🌸錦の御旗を作った岩倉具視
⛳岩倉具視、討幕運動の陰の主役
☆徳川家の勢力を一掃したのは、薩摩や長州が中心の討幕派
*討幕討幕運動の影の主役ともいうべき人物が岩倉具視だ
☆岩倉は中流の公家出身だが、優れた才能の持ち主だった
*朝廷内で大きな権力を握るようになる
☆岩倉具視は、武家のように強大な軍事力を持たないかわりに
*権謀術数を尽くして幕府を追いつめていった
⛳岩倉具視は、クーデターで朝廷を担ぎ上げる
☆諸藩が幕府側についたら薩長だけではとうてい太刀打ちできない
☆岩倉が利用したのが朝廷の威光だった
*朝廷からお墨つきで、幕府を討つ大義名分ができると考えた
☆岩倉は、御所から幕府勢力を締め出し
*天皇に「王政復古の大手令」を勧めた
☆文面は岩倉らが綿密な協議をして作成した
*天皇はそれを発布するだけだった
☆岩倉は徳川慶喜の官位剥奪や徳川家の領地没収など
*徹底的に徳川の力を削ぐ決定を押し通す
☆慶喜も外国の公使たちに断言している
*御所での動きは一部の不満分子が勝手にしていることで
*正当な主権者は自分であると
☆自信に満ちた慶喜の言葉に公使たちは納得し
*一方で諸藩には動揺が広がっていった
⛳薩長は、朝延の威光を利用して勝利する
☆岩倉と慶喜の攻防に終止符を打ったのが
*京都で勃発した鳥羽・伏見の戦いだった
☆圧倒的な兵力の差を覆に岩倉が繰り出した秘策
*「錦の御旗」で、再び朝廷の威光を担ぎ出した
☆錦の御旗で岩倉たち薩長軍は官軍となり
*幕府は朝敵となり、薩長年の意気は上がる
*幕府軍は敗走することになった
☆錦の御旗は岩倉が作ったレプリカだった
*岩倉は、国学者の玉松操に急きょデザインさせた
☆自分を正当化するためなら何でもやってのけるのが岩倉
⛳岩倉が天皇を毒殺した?
☆岩倉の黒い噂、孝明天皇毒殺説
*天然痘の孝明天皇は病状が回復しつつあった
*容態が急変して亡くなっている
*当時から毒殺説が噂されていたのだが
*暗殺犯の候補として岩倉の名があがっている
☆幕府との協調路線をとろうとする孝明天皇
*岩倉にとって都合の悪い存在だった
☆岩倉と天皇との不和が原因で長い間謹慎が解かれなかった
*岩倉の妹が後宮に入っており、毒を盛るチャンスがあった
☆又岩倉の息子が宮中にいたという説もある
*その息子が実行犯だったとも考えられる
☆真相は闇の中だが実際、孝明天皇の死の直後から
*岩倉は政治の表舞台に復帰している
*真偽のほどは定かではないが
*疑惑を持たれてしまうほど、岩倉は腹黒い策略家だった
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