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50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

夏休み、おすすめ文庫本。

2007-07-14 00:54:18 | 映画・演劇・文学
13日のパリは、さすが13日の金曜日、よく外れる天気予報が珍しく当たって、快晴、気温も25度を超え、暑い夏の天気になりました。14日の革命記念日も快晴、気温はさらに上がるとか。革命記念日を快晴にするあたり、サルコジ大統領の強運でしょうか。こんな迷信のようなことを考えるのは日本人なればこそで、合理性のフランス人は考えもしないでしょうが・・・

さて、夏。日本の夏といえば、金鳥、というCMが昔ありましたが、広告といえば、夏休み前になると、出版各社が文庫本の広告キャンペーンをやっていたのを思い出します。三四郎の夏、とかいろいろなキャッチフレーズがありました。今でも続いているのでしょうか。夏休みを読書で過ごそう、あるいは、文庫本を友に夏休みの旅行へ、というメッセージだったと思いますが、同じような意図だと思われる文庫本のポスターが、今パリのメトロの駅などに数多く貼り出されています。Folio(ガリマール・フォリオ文庫)が広告主です。まずは、写真をご覧あれ。


(推薦しているのは、“Entre les murs”“Partir”“Neige”という3冊の本です。)


(このポスターでは、“Le Cercle ferme”“Ourania”“Un homme heureux”の3冊が推薦されています。)


(もう1点、このポスターは、“Le reve Botticelli”“Magnus”“Trois jours chez ma mere”を勧めています。3冊目の本は、2005年のゴンクール賞受賞作です。)

これらがフォリオ文庫オススメの、この夏の9冊。読んでみたい方は、夏休み用に、書店に問い合わせてみてはいかがですか。

この広告シリーズが目に付いたのは、そのアイデアが日本のキャンペーンに似ていることと、もう1点、デザインアイデアです。いずれのポスターにも、落書きのようなものがありますね。駅などに貼られている大型ポスターにはよく落書きがされていますので、これらも気の毒に落書きされてしまったのだろうと思っていたのですが、どこで見ても同じ書き込み! よく見ると、印刷されています。3点シリーズ、それぞれ紹介している3冊の本の特徴をしっかりデザイン化しています。しかも、キャッチフレーズもシリーズ化しつつ、単語一つを変えることによって、それぞれの特徴を端的に表現しています。

最初の、探偵物のような作品には、クルマの上にパトカーがつけるランプを描き込んで、「フォリオ文庫ほど、あなたに警戒心を抱かせるものはない」。2番目が、冒険心あふれる作品でしょうか、船の絵とともに「フォリオ文庫ほど、あなたを運び去るものはない」。3点目は、誰かの過去が明らかになるような作品かもしれないですね、思い出の階段を登っていくような描き込みで、「フォリオ文庫ほど、あなたに暴露するものはない」。そして、3点共通のスローガンが、「フォリオ文庫で、あなたは想像の翼を遠くへと広げるだろう」。

夏休み・・・家で、旅先で、あるいは旅の途上で、1冊の本とともに、想像の翼を大きく広げてみましょうか。でも、悲しいかな、原書ではまだ、広げるのが辞書になってしまうのが、残念です。

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サン・ジェルマン・デ・プレと出版の歴史。

2007-07-07 01:15:08 | 映画・演劇・文学
左岸、サン・ジェルマン・デ・プレ。そこにあるのは、おしゃれなブティックだけではなく、実は多くの出版社が集まっているそうです。出版の街、文学の街、文化の街・・・その歴史を紹介する展示会“Les editeurs et Saint-Germain-des-Pres”(「編集者たちとサン・ジェルマン・デ・プレ」展)が8日まで、6区の区役所で行なわれています。



この街には長い歴史を誇るサン・ジェルマン・デ・プレ教会があり、中世以前から学問・知識の担い手でした。その影響下、その周囲に学問を志す人々、そしてその知識を伝播させようと考える人たちが自然と集まってきたようです。

そうして傾向がはっきりとした形で現れたのが、18世紀中ごろの『百科全書』の出版でした。

(『百科全書』の図版のページです)
ディドロらを中心に書かれた『百科全書』(“L’Encyclopedie, ou Dictionnaire raisonne des arts, des sciences et des metiers”)が1751年から1772年にかけて出版されました。24巻、3,500の図版をそろえた膨大な書物です。当時は1,000部も売れればよしとする状況だったようですが、この百科全書、4,225部も売れた大ベストセラー。発行者のアンドレ=フランソワ・ル=ブルトンはこのヒットで、一躍パリで有数の大金持ちになったそうです。

時は下って、19世紀。高等師範学校を出たての若き俊英、Louis Hachette(ルイ・アシェット:1800-1864)が1826年に小さな書店を開業。その後出版事業に進出し、教育界などとの強いつながりをてこに、学校教材に特化して、業績を大きく伸ばしました。

(1841年に出版されたアルファベット用教材です)
1850年以降は文学作品の出版も手がけるようになり、ラマルチーヌ、ネルヴァル、ゴーチエ、ユゴー、ジョルジュ・サンドなどの作品の出版を手がけました。また、新聞や定期刊行物の全国への配送システムを構築し、一大出版帝国を築きあげました。このアシェット社、こんにちでは、語学教材や辞書で、日本でもおなじみですね。因みに、1862年、後の文豪エミール・ゾラはこのアシェット社に就職しています。22歳のときでした。

アシェット社の成功に刺激されたように、その後、サン・ジェルマン・デ・プレ界隈に多くの出版社が生まれてきます。

Le Mercure de France(メルキュール・ド・フランス)が1890年ごろ設立され、クローデル、ジード、アポリネール、マラルメなど、そして外国の作家(ワイルド、ハーディ、ニーチェなど)の作品を出版するようになります。

Bernard Grasset(ベルナール・グラセ)が1907年に出版社を設立。プルースト、ラディゲ、そしてマルロー、モーリヤック、モーラン、モロワらの作品を世に送り出しました。

そして、新しい雑誌が1908年、ジードを中心に創刊されました。“la Nouvelle Revue Francaise”(『新フランス評論』)、その頭文字をとってNRFとして有名ですね。雑誌だけでなく、単行本の出版も始め、クローデル、ヴァレリー、コンラッドなど多くの作家の作品を紹介していますが、その出版業務を担ったのが、ガストン・ガリマール(Gaston Gallimard)。1919年には組織を改変して、ガリマール出版を設立。マルロー、サン=テグジュペリー、アラゴン、サルトルなどを手がけることになります。

(1927年、アンドレ・マルローへ宛てたガストン・ガリマールの手紙です)
また海外の作家の作品も広く出版するようになりました。スタインベック、フォークナー、カフカ、モラヴィア、そしてヘミングウェイ。さらに、この出版社の財務基盤を強固にしたのが探偵・推理物。コナン・ドイル、エイメ、シムノン、ボワローなどおなじみの作品を数多く出版しています。

これら以外にも、アシェット社と同じように教材・辞書に強いラルース(Larousse)、

(初期のラルース辞書です)
そして大衆文学作品を手がけるフラマリオン社(Flammarion)など、今日に続く主な出版社が勢ぞろいします。

こうして生まれた出版社の編集者たちと作家たち。どこで会い、話をしたのでしょうか・・・そう、カフェなんですね。サン・ジェルマン・デ・プレ界隈といえば有名なカフェが目白押し。

Le Cafe de Flore(カフェ・ド・フロール)は1850年代末に開業し、アポリネールがよく利用したそうで、後には、ボーヴォワール、プレヴェールなどに愛用されました。

Les Deux Magots(レ・ドゥ・マゴ)は1920年代にオープンし、ブルトンやシュールレアリストたちがよく集まっていたそうで、その後は、サルトル、フォークナー、コクトー、カミュなどと深い関係になります。

そして、La brasserie Lipp(ブラッスリー・リップ)は特に編集者たちに愛用されたようですが、作家ではサン=テグジュペリーやカミュがよく出入りしていたそうです。カフェと出版界、切っても切れない間柄のようですね。

(1952年に出版されたカミュの『反抗的人間』です)

戦後は、人文科学の本を多く出す出版社がこの界隈の出版社リストに加わり、ロラン・バルトなどの作品が話題を集めるようになりました。また本の流通を改善する動きも見られ、そうした流れの中から書籍・音楽・家電関係の大型チェーン店FNACもこの界隈で誕生しています。そして、戦後といえば、ヌーヴォー・ロマン。デュラス、ロブ=グリエ、サロートなどの作品が、les Editions de Minuitなどから出版され、

(1950年のマルグリット・デュラスです)

(les Editions de Minuite社前に並んだ、左からロブ=グリエ、シモン、モーリヤック、ランドン、パンゲ、ベケット、サロート、オリエ)
また1954年にはJulliard社から出版された18歳の新人作家の作品が54万部という大ベストセラーに。ご存知、サガンの“Bonjour Tristesse”(『悲しみよこんにちは』)です。

と、急ぎ足で会場の資料を基に振り返ってみました。

サン・ジェルマン・デ・プレ界隈と出版界との深い絆、感じていただけたでしょうか。

実際、この地図にプロットされたように、今も多くの出版社がこの界隈に集中しているそうです。

それにしても、実に多くの作家が登場してきますね。名前しか知らない作家もいます。さっそく、読まなくては・・・寝る時間がない! 不勉強のつけが回ってきたようです。

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60回目のカンヌ。

2007-05-30 01:00:22 | 映画・演劇・文学
27日、60周年を迎えたカンヌ映画国際フェスティバルの授賞式が行なわれました。


28日付のLe Figaro(フィガロ紙)です。ジェーン・フォンダからお祝いのキスを受ける、パルム・ドール(最高賞)を受賞したルーマニアのCristian Mungiu(クリスティアン・ムンジウ)監督のうれしそうな表情が第一面を飾っています。

何しろ、60回目という記念すべき年のパルム・ドール。その栄誉はどの作品に輝くのか、また他の賞は誰が受賞するのか・・・デパート「ボン・マルシェ」のイベントは以前ご紹介しましたが、例年にも増して大きな話題となってきた今年のカンヌ。結果は、フィガロ紙の見出しに「ルーマニアの驚き」とあるように、“4 mois, 3 semaines et 2 jours”(『4ヶ月、3週間と2日』)というタイトルのルーマニア映画が受賞しました。

(雑誌『カイエ・デュ・シネマ』5月カンヌ特集号、写真はパルム・ドール受賞作の1シーン)
80年代、共産主義政権下のルーマニア。非合法の中絶をするため悪徳医に体をゆだねる友人を何とか助けようとする若い女性の話だそうです。早くから有望視されていた作品が、最終的に受賞。進境著しいルーマニア映画の受賞であり、悲劇的なテーマが印象的だったようです。29日付のmetro(メトロ紙)は、映画はただ笑い転げるだけのものではない、時には主人公たちと一緒に悩んだり悲しんだりするものだ、というメッセージを審査員たちはこのパルム・ドールに託したのではないか、と言っています。


これは同じく28日のフィガロ紙の別刷り、主な受賞者リストです。上から2番目に記載されているのが、パルム・ドールが期待されていた河瀬直美監督の『殯の森』。惜しくもパルム・ドールは逃しましたが、それでも準グランプリにあたるGrand Prix du Jury(審査員特別賞)を受賞。10年前に『萌の朱雀』で新人監督賞にあたるカメラ・ドールを獲得している河瀬監督、早晩、必ずやパルム・ドールを受賞することでしょう。

60周年記念大賞は、ガス・ヴァン・サント監督の“Paranoid Park”(『パラノイド・パーク』)、主演女優賞が『シークレット・サンシャイン』で韓国女優のチョン・ドヨン、主演男優賞は『ザ・バニッシュメント』のコンスタンティン・ラヴロネンコ。監督賞は“Le Scaphandre et la Papillon”(『潜水服は蝶の夢を見る』)のジュリアン・シュナーベル監督。


1週間ちょっとの期間中、多くのスター、映画関係者がカンヌに集まりました。賞だけでなく、新作の売り込み、買い付けの場でもあるため、ホテルで、レストランで、あるいは、こっそりと、いろいろな場で旧交を温める交歓、あるいはタフな商談が行なわれたようです。右下の3人の美女が並んでいる写真、左がカトリーヌ・ドヌーヴ、右が娘のキアラ・マストロヤンニ、中央にいるのが審査員賞を取ったアニメ『ペルセポリス』の原作者であり、共同監督のマルジャン・サトラピ。ドヌーヴ母娘はこのアニメに声優として参加しています。左上の写真は今回の審査委員たちで、左から4人目、髪に手をやるアジア系の女性が、マギー・チャンです。堂々たる、世界のトップスターですね。

堂々、と言えば、忘れられないシーンがこれ。

21日付のmetro(メトロ紙)に掲載された、60回を記念して集まった著名監督たちの写真ですが、左手前にいるのが、紋付袴の北野武監督。存在感がありますね。ぜひ、また新作でカンヌに戻ってきてほしいものです。

さて、60年目のカンヌから、どんな名作が私たちの目の前に現れ、そして記憶に残っていくのでしょうか。多くの作品の公開が待たれます。

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カフェで作家と。

2007-05-16 00:01:52 | 映画・演劇・文学
12・13日の夕方(午後4時から6時)、サン・ジェルマン大通りを中心に、カフェで作家に会おう、一緒に話そう、というイベントが行われました。

参加したのは、カフェが13店、作家30人、出版社20社。名づけて“Fete du livre a Saint-Germain-des-Pres”(本のお祭り~サン・ジェルマン・デ・プレ)。

この地図に参加しているカフェとそれぞれの店に来る作家名が紹介されています。6区のオデオンからサン・ジェルマン・デ・プレの間です。文学関係のイベント場所としては最適かもしれないですね。

新進気鋭の作家が多いようで、まったく知らない名前ばかり。現代文学も読まねば、と反省。誰にしようか迷ったのですが、“Tokyo, c'est loin”という本のタイトルに惹かれて13日のカフェ・ド・フロールへ。サルトルとボーヴォワールで有名なカフェ。文学イベントにはもってこい!


しかし・・・4時に着き、店内に席を占めて待っていたのですが、何も行なわれる気配がありません。

(イベントのパンフレットとカフェ・ド・フロールのメニューです)

ま~、フランス、そして作家とくれば、4時開始予定といっても、30分や40分は遅れるだろうと、ゆっくりコーヒーを飲んでいたのですが、5時を過ぎても何もないようなので、カフェの人に聞いてみました。すると・・・作家ならさっきまでいたがもう出て行った! 


サン・ジェルマン・デ・プレ教会脇に設置された、このイベントの案内所で聞いてみたら、作家と出版社の人間が指定のカフェでお茶をする、そこで興味のある人は話しかけることができる、ということで、誰も話しかけなかったカフェ・ド・フロールでは、さっさと退散してしまったようです。でもイベントは午後6時までのはずですが・・・。

残念でしたが、まだ時間があるので、もう1軒と、メトロのマビヨン駅そばにあるカフェのラ・リュムリへ。

ここは入り口にきちんとイベントのポスターが貼ってあり(格の高いカフェ・ド・フロールでは何も貼ってありませんでした)、その先のテーブルに本を何冊も並べたグループが。これならどのテーブルが作家・出版社の人たちか一目瞭然ですね。


13日、ここにいたのはChristine Avel(クリスティーヌ・アヴェル)という女流作家(写真右が、自作品について語る作家)。1968年生まれで、大学でファイナンスを専攻。その関係の仕事についた後、NGOの活動に参加。そして、作家の道へ。2005年に処女作“Double foyer”を出版し、注目される。そして翌2006年に初の短編集“L'Apocalypse sans peine”を上梓。売り出し中の作家だそうです。


記念に短編集を買ったのですが、表紙デザインがユニーク。色弱検査のデザインです。作家曰くは、出版社が決めたデザインで、処女作のほうは、視力検査と同じデザインになっているそうです。タイトルが上のほうは小さく、下に来るほど大きくなる。作品内容と関係があるのか聞いてみたら、特にないそうです。ま~悪くはないけど、と言っていました。


ちょっと話しただけなのですが、内扉にサインをしてくれました。「気まぐれと狂気、偏執と嫌悪を、少なくとも数時間、分かち合うために・・・良い読書を」といった内容です。早速、読んでみようと思います。

作家と直接会うイベント。空振りもありましたが、実際に会うこともでき、いいひと時でした。記念の本も手にしました。悪くない一日でした。

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日米詩の朗読会。

2007-05-14 02:37:03 | 映画・演劇・文学
12日の夜、パリで、日米の詩人による詩の朗読会が行なわれました。会場は、日本語の情報誌“ovni”を発行しているESPACE JAPON(エスパス・ジャポン)。


11区、バスチーユから歩いて5分ほど、サン・マルタン運河の近くにあります。ちょっとした中庭に面した一軒家風の建物です。1階が図書室(会員になると書籍やCDなどが借りられます)、2階が日本語、フランス語、書道、折り紙などの教室、そして3階は編集室になっていたと思います。先人たちの知恵でご紹介している本もここで借りています。
*ovniのホームページ:http://www.ilyfunet.com/ovni/

詩の朗読会のタイトルは“EAST MEETS WEST”。実はこのタイトルにも興味を惹かれて聴きにいきました。というのは、バンコクに駐在中、この名前の(あるいは逆のWEST MEETS EAST?)人材会社から外資系への転職の案内をもらったことがあります。面接もせずお断りしてしまったのですが、転職していれば、その後は大きく変わっていたかもしれないですね。

と、いきなり、詩とはまったく関係ない個人的な話からで恐縮です。

さて、当日、詩の朗読をしたのはニューヨークに住むSteve D. Dalachinsky(スティーヴ・ダラシンスキー氏)とユーコ・オートモ氏。

ダラシンスキー氏は、1947年生まれで、NYのダウンタウンに住み、ジャズの前衛家とのコラボレーションをよく行っているそうです。一見、ウッディ・アレンをちょっとだけ髣髴させる小柄な風貌で、開演になるまで、客(殆ど知り合いのフランス人のようです)とおしゃべりを。気難しい詩人というイメージではなく、客に気を使うエンターテイナー、あるいは社交好きなインテリ、といった感じでした。

まずは、ユーコ・オートモ氏が日本語と英語で自作の詩を朗読。NY在住だそうですが、パリにもよくいらっしゃるそうで、パリで書かれた詩をまとめた詩集からの朗読でした。椅子に座られ、静かに朗読される姿からは、どことなく岸田今日子さんを連想してしまい、日本の朗読だな~と思ってしまいました。

そして、ダラシンスキー氏。この夜も、アルトサックス(仲野麻紀氏)、ドラムス(佐藤真氏)、打楽器(ディディエ・ラセール氏)を加えたジャズとのコラボレーションでした。

新大統領・サルコジ氏からインスピレーションを受けたという詩など、やはりパリで書かれた詩を含め、自作の詩を歩き回りながら、腕を打ち振りながらの熱演。オリジナルがそうなのか、ジャズの演奏に合わせているのか、しばしばコトバの、あるいは音節のリフレインを入れて、まさに魂の詩といった印象です。いかにも、NYの詩人という印象でした(聴いたことがない私の勝手な印象ですが)。ただ、時々ジャズの演奏の音量に負けて、聞き取れないところがあったのが残念でした。

アメリカと日本の詩人に、日本、フランスのジャズ奏者が加わり、観客は殆どがフランス人という詩の朗読会。そして会場は日本語の本に取り囲まれた図書室。確かに“EAST MEETS WEST”、というかインターナショナルな夜ではありました。

では、フランスの詩人による朗読はどのようなのでしょうか・・・次の興味です。早速、聴きに行ってみたくなりました。

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カンヌ60周年。

2007-04-28 03:28:27 | 映画・演劇・文学
カンヌ国際映画祭・・・1946年から行なわれるようになった世界三大国際映画祭のひとつ(他にヴェネチア、ベルリンの国際映画祭)。40年代と50年代に開催されなかった年があるため、今年が第60回目だそうです。開催は5月。もうすぐですね。

そうした機運を盛り上げるため、今、パリで60年の歴史を振り返る写真展が行なわれています。

メトロの駅などに大きなポスターが貼られています。中央で大仰なポーズを取っているのは、2002年のシャローン・ストーンです。

写真展の会場は、デパートの「ボン・マルシェ」。入り口の上にも大きなパネルが飾られています。

さて、会場には、映画館と同じように観客用の椅子が並んでいます。しかし映画館と違うのは、椅子に座っているのが観客ではなく、それぞれの年を雄弁に語るパネル入りの写真。

第1回から見ていくと、多くの懐かしい俳優、監督たちにめぐり逢えます。

ジャン・ギャバン、ブリジット・バルドー、カトリーヌ・ドヌーヴ、イヴ・モンタン、メリナ・メルクーリ、アラン・ドロン、トリュフォーをはじめとするヌーヴェル・ヴァーグの監督たち、アーノルド・シュワルツネッガー、イザベル・アジャーニ、マギー・チャン・・・

そうした中に混じって、日本から二人の監督の写真が展示されていました。

1980年に『影武者』でパルム・ドールを受賞した黒澤監督。この年の主演女優賞は、アヌーク・エーメが受賞していたのですね。

もうお一人が、1983年のカンヌでデヴィッド・ボウイとともに記者会見に臨んでいる『戦場のメリークリスマス』の大島渚監督です。

会場では、写真だけでなく、映像でもカンヌの歴史を振り返っています。

上の写真では、1995年のジャンヌ・モローへの敬意を表するイベントの模様を紹介しています。ヴァネッサ・バラディとのデュエットがとても印象的です。また、映画にかかわった多くの人たち(監督、俳優、衣装、批評家など)へのインタビューも流されていて、すっかり見入っている人も多くいました。


いく人かの監督のメッセージも壁に掲げられた会場で、最後の椅子に座っているのは・・・

そうです、今年の記念すべき第60回のカンヌ国際映画祭。どんな作品が、そして誰が、どのような賞を受賞するでしょうか。楽しみに、もう少し待つことにしましょう。

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ユゴーの家。

2007-04-27 01:49:37 | 映画・演劇・文学
ヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo:1802-1885)・・・ご存知ですね、『レ・ミゼラブル』などでお馴染みのフランスを代表する詩人・作家です。ユゴーが1832年から1848年までの16年間住んだ住まいが「ユゴーの家」(Maison de Victor Hugo)として公開されています。



場所は、観光客の多いマレ地区でも、とくに有名な場所のひとつであるヴォージュ広場の6番地。行かれた方も多いことでしょう。広場を取り囲む建物の一角(Hotel de Rohan-Guemenee:ロアン・ゲメネ館)に280㎡のアパルトマンを借りて住んでいたそうです。その住居部分(3階)が通常公開されていて、2階が特別展会場、1階が受付になっています。

ユゴーはこの住まいに、奥さんのアデルと4人の子供たちと一緒に移ってきました。その時はすでに、ロマン主義文学の端緒となった『エルナニ』の戦いや『ノートル・ダム・ド・パリ』の成功で、有名になっていました。新しい芸術の潮流、ロマン主義の旗頭・ユゴーの周りには多くの若き芸術家たちが集まっていました。デュマ、メリメ、サント・ブーヴ、ヴィニー、ラマルチーニ・・・彼らの語らいが今でも聞こえてきそうです。


中国風の客間もあります。


中世風のインテリアでまとめた食堂。


書斎のようですね。多くの本が残されています。


家族の写真も展示されています。これは、ユゴー夫婦と娘の写真。


そして、寝室。


ユゴーの遺品も展示されています。

レジオン・ド・ヌール勲章のようです。ユゴーは、ここに住んでいる間に、アカデミー会員や国会議員にも選出されています。

これは愛用の書類入れのようですね。かなり愛着があったのか、底の方は擦り切れています。

直筆の書類も展示されています。下から3行目がVictor Hugoというサインです。

いたって平穏な暮らしがあったようにも思えますが、兄の恋人だったアデルを奪って妻にしたり、生涯の愛人ジュリエットとの生活があったり、ナポレオン三世のクーデタに反対した結果、長年の亡命生活(1855-1870の15年間)を余儀なくされたり・・・やはりそれなりに波乱万丈の人生だったようです。

詩・劇・小説など多くの文学作品を書くとともに、共和主義者として帝政と戦ったユゴーは、「言葉のあらゆる意味において、フランス文学最大の現象である」といわれています。その生誕100周年を記念して1902年に誕生したのがこのユゴーの家。どこからかユゴーのペン音も聞こえてきそうです。

なお、すぐ脇のアーケードでは弦楽器によるコンサートがよく行われていて、今でも文化の香りをさせるエリアになっています。


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サミュエル・ベケット。

2007-04-17 02:28:12 | 映画・演劇・文学
劇作『ゴドーを待ちながら』で日本でも有名な作家・サミュエル・ベケット。彼の人生と作品を振り返る展覧会がポンピドゥー・センターで行なわれています。



Samuel Beckett・・・1906年、アイルランドの首都・ダブリン南方のFoxrock(フォックスロック)生まれ。大学でフランス文学を学ぶ。1928年、パリへ。高等師範学校で英語を教える。この時期、ジェームス・ジョイスの知遇を得るとともに、詩などを英語で出版。1931年、フランス語を教え始めるが、家庭・経済・健康上の問題で、ロンドンへ。最初の小説(“Murphy”)を出版。

1938年、パリに定住。第二次大戦中は、レジスタンスに。戦後、フランス語での執筆を開始。1953年、“En attendant Godot”(ゴドーを待ちながら)初演。小説、劇、エッセイなど多数執筆。1969年、ノーベル文学賞受賞。1989年、逝去。


さて、こうした作家を美術展中心のポンピドゥー・センターがどのように紹介するのか・・・

やはり、音響と映像が中心になります。会場に足を一歩踏み入れた途端、詩の朗読、芝居の台詞が聞こえてきます。壁に取り付けられたスクリーンには、映画や実験的フィルムが上映され、床には3Dの映像が投射されています。


また、実物の机の上に帽子がひとつ置かれただけの真っ暗な部屋。台詞が始まると、その台詞をしゃべる人物が机の向こう側に3Dで映写され、さながら芝居を見ているよう。台詞が終わると、当然その人物は消えて、スポットが帽子に当たる。見事に舞台を再現してくれています。


もちろん、直筆の原稿、メモ、手紙なども展示されていますが、あまりの達筆に、私には殆ど解読不可能でした。読み返したとき自分でも判読できたのか、心配になってしまうほどです。

日本では、一般的に『ゴドーを待ちながら』で有名なベケットですが、その活動は、劇・小説などの文学からさまざまな映像まで、実に幅広い分野に及んでいたようです。

彼の簡潔な文体、そして過激なまでに新しいエクリチュールは衝撃といってもいいほどでした。裸、ゴミ、笑い、頭、転倒、樹、静寂、立体、ほの暗さ、声、廃墟・・・ベケットの描き、紡ぎだすイメージ、観念、そしてそれらを見事にまとめ上げる構成力は、文学・演劇だけでなく、今日の現代アート、映像作家たちに有形・無形の影響を与え、数多くの作品の中にベケットの影を感じることが出来るそうです。それがあるからこそ、美術展中心のポンピドゥー・センターが『サミュエル・ベケット展』を企画実施しているのかもしれないですね。


ベケットに関心のある方、美術館が文芸を中心領域とした作家をどのように紹介するかに興味のある方にはぜひお勧めの『サミュエル・ベケット展』。6月25日までの開催です。

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器でも魅せる、パリの映画館。

2007-03-28 01:16:11 | 映画・演劇・文学
最近、パリでは、UGCやMK2、パテ、ゴーモンといった大手配給会社の運営するシネマコンプレックスが増え、ホールの数が10あるいは20もあるシネコンがあちこちにできています。1ヶ所でいろいろな映画が観れますし、年会員になると非常に安く観れたりで、とても便利です。

しかし、こうした風潮に背を向けて、単独館としてがんばっている映画館もあります。シネコンがどこも同じような無機質な印象の造りなのに対し、単独館は建物自体が、それぞれに個性的です。

パリで個性的な映画館と言えば、まずは、ここ。La Pagode(ラ・パゴドゥ)。パゴダ(卒塔婆)の意味ですね。ヨーロッパでは東洋の仏塔を意味する言葉になっています。7区、rue de Babylone(バビロン通り)にあります。

見るからに、アジア的な建物です。それもそのはず、1895年にデパート、ボン・マルシェの社長が夫人へのプレゼントとして当時フランスにおける東洋建築の権威、Alexandre Marcel(アレクサンドル・マルセル)に依頼して建てたものだそうです。もちろん最初から映画館ではなく、住まい。しかし、プレゼントにこんな建物とは、驚いてしまいます。さすが、社長。なお、材料などは日本から運んだという説もあるようですが、どうでしょう。20世紀初頭には中国公使のレセプション会場としても活用されたようです。

1931年に映画館として使われ始め、90年代に大改修が行われました。

写真でもお分かりのように、現在また外壁の修復が行われています。外見はアジア的ですが、アジア映画専門というわけではなく、話題作を上映しています。場所柄か、観客には中高年の知識層が多いようです。

もう一館は、Studio 28(スタジオ28)。現存するパリ最古の映画館と言われています。場所は、18区、モンマルトルの丘のふもとです。メトロの最寄り駅は2号線のBlanche。駅から北へ500mほどのところにあります。

石畳の細い道に面しており、坂の上を見上げるとムーラン・ド・ラ・ギャレット。風車が見えます(写真では見えにくいですね、申し訳ない!)。

パリらしい雰囲気のカルティエで、内装はかのジャン・コクトーが行ったともいわれています。上映は毎日午後3時からで、最終が9時から。早く行き過ぎると、シャッターが下りたままです。封切りではなく名画やちょっと前の話題作を、毎回異なる作品のラインアップで上映しています。

何しろ、毎回上映作品が異なるので、このような上映スケジュールが貼り出されていますし、A4サイズのリーフレットも用意されています。

これら以外にも、実験的な作品をよく上映する映画館やかつての名作を見せる映画館など、個性派ぞろいのパリの映画館。とても全部見て回れないほどの多さです。それだけ、映画がパリッ子たちの生活にしっかり根づいているという事なのでしょう。

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サロン・デュ・リーヴル~本の展覧会

2007-03-26 01:18:26 | 映画・演劇・文学
23日から27日まで、“Salon du livre”が開催されています。今年で第27回のこの「本の展覧会」、事前からしっかりとPRが行われていました。

本好き、読書好きにとっては、年1回お待ちかねのイベントです。


会場は、パリのエキスポ・センター。広い会場に出版社による450のブースが並び、まさに書籍の一大見本市・即売会。フランス国内はもちろん、カナダ・ケベック地方、ベルギー、北アフリカ、中近東などのフランス語圏、そしてブラジルやドイツからの出展もあります。


今年は、「インド文学」がひとつのテーマ。“le magazine litteraire”(『文学雑誌』)という雑誌も特集を組んでいました。

28州からなるインドは、人種と宗教のモザイク。それだけに、そうした社会で生まれる文学も巨大なパズル。文学の新たな宝庫ともいえるそうです。そういえば、『マハーバーラタ』とか『ラーマーヤナ』なんていう名前を習ったような気もします。経済が成長すると、文学にも目が向けられるのでしょうか。

インドの作家を紹介する特別なスペースも用意されています。

我らが日本も出展していました。

ジュンク堂がブースを出していますが、主役はもちろんマンガ。

Mangaはフランスの出版界でもしっかりとした地位を占めているようです。

討論会のスケジュールですが、マンガをテーマにしたものがいくつもあります。また、フランスのBD(マンガ)や風刺漫画の作家を招いてのインタビュー・討論会も行われています。ちょうど、昨年ご紹介したCabu氏がインタビューに答えていました。実物ははじめて見ましたが、氏の描くキャラクターそっくりです。


期間中に2,000人の作家が会場を訪れ、インタビューを受けたり、サイン会を行ったりします。

人気作家は、この通り、すぐ多くのファンに取り囲まれてしまいます。
そうでない作家は、ちょっと手持ち無沙汰・・・


フランス文学は、日本ではかつて程の脚光を浴びていないような気がしますが、フランス人の文学好きは今も連綿と続いているようです。会場へ向かうメトロ、週末の午前中でしたが超満員でした。午後も、イベント会場で買った本を袋に入れて持ち歩く人をあちこちで見かけました。フランスでは、活字離れ、文学離れ、日本のようには深刻でないようです。

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