壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

病気納め

2011年12月28日 22時08分00秒 | Weblog
 ――「Tさんへ」と題する、今日の「M通信」を読んで心ふるえ、胸が詰まった。
 Tさんは、明らかに私のことである。その一部を無断で抜粋させていただく。

    (前略)もっと、もっと役に立つ役目が貴方にはあるのです。私には
    そう思えます。まだ、楽にさせてくれませんよ。
     いかに、多くの画家さんが、貴方に自分の創造した作品を観て貰い
    たいのか知っているのですか。貴方のひと言が、どれだけ画家さん達
    の励みになっているのか知っているのですか。
     まさか「もう自分の役目は1月には終わる……」なんて思っていな
    いでしょうね。(後略)

 気付かなかった、そんなに多くの画家さん達に愛されていたとは……。
 奇しくも、これに似たようなメッセージが、この27日の午前中に届いていたのだ。
 26日、駒込病院の検査・診察が大幅に遅れ、帰宅したのは午後2時頃。池袋のU先生の治療予約が午後2時。そこで電話でドタキャンという始末。U先生は、「お目にかかれないのは残念ですが、準備しておいたものと、武田さんに付いている神様からのメッセージがあるので、お送りします」と、やさしくおっしゃってくださった。非常に面はゆいのだが、全文を公開する。後で後悔しなければいいのだが、と思いつつ。

             武田○○さんへ。
    「人を愛する」ということを心に掲げて、人の愛に気付かぬ一生であった。
    神が武田さんを称えている。ひとの力になろうとする熱き心に称賛している。
    これは武田さんが一生をかけて作り上げた大切な宝物である。
    武田さんは教育の理想を追求することにより自分を神の高みまで持ち上げた。
    人生に悔いなし。
    この心を持って生き抜くこと。
                              神より

 八百万の神と言われるように、ただ「神」と言われても、わたし自身まったく心当たりがない。
 もちろん神棚には、お伊勢さんのお札を中心に、右側に氏神さま、左側に伏見稲荷、天河大弁財天、伏見神宝神社のお札を納めている。
 心当たりといえば、伏見神宝神社の宮司さんは、毎朝、私のためにご祈祷して下さっていることは承知している。

 正直、あとどれだけ生きられるかは分からない。体調としては日に日に悪くなっているように思える。しかし、Mさんの言うとおり、「とりあえず、七月まで生きてみ」ようと思う。


      仕事納め病気納めとはならず     季 己