活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

双頭の蛇■陸域観測技術衛星「だいち」(その7)

2011-09-04 21:13:41 | 宇宙の海

地球観測衛星による東日本大震災をはじめとした利用事例の紹介」
開催日時:2011年6月20日(月) 18時半~ 約2時間
会場:府大中之島サテライト 2階ホール
主催:Kansai Space Initiative:特定非営利活動法人関西宇宙イニシアティブ
講演者:石館和奈氏((財)リモートセンシング技術センター 利用推進部)


■双頭の蛇

第二次大戦後に急速に発展した科学技術をシンボリックに代表する存在と
して、宇宙航空と原子力が挙げられること。
また、それらには相似性があるものの決定的性格の差異が存在し、それが
故に、両者は異なる社会的、産業的展開を成していったことについて、
前章では総括した。

では。
その両者の差異を形成している溝とは何なのか。
本章では。
その溝に光を当てることで、宇宙航空技術の持つ特徴を明らかにしていき
たいと思う。


まず、その一つは。
敗戦後の荒廃した国土、なかんずく社会的インフラの復興が急がれる日本
にとって、宇宙開発は国策の主軸となる必然性を持ち得なかったという
ことである。

国策としての技術の立ち位置について、両者を比較してみよう。

先述したように。
敗戦直後の日本において、電力の安定供給は社会的な希求に基づくもので
あった。
山間部に存在していた水力発電設備は殆どが無傷であったものの、その
設備は老朽化が目立ち、主に都市部に偏在していた火力発電所は空襲に
より大半が破壊されていた。

その結果。
昭和20年の発電量は、ピーク時から約4割以上も落ち込むこととなった。
(クリックすると拡大します)



(データ出典:総務省統計局・政策統括官(統計基準担当)・統計研修所
   統計データ 第10章 エネルギー・水 10-2 発電電力量より)


この発電量の推移を見ると、第二次大戦が末期となり本土が空襲される
ようになった頃合いから、黄色で表された火力発電による電力発電量が
急減していることがよくわかる。

敗戦後は。
生産活動の停滞によって電力需要も低迷したため、一時は受給バランスは
余裕があったものの、電線等の社会インフラの回復や、電熱器その他の
電力器具の普及等によって急速に電力需要は上昇。

電力不足が顕在化してくることとなる。

この事態を受けて。
日本政府は計画停電等の需給調整を行うとともに、GHQの肝いりにて過度
経済力集中排除法(集排法)を昭和22年12月18日に公布。
更に。
GHQが直接公布した、昭和25年11月24日の電気事業再編成令、ならびに
公益事業令を以て、日本の電力産業はほぼ現在の形を整えることとなった。

これにより、昭和14年に発足した日本の電力発電事業の中核となっていた
特殊法人日本発送電株式会社は解散

日本の電力行政は、一旦は国家管理の手を離れることとなった。
(戦後電力行政史は、~電力技術行政史「半世紀の軌跡」~を参照した)

だが。
挑戦戦争特需その他の要因も重畳し、電力需要不足は一向に解消されない
状態が継続。
これに危機感を感じた政府は、昭和27年7月31日に議員立法により電源開発
促進法
を公布。

この法案の成立を受けて、同年に電源開発調整審議会、電源開発株式会社
が相次いで発足

通産省に一元化される形で、行政が再び電力事業との関連を深めていく。

そして。
急増していく電力需要に追い立てられるかのように。
官民挙げての電源開発の結果、日本の発電量も急上昇の弧を描いていく。

1960年(昭和35年)以降の、水力、火力、原子力の各発電量、ならびに電力
需要量総数を比較したものが以下の図である(クリックすると拡大します)。



(データ出典:総務省統計局・政策統括官(統計基準担当)・統計研修所
   統計データ 第10章 エネルギー・水 10-2 発電電力量、10-4 発電需要量より)


その中の電力供給を担う一翼として、先章で紹介したとおり原子力も登場
してくるのである。

この図からも、見て取れる通り。
1970年(昭和45年)代以降、原子力はその発電量を急速に拡大。
産業の発展とともに増大する発電需要を、充足していく…。


ではなぜ、原子力はこれほど急速に日本の電力インフラに定着、拡大して
いくことが出来たのか。

単に、原子力技術の急速な発展故と総括できない大きな要因が、そこには
存在する。

そして。
それこそが、原子力と宇宙航空を頒(わか)たがっている。


その要因とは。
原子力の平和利用は日本の国策であり、その日本の国策に礎台を提供して
いたのはアメリカの国策であった、ということである。

なぜ、そのような事態となったのか。
それは、第二次大戦直後から始まった東西冷戦にその種子を求めることが
できる。

第ニ次大戦中・戦後を通じ、米ソの原子力技術開発と軍拡競争は熾烈を
極めた。

1950年前後では。
原水爆開発ではアメリカが一歩先んじたものの、ソビエトもほぼ間髪を
入れずに追従。
原子力発電では、ソビエトが先行している状況であった。

その、アメリカの焦りが透けて見えるようなデータを紹介しよう。
世界における、10年毎の営業運転を開始した原子力発電所数の推移
である(クリックすると、拡大します)。



 (データ出典:内閣府原子力委員会 平成21年度版原子力白書より)

1960年(昭和35年)以降1989年(平成元年)こそは、完全にアメリカが
上回っているものの。
冷戦初期の1959年(昭和34年)までは、ソビエトと英国しか商用原子力
発電をものにしていないことがよく分かる。

※ 1990年(平成2年)以降にアメリカが減速していくのは、1979年
  (昭和54年)のスリーマイル島原発事故を受けた原子力政策見直し
  によるものである。


その技術をちらつかて、ソビエトが自陣営への取り込みを強化したら。
発電による社会インフラの増強と、原爆・水爆に繋がる軍備増強と。
双頭の蛇を守護者とする敵性国家がオセロの目のように、一つ、また
一つと誕生していく。
当時のアメリカ政府は、そのような焦燥感に駆られていたことは想像に
難くない。


それが故に。
アメリカは、当時自軍の占領下にあった日本に対しても、自由主義陣営
への繋ぎ止め、ならびにアメリカの生産活動による技術的・経済的
囲い込みを強化していくべく動き出していた。

その一環として、アメリカにて台頭中であった原子力技術についても、
日本への展開を図るべくGHQを通じた工作が行われたのである。

(この稿、続く)



原子力政策学
クリエーター情報なし
京都大学学術出版会

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