江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

吉備路 幻想

2022年09月13日 16時05分00秒 | Weblog
吉備の鬼の城を見た。
 温羅伝説では桃太郎に滅ぼされた鬼である。
 総社駅の先 7kmの標高400mの城山に 山城があり 温羅がこもったとされる。版築土塁と列石を巡らせた山城。城内には食糧貯蔵庫や管理棟もあり 強固な山城である。
 後世の文献では この辺りに生活していたのは百済の王子であったようだ。
 大和朝廷は四道将軍を派遣し これを滅ぼした。その補佐官に犬養の臣があり 昭和の宰相 犬養木堂が 自分の先祖と固く信じていたようだ。

















鬼の城跡から吉備の野や瀬戸内海 四国まで見える 絶好の地だ。
 
 近くに造山古墳群があり 全国第四位の大きさを誇る。かって ここに大和勢力と匹敵する勢力が存在したのだろう。その根拠が 備中一宮 吉備津神社で その後大和勢力の侵攻軍の前線 吉備の中山の裾に 総司令官居住地を 吉備津彦神社と祭り その後どういう理由か 吉備を 備前 備中 備後と分けて 吉備津彦神社を備前一宮にしたようだが。土着の神と 大和勢力の神を 分離併存させたと思える。

 その後 世が降って 奈良時代に国分寺が建てられた。






現役で 日照山国分寺善男善女 とある。
近くに国分尼寺の礎石跡がある。
 栄枯盛衰 時の流れ。




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