江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

玉川上水を歩く④ 結願

2020年06月21日 17時12分00秒 | 歴史を旅する
今日21日 夏至。玉川上水の羽村取水堰から四谷大木戸まで43キロ、これを今5日間で 歩いて結願した。
1、初日は羽村取水堰から拝島駅まで。
2、2日目は拝島駅から鷹の台駅まで。
3、3日目は鷹の台駅から三鷹駅まで。
4、4日目は三鷹駅から下高井戸駅まで。
5、今日5日目は下高井戸駅から四谷大木戸まで。43キロの道を5日に分けて歩くなんて軟弱。やはり歳のせいである。が それなりの充実感もある。

玉川上水を歩いてみるといろいろなことが分かる。いろいろ考えさせられる。

当初江戸市民へ飲料水を供給する目的であったが 後には 上水途中の各地で分水取水堰を作り 野火止用水もある 武蔵野台地の開墾の根拠となった。今も 小平市 国分寺市 西東京市 小金井市 武蔵野市 三鷹市などの地域で短冊状の区画整理のある地域が残っているのは きっと玉川上水から水を引いてそして開墾した痕跡であろう。

いわゆる玉川上水公園は杉並区の浅間橋で終了している。その少し先が環八通り でここから新宿 四谷大木戸までは暗渠になっている。つまり環八以内は東京の大経済圏で 昔のままの玉川上水を流しておく余裕はないと言うことなのであろう。

そして環八から先は暗渠であるが故にどこが玉川上水か分かりづらい。甲州街道とその上の中央自動車道の下を下北沢駅から手探りで歩いた。

下高井戸から和田堀廟 明治大学までは暗渠上が公園らしいので分かる。その先の笹塚あたりから 上水の暗渠が分かりづらい。
この辺から甲州街道の南側を玉川上水の暗渠が走っているらしい。














こうして初台を通りいよいよ新宿だ。




文化服装学園の前がどうも玉川上水の暗渠のようだ。
 この先は新宿駅周辺でわからない。ただ甲州街道は今新宿御苑に沿って走っている。だから新宿御苑の中に玉川上水の痕跡を残している。






そしてついに四谷大木戸跡に到着しました。





こうして 玉川上水を歩く を結願しました。パチパチ。









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