活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

崖の上のポニョ(後編)その2

2008-08-18 17:10:57 | 映像の海
宮崎駿監督 スタジオジブリ作品 2008 東宝系


(前述したように、本コラムはネタバレ注意!です)




そして、宗介である。

上述したとおり、宗介にはポニョが人間になれるかどうかの天秤としての
大きな役割が割り振られる。

宗介がポニョを受け入れられなければ、ポニョは泡沫となって消えてしまう
のだから。

が、ポニョの父フジモトの苦悩が滑稽なほど、このことは全く問題としては
観る者に認知されない。

なぜなら、物語の最初から一環して宗介のポニョに対する思いは、ポニョ
可愛い、ポニョ、僕が守ってあげるで貫かれており、その中でポニョが
魚から人間になったことも明らかにされているのである。

その宗介が、今更ポニョが元魚と知っても人間として受け入れてもらえますか?
と問われても、そんなの知ってるよ!で終わってしまうだけである。

故に、この天秤がどちらに傾くかと心配するものは、父フジモトを除いて
誰もいないというファルスとなり、ラストの盛り上がりになる筈のシーンは
美しい映像のみが流れ込み、過ぎていくという印象しか残さないことになる。


まあそうした視点も、すべからく物事に理由と収まりどころを見つけたがる
大人故のものであり、誰かが好きっと思ったらそれで十分。それに突っ走る
姿をこそ描きたかったのだと言われれば、そうでしたか、ごめんなさいと
この評論は引っ込めるしか無いのであるが…。


最後に。
上編でも述べたが、この作品の映像力は、本当に素晴らしい。
海の表現もさることながら、僕がもっとも気に入ったのは、ポニョの暴走に
よって海に沈んだ町並みのシーンである。

宮崎監督は、こうしたシーンがお気に入りと見えて、古くは『カリオストロの
城』で古代ローマの町を~こちらは水中から出したのだが~湖と絡めて描いて
いたし、『ラピュタ』では、城を空に浮かべていた。

どちらも、非日常のエリアに町が侵食されているという意味では、趣を同じく
する光景である。

透明で煌く水中に沈んだ町並み、船がこいのぼりのようにたゆたい、洗濯物が
物干し竿に揺らめいているその光景を見て、僕は『百億の昼と千億の夜』の
中で、神の怒りに触れて海に沈んでいる背徳のソドムとゴモラの町並みを
ユダが眺めているシーンを思い出していた。

 ※ この場合の『百億と…』は、萩尾望都のコミカライズ版の方である。
   原作も好きなのだが、このコラボは大のお気に入りである。

片や神の怒りによって、片や精霊の情動の発露によって、海の底に沈められた
町。
どちらも、人為らざる力によって沈められながら、どこか透徹した美しさを
持っていた町並み。

この作品で掲示されたイマジネーションの中で、もっとも好きなカットで
ある。


(この稿、了)

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