壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

地震七日(なゐなぬか)

2008年06月21日 23時15分42秒 | Weblog
 声が出なかった。
 身体が硬直し、一瞬、思考が停止した。
 そしてすぐに、脳が超高速回転を始める。
 「厳美町のAさんだ。いや、Aさんが、いま・ここに居るわけがない……」と。
 「間違いない、やはりAさんだ」と、確信するまでに4~5秒かかったであろうか。
 岩手・宮城内陸地震から七日たった今日、銀座の「画廊 宮坂」での出来事である。

 今日は時折、大雨が降る、との予報だったので、外出は控え、自宅で篠笛の稽古と英語のヒアリング、読書などをする予定であった。
 ところが昼食後、空が明るくなってきた。
 こうなると、もうだめだ。じっとしていられない。“そぞろ神”にとりつかれた芭蕉状態である。
 どこへ行くかも考えず、足は自ずと銀座の「画廊 宮坂」へ向かっていた。まるで何かに導かれるように。

 画廊宮坂は、「伊藤清和個展」の最終日である。
 扉のガラス越しに、伊藤先生が、若い女性に熱心に説明されている様子が見える。
 緊張感を破るようで申し訳なかったが、扉を押して入る。
 2度目の来場を、先生は非常に喜んでくださった。
 すぐにお茶が運ばれ、伊藤先生、若い女性(独立美術の昨年度新人賞受賞のIさん)、宮坂さんの奥様、それに変人の4人で美術談義。
 これが、素人の変人にもとても勉強になるのだ。

 美術談義が一段落したところで、辞去しようと立ち上がったが去りがたく、もう一度全作品を、一点ずつ穴のあくほど観させていただき、入口の扉の横の作品を凝視していたところ、ガラス越しにAさんの顔が見えたのだ。この一週間、案じつづけた一関市厳美町のあのAさんの顔が……。

 Aさんも、ご主人も無事で、家もまったく被害はないとお聞きし、一安心。
 所用で東京に来たので、ついでに「コロー展」を観て、画廊宮坂に寄ったのだという。
 Aさんはご夫婦で、建築設計事務所を営んでいる。
 6月14日は、早朝5時に厳美町の自宅を出て、耐震の勉強会に出席のため、新潟県のあの山古志へ向かっていたので、震度6強の体験はしていないとのこと。
 帰宅しても、建物はもちろん内部もまったく異常はなく、厳美町も普段と変わりなく、静かであったという。
 ただ、地鳴りの音がしてすぐに縦揺れの余震がくるのは、恐ろしいようだ。
 Aさんのお宅は、震源から約20キロ。被害がないというのが不思議である。
 朝食後の時間であったせいか、火災は一件もなし。これが夕食の準備中の時間だったらと思うとぞっとする、とAさん。

 感心させられたのは、ご自分が手がけた建物の安否を、当日中に確認し終えたということだ。もちろん、被害は一軒もなかったという。
 Aさんご夫妻は、仕事熱心の上、責任感が非常に強い。本来はこれが普通なのだが、いまの時代、貴重な存在だ。
 絵の好きなAさんは、建物が完成すると、その建物にふさわしい絵を一点、自分のコレクションの中から、“永久にお貸しする”そうだ。
 「自分が好きで集めた作品だし、なかには高額なものもあるので差し上げることはできない」と微笑む。
 “永久に貸す”というのは、相手を気遣ったよいシステムだと思う。
 絵の好みは百人百様。自分の気に入らない絵を貰った建築主は、突き返すわけにも、飾らぬわけにもゆかず、大迷惑。
 “永久貸与”ならば、気楽に返せるし、気に入った作品ならば、永久に借りて、身の回りに飾っておけるのだ。
 Aさんらしい、思いやりのある発想である。
 そんなAさんに、例の中国の超人気画家Jの「お下げ髪の少女」の写真を見せたら、即、突き返された。「こんなの見るのもいやだ」と。
 やはり、Aさんと変人の“感性の磁力”は同じで、「画廊 宮坂」という強力な磁場に吸い寄せられて、やって来るらしい。

 今日あたりは、余震もだいぶ減った。しかし大雨の心配がまだある。
 政府をはじめ各県に、Aさんのような迅速なる対応を望みたい。
 被災された皆様に心よりお見舞い申し上げ、一日も早く復興されんことを念じて……。(合掌)


      地震七日 など啼きやまぬ四十雀     季 己