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その他、音楽編、自然編も有り。

東照宮の近代―都市としての陽明門

2009-07-31 01:54:35 | 活字の海(書評の書評編)
著者:内田祥士(よしお) ぺりかん社刊 価格:5040円(税込)
評者:藤森照信 毎日新聞 2009年7月26日朝刊 書評欄より

サブタイトル:日光の建立現場で何が起きていたか

※ この書評の原文は、こちらで読めます



あなたは、色の溢れる油絵が好きですか?
それとも、濃淡で全てを表現した水墨画が好きですか?

あなたは、オーケストラの豊かな音場による交響曲が好きですか?
それとも、繊細な音色に耳を傾けるピアノソロが好きですか?

あなたは、燃え立つような躍動感に充ちた縄文式土器が好きですか?
それとも、清冽、かつ質実にまとまっている弥生式土器が好きですか?


そして…。
あなたは、煌びやかという言葉に尽きる日光東照宮が好きですか?
それとも、目に見えない空間の広がりを感じさせる桂離宮が好きですか?


建築の専門家の中では、とかく日光東照宮はその奢侈さが下品・俗悪と
される。
それは、桂離宮を”発見”したタウトの見解が、モダニズム美学の
定着と歩調を合わせるように日本に根付いてしまったためだ。

かくして、専門家は桂離宮を持ち上げ、一般大衆は東照宮を有り難がる
というベクトルの大きな流れが完成する。

それでも、専門家も一般大衆と同じ視線から出発して今の立場に有る
以上、どこかで一般大衆の共鳴に反応してしまうのではないか?

そうすれば、専門家の中ではアンビバレンツなベクトルを内在させる
こととなる。
この矛盾をどう解決するか。
それは、矛盾を内包する個々人が考えなくてはならない。
途方にくれながら…。


というのが、書評の大意。


面白かったのが、東照宮の建築期間についての考察。
あの壮麗にして華美を誇る東照宮である。
その建築にも、13年という歳月を要した。と通説では言われている
らしいが、実際にはなんと1年数ヶ月で完成させられた、という。

現代において、通常の一戸建ての家を建築する際の工期を考えても、
あの東照宮を建築する期間としての1年数ヶ月は、無茶苦茶な本来
在り得ないような数字である。

この超短工期の裏には、幕府による家康の命日までに完成させるべし
という厳命があった訳であるが、それにしても現場の総監督たる
甲良宗廣(こうらむねひろ)にとっては、どう考えても非現実的な
締め切りの設定だったことは違いない。

勿論、拒否する権利が甲良にある訳も無く、断れば死。締め切りに
間に合わなければ死。更に、その出来栄えが最高のものでなければ
これまた死。と、どう考えても絶望的な四面楚歌状態に、甲良は
その身を置かざるを得なかった。

唯一、甲良にとっての救いは、どれほどの費用、どれほどの人手をも
投入しえた、ということ。

かくして、1000人を越える工匠が現地にて作業するという、
これまたどう考えても管理監督の限界を超えた事態が現出すること
となった。

が。
実はこれこそが、東照宮の持つ魅力の源泉だ、と著者は断定する。

名工達が十分な報奨を約束された上で、管理の頚城(くびき)から
逃れて自由に腕を篩(ふる)う機会を与えられた結果。
あの陽明門を飾る無数の唐獅子達は、一つとして同じ顔つきのものは
無く、躍動感と個性に満ちた造形を持つに至った。と。


そうした、原初的なエネルギーの滾(たぎ)りが東照宮の魅力の
根源とすれば、桂離宮は精緻に計算され尽くした様式美の具現が
その魅力である。

とすれば、両者のベクトルがこれ以上無いほどに真逆なことも、
容易に説明がつく。


結局、人の情動に直接的に影響を与えやすいパワーを放ち続ける
東照宮であればこそ、多くの人々にとって魅力的と認知される
存在足りえた訳だし、桂離宮はその魅力を読み解くに際して、
その意匠に盛り込まれた造形上の計算を理解する必要が有るが故、
その能力を有する専門家に支持されたということだろう。


ここまで来れば、話は早い。

そうした両者を前にして、さてどちらにあなたは魅力を感じるか?
という踏み絵が意味を為さないことは明確になったのだから。

その分類の是非はともかく、分かりやすいので概念を拝借すると、
ロジカルな左脳派タイプか、エモーショナルな右脳派タイプか?
によって、自ずとどちらを好みとするかは分かれる、ということ
になる。

自分がどちらに属しているといって、悲観したり喜んだりする
ことに意味が無いように、東照宮が好きか、桂離宮が好きかの
踏み絵を前にして、自分の好みと専門家としての見識からの
選択に差異があって悩むことは無意味だ。

そこに優劣は無く、単に自分の感性との親和度の結果に過ぎない
のだから。


もっとも、専門家としてのプライドが、ロジカルな選択しか許容
出来ないとするならば。

僕は、そんな専門家にはなりたくないなあと、思う。


え?
お前のような素人に言われたくはない?
こりゃまた、失礼しました。

(この稿、了)


(付記)
それにしても。
この日本を代表する二大建築物の、どちらも未見なのは情けない。
自分自身の感性のベクトルを再確認するためにも、両者をきちんと
自分の目で味わってこようと思う。


東照宮の近代―都市としての陽明門
内田 祥士
ぺりかん社

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桂離宮 修学院離宮
京都新聞出版センター
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なるほど。
こうしたものの見方もあるのだなあと感心した本。
全く、物事と言うのは、縦横斜め、あらゆる角度から見ないといけない。
もしくは、真っ向正面勝負で行くか(笑)。
つくられた桂離宮神話 (講談社学術文庫)
井上 章一
講談社

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2 コメント

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Unknown (シャドー81)
2009-07-31 22:38:31
素人は東照宮、専門家は桂離宮か。
そんな評価があるとは知らなかった。

著者の「分裂を内包したまま対象と取り組む」というのは、よくわかりませんが、MOLTAさんの「専門家としてのプライドが、ロジカルな選択しか許容出来ないとするならば」というのが、東照宮をいいというと素人と思われるから、あえて桂離宮がいいということであれば、確かにそうはなりたくないなぁ。

ライトは、東照宮を評価しているじゃん、さすがと彼の1ファンは思うのでありました。

PS
それにしても、難しい漢字をいっぱい知っているね(例え変換の結果だとしても)。読むのに辞書がいるよ(T_T)

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Unknown (MOLTA)
2009-08-02 00:12:19
おお!
シャドー81さんはライトのファンでしたか!?
色んなところに造詣が深いですね~。
さすが、知識の引き出しのマジシャン。
#でも、蝦夷リス?(笑)

冗談はさておき、なるべく早い機会に両方を訪れたい。そう思った次第です。
まずは近場の桂離宮、一緒に行く?
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