
図書館に、青崎有吾作の「地雷グリコ」が普通に「あ」の棚に並んでいた。和歌山市の
事情はどうだろうと調べてみると、この時点でまだ40人以上が予約順番待ちだった。
同じような状況で、以前「アリアドネの声」を地元の予約順に先んじて読めたことが
あったが、今回はその同じ作者の旧作品「その可能性はすでに考えた/井上真偽(まぎ)
著」を手にとってみた。
アリアドネ~が比較的平易な文章で、奇をてらっていない作風なのに対して、こちらは
かなり変化球、癖のある作品で、難解な表現も随所に見受けられ、理解が追いつかない。
さらに、登場人物(探偵の助手というかパートナー的存在)に中国人女性が配置され、
彼女が中国語を交えたり、中華的な表現を織り交ぜるのがさらに複雑さに拍車をかけて
いる。旅先の図書館での読書は、とにかくスピード重視、できるなら滞在中に最後まで
読み切りたいので、いちいち文脈に引っかかってはいれないのだ。
新興宗教団体が暮らす閉ざされた村落で、集団首切り自決事件が発生し、たった
一人生き残った少女は、首を落とされてもしばらく生きていたとしか考えられない
少年の手により助け出されたというのだが、果たしてそんな奇蹟が起こりうるのか?
すべての可能性を鑑み、その上で「奇蹟」だと断定する探偵と、トリックを暴き、
それを覆そうとするライバルたちとの駆け引きが展開される。かなりむちゃぶりな
多重推理の弱点を「その可能性はすでに考えた」とことごとく看破し、この事象は
奇蹟しかないと導こうとするのが探偵役という、通常とは真逆の構成が新鮮だ。