江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

二ケ領用水久地円筒分水

2015年12月17日 10時18分52秒 | Weblog
あまり色気のない名前であるが、先日見学した写真が出てきたので、皆様に紹介する。








川崎市高津区久地にあり溝の口駅から10分ぐらい。、昭和16年に建設され、現在、国登録有形文化財とされている。

1、二ケ領用水とは、江戸時代、徳川家康命で、多摩川左岸の川崎領と稲毛領に治水と新田開発のため、代官小泉次太夫が14年かけて完成させた。
この用水は流域60ケ村、2007町の水田を潤し、コメの収穫量は飛躍的に伸びたと。

2、二ケ領用水分水筒とは、久地に設置された分水樋で、4か村に分けるためのものがあったが、水量・水位の変化から、4か村の面積平等に配するに苦労していた。文政4年1821年には、「溝口騒動」という水争いが起こっている。

3、近代に入っても正確な分水管理が求められ、大正年代には分水装置の原型が作られた。ただし高低差が必要で上流のため池のある場所に作られていた。

4、昭和16年1941年、当時多摩川右岸農業水利改良事務所長の平賀栄治氏が、当時多摩川の支流で洪水を起こしていた平瀬川改修事業を行っていた。そこで、二ケ領用水と平瀬川がクロスするところで、二ケ領用水を平瀬川の下にコンクリートの管で潜らせ、これをサイフォンの原理で、現在地に噴出させ、この水を4か村の田園面積に比例した川幅の、4本の用水路を設置し、これを4か村に流したわけ。サイフォンで上がってくるから、水量・水位の変化は受けにくい最も優れ他正確な分水装置であった。

5、昭和20年の終戦後、円筒分水を視察に来たGHQの農業土木技師によって、米国にも紹介されたとか。

6、しかし、多摩川左岸一帯は都市化進んでおり、農業用水としての役割を終え、平成10年に国登録有形文化財に登録され保存さている。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 1年前のブログです  パソ... | トップ | 12月23日天皇誕生日・・... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事