慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

「岩倉具視」「錦の御旗」「天皇毒殺」

2024年02月29日 | 歴史

🌸錦の御旗を作った岩倉具視

 

⛳岩倉具視、討幕運動の陰の主役

 ☆徳川家の勢力を一掃したのは、薩摩や長州が中心の討幕派
 *討幕討幕運動の影の主役ともいうべき人物が岩倉具視だ
 ☆岩倉は中流の公家出身だが、優れた才能の持ち主だった

 *朝廷内で大きな権力を握るようになる
 ☆岩倉具視は、武家のように強大な軍事力を持たないかわりに

 *権謀術数を尽くして幕府を追いつめていった

 

岩倉具視は、クーデターで朝廷を担ぎ上げる

 ☆諸藩が幕府側についたら薩長だけではとうてい太刀打ちできない
 ☆岩倉が利用したのが朝廷の威光だった

 *朝廷からお墨つきで、幕府を討つ大義名分ができると考えた
 ☆岩倉は、御所から幕府勢力を締め出し

 *天皇に「王政復古の大手令」を勧めた
 ☆文面は岩倉らが綿密な協議をして作成した

 *天皇はそれを発布するだけだった
 ☆岩倉は徳川慶喜の官位剥奪や徳川家の領地没収など

 *徹底的に徳川の力を削ぐ決定を押し通す
 ☆慶喜も外国の公使たちに断言している

 *御所での動きは一部の不満分子が勝手にしていることで

 *正当な主権者は自分であると
 ☆自信に満ちた慶喜の言葉に公使たちは納得し

 *一方で諸藩には動揺が広がっていった

 

薩長は、朝延の威光を利用して勝利する

 ☆岩倉と慶喜の攻防に終止符を打ったのが

 *京都で勃発した鳥羽・伏見の戦いだった
 ☆圧倒的な兵力の差を覆に岩倉が繰り出した秘策

 *「錦の御旗」で、再び朝廷の威光を担ぎ出した
 ☆錦の御旗で岩倉たち薩長軍は官軍となり

 *幕府は朝敵となり、薩長年の意気は上がる

 *幕府軍は敗走することになった
 ☆錦の御旗は岩倉が作ったレプリカだった

 *岩倉は、国学者の玉松操に急きょデザインさせた
 ☆自分を正当化するためなら何でもやってのけるのが岩倉

 

岩倉が天皇を毒殺した?

 ☆岩倉の黒い噂、孝明天皇毒殺説
 *天然痘の孝明天皇は病状が回復しつつあった

 *容態が急変して亡くなっている

 *当時から毒殺説が噂されていたのだが

 *暗殺犯の候補として岩倉の名があがっている

 ☆幕府との協調路線をとろうとする孝明天皇

 *岩倉にとって都合の悪い存在だった
 ☆岩倉と天皇との不和が原因で長い間謹慎が解かれなかった
 *岩倉の妹が後宮に入っており、毒を盛るチャンスがあった

 ☆又岩倉の息子が宮中にいたという説もある

 *その息子が実行犯だったとも考えられる

 ☆真相は闇の中だが実際、孝明天皇の死の直後から

 *岩倉は政治の表舞台に復帰している
 *真偽のほどは定かではないが

 *疑惑を持たれてしまうほど、岩倉は腹黒い策略家だった

                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本史の黒幕』
 
「岩倉具視」「錦の御旗」「天皇毒殺」
(『日本史の黒幕』記事他より記事画像引用)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« My English practical train... | トップ | 「命令言葉」「させていただ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事