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ダイアナの、10年。

2007-09-01 00:47:13 | パリ
31日は、ご存知ですね、ダイアナ元妃がパリで事故死して10年。今でも「英国のバラ」は多くの人々の記憶の中に生きているようです。


30日のメトロ紙の第一面。「死後10年、今でもその死因をめぐり多くの噂が流布している・・・」


31日のフィガロ紙です。中面見開きで特集しています。運命の日、1997年8月31日の経過を、時間を追って紹介しています。いつもとは違う車でこっそりホテル・リッツを出発したのに、なぜか多くのカメラマンに見破られてしまい後を追われたことや、柱に激突する前にフィアット・ウーノにぶつかったのではと言われているのに、いまだなんら公式に確認されていないことなど、陰謀説の根拠となるような疑問も提示されています。

恋人の父親は、イギリス王室の仕組んだ陰謀と明言し、所有する有名デパート・ハロッズに二人の記念碑を立てているそうです。

一方の王室は、事故後の対応がつめたい、お高く留まっている、税金の無駄遣いなどと非難されたため、庶民に近いイメージを演出しようと、エリザベス女王がマクドナルドへ行ったり、チャールズ皇太子がスパイス・ガールズと写真に納まったりと、成果はともかく努力はしたようです。庶民らしく・・・イギルスでは、マクドナルドへ行くことなんですね。日本では、どこでしょうか―――。

今でも衰えないダイアナ人気、フランスのテレビも特別番組を組んでいます。30日にはTF1が夜のニュースの後、ドキュメンタリー・タッチのフィクション“Diana, les derniers jours d'une princesse”(ダイアナ、皇太子妃の最後の日々)を放映したのを始め、今週、多くの局がいくつもの番組をオンエア。いずれもが高視聴率を上げているそうです。

事故現場のアルマ橋のたもとには、記念碑となったモニュメントがあります。



もともとは、ヘラルド・トリビューン紙の100周年(1987年)事業の一環として、寄付を基に、自由の女神の松明を米仏友好の記念としてここに建立したものですが、ここでセーヌの下をくぐるトンネルが事故現場となったため、いつごろからか、ダイアナの死を悼む碑となっています。

イタリア語の落書きが、消されずに残っています。「とても愛している―パオロ・マラッツィ、パルマ(イタリア)、2007年8月27日」この写真、世界中に配信されたのではないでしょうか。パオロというイタリア人は有名になりますね。でもそのイメージは・・・よくやったか、自己顕示欲の強いおっちょこちょいか、はたまた・・・受け取る人によるのでしょうね。


30日ですが、すでに多くのダイアナ・ファンや観光客、そして31日の朝のニュースに間に合わせるためでしょうか、いくつかのテレビ・クルーが訪れていました。


31日も、朝から、大勢の人たちが来ていました。テレビカメラの前で話すレポーター、それを携帯で撮影する人、さらにそれを後ろから写真に撮る私。あちこちでテレビカメラが回っていました。私も写ったのではないかと思いますが、幸か不幸か日本のテレビ局はいませんでした。

フランスでも、いまだ衰えぬ彼女の人気。献花の数が物語っています。

彼女の美貌とその優しさが人気の秘密と伝えるラジオ番組もありました。ただ、その死の真相はいまだ完全に解明されてはいない、と多くの人が思っています。その謎が残るうちは、メトロ紙の言うように、「終わりのない物語」なのかもしれません。

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*なお、イギリスの31日の状況をお知りになりたい方は、弊ブログを紹介してくれているニュース・ネット・アジア・ヨーロッパ版http://nna.asia.ne.jp/eu.htmlの「ヨーロッパで働く女社長のブログ」でご覧になれます。
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