慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

10代崇神天皇・11代垂仁天皇

2022年09月20日 | 歴史

🌸10代崇神天皇・11代垂仁天皇

崇神天皇の時代伝染病の流行

 ☆崇神天皇、奈良県磯城郡の水垣の宮で天下を治めていた
 ☆疫病が大流行した,人々は次々と倒れ、死者は国中にあふれた
 ☆天つ神の御子である天皇、神床(神意をうかがう寝床)に寝た
 ☆国つ神大物主神が夢に現われ天皇に伝える

 *疫病は私(大物主神)の仕業だ

 *河内国のオオタタネコに、私を祀らせれば祟りは収まる

 ☆オオタタネコは朝廷に差し出された
 *オオタタネコが神の子孫だとわかった
 ☆天皇はオオタタネコを神主として、大物主神を三輪山に祀った
 ☆結果、疫病の流行もおさまり、天下は穏やかになった

オオタタネコが神と判明した理由

 ☆神と契る容姿の美しい娘イクタマヨリビメ

 ☆イクタマョリビメの部屋へ一人の男が入つてきた

 *抱かれながらイクタマヨリビメは、誰かなと思った

 *毎晩、男は訪ねてきて彼女は身ごもった
 ☆両親は、「お前は夫もいないのに身ごもったのか」と質問した
 ☆娘はありのままに答えた

 ☆そんな馬鹿なことがあるのかと両親は思った

 *家の者に気づかれずに娘の部屋に人れるはずがない
 ☆両親は男の素性を探ろうと、娘に言い聞かせた
 *糸巻きに巻いた麻糸をそっと訪問する男に刺しておきなさい

 ☆娘は両親の指示に従った
 *麻糸は戸口の鍵穴から外へ脱け出ていた

 *糸を追うと、大物主神を祀る山の神社へたどり着いた
 *娘を訪ねてきていたのは大物主神であった
 ☆生まれた子、オオタタネコは神の子大物主神の子孫だった

 ☆ 崇神天皇は168歳の高齢で没した
 ☆崇神天皇は『古事記』『日本書紀』では、第一代の天皇と伝えている

垂仁天皇暗殺計画

 ☆第11代の垂仁天皇は、崇神天皇の子
 ☆垂仁天皇が奈良県磯城群の玉垣の宮で天下を治めていた
 ☆天皇はサホビコの妹、サホビメを妻として寵愛していた
 ☆兄のサホビコは、妹のサホビメに聞いた
 *夫・天皇と兄・私と、どちらをいとおしく思うか
 *私をいとおしいと思うならば、お前と二人で天下を取ろう
 ☆ある日、短刀をサホビメに手渡して、天皇暗殺を妹に命じた
 *「この短刀で、天皇の眠つている隙を見て刺し殺せ」

 ☆サホビメは、寝ている天皇を刺そうと思い短刀を振り上げたが

 *悲しい思いに耐えられず刺すことができず泣いてしまった

 *その涙が天皇の寝顔にこぼれ落ち天皇は目覚めた

 ☆サホビメはもう隠し切れないと思い

 *兄の謀反に加担したことを打ち明けた
 ☆天皇は、ただちに召集をかけ、サホビコ討伐の軍を起こした

                      (敬称略)                                     
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『眠れないほど面白い古事記』

10代崇神天皇・11代垂仁天皇

(ネットより画像引用)


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