わっていた。イチイの日陰に居たボケはしばらく目立たないままだったが、10年目くらいからその鮮やかな朱色のささやかな開花が楽しみになってきたのだった。
それがこの5~6年、太陽に向かってぐいぐいと枝を伸ばし始め、花数も多くなってきて、それがまた春の到来の合図ともなってきたのだった。 それとともに、枝の奔放な伸長は通行の障害にもなりつつあったので、枝の一部を挿し木にしてみたのだった。すると、意外にも丈夫に育つこともわかってきたし、早く花も開花するのも確認できた。ただし、シカはその樹皮が好みだったようで、ことごとく折られたり枯れたりして散々だった。
夏目漱石は小説『草枕』の中で、「木瓜は花のうちで愚にして悟ったものであろう。世間には拙を守ると云う人がある。この人が来世に生れ変るときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい。」と語らせている。「拙(セツ)を守る」とは、「世渡りの下手な自分の性質を守ってしいてうまく立ち回ろうとしないこと」(「漢語林」から)とあり、漱石らしい生きざまが出ている。
織田信長の家紋の一つに「織田木瓜」(オダモッコウ)という家紋が使われた。この木瓜紋は、鳥の巣を図案化したものとも言われていて、鳥がたくさん卵を産む事から子孫繁栄を表すという。武将が好きな家紋の一つで、十大家紋に選ばれるほどの人気ある家紋でもある。
さて、そのボケは「イチイ」の下の日陰に居たものの、なんと今はイチイの樹冠の上に進出していたことに気が付いた。風雪十数年、ボケはじっと耐えながらも、貴族や皇族が儀式のとき持つ「シャク」の原材料である「イチイ」(一位)の木をついに超えてしまったのだ。なんという奇跡だろうか。なんという生命力だろうか。ちっとも、ボケていなかったのである。