十歳代のときだろうか、西部劇の娯楽作品という記憶があるジョン・フォード監督の「黄色いリボン」。これを久しぶりにDVDで観る(1949年制作、日本公開は1951年) 。制作された時代は、朝鮮戦争が開始され、日本経済は朝鮮特需で立ち直る。政治的には左右のぶつかり合いが激しく対立する時代でもあった。貧乏生活の中にいたオラたちは、珍しいテレビの前で力道山のプロレスとかドイツ兵をやっつける米軍隊のドラマ、それに格好いい西部劇とかで憂さを晴らしていたわけだった。鬼畜米英からコロリと忠犬になってしまった日本は、経済的にも文化的にも精神的にもアメリカのパシリの道に転げ落ちていく。西部劇ブームもその延長線上にあった。
退役を六日後に控えた大尉(ジョン・ウエイン)は、自らが指揮を執るシャイアン族掃討作戦に向かう。騎兵隊vsインディアンという図式の典型的な西部劇ではあるが、今思えば、白人が先住民である「インディアン」を排除し、アメリカを占領した歴史を正当化する映画でもあるのは確かだ。しかしなぜ、「インディアン」が命がけで戦いを挑んだのか、という問いにはアメリカ人のほとんどは答えられない。それはパレスチナ人がなぜテロを起こすのかという問いもやはりアメリカ人のほとんどは答えられない。
ところで、「黄色いリボン」の意味だ。愛する人が戦場へ出征したので、その安否と無事の生還を祈って黄色いリボンを身につけるという象徴が、この映画のもう一つのテーマだ。アメリカ民謡の原曲 “She Wore a Yellow Ribbon” (=あの女性は黄色いリボンをつけていた)が効果的に使用され世界的に流布され、オラの鼻歌にもなったくらいだ。
白人とネイティブインディアンとの戦闘場面をやや抑えて女性をめぐる愛の行方を入れつつ、大尉退官の花道を飾るという欲張りで複合的な構成にしている。戦闘場面だけに終わらせない監督のそのへんは、社会派でもあるジョン・フォード監督らしさが匂うが、勝ち組アメリカンの「余裕」や「ユーモア」は、格差や差別への問いに向かったのだろうか。
(イラストは和田誠)
確かに、大尉は騎兵隊とネイティブインディアンとの全面衝突を回避し、相手の馬を解放させることで戦意を挫く作戦はホッとさせる場面でもある。しかもその全力疾走の逃げる馬の迫力、さらには戦闘場面での乗馬術は圧巻だった。それは、「ビュート」と呼ばれる壮大なモニュメントバレー特有の地形を背景にしたロケ地だった。これらの実績で、アカデミー撮影賞も獲得している。
このロケ地はジョン・フォードポイントと呼ばれる場所でもある。もともとこの地はナバホ族の居留地だったが、1920年代、生活に困っているナバホ族のために、白人夫妻がハリウッドにロケ地として売り込むことで、フォード監督もナバホ族らに働いてもらった経過もあったという。
しかしながら、ネイティブインディアンと騎兵隊との関係は、現在のイスラエルとパレスチナとの関係に相似しているように思えてならない。アメリカの傲慢な因子が未だ当時の西部劇からトランプ大統領カムバックにも延々と流れていることを今にして思わざるを得ない。