著者 ねじめ正一(文藝春秋・1890円) 評者 大岡 玲
毎日新聞 10月28日(日) 11面 本と出合う-批評と紹介 より
不勉強な僕は、この本で取り上げられている北村太郎を知らなかった。
あらためて調べてみると、結構な著作、翻訳がある人で、
「日本の戦後詩の出発点となった同人詩誌『荒地』の創刊メンバー」との
ことである。
この北村太郎と、同じく『荒地』の創刊メンバーで高校時代からの親友
でもある田村隆一、さらにその妻 明子との人間関係が、この本の竜骨の
ようである。
ありていに言えば、田村の妻である明子に対して、北村が愛情を抱いて
しまう。しかし、それは田村の詩才(というか、ある意味田村自身)に対する
愛情とも奇妙に絡み合って、複雑な人間関係を織り成していく。
この関係を表して、評者は「この三角関係のものすごい生温かさは、
尋常ではない」とする。
この表現に、まず惹かれた。
#ちなみに、その恋が始まったのは、北村が53歳の時だそうである。
そんな三人を、更に彼らを取り巻く様々な個性溢れる人間をも描写しつつ
著者の筆は進んでいく。
その様子を表わしている評者のタッチも、とても個性的で心に響く。
詩作に関わる人々(全てではないにしろ)の狂気の嵐に巻き込まれ、
或いは巻き起こしながら生きていく(それは同時に死んでいくことでもある)
人々の生き方を称して評者は最後に「一風変わった人々の、苦しいけれど
ぽかんと明るくもある哀しみが、抜けない棘のように心に残る」としている。
この表現だけで、結構僕は痺れてしまいました。
そうした生き方に拒否反応を示す人は多いだろうし、AMAZONの書評を
読んでも、そうまでして人生を破壊尽くさなければ生まれないのであれば、
詩作なんかしたくないという趣旨の投稿があり、これはこれで激しく納得
なんだけれどね。
乱に在りて治を願い、治に在りて乱を思う。
人とは、そうした生き物なのかもしれませんね。
手にとって読んでみたい、そう思わせる書評に出会えた、幸せな朝です。
毎日新聞 10月28日(日) 11面 本と出合う-批評と紹介 より
不勉強な僕は、この本で取り上げられている北村太郎を知らなかった。
あらためて調べてみると、結構な著作、翻訳がある人で、
「日本の戦後詩の出発点となった同人詩誌『荒地』の創刊メンバー」との
ことである。
この北村太郎と、同じく『荒地』の創刊メンバーで高校時代からの親友
でもある田村隆一、さらにその妻 明子との人間関係が、この本の竜骨の
ようである。
ありていに言えば、田村の妻である明子に対して、北村が愛情を抱いて
しまう。しかし、それは田村の詩才(というか、ある意味田村自身)に対する
愛情とも奇妙に絡み合って、複雑な人間関係を織り成していく。
この関係を表して、評者は「この三角関係のものすごい生温かさは、
尋常ではない」とする。
この表現に、まず惹かれた。
#ちなみに、その恋が始まったのは、北村が53歳の時だそうである。
そんな三人を、更に彼らを取り巻く様々な個性溢れる人間をも描写しつつ
著者の筆は進んでいく。
その様子を表わしている評者のタッチも、とても個性的で心に響く。
詩作に関わる人々(全てではないにしろ)の狂気の嵐に巻き込まれ、
或いは巻き起こしながら生きていく(それは同時に死んでいくことでもある)
人々の生き方を称して評者は最後に「一風変わった人々の、苦しいけれど
ぽかんと明るくもある哀しみが、抜けない棘のように心に残る」としている。
この表現だけで、結構僕は痺れてしまいました。
そうした生き方に拒否反応を示す人は多いだろうし、AMAZONの書評を
読んでも、そうまでして人生を破壊尽くさなければ生まれないのであれば、
詩作なんかしたくないという趣旨の投稿があり、これはこれで激しく納得
なんだけれどね。
乱に在りて治を願い、治に在りて乱を思う。
人とは、そうした生き物なのかもしれませんね。
手にとって読んでみたい、そう思わせる書評に出会えた、幸せな朝です。