捨てないでよかった。
新しく買い換えたので、処分しようとしたのだが、そのままにしておいた。
パソコンのことである。
昨晩、ブログを送信したあと、入浴のため一時電源を切った。
そして入浴後、電源を入れたら、インターネットに接続できなくなっていたのだ。
今朝も午前中、いろいろ試みたが、全く接続できない。
「ユーザID、パスワードが違う」の一点張りなのだ。
この元日から、一日も欠かさず続けてきたブログが、中断してしまう。半年に2日余して。
そこで、99年秋に購入し、引退していた“ウインドウズ・ミレニアム”に再登板してもらい、今、これを書いている次第。
芭蕉の弟子、凡兆にこんな句がある。
すずしさや朝草門に荷ひ込む 凡 兆
「朝草」は、夏の早朝、草を刈ること、またはその草のことで、まだ露を帯びている青草である。
一句は、夏の朝早く草刈に出かけてゆき、露に濡れたままの青草を、門内に荷い込んできた、それがいかにも涼しそうだ、という情景である。
夏の早朝、および、荷い込む人の爽やかな感じが、「涼しさや」に現われている。
この句は、「朝草門に荷ひ込む」という日常生活に詩情を見つけて、しかもそれを具体的・即物的に表現している。この点をしっかり学びたい。
俳句は、美辞麗句を並べたり、洒落た文句で飾るものではない。
日常生活において、「おや」「まあ」「あら」などという驚きや感動あるいは発見を、自分の胸中で再構成して、具体的に、物に語らせるものなのだ。
具体的・即物的表現は、凡兆の特色の一つであるが、これは芭蕉の「軽み」に相応する。凡兆が、『猿蓑』に芭蕉より多い四十四句も入集しているのは、当時の芭蕉の新しい考え方、「軽み」の方向に適合していたからだと思う。
「荷ひ込む」という言い方には勢いがあり、若さがあっていっそう爽涼の気を感じさせる。
俳句大会に入賞しなかったといって、がっかりすることはない。
その選者の方向に適合しなかっただけかもしれないのだから。
俳句力を伸ばしたい方は、結社に所属しているならその主宰の、無所属なら芭蕉の句を学ぶのがいい。
尾瀬、いや、失言の多い変人は、心敬を目指しているのだが……。
失言は水に流せず水芭蕉 季 己
新しく買い換えたので、処分しようとしたのだが、そのままにしておいた。
パソコンのことである。
昨晩、ブログを送信したあと、入浴のため一時電源を切った。
そして入浴後、電源を入れたら、インターネットに接続できなくなっていたのだ。
今朝も午前中、いろいろ試みたが、全く接続できない。
「ユーザID、パスワードが違う」の一点張りなのだ。
この元日から、一日も欠かさず続けてきたブログが、中断してしまう。半年に2日余して。
そこで、99年秋に購入し、引退していた“ウインドウズ・ミレニアム”に再登板してもらい、今、これを書いている次第。
芭蕉の弟子、凡兆にこんな句がある。
すずしさや朝草門に荷ひ込む 凡 兆
「朝草」は、夏の早朝、草を刈ること、またはその草のことで、まだ露を帯びている青草である。
一句は、夏の朝早く草刈に出かけてゆき、露に濡れたままの青草を、門内に荷い込んできた、それがいかにも涼しそうだ、という情景である。
夏の早朝、および、荷い込む人の爽やかな感じが、「涼しさや」に現われている。
この句は、「朝草門に荷ひ込む」という日常生活に詩情を見つけて、しかもそれを具体的・即物的に表現している。この点をしっかり学びたい。
俳句は、美辞麗句を並べたり、洒落た文句で飾るものではない。
日常生活において、「おや」「まあ」「あら」などという驚きや感動あるいは発見を、自分の胸中で再構成して、具体的に、物に語らせるものなのだ。
具体的・即物的表現は、凡兆の特色の一つであるが、これは芭蕉の「軽み」に相応する。凡兆が、『猿蓑』に芭蕉より多い四十四句も入集しているのは、当時の芭蕉の新しい考え方、「軽み」の方向に適合していたからだと思う。
「荷ひ込む」という言い方には勢いがあり、若さがあっていっそう爽涼の気を感じさせる。
俳句大会に入賞しなかったといって、がっかりすることはない。
その選者の方向に適合しなかっただけかもしれないのだから。
俳句力を伸ばしたい方は、結社に所属しているならその主宰の、無所属なら芭蕉の句を学ぶのがいい。
尾瀬、いや、失言の多い変人は、心敬を目指しているのだが……。
失言は水に流せず水芭蕉 季 己