50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

曲がったことが大好き。

2007-09-06 00:39:20 | 美術・音楽
世の中にへそ曲がりはいるもの。まっすぐじゃ嫌だ。何事にもよらず、曲がっていなくちゃ。

そう思ったのかどうか、植物を想起させる曲線で知られる、ギマールによるデザインの建築物。パリの一つの顔になっています。


メトロ12号線・アベッス駅です。こうしたガラスの屋根はなくても、同じような形をした出入り口、多くの駅で見ることができますね。文字も含め、メトロの出入り口の装飾を手がけたのが、ギマールです。

エクトール・ギマール(Hector Guimard:1867-1942)、エコール・デ・ボザール(国立美術学校)などで装飾・建築を学ぶ。世界を自分の造形で埋めつくしたいという野望をいだいていた若き建築家・ギマールに大きな転機が訪れたのは、1890年代に訪れたブリュッセル。そこで目にしたタッセル邸・・・ヴィクトール・オルタ(Victor Horta)設計のこの個人邸宅には、最新の設計思想が息づいていました。鉄とガラスという固い新素材で彎曲した形状を形作り、デザインに生かす。そのモチーフは植物。しかし、実用性を重視し、芸術は気取らない。しかも、ファサードは落ち着いた石造りなので、街並みにうまく溶け込む。

アール・ヌーヴァーを装飾芸術から建築に最初に取り入れたオルタの作品に触れたとたん、ギマールの進むべき方向が一瞬にして決定付けられました。これだ、これこそ、求めていた世界。

それからのギマールは、アール・ヌーヴォーを建築に生かす仕事に没頭。


1898年に完成した「カステル・ベランジェ」。植物や渦巻き模様を施した窓枠・手すり・ガラスなど、曲線を生かしたあらゆるパーツをギマール自ら制作。

その結果、調和とスタイルの連続性ということがギマール建築の特徴になりました。

建築家も非常に尊敬されるこの国では、建築家の名前がその作品(建築物)に残されています。ギマールの名もこの通り(一番下の行)。デザインを髣髴とさせるこの書体は、ギマール自ら書いたのかもしれないですね。


これは、ギマール館。



窓枠や手すりにギマールらしさを見て取ることができます。

しかし、ここでは、悲しいかな、ギマールの名も消えかかっています。


こちらは、メザラ館。

植物の曲線がうまく使われていますね。

ほかにも、いくつかのギマール設計の建物が残っています。これらは全て、16区のパッシー地区、特にラジオ・フランスの裏からメトロ9号線・ジャスマン駅にかけて点在しています。ここは、多くの豪華な住宅が立ち並ぶ高級住宅街。



20世紀初頭建築の建物も多く、同じように建築家の名が刻まれています。

実は、ギマールの名、一瞬の閃光のようにパリの街を駆け抜け、時の波間に消えていってしまいました。どうしてか・・・自己矛盾の故といわれているようです。手の込んだデザインと制作、そしてその結果としての建築費の高騰。庶民には手の出ない建物。それでいながら、メトロの駅の出入り口に見られるように、工業的規格化を夢想した。手作りと規格化・・・ギマールがニューヨークで亡くなった頃には、全く忘れ去られた存在だったとか。


サルバトール・ダリにも絶賛されたという、メトロの出入り口をはじめ、多くのアール・ヌーヴォーの装飾・建築物を残しながら、人々の記憶から消えてしまったギマール。彼に再びスポットが当てられたのは1960年代以降。今ではギマールの名も少しは人口に膾炙してはいます。しかし、その保存状態は決して満足できるものではありません。ギマールに多大な影響を与えたヴィクトール・オルタの作品も、多くが取り壊されてしまったようですが、残ったいくつかの建物が、今や「ヴィクトール・オルタの都市邸宅群」としてユネスコの世界遺産に登録されています。ギマールの作品にも、さらに光があてられる日が早く来てほしいものです。

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