慶喜

心意気
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「秀吉の子どもの父親」「秀頼」「鶴丸」4

2024年02月18日 | 歴史
🌸「三英傑」の知られざる女性観4

⛳女好きの秀吉が生涯愛し続けた北政所・おね
 ☆女遊びが大好きな秀吉、純粋な部分もある
 *若い頃に結婚した北政所・おねへの愛情
 *秀吉はおねを生涯大切にし続けた
 *秀吉は彼女に熱烈なラブレターを何通も書いている
 *自分の素の姿を見せても、おねだけは受け止めると思った内容
 ☆秀吉には、人間味あふれる史料が残っている
 *信長のほうは、まったく逸話が出てこない
 (信長は考えられないクールな人柄の持ち主だった)
 ☆北政所「おね」は、「ねね」と呼ばれることもある
 *本人の名前は、仮名一文字の「ね」だったと考えられる

天文学的な確率でしか生まれない秀吉の息子たち
 ☆秀吉の子ども
 *秀吉が50代のとき淀殿が産んだ鶴丸と秀頼2人の男の子だけ
 ☆秀吉は、大人数の女性たちと関係を持ったが
 *2人の子どもしか生まれなかった
 ☆産婦人科の先生は答えてくれた
 *長年子どもができなかった男性の場合
 *50代になり関係を持った1人の同じ女性から
 *2人も子どもが生まれることは医学的にあり得ない
 ☆淀殿が不倫をして、別の男性との間で出来た子どもを
 *『あなたの子です』と偽つているとしか考えられない
 ☆世の中には子どもができづらい男性は少なからずいる
 *秀吉も、そんな男性の一人だったのでしょう
 ☆淀殿だけが、秀吉の子どもを産んだ
 * 一人の息子が亡くなったら
 *すぐにまた別の男の子が生まれた
 *そんな都合の良いことは起きるはずがない
 *淀殿は秀吉以外の男性と不倫していたに違いない
 ☆長年子どもができなかった男性に
 *特定の一人の女性との間にだけ2人も子どもが生まれる
 *その確率は天文学的な数字だ
 ☆淀殿は、不倫をして子どもを作った可能性が高い

中国の後宮と異なる日本の後宮
 ☆厳重に男性の立ち入りが禁止されていない日本の後宮
 ☆日本の後宮は男性の出入り非常に緩かった
 ☆安土桃山時、淀殿が他の男性と子どもを作てもおかしくはない
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『愛憎の日本史』



                (鶴丸の埋葬地と言われている竹生島)
「秀吉の子どもの父親」「秀頼」「鶴丸」4
(ネットより画像引用)

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