江戸の退屈御家人

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服部半蔵 の墓を見る

2020年03月12日 18時54分00秒 | タウンウォッチング
四谷の若葉を歩いていると、西念寺というお寺に、服部半蔵の墓があるのを発見した。


服部半蔵は忍者ハットリくんの親分かと思っておったら むしろ徳川16神将のひとり、掛川城の戦い 姉川の戦い 三方原の戦いに上ずいぶん戦功のあった実力者であったらしい。
 彼は本能寺の変の時、家康が堺から逃げ逃げ帰る途中、伊賀の山中で危険があったのを服部半蔵が 伊賀甲賀の衆を集め家康の安全逃走に寄与したから 以後父親の出身地伊賀の衆の棟梁を任され、与力30騎、同心200人の御庭番、隠密の仕事を与えられた。その役宅が江戸城西門あたりにあったから、半蔵門と言われるようになったとか。

 なお四谷寺町と言われる 若葉 須賀 左門町は 3代将軍家光の時江戸城の外堀を作るため現在の麹町界隈にあった多くのお寺を四谷に移転させた。その中の1つに西念寺 半蔵の菩提寺もあったということだ。


西念寺の裏に 観音坂があり ここの
真成院に潮踏観音がある。四谷のこの辺りは江戸時代以前から 潮踏の里といって 汐の干満が寄せており ここにあった真成院の観音様の台座が汐の干満で湿ったり乾いたりしていたから潮干観音とも言われたとのこと。
 いつ頃のことか分からないが、四谷のすぐ先まで海が迫っていたのだ。


 

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