50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

いい加減さと、優しさと。

2007-09-20 01:08:54 | パリ
先週末、長い長い航海ならぬ工事の果てに、ようやくメトロ6号線がモトピケグルネル駅(La Motte-Piquet Grenelle)に停まるようになりました。これで、10号線や8号縁に乗り換えられます。でも・・・


そう、いつものように、でも・・・なのですが、このプラットフォーム、今でも工事は続いています。9月13日までは工事のため6号線はこの駅を通過、ということだったので、14日には停まるようにした。でも、まだこのありさま。しかも、6号線の他の駅では、注意のアナウンスが・・・

「モトピケグルネル駅では、6号線と8・10号線とをつなぐ連絡通路は閉鎖されています」・・・ということは、いったん駅の外に出て、他の路線の入り口から入りなおさなくてはいけない。面倒。と思ったのですが・・・


この通り、連絡通路は通じています。但し、高架になっている6号線のプラットホームへ直接行けるエスカレーターがまだ修理中というだけ。階段を厭わなければ、きちんと連絡されています。こうした現状を知ってか知らずか、もう1週間になろうとしているのに、連絡通路閉鎖のアナウンスは続いています。部署間の横の連絡がなく、それぞれが自分の判断で行動。よくあることです。

上層部が決めたことも、現場はそれぞれの判断や都合で勝手に行なう・・・もう一つの例が、学食(レストU)。この秋から専用カード「モネオ」で支払うようになったのは、ちょっと前にご紹介しました。ポール・ロワイヤルにある学食は、すでにカードに切り替わっています。経過処置で現金支払いもOK。以前のチケットはなくなっています。それが・・・

今週ようやく長い夏休みからオープンしたマビヨンの学食に行き、カードで支払おうとしたら、ダメ! カードの読み取り機が準備できていない。そこで、現金で払おうとしたら、1階でチケットを買って来い、現金はダメ! 同じCROUSが運営する学食とは、とても思えない、この違い。どうして、こうも違うのでしょう。個性の発揮と言えばカッコいいですが、要は、それぞれが勝手にやっている。利用者にとってはいい迷惑。何とかならないのか、と思いますが、これがこの国のやり方。この個性というか、いい加減さに合わせなくてはいけないですね。仕方ありません。

でも、この国には、いいところもたくさんあります。たとえば、優しい人たちがいます。仕事はいい加減かもしれないですが、困ったときに差し伸べてくれる優しい手・・・例えば、私が3階にある学食のレジでチケットじゃないとダメ、と言われたとき、後ろに並んでいた女子学生が、「チケット余分に持っているから売ってあげるわよ。」助かりました。1階まで行って列に並んでチケットを買って戻って来る。その間には料理も冷めてしまう。本当に助かりました。困っている人を助けてくれる、そんな人が多くいます(自分がちょっと親切にされたからといって、急にこんなことを言って、とお思いじゃないですか・・・その通りです!)。他にも、例えば、乳母車の人を階段の手前で見かければ、必ず持ってあげる人がいます(これ、私もやります、相手によりますが)。

そして、私が親切を受けた同じ日、学食入り口で、いかにも路上生活者といった感じの老人に、チケットを上げる学生がいました。幾日も何も食べていないんだ、とでも言われたのでしょう。無視しようと思えばできるのに、チケットをあげていました。

赤いブルゾンの後姿がその老人なのですが、これで今日は食事にありつけたようです。

現場の仕事はいい加減ですが、心根の優しい人たちがいる。いろいろ不満もありますが、この国を嫌いになれない一因です。一方、仕事はてきぱき、でも、数を頼りに弱者を苛め抜く。路上生活者は面白半分に殺してしまう・・・。もちろん、我が祖国、日本にもいいところがたくさんあります。でも、嫌なところも。それぞれの国に、それぞれのいい点とそうでない点と。いいとこ取りは、できないものでしょうか。無理ならせめて、直したほうがいいと思うことからは目をそむけないようにしていたいものです。

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演劇・・・ここにも、日本の文化。

2007-09-19 00:34:00 | パリ
フランス人は、芝居好き。たとえば、情報誌(l'officiel des spectaclesなど)を見ても、最初に紹介されるのが、芝居のスケジュール。しかも、劇場の数が多い。パリ市内だけでいくつあると思いますか。なんと80以上の劇場が、上演を行なっています。もちろん、伝統や規模はさまざま。でも、どこでも、舞台の熱気はすごい!


(シャイヨー劇場の新シーズンのスケジュールを紹介する広告、16-17日付のル・モンド紙、左上がこのシーズンのシンボル・デザイン、アップにすると・・・)

(見方によっては、いろいろな感想が・・・)

古代ギリシャやイタリアの芝居の模倣から、やがて17世紀のラシーヌ、コルネイユのフランス悲劇の完成へ、そして同時期のモリエールによるフランス喜劇の誕生。長い歴史を持つフランス演劇界なればこそ、外国からやってくる演劇人も多くいます。パリにいついた演劇人、あるいは、パリに住むまではいかなくても頻繁に公演活動を行う外国の演劇人たち・・・

そうした中に、日本からの劇団、あるいは作品がフランスの劇団によって上演される日本の劇作家もいます。たとえば、平田オリザ。1998年頃からフランスでも知られるようになった劇作家なのですが、特に2006年のアヴィニョン演劇祭で上演した『ソウル市民』は大好評、一気に人気作家になっています。こうした背景があるからでしょうか、日本の近代演劇の流れを紹介した記事が、9-10日付のル・モンド紙に出ていました。


(見出しは、「日本、仮面を取った演劇」)

一面を使った記事だけに、日本近代演劇の歴史、特徴が実に詳しく紹介されています。これを読むだけで、その概略がわかってしまうほど。

能や歌舞伎といった日本伝統の芝居に新しく西洋演劇の影響が加わり、「新劇」が誕生する。1924年に小山内薫と土方与志によって築地小劇場が誕生。自由演劇の写実主義やイプセン、チェーホフの心理的自然主義演劇の刺激を受けていました。1937年には文学座が。そして、伝統演劇の仮面や衣装を脱ぎ捨て、日常生活に即した演劇が行なわれるようになりました。

戦後、1950年代、社会変革の動きに合わせたかのように、アングラ劇団が登場する。ブレヒトやアルトの影響を受けた鈴木忠志などがその中心で、西欧の前衛演劇と日本の伝統の融合を目指したものだった。全身を白く塗って上演を行なうbuto(舞踏)もこの頃生まれる。アングラ劇の特徴のひとつは、俳優の肉体を中心にすえたことで、能の観世栄夫ら伝統的演劇人たちをも惹きつけた。そして時代の寵児となったのは、寺山修司率いる天井桟敷。単に文化現象ではなく、社会現象となっていた。

次の世代には、野田秀樹がいた。政治的メッセージは影を潜め、過剰な衣装や舞台装置が観客から受けるようになっていた。そして、バブルの成長とともに、小劇場ブームとなる。その背景には、マンガ、アニメなどのサブカルチャーの影響がある。ここにきて初めて、日本演劇は、外国演劇の影響からではなく、自国内の他の文化の影響を受けて新たな潮流を生み出すようになった。そして、こうした流れの中から平田オリザが登場し、その後に岡田利規らが続く。特に平田オリザのばらばらなものの間に成立する均衡、日常の些細な出来事の積み重ねという新しい演劇手法は、人々に大きなショックを与えた。

今、東京には数え切れないほどの小劇場がある。下北沢、新宿、銀座・・・たとえば2005年には、1,500以上の劇団が2,000以上の上演を行なった。すごい隆盛だ。しかし、問題がないわけではない。小劇場ブームは東京だけで地方への広がりがない。また、バイトの掛け持ちをしなくてはやっていけない現状から、新しい才能の出現が難しい。

よくまとまった記事です。この中で特に注目したいのは、1990年代に入り、ポップカルチャーの影響の下、新しい演劇が生まれてきた、ということです。単に外国演劇の後追いではない。「日本」の中から生まれてきた新しい演劇。そこには、日本のオリジナリティがある。その独自性ゆえに、かえって普遍的である。そうです、西欧の真似をしていては、決して普遍的にはなれない。オリジナルであるからこそ、普遍的になれる。そのことを、バブル以降の演劇が身をもって示してくれています。オリジナルであるからこそ、平田オリザらの演劇が、西欧でも注目され、評価されている・・・。

マンガ、アニメ、ロボット、ファッション、キュイジンヌ(料理)、携帯(利用法)、そして、演劇。経済大国なれど政治小国といわれていた日本。今や、政治でも経済でもなく、ポップカルチャーを中心とした文化の国、文化いづる国としての評価を、少なくともフランスでは受けるようになってきています。21世紀の新しい「日本像」の一端を垣間見るような気がします。いいぞ、日本!

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街角ストーリー。

2007-09-18 00:14:41 | パリ
街角には多くの人が行き交い、そこにはドラマも生まれます。といっても、素敵な物語ばかりではありません。ビックリする、あるいは意外な出会いもあります。今日は、二つご紹介しましょう。どうして、二つか・・・合わせて一本! そんな内容です。気楽にお読みください。


①商売、商売

パリの下町とか、中華街とか言われるベルヴィルの街角。


民族衣装をまとったこのアフリカ系の女性、先ほどから、ぶつぶつと何か言っています。ショーバイ、ショーバイ・・・商売? 近づいて、よく聞いてみると、ショーマイス、ショーマイス。あっ、なるほど、“chaud mais”・・・温かいとうもろこし。とうもろこし売りのおばさんなんですね。でも、肝心の、とうもろこしは? ちょうど、客が来ました。おもむろに足元の大きな袋から1本取り出して、はい50サンチーム。茹でたとうもろこし1本が約80円です。どうして、商品を見せていないか。たぶん、営業許可を取っていないのでしょうね。でも、こうしたおばさん、何人かいて、買う方も、特に気にせず買っていきます。

そして、夕方、人出がさらに増えると・・・

こうした、おじさんたちの登場です。スーパーのカートに、昔の七輪のようなものを乗せて、その上でとうもろこしを焼いています。

こちらも1本50サンチーム。でも、カメラなんか持って、いくらって聞くと、答えは、1ユーロ。でも、じゃ要らないと言って立ち去りかけると、いきなり50サンチーム! 80サンチームとか言わないあたりが、可愛いところです。

街角のとうもろこし売り、もうすぐすると、焼き栗売りに。カートに乗せて売るのも同じスタイル。でも、せっかくのパリの焼き栗売り、できれば、もう少し風情のある売り方を! と思うのですが、うるさい、格好より商売、商売、と言い返されそうです。


②街角で、チェッ。

な~んだ、次はキスの話題か、以前読んだよ。そう思われた方は、もう一度、タイトルをご覧ください。街角で、チェッ。チュッではなく、チェッ。なにが、チェッ?



文字どおりの街角、あるいはメトロの駅の通路など、角を曲がったところで、出会い頭にぶつかりそうになったことはありませんか。そういう時、こちらの人はどうするのか。特にパリジェンヌの一部にいるんですね・・・チェッ。つまり舌打ちするんですね。

それを聞くと、しばらく不愉快になってしまいます。チェッ、チェッ、チェッ・・・あ~嫌だ。でも、こちらの人はそれを聞いても嫌な思いはしないのでしょうか。

何人かに聞いてみました。やはり、いい気はしないそうです。もちろん数人に聞いただけですから、気にしないという人もいるでしょうが、気分のいい人はいないのではないでしょうか。



ということは、相手が不愉快になることを知った上でのチェッ。さすが、意地悪で名を馳せる、一部パリジェンヌたちです。面目躍如。せっかく、親切で、いいパリジェンヌもいるのに、これだから、イヤになってしまいますよね。こんなチェッよりは、見飽きたと言いながらも、チュッの方が、まだしもですね。

二都物語ならぬ、二街角物語のご紹介でした。

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夏の思い出、小さな旅―1

2007-09-17 00:44:48 | フランス
この夏訪れた、街。パリからの小さな旅。いくつかご紹介しましょう。

まずは、アンジェ。パリから西へ300km。TGVで1時間半の距離のところに、アンジェの街があります。ロワール地方に属するメーヌ・エ・ロワール県の県庁所在地。人口およそ15万人。周辺地域を含めたアンジェ圏で約26万人。古い歴史を有する町ですが、今ではアンジュー・ワインやリキュールなどの農産品はもちろん、エレクトロニクス関連など新しい産業も発達しています。

アンジェは、紀元前、漁師や猟師たちの住む小さな集落でした。やがて、ローマ人、ノルマン人などに支配され、その後はイギリスとフランスとの間を振り子のように揺れ動いてきました。そうした歴史をもつこの街がアンジュー公国となったのは、1246年。聖王ルイが弟のシャルルにこの地方を与えたのがはじまり。しかし、時あたかも百年戦争の最中。正式にフランス領となったのは、1258年。そして1480年、善王ルネの死をもって幕を閉じるまで200年以上、アンジュー公国の首都として栄えました。

今日、この街の観光の目玉となっているのは、メーヌ川沿いにそびえるアンジェ城。

基礎は、聖王ルイによって1228年から10年の歳月をかけて造営されたものです。

(説明用の模型です)
ロワール地方に建つ城ですから、華麗なイメージをいだきがちですが、上の写真でお分かりのように、隣国ブルターニュ公国からの攻撃に備える軍事目的の城として作られました。

城壁には高さ30m以上の塔が17基あり、矢狭間が取り付けられていて、いかにも戦いの城といった面構えです。


しかし、14・15世紀にはナポリ王を兼ねた王たちにより華麗な建築様式がつけ加えられ、華やかな社交が繰り広げられたそうです。今では、庭園、礼拝堂、王室居住棟など戦いとはかけ離れた施設を城壁の内部に見ることができます。

(礼拝堂のステンドグラスです)

さて、この城の最大の見ものは、最古にして最大のタピストリーといわれる『ヨハネの黙示録のタピストリー』です。

高さ5m、幅130mという壮観さ。アンジュー公ルイ1世が竪機職人ニコラ・バタイユに依頼したもので、1373年から1383年にかけて制作されたのではといわれています。15世紀から18世紀途中まではすっかり忘れ去られていましたが、19世紀中ごろから修復されて、今日に至っているそうです。

こうした図柄が70面以上。新約聖書の最後にある聖ヨハネの黙示録(新しい世界へ移る神の啓示)を見事な構図、豊かな装飾性で織り成しています。まさに圧倒的な美です。

建設当初、城壁には屋根が備えられていたそうですが、宗教戦争時に取り除けられてしまいました。しかし、城壁自体は破壊を免れて、その雄姿を今も見せてくれています。その城壁の上、今では、素敵な使われ方をしています。

このように30mもあろうかという高い城壁の上は、いまや一面の緑に。コーナー部分は、きれいな花畑。

そして、狭い通路部分は、なんとブドウ畑。城壁の上のブドウ畑です。

とびきりのアンジュー・ワインが生まれるのかもしれないですね。

アンジェの街は城でもつ・・・とはいっても、それ以外にももちろん見所はたくさんあります。ちょっと間をおいて、次回、いくつかご紹介しましょう。

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先人たちの知恵―20

2007-09-16 00:25:08 | 先人の知恵
今回ご紹介するのは、鈴木康司氏著『パリ日本館からボンジュール』。1987年刊ですから、20年前の出版です。著者の鈴木康司氏は、東大卒の仏文学者で、長らく中央大学で教鞭をとられました。ご専門は、モリエール、マリヴォー、ボーマルシェを中心としたフランス演劇で、フランスには、給費留学生として、研究者として、そして1984年から86年にはパリ国際大学都市日本館館長として、三度長期滞在されています。この本は、日本館館長として2年滞在された間と帰国後に書かれたものをまとめられたものです。フランスを見つめる視点、フランス社会の変貌、専門、趣味などについて、一般の読者にもわかりやすく書かれています。ただし、私の関心のある分野を中心に引用させていただきました。例によって長い引用ですが、最後までお付き合いいただければ幸いです。


(現在のパリ国際大学都市日本館の外観)

・日本のインテリの中には、フランスに行くとフランスを賛美し、日本の悪口を言い、帰国すると一転してフランスをけなして、日本万歳を唱える不思議な人物がいる。私としては、そのような無定見を避け、できるだけ公平に彼我の長所も欠点も認めたつもりである。自国にいて己の国を賛美するのはたやすいが、ひとつ間違えば井の中の蛙にもなりかねない。耳触りのよい美辞麗句で生まれた国を美化し、国粋主義をあおり立てるよりは、他国をかえりみて自国のあり方を反省する方が、よほどましではないかと思う。ただし、国内で国、国とやたら愛国を振り回す輩もさることながら外国へ出た折に自国の悪口をしゃべりまくる連中を私は信用しない。職務柄とはいえ、私としても日本のよさを訴え、フランスに好意的な外国人としてフランスを批判することをしてきたという自負は持っている。

・フランス人がいかにおしゃべりな国民であるかは、この国に在留するすべての日本人の、感嘆久しくするところだろう。(略)フランスの学生たちは、誰も彼も、他人より一言でも多く、巧みに語り、他人の言にはたいして耳を傾けないのをもっぱらにしているように思えたからだ。(略)この饒舌こそフランス的雄弁術の基礎だということだ。まさに、「初めに言葉ありき」Au commencement etait la parole.なのだ。(略)討論会に出席する人々は、まず、デカルト的明晰さをもって、整然と自説を展開する。ところが、ひとたび討論開始となるや、司会者の割って入る余地もあらばこそ、各自がてんでに、勝手な説をがんがんと主張し始める。私の印象では、いちばん強引に、いちばん長々と自説を展開し、他人の意見に耳を貸さなかった者が、勝利を得るといった感じなのだ。「強者の論理は常にいちばん正しい」La raison du plus fort est toujours la meilleure.のだろうか。

・この国では、自説を論旨明快に直截な表現で述べること、人より一言でも多く説得的に語ることが、他人から評価される基になる。だから、会議や座談などでは、問題の所在も明らかで、自分が大方の主張と意見が同じなら、日本では、黙っていれば済むことでも、こちらでは、いちいち意思表示を明確にしておく必要がある。さもないと、あいつはものを考えない、内容のない人間だと思われかねない。だから、この国にいる日本人にとって、大切なのは、常日頃から確固たる意思表示に基づいた、他人とのつき合いに慣れておくことだ。

・パリのように、人種のるつぼといってよい都市では、風俗、習慣や文化の基盤が違う人間同士が出合うのだから、おたがいに黙っていては、何を考えているのか、どんな価値観の持ち主か、善意があるのか、悪意を抱くのか、それこそ、絶対にわからない。絶えず握手をしたり、ほおに接吻し合ったり、ほほえんだり、紋切り型のあいさつを交わすのも、相互にエールを交換して友好の意思を表わす必要があればこそなのだ。意思伝達のためのおしゃべりは、どんなにしても多過ぎることはない。

・日本人で外国生活を送る人間は、日本のことを知らしめるために、できるだけ口数を多くしたほうがよい。もちろん、そこには言葉の問題がついてまわる。しかし、発音の上手、下手を、それほど気にするには及ばない。子どもの頃から身につけたのでもないかぎり、所詮、外国語は外国語なのだ。要は、自分の心を相手に伝えようとする意欲と姿勢であって、文法的に多少おかしかろうが、たどたどしかろうが、たいしたことではない。第一、われわれだって、常日頃、文法的に100パーセント正確な日本語をしゃべっているわけではないだろう。会話と文章語だって、ずいぶん違う。フランス語も、その点は似たりよったりなのだ。

・たしかに、国内でこそ、寡黙は深い思考や謙譲、節度を表わす美徳であっても、一歩日本の外へ出れば、通用しなくなる。日本が昔から、外交下手で有名なのも、われわれ日本人に、自己を表現し、雄弁を振るい、自説を主張する習慣が、きちんと身についていないせいだろう。いろいろな国から誤解されたり、厳しい批判を受け、あまりにも閉鎖的だと攻撃されたりするのも、われわれが言いたいことの半分も言わずに済ませながら世を渡るべくしつけられているため、日頃から外国との意思疎通を上手に行なえないからでもあろう。「沈黙は金」などと気取っていずに、日本人がもう少しおしゃべりになり、そのかわり、口から先に生まれたようなフランス人も、もう少しむだぐちが少なくなれば、日仏コミュニケーションは、今よりももっと容易になるであろうというのが、私の結論である。


(日本館の玄関付近です)

・フランスという国のすごさは、立派な芸術家であれば、どこの国の出身者であろうと、暖かく見守り、育成し、自国の財産としてしまうところにある。スペイン生まれのピカソ、ルーマニア生まれのイヨネスコ、ロシア生まれのシャガール、日本生まれのフジタ、荻須、小澤、イギリス生まれのチャプリン。フランス国籍を取った者も取らぬ者も、彼らは、みな、フランスでその才能を認められ、開花し、世界に羽ばたいた人たちだ。フランスには、人類全体の財産となる芸術、文化に対して、それが外国産であろうとなかろうと、惜し気もなく金を出し、保護を与え、育てる、寛容な態度がある。

・最近の国際化の掛け声だって、われわれ日本人が非国際的民族でどうにもならないからこそ、ことさらお題目のように、みんなで唱えているのだろう。だが、もしも、国際化を本気でやるつもりがあるならば、こちらも相手の社会に溶け込む努力を傾けると同時に、相手をこちらの社会の内に、妙なかっこうをつけずに、取り込んでしまう度量と覚悟がなにより大切だ。

・日本人なら日本文化を愛し、誇りを持つのは当然だ。しかし、日本文化の優秀性を盲信し、他国の文化をおとしめたり、学ぼうともしなければ、そんな人間には、文化を語る資格はない。そもそも、それぞれの国の文化には、相違はあっても、絶対的な価値の優劣などありはしない。

・(註:ご子息がサッカーチーム、パリ・サン・ジェルマンのジュニアチームでプレー)スポーツはあくまで個人の生活を豊かにし、人生の楽しみとなるものだから、個人が主体的に取り組み、自分で絶えず頭を使いながら行なうのが当然と考えているフランス人に対し、すべてが道に通じ、修行に通じると称して、年長者の言には無条件で従わせ、コーチ、監督の言葉に絶対服従を強いるような学校運動部が主流を占める日本では、選手の自立心、主体性はなかなか確立されないのではなかろうか。

・(註:歌や演奏の途中での拍手などについて)とにかくフランス人というのは、目立ちたがり屋、よかれあしかれ注目を浴びたい連中が多い。車に乗れば人より少しでも先へ出たがるし、集団の中では自分が際立ちたいのだ。満場の客に先がけて、自分がまっさきに拍手する。それが、ちっぽけな虚栄心を満足させるのだろう。たとえ、他の客のひんしゅくを買い、迷惑を及ぼしても平気である。

・それにしても、洋の東西を問わず、マナーを心得ないのは、がいして、しつけの悪い若者ということになっているが、今回の滞仏では、中年以上のフランス人で非常識な人間が増えているのにはがっかりした。個人主義というのは、他人もまた自分と同じ権利を持つ個人であると認める点から出発するモラルだと、常々、思っているが、昨今のフランス人観客を見ていると、かつては個人主義だったのが、だんだん、たんなるエゴイストの集まりと化しつつあるように思われてくる。こらえ性とか、我慢、抑制とかいう言葉から、もっとも遠い存在、それが、現代のフランス人かもしれない。

・留学生は留学生で、外国人学生受け入れ機関の窓口が不愛想で、同僚同士おしゃべりばかりで、不親切で非能率この上ないとぼやく。誰も例外なく、頭に来るのは、地区警察や警視庁で滞在許可証を手に入れるまでの苦労であった。何時間も寒空の下を並んだあげく、窓口の係次第で、出すべき書類がくい違う始末。つっけんどんな対応にもぐっと耐えて、要求された書類を何日もかけてつくって行けば、今度は、そんなにたくさんの書類はいらないと突っ返される。前回来たときにこれがないとだめだと言われたのに、なんて言ったって、相手は例によって肩をすくめるだけ。自由、平等、博愛とは、いったい、どこの国の話だ。ああ、なんと遅れた、嫌な国に来てしまったのだ。というのが、この人たちの嘆きの結びになる場合が多い。たしかに、フランスの社会が不便で非能率的であるのは、私もいやというほど体験してきたから、そうではないと言うつもりはない。

・個人のモラルに帰する問題には、できる限り、国は口を出さない。成年に達した一人一人は、学歴、地位とは関係なく、同格なのである。何かというとすぐに警察がしゃしゃり出たり、お上に頼って規制してもらおうという自立心のない人々が多い、どこかの国とは違ってる。それだけに、この国は良くも悪くも大人の社会である。親がけんめいになって子供を甘やかし、犠牲になっている日本と異なって、フランスの学生たちは実に質素であり、親に寄りかかって見分不相応な暮らしをしているような連中は、まずいない。日本からの留学生だって、社会にいったん出て、自分で給料を貯えてから、目的意識をしっかり持って来た人々は、フランス社会の自由と責任という仕組みをすぐ理解し、足が地に着いた着実な生活を送る人が多いようだ。危ないのは、すねかじりの、甘やかされた人たちだ。

・この国の人々は、だからといって、決して冷淡ではない。

・個人主義の国、一人一人が自己主張をして、何かをまとめようと思っても、なかなかまとまらない国ではあるが、社会的不公正に対する怒り、弱者に対する思いやりを、はっきりした行動に移す若者が圧倒的に多いところは、さすがに、大革命によって近代的民主社会を生み出した国だけのことはある。

・・・・・・いかがでしたか。書き写すのがこれほど楽しいことはかつてなかったほどです。文化・習慣などには違いはあっても、優劣はない。自分の言葉で語ることの大切さ。個人主義と連帯。文化擁護の大切さ。そして、なぜ日本のサッカー選手が自分で考えてプレーできないのか・・・多くの示唆に富んだ、お勧めの一冊です。

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国豊かにして、民貧す~安倍首相辞任と日本社会。

2007-09-15 00:41:22 | マスコミ報道
安倍首相の退陣表明、フランスのメディアも早速伝えています。

rfi(radio france internationale)は、記者会見の1時間後(フランス時間の12日朝8時)には、すでにトップニュースで伝えていました。

そして、13日の新聞各紙。第一面ではないですが、国際面のトップニュース扱いです。


ル・モンド紙です。俯き加減な姿勢とやつれた顔。


フィガロ紙です。辞任を伝える号外と後任候補の麻生氏。


リベラシオン紙です。聞き耳を立てる記者たち。


メトロ紙です。生気の消えうせた表情。

各紙ともに、辞任の背景として、閣僚のスキャンダル、参院選での惨敗、海上自衛隊派遣の延長問題などを挙げています。後任としては、12日時点の情報を基にしているので、麻生氏有力と紹介しています。

ただし、イギリスやアメリカのメディアのように、構造改革が後退してしまうと声高に叫ぶことはしていません。アングロサクソン系とは、温度差があるようです。フランスのメディアのことですから、憶測で記事をまとめることはなく、後継内閣が成立した後に、この辞任劇の背景と経過、新内閣の課題、そして日本政治の問題点などをしっかり独自の視点で書いてくれるのではないかと期待しています。でも、そうではなくて、日本の政治など眼中になかったりしたら・・・

さて、これでお終いでは、せっかく読み始めていただいたのに、肩透かし。そこで、最近の日本をフランス・メディアがどう見ているか、一つの記事をご紹介することにしましょう。

経済成長を続ける日本経済・・・皆さんは、どう思いますか。いざなぎ景気を超える長期の経済成長。暮らしが、毎年豊かになってきていると実感していますか? フィガロ紙は次のように伝えています。



ちょっと古いですが、5日付の経済面です。今年第二四半期の設備投資が17四半期ぶりに対前年を下回った。経済を牽引するのは産業界であり、設備投資が落ち込むということは、経済の先行き感に不安が出てくるのではないかと思われている―――。

日本では消費活動には余り重きがおかれていないようで、内需は一向に好転しないが、省みられることも少ない。一部の都市部では好景気を感じさせるが、それ以外の地方では、全く実感できない。たとえば、自動車でさえ、国内販売が伸び悩んでいる。景気回復に浴しているのは企業であり、国民はその恩恵にあずかっていない。

また、いざなぎ景気を超える長期経済成長とは言うものの、1965年から70年にかけての経済成長率は二桁だったが、今の成長は、3%を超えることがない。

失業率は、男性で3.5%、女性では3.3%と、信じがたいほどの低い数字になっているが、これも不安定要因の上の数字だ。正社員が減り、パート・アルバイトが増えている。しかも、雇用を守るために、給与の減少さえ受け入れている。現に、ここ8ヶ月連続して平均給与が減少している。儲かっているにもかかわらず、企業はその利益を社員や株主に還元しようとしない。

企業がもっと社員に寛大であれば、消費が活性化し、内需主導の経済成長になるのに、という外国人アナリストの声も多い。


(先行き不安に加えて、少し戻しているとはいえ円の一人安。日本人の海外旅行、いつまで続くでしょうか)

デフレからもまだ完全には脱却していない。エネルギーコストの上昇にもかかわらず、物価は下げ止まっている。

そして、国民の多くは、老後が不安、増税に備えねば、といって、消費を控えている・・・・・・

昔の中国では、国破れて、山河あり、と詩人が詠いました。しかし、現代の日本では、「国=企業」栄えて、民貧す。フランス人記者からは、こう見えるようです。さて、皆さんは、同感ですか、それとも、見当違いな分析だと思いますか?

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正統派、日本料理店。

2007-09-14 01:06:28 | パリ
オペラ・ガルニエに近い、別名日本通りとも呼ばれるサン・タンヌ通りにはラーメン屋さんを中心に多くの日本料理店が軒を並べています。



そして、今や、昼食や夕食時には、外にまで行列ができるほどの人気ぶり。しかも、並んでいるのは、ほとんどが地元の人たち。日本食、しっかりフランスで受け入れられているようです。

しかし、オペラ地区はまだいいのですが、日本食がブームと見るや、パリのあちこちに、一見すると日本食、でも味わってみると似て非なる日本食レストランが、雨後の筍のように、次から次へと。


(提灯をぶら下げ、一見日本食レストランですが、実は日本・韓国レストラン)


(歩道に椅子テーブルを並べてありますが、メインは、テイクアウト)


(メニューです。寿司、刺身、てんぷら、串ものが中心ですね)

多くのフランス人が、初めて食べる日本食がそうした似非日本料理で、それに慣れてしまっては、日本料理の名が廃る・・・というわけで、正統派日本料理店のリストを作成し、ネット上や冊子の形で、フランス人に情報提供しようという動きが始まっています(ネット上では、www.cecj.frでご覧になれます)。

この情報は、以前日本のマスコミも紹介していたと思いますが、その印刷された冊子をたまたま入手しましたので、改めてご紹介しようと思います。


これがその冊子。今年の5月末時点で編集されたものです。パリ市内で51軒の日本食レストランと4軒のサロン・ド・テ。パリ郊外に2軒、その他の都市で14軒のレストラン。合わせて71軒。


このように、それぞれの店の特徴紹介や、経営者と料理人の名前、営業時間、メニュー料金などが紹介されています。

「オーセンティック(正統的)な日本食を提供するレストラン」を誰が選定しているかというと、「日本食レストラン価値向上委員会」という団体で、日本・フランスの有識者で構成されているそうです。しかし、オブザーバーが在仏日本大使館とパリ日本文化会館、事務支援がジェトロパリセンター、ということで、日本の公的機関の意向が反映はされているのでしょうね。

そして選定の条件とは・・・
・店舗外観
・衛生安全
・スタッフ:日本料理の調理師免許をもった料理人がいるか
      日本語を話せるスタッフが最低一人いるか
      日本食の調理法や日本の歴史・文化に関する質問に答えられるか
・メニュー:正しい日本語で書かれているか
      創意工夫がなされているか
・食材・味覚・視覚
こういった基準でチェックし、合格した店を公表しているようです。

この冊子には、いく人かの著名人がメッセージを寄せているのですが、その中に、有名なショコラティ・エヴァン氏(Jean-Paul HEVIN)のコメントも載っています。
「日本料理には長年憧れていたが、実際日本に住んでみて、その感性、完成度の高い味覚、料理人の職人気質・・・そうしたものにいっそう魅了された。そして日本料理への憧憬は、今や自分だけのものではなく多くのフランス人が共有しているものだ。衛生的で、自然が生かされている。その結果、健康によい料理との評判が定着している。日本人の抱くフランス料理へ憧れ、そしてフランス人の日本料理への愛。今日の日本料理の人気の背景には、こうした相思相愛の関係があるといえる。」

フランス人が注ぐ日本文化へのまなざし。料理の世界でも、熱いものになっているようです。

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来年、美術館が、無料に!?

2007-09-13 00:49:05 | 美術・音楽
今日は、耳寄り情報、早耳情報!! 来年1月から半年間、フランスの国立美術館が、無料になる! エッ、ウッソ~~~ほんとうです! こんないいニュースを伝えてくれたのは、12日付のフィガロ紙。



まずは、背景から。より多くのフランス人に、文化・芸術に触れる機会を提供したい、というサルコジ大統領の意向を反映して、入場料を無料にすると実際どのくらい入場者が増えるのか、また国として補填すべき入場料相当額はどのくらいになるのか、そういったことを試算するために、半年だけという期間限定で導入することにしたそうです。

ただし、全ての国立美術館ではなく、次の美術館が、開館日は半年間つねに無料になるそうです。
・ギメ美術館
・中世美術館
・サン・ジェルマン・アン・レイ考古学博物館
・ルネサンス美術館エクアン城(Ecouen)
・ジャック・クール宮殿(Bourges)
・陶磁博物館(Limoges)
・近代美術館オワロン城(les Deux-Sevres)

では、なぜ上記の美術館か。目的があくまでフランス人に今以上に多くの文化活動の機会を、ということですので、国立美術館の内、入場者に占める外国人の割合の比較的少ないところが選ばれたそうです。従って、国立美術館でも、入場者の60%以上が外国人というルーヴル美術館、オルセー美術館、ポンピドー・センターなどは除外。外国人である日本人としては残念ですが、納税者優先は、致し方ないですね。

もし全ての国立美術館を無料にすると、国が新たに文化予算として用意すべき入場料相当額は、1億5,000万~2億ユーロといわれています。300億円前後になるのですから、結構な追加予算が必要になりますね。

ところで、年間の入場者数が30万人で、そのうち40%が外国人という中世美術館では、すでに独自に研究を進めているそうです。その試算によると、865,000ユーロの追加予算が必要になり、また入場者が増えることにより、より広いスペースが必要になるとか。何しろ、現在行なっている月1回の入場無料日には、通常1日1,000人前後の入場が2,000人~4,000人になるそうです。でも、入場者数については、今は月1度(第一日曜)だけですが、それが開館日は常に無料になると、そこまでの増えるかどうか・・・。


(フィガロ紙が内部を紹介しているギメ美術館の外観。現在、「インドから日本へ」という特別展を行なっています)

ともあれ、半年間実施した後で、その効果・影響などを検討し、全国立美術館に広げるのか、あるいは別の方法を改めて模索するのか決めるそうです。

国民に文化・芸術に触れる多くの機会を・・・こうした提案、日本ではなされているのでしょうか。そして具体的に実施されているのでしょうか。ぜひ国民に文化・芸術に触れるより多くの機会を―――。文化・芸術の擁護や普及に関しては、フランスから見習うべき点、まだまだありそうです。

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9月11日の、小さなパリ。

2007-09-12 01:09:29 | パリ
あの日から6年。9・11にはテロとの戦いなどをテーマとした新聞記事も多くでます。


(メトロ紙の第一面、復興計画のモンタージュ写真です)

しかし、6年目。跡地がどうなるかといったテーマも多くなっています。決して風化させてはいけないことなのでしょうが、特別にパリで何か大々的に行われているということもないようです。

でも、9月11日で書き始めてしまっていますので、やはり「2007年9月11日のパリ」をご紹介しようと思います。しかし、特に、適当な話題がない・・・こうしたときには、困ったときのABC。映像・広告関係とかで「困ったときのABC」というのがあるそうなんですが、そのABC、なんだと思いますか。

A=Animal・・・動物ですね。可愛いペット、珍しい動物。
B=Beauty・・・そう、美人です。にっこり微笑む美人。
C=Child・・・子ども。泣いても、笑っても、可愛いものです。

こうしたテーマや写真を使えば、取り敢えずは、見てもらえる、読んでもらえる。でも、中年おじさんの単身滞在。ペットも子どももいず、まして美人が出て来ては、何かと誤解の基。困った・・・

そこで、ビューティはビューティでも、自然の美。花をご紹介することにしましょう。でも、公園の花は、時々お見せしていますので、今日は、花屋さんの花。2007年9月11日、パリの花屋さんの店頭で、「季節感」を味わっていただくことにしましょう。(なんと長い、前口上!)


いきなりの、ひまわり。最高気温も20度前後で、タンクトップやTシャツも少しはいますが、多くは長袖。中には、セーター、革ジャン、あるいはロングコートもいるという4つの季節が全部そろったようなパリの街で、これだけのひまわり。まだ、夏は終わっていない、と叫んでいるようです。



しかし、透明な光や舗道を吹き抜ける風は、すでに秋。秋といえば、こちらでも、菊。11月1日のトゥサン(万聖祭)には、日本のお彼岸と同じように菊の花を持って先祖のお墓参りに出かける。でも、菊の花は一般の観賞用としても愛されているようで、出窓などでも鉢植えをよく見かけます。


もう一つ、秋といえば、懐かしい、ほおずき! 食用もありますが、これは観賞用のようですね。ほおずきといえば、小さい頃、鳴らして遊んだことはないですか。私は、鳴らし方、今でも知らないままです。


秋の次は、言うまでもなく、冬。特にクリスマスの頃よく見かけるシクラメン。もう店頭を飾っています。


そして、いつも花屋さんの店頭に欠かせないのが、バラ。色とりどりのバラの花束が並んでいます。

バラといえば、バラ専門のチェーン店“au nom de la rose”(バラの名において)。花だけでなく、バラの香水など、バラに関する品々をそろえています。

バラの花にしても、いろいろアイディアのある飾り方をしていますね。

個性を大切にするフランスの人たちに育てられたり、扱われたりするせいでしょうか、花屋さんの店頭を飾る花々も、夏の花、秋の花、冬の花、そして一年中の花と、個性的にそろっています。人の着ている服装と同じようですね。とにかく、個性。それでも、季節は間違いなく巡っています。もうすぐ、本格的な秋。その証拠に、花屋さんの隣にある八百屋さん。その店頭には・・・


2007年9月11日、小さな「パリのご紹介」でした。

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パリと写真に賭けた、ひとりの男。

2007-09-11 00:15:16 | 美術・音楽
クリスチャン・ディオールのファッション・カメラマンとして有名なウィリー・メイワルド(Willy Maywald:1907-85)。このドイツ人カメラマンの作品を紹介する展覧会が、マレ地区のカルナヴァレ美術館で行なわれています。タイトルは、“Le Pari(s) de la creation”。Parisはパリですね、でもsがないと賭けという意味。わざわざsを括弧で括っているということは、「パリで創造の賭け」というダブルミーニングになっているようです。では、パリで何をどう賭けたのでしょうか・・・



オランダに近い町で育ったメイワルドは、美術を学ぶためにベルリンへ。彼がはじめてパリを訪れたのは、1931年のこと。とたんに、パリに魅了されてしまいました。歴史ある建物、カフェ、街を歩く人々・・・自分が暮らすのはこの町をおいて他にはない。故郷に戻ると早速両親を説得して、翌年には、パリに住み始めてしまいました。

自分の人生をパリに賭けたわけです。住んだのは、多くの芸術家たちが住んでいたモンパルナス。エコール・ド・パリの最盛期は過ぎたとはいえ、多くの若き芸術家たちがやってきていました。パリで、モンパルナスで、メイワルドが始めたのは、写真。はじめてパリに来たときに、ノートルダム大聖堂の屋上から撮ったガーゴイル(屋根にある怪獣をかたどった雨水の排水口)の写真が忘れられず、その後の人生を写真に賭けようと決めたようです。

アシスタントから始め、顧客がついたところで、独立。当時のパリの街を丹念に撮影しています。メイワルドのシャッターが切り取った30年代後半のパリ。そこには、常にスーツを粋に着こなした男たちがいます。ロングスーツを着、ハットを小粋に被るパリジェンヌたちがいます。男が男であった、女が女であった、そんな時代のパリ。舞台は、モンパルナスのカフェ。ル・ドーム、ラ・ロトンド、ル・セレクト、ラ・クーポール・・・舗道にせり出した椅子で、店のカウンターで、気障なポーズを決めています。気障が気障でいられた時代・・・どこかで聞いたような台詞ですが・・・

また、当時の芸術家たち。絵筆を取って、キャンパスに向かうにも、ネクタイ姿の画家たち。おしゃれな時代だったのでしょう。そして、庶民の暮らしも忘れてはいない。



第二次大戦中を除き、常にモンパルナスに住み続けたメイワルド。写真に賭けたその人生、レンズを向ける先は、ノートルダム大聖堂の屋根の上から始まり、パリの街、パリの人々、パリ万博(1937年)、芸術家や研究者(キュリーなど)、そして、モードの世界へ。

1936年にクリスチャン・ディオールと出会っていたメイワルド。次第にファッションの写真を多く撮るようになっていきます。モデル、お針子、そして香水などの商品。そのセンスあふれる写真は、ファッションに憧れる多くの人たちを魅了しました。



もちろん戦後を中心に撮られたファッション写真も多く展示されていますが、この企画展のテーマは、あくまで写真家メイワルド。戦前のパリの街、パリジャン・パリジェンヌたちの面影がとても印象深い作品の数々・・・

パリ、そして写真に賭けたウィリー・メイワルドの人生。決して後悔のない人生だったことでしょう。そして、人に人生を賭けさせるだけの魅力のある街、その一つがパリなのかもしれません。


“Willy Maywald, Le Pari(s) de la creation”
カルナヴァレ美術館で、9月30日まで

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