山が見える風景が好きなんです。
他地域の方にお国自慢できるような、
そんな山の麓で暮らせたらと思います。
たまたま「どんど晴れ」(連続テレビ小説)の
第一回目を見ていたら、「盛岡の人々は、
岩手山と共に暮らす…」のお話が。
石川啄木も城址からよく仰ぎ見ていたようですしね。
今朝の朝日新聞、「田舎で暮らす」の記事は、
芥川賞作家の絲山秋子さん。
山の近くに街がある高崎が気に入り、引越し、
窓から間近に榛名山が見えるとか。
その気持ちわかるんです、うらやましいな。
文筆業とか、陶芸作家とかのアーティスチックな職業、
あるいは、手に職があるような方はいいんですよね、
自分で住む場所を決められるのが。
私には全くその素養がないので、うらやんでしまいます。
大きな山を仰ぎながら暮らしたい、
できたら、美しい独立峰がいいな。
北なら、利尻、斜里、羊蹄、岩木、鳥海、
南なら、由布、桜島、開聞岳などなど。
大きな山塊が屏風のように連なる、
十勝連峰や九重連山などもいいですね。
信州はあまり行ったことがないので?ですが、
安曇野なんかはいいんだろうな。
和歌山は単に山ならいっぱいあるのですが、
残念ながら、仰ぎ見ていかにも「ふるさと」を
代表するような、シンボリックな山はないんですよ。
メタボリックなお腹なら自信があるのですが。
(軽く見流していただけると幸いです)
「ふるさとの山を自慢している」
そんな人に私はなりたい。
他地域の方にお国自慢できるような、
そんな山の麓で暮らせたらと思います。
たまたま「どんど晴れ」(連続テレビ小説)の
第一回目を見ていたら、「盛岡の人々は、
岩手山と共に暮らす…」のお話が。
石川啄木も城址からよく仰ぎ見ていたようですしね。
今朝の朝日新聞、「田舎で暮らす」の記事は、
芥川賞作家の絲山秋子さん。
山の近くに街がある高崎が気に入り、引越し、
窓から間近に榛名山が見えるとか。
その気持ちわかるんです、うらやましいな。
文筆業とか、陶芸作家とかのアーティスチックな職業、
あるいは、手に職があるような方はいいんですよね、
自分で住む場所を決められるのが。
私には全くその素養がないので、うらやんでしまいます。
大きな山を仰ぎながら暮らしたい、
できたら、美しい独立峰がいいな。
北なら、利尻、斜里、羊蹄、岩木、鳥海、
南なら、由布、桜島、開聞岳などなど。
大きな山塊が屏風のように連なる、
十勝連峰や九重連山などもいいですね。
信州はあまり行ったことがないので?ですが、
安曇野なんかはいいんだろうな。
和歌山は単に山ならいっぱいあるのですが、
残念ながら、仰ぎ見ていかにも「ふるさと」を
代表するような、シンボリックな山はないんですよ。
メタボリックなお腹なら自信があるのですが。
(軽く見流していただけると幸いです)
「ふるさとの山を自慢している」
そんな人に私はなりたい。
昨日(4/14),筑波山に登って参りました。
わが家の娘っ子,去年は,吾妻,伊吹,乗鞍と登るチャンスがありながら,結局,もろもろの事情でてっぺんにはたどり着けずじまいでしたので,これが百分の1名山であります。
昨日は,夕方から空気が澄み始め,わが家の近くから日光や那須の山並みを珍しく眺めることができました。見晴らしの良い場所に行けば,富士山も見えたかな。。。
でも,だだっ広い関東平野のまっただ中では,ふだんは「名前」のとおり,山といえば筑波山しか見えへん日々を過ごしております。
「深田百名山」の中にあって,一番低く,かつ東京都心から一番近い「筑波山」は,”『百名山』にもっともふさわしくない山”と,しばしば揶揄されます。まぁ,たしかに,ケーブルカーで簡単に頂上直下まで登れ,昨日も実際ピンヒールのお姉さんも登ってましたが,東西南北からいくつもの登山路があり,その気になれば麓から正味900m近い標高差を登ることもできます(昨日は標高差300m強のコースを登りました)。また,植生も意外と豊かで,昨日もカタクリ,ニリンソウ,キクザキイチゲ,それにいろんな種類のスミレなどを楽しむことができました。
そんなわけで,筑波山も侮りがたいところがあるのですが,かつて13年半の日々を過ごした福島の街から見えた吾妻,そして安達太良の山々には,やっぱり代え難いものがありますね。
それなりの年齢になってから住むようになったので,本当の意味での”原風景”ではありませんが,私にとって「山」と云えば,やっぱり「吾妻山」ですね(厳密には,東吾妻山系ですが)。
もうずいぶん昔に、初めて九州を旅した時に(山登りなど趣味にしていない頃ですが)、湯布院の街から見上げた由布岳の迫力に圧倒されました。「こんな街のすぐ近くに、あんな秀麗で大きな山がそびえているとは…」驚いたのです。
また、その同じ旅で、鹿児島市に行った時には、強い風に積った火山灰が巻き上げられ、ひどい目にあったのですが、そんな苦労があるにもかかわらず、桜島を崇め敬う、鹿児島市民の気持ちが少しわかる気がしました。やはり、とても荘厳な面持ちで、その山は私の目の前にそびえていたのです。父のようなというか、師と仰ぎたくなるというか、そんな威厳のある山容でした。
街のすぐ近くにあのような立派な山がそびえることの驚き、そこで暮らす人の山への思い入れの強さ。
その頃から、「ふるさと自慢できるような山の麓で暮らす」ことを少しづつ意識し始めたのかもしれませんね。自分が山登りを始め、よりいっそうその想いが強くなっていったのでしょう。
東北南部~信州にかけては、訪問頻度の少ない私ですが、磐梯山や御嶽山、駒ヶ根から見上げた木曽駒ヶ岳(中央アルプス)の素晴らしかったことを思い出しました。
つい同じ場所ばかりに行ってしまう、このところのわたくし、吾妻山系にはいつたどり着けるのでしょうね。