江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

京都大学博物館 を覗く

2022年01月13日 16時30分00秒 | Weblog
1月も13日になると正月の気分がおさまって 日常生活に帰ってきたような気がする。学生諸君も本来の生活に戻ってきているようだ。そこで今日は京都大学博物館を覗いてみた。隣は共通1次テストの会場予定地であった。








この博物館は類人猿の研究の成果をたくさん置いているみたい。もちろんそれ以外にもあるが。

 その後 京阪電車に乗って樟葉駅まで行き 継体天皇の樟葉宮跡を訪ねた。
 

貴船神社があり ここが樟葉の宮跡と想定される。この前に
交野天神社(かたのあまつかみやしろ)がある。この神社は天神さんでなく 桓武天皇が長岡京遷都の翌年785年に遷都の大事業の感謝して天神(あまつかみ)を祀った。これは中国の皇帝が冬至の日に天壇で天帝を祀る例に習ったもの。ちなみに桓武天皇は父 光仁天皇を合わせ祀った。








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伏見稲荷大社 奉射の儀を見る

2022年01月12日 16時40分00秒 | Weblog
 京の正月は 神社仏閣いろいろな行事があって忙しい。
 今日1月12日 伏見稲荷大社では 奉射祭という お弓はじめの儀があると。









 まず祭場を清めるため 四方の天地に
矢が放たれる。

次に2人の射手が20メーター先の的をめがけて 奉射が行われた。





これは今年の五穀の豊凶を祈るという重大な意味を持っているそうな。
 
 これが終わると 直会が行われる。






 式の後に 巫女さんが 神主さんや神主補佐の10名位の面面に 御神酒と お米を下していた。 これが直会と言うものかと初めて知った。

 野次馬も見に行くのは良いが 1時間以上も 時々粉雪がパラパラする中で立ちずくめで待つのは大変だった。しかし神主さんやその他は薄い着物で寒い中を長時間 式典をやっておられる。仕事と言えば仕事だが大変なもんだ。軟弱な下々の人間は感心するばかり。
 京の奥深さを一つ経験した。

 ただただ寒く疲れるばかり 伏見の飲み屋に行かずに 帰って熱燗を飲む。


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醍醐寺に参詣する

2022年01月10日 17時11分00秒 | Weblog
山科に 醍醐寺と随心院に参詣した。
世界文化遺産 総本山醍醐寺。






三宝院と言う歴代醍醐寺の座主の居住区域を 醍醐の花見 以来整備されて きた。 その庭園は秀吉が基本設計をしたもので 特別史跡名勝に指定され この庭園を見渡せる表書院など多くの建物が重要文化財に指定されている。

醍醐の花見のクローン桜と三宝院玄関。









ちなみに 秀吉の死の5ヶ月前に行われた醍醐の花見は 奥醍醐に至る山の中腹で行われたようだ。その場所には桜がないので下の方に桜を植えたり移動したりして その上の方から花見をしたと言うことらしい。現在も醍醐の花見の跡地には桜がないとのようだ。

 次にコミュニティバスに乗って近
の随心院門跡に行きました。 小野小町の伝説で有名であるが ここも真言宗善通寺派の大本山である。ある。


結婚式の後の記念写真を撮っているカップルがいた。
 深草少将が絶世の美女小野小町をしたって雨の夜も雪の夜も通い続けたが99日目の夜 世を去った 百夜通い( ももよがよい) の伝説がある。


お寺では現代風に 男に言い寄られたり ラブレターを寄せられた女が 過去を葬る 告白 なる衝立があった。
 
謡曲 通い小町と 卒塔婆小町の伝説もある。




これが卒塔婆小町の原型か。


花の色は 移りにけりな いたずらに 我が身世にふる ながめせしまに
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初えびす

2022年01月09日 18時01分00秒 | Weblog
 京都の七福神は 1、恵比寿神 --えびす神社 2、大黒天--松ヶ崎大黒天 3、毘沙門天--東寺 4、弁財天--六波羅蜜寺 5、福禄寿神--赤山禅院 6、 寿老神--革堂 7、布袋尊--万福寺 となっているのを知った。
 1月8日から12日まで 十日えびす大祭が 祇園宮川町の 恵比寿神社で行われる。これを 初えびすと言うらしい。
 商売繁盛で笹もってこい! の掛け声で
西宮のえべっさんが有名だが ここ色街のえべっさんも人気がある。



ここは鎌倉時代建仁寺の鎮守社として創建された。

建仁寺の南門

 すぐそばに六波羅蜜寺がありここは弁財天を祀ると言うよりむしろ空也上人の 六本のろうそくを乗せた舌を出している姿が有名だ。
 さらに近くにある六道珍皇寺がある。
 大本山建仁寺の塔頭であるが 「六道の辻」は葬送の場として有名な 「鳥野辺」の入り口で迎え鐘の六道参りが行われる。



冥界に出入りし閻魔大王と友達であったと言う小野篁が住んだとか。



小野篁が冥界と地上を出入りしたと言う伝説の井戸。






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鯖街道起点 を踏む

2022年01月08日 16時48分00秒 | Weblog
鯖寿司を食べると 若狭から「京は 遠くても18里」を思い出す。
 そこで今回は 鯖街道の出発点を確認した。

ここに博物館があり 世話役のお爺さんの話を聞いた。心に残ったのは
 1、  18里の道のりはアップダウンがある山道で 皆んなが皆んな京都まで運んだ訳でない。途中の集落の人達に鯖の荷物を売却して 順に京までリレーして行くと。中には利を得るためを一人で18里直行する強者もいたが、多くはない。
 2、若狭で鯖は多量に取れる安い魚。だからそれを捌くのに大消費地 京都はよい。ただ料理方法がない漁村では塩漬けにして送るより知恵が無かった。一方京都では水が豊かだから 塩漬けを戻して 鯖寿司を
編み出した。文化の付加価値をつけた訳だ。だから鯖寿司は京都の料理で若狭の料理でない。若狭には寿司屋がないとか。逆輸入の店はあるが。



話しの種に御土産を買った。
若狭で魚をと考えたが 普通の刺身しかない。



結局 青春18切符の最終5回目は 京都発 綾部 舞鶴 小浜 経由のlongジャーニー となって 十分元を取れた。
 爺さんの冒険も 今後はマイルドにと思っています。なにしろ サルコペデイア
と フレイル を実感しているので もう無理は禁物です。






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白馬奏覧神事 と 若菜節句祭in 上賀茂神社

2022年01月07日 17時23分00秒 | Weblog
1月7日は七草粥の日である。
 上賀茂神社では 年の初めに白馬を見ると一年の邪気が祓われると言う宮中行事.白馬節会に由来する白馬奏覧の神事行われる。









また同時に七草粥の接待も行われる。



我輩も今年は七草粥をいただきました。
この後 バスに乗って金閣寺に行きました。雪のない金閣寺でありました。


次に 今宮神社に行きました。





ここはこじんまりした庶民的な神社で安らぎがあるようです。でも正月三箇日は大変混んだみたいです。
 次に近くの大徳寺に行きました。ここは大変格式のあるお寺で有名な塔頭が沢山あります。




こういう風雅な雰囲気をたたえています。
なかで最も古い塔頭の 龍源院を参観しました。



格調の高い枯山水のお庭でありました。

 その後バスに乗って祇園に出ました。祇園新橋のあたりをぶらぶらしながら祇園の雰囲気を楽しみました。
 その時 偶然に 「花街の始業式」という花街の仕事始めの行事に出くわしました。
 1月7日は花街の関係者、お茶屋、置屋の女将方も一堂に集まり 主役の芸妓、舞妓たちは黒紋付きに「稲穂」のかんざしの正装で出席し 前年の売り上げの良いお茶屋や芸妓舞妓の表彰式も行われるそうな。
 その後 芸妓舞妓が なじみの店に挨拶まわりをする習わし。










祇園新橋の辰巳大明神がここの氏神さんみたいな感じ。

京都の正月 は いろいろ行事があって忙しい。

 しかし大徳寺塔頭の受付のおばちゃんが 正月間はそこそこ参観者がきはったが 昨日からオミクロンの影響でお客さんが激減したと嘆いていました。受付を閉めるわけにもいかないしと。













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遠くへ行きたい

2022年01月05日 19時24分00秒 | Weblog
 昔 昭和の歌に
知らない街を歩いてみたい
どこか遠くへ行きたい
知らない海を眺めてみたい
どこか遠くへ行きたい
遠い街 遠い海
夢はるか 一人旅
 という歌があった。
2022年の年頭 我輩も 知らない街を と
やってみました。50年以上前の高校生の時代 地歴部と言うクラブで 地理や歴史や
時刻表の旅 をいろいろ楽しんだ。後期高齢者になっても 雀100まで歌を忘れず の典型。楽しいことには進歩がないのだ。地図鉄もいいものだ。

というわけで 青春18切符を利用して 山陰線の 和田山駅 まで行きました。







この後 播但線を利用して姫路まで出ました。途中 竹田城と言う 天空の城があるが 今回は見ることもできなかった。
 約2時間10分のローカル線で 日本海側から瀬戸内海側まで行きました。















東京の県人会でいつも話題になる まねきの駅そば が昭和24年から今も健在でありました。立ちそば 360円なり 学生さんが主に利用する客だ。

 こうして 新快速に乗って京都まで。約1時間半。快適。正月早々いい気分です。


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蹴鞠はじめ in 下鴨神社

2022年01月04日 16時54分00秒 | Weblog
下鴨神社で 蹴鞠はじめ があった。
時雨のなか 保存会の皆様は 水干を汚しながら一生懸命やっていました。
















下鴨神社では
12月31日の 大祓式 除夜式
1月1日の 初詣 歳旦祭
1月4日の 蹴鞠はじめ
1月5日の 年賀祭
1月9日の 成人祭
1月13日の 初干支祭
1月15日の 御粥祭
2月3日の 節分祭  と行事が続く。



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伏見稲荷 に初詣

2022年01月03日 17時13分00秒 | Weblog
 1月3日 伏見稲荷大社に初詣しました。
伏見稲荷は全国の稲荷神社の総本山。
東京にも 西東京市の青梅街道沿いに 東伏見という伏見稲荷を招請した神社がある。その側に縄文時代の遺跡があるが 京都には縄文文化がほとんどないのに 神社文化なんかは 断然京の都が優先しているのだ。古くから五穀豊穣 商売繁盛の神様で人気を集めている。




神楽殿の舞台で巫女さんたちが 神楽を奉納していたが 写真は禁止。



言わずと知れた千本鳥居

千本鳥居でなくても 鳥居の形をしたもので奉納して商売繁盛その他を祈る習わしみたい。

おもかる石。ダジャレ的に楽しんでいる。

昔の時代に石の鳥居を奉納したものは神社の摂社みたいになっているが そこに現代の人が祈りの鳥居を形として奉納して祈っている。

 とにかく現世利益を望む人が多く おみくじや占いが1番人気があるみたい。

伏見稲荷の後に 伏見の街で鳥清と言う 造り酒屋の飲み屋があるのでそこに行こうとした。ご承知のように伏見は酒の街。
黄桜のショップはやっていたが 飲み屋はさすがに1月3日まではお休みと。残念。

近くには 歴史があった。少し先には 伏見奉行所跡がある。




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平等院鳳凰堂に詣る

2022年01月02日 17時35分00秒 | Weblog
平等院鳳凰堂に詣った。






極楽浄土の感じがする。



帰りに 宇治茶の店が並んでいるので 抹茶をトライした。


近くの宇治橋に紫式部の像と宇治十帖の
説明があった。




順序は逆になるが
今朝は先ず 洛北の岩倉実相院を訪ねた。ここは床みどり・床もみじで有名なお寺。しかし今は冬で残念ながら見えない。


庭園はきれいだ。

庭園の向こうに比叡山の頂上が見える。
近くに岩倉具視の隠棲宅があった。


この後 京都の南 宇治まで行きました。




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継体天皇の 今城塚古墳を見る

2022年01月01日 18時23分00秒 | Weblog
 今日1月1日 大阪府高槻市にある 今城塚古墳を見てきました。
 第26代継体天皇の陵墓とみなされているが 宮内庁は約1.5キロ西にある太田藍野陵を継体天皇陵と見做して、ここ今城塚古墳を天皇陵としていない。それは江戸時代 本居宣長が太田藍野陵を継体天皇陵としたこと それに戦国時代に戦場基地に使われ荒れていた それが理由のようだ。大正時代にいくつかの学者が文献調査の結果 この今城塚古墳を継体天皇陵墓として以来、これが通説となっているらしい。
 宮内庁が陵墓としない以上 ここは大阪府と高槻市の所轄になり その結果 天皇陵としては学術調査が可能となった古墳なのである。
 平野部分に盛り土し二重の環濠をひいた350メーター程度の前方後円墳である。高槻市の所管で古墳公園にしてあるもので
古墳に登り様子がよくわかるようになっている。



古墳時代も後期の 大王権力の安定して祭祀が重視され 家形埴輪や武人埴輪が特徴的に見える古墳である。





継体天皇の系統が欽明天皇や推古天皇や聖徳太子と続く。継体天皇がその前の天皇たちとどういう風な関係になるかがいつも議論になるところであり興味関心は尽きない。宮内庁が想定している太田藍野陵墓が年代からして継体天皇のおじさん位だとすると 歴史の認識が変わる可能性がある。古代史のロマンである。

 こうして正月早々古代史の探検をやれたのはありがたい。
 高槻まで来たから足を伸ばして大阪でうまいものを食べようと行きました。しかし大阪でも1月1日はやはり休んでいました。食べるところを探して歩いているうちにJR地下鉄の北新地駅に出ました。これに乗って次の大阪天満宮駅で降りました。ここは大阪の天神さんであり、ここで初詣をすることになりました。北野天満宮は行ってないのに。





天神橋商店街の中で 大阪では珍しい洋食ランチを食べました。
 その後JR東西線で この線はJR学研都市線につながり奈良県の木津まで続いていた。ここは例の青春18切符の出番である。木津で乗り換え みやこLINEで京都まで。
 準備不足のせいで この途中に 宇治の平等院 と 伏見稲荷 という絶好の初詣スポットを見過ごしてしまった。
 京都に着くと 仕方ないから八坂神社に初詣に行きました。






おけらの火はもう終わってしまっていた。

10年以上前には 12月3 1日に 知恩院の除夜の鐘撞きを見て その足で円山公園を横切り八坂神社に入り オクラの火をもらってぐるぐる回しながらホテルに帰った覚えがある。
このとき
 煩悩を 撞きて 八坂のオケラかな

の句を句会に出したが、 往時茫々。







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12月31日 羅城門跡を訪う

2021年12月31日 14時20分00秒 | Weblog
 2021年の終わりに 平安京の正門 朱雀大路の南端にあったとされる羅城門の後を見に行きました。



今は小さな児童公園の中に滑り台の前に石碑が立っているのみ。

羅城門と同じ通りの東西に 東寺と西寺が並んで建てられていた。しかし西寺のほうは 今は石碑を残すのみ。

なぜ西寺が滅んで東寺が現在も残っているのか。むしろ東寺が残っている方が奇跡とも言えよう。残った理由を考える方が重要と思える。歴史の変遷 栄枯盛衰にかかわらずよく残ったものだ。

 ちなみに羅城門の前に小さな地蔵堂があった。ここには お寺同士の争いがあったと書いてある。それが西寺の滅んだ理由の1つかもしれないし そうでないかもしれない。


この後 千本丸太町に 平安京の大極殿跡を見に行きました。








1177年に大内裏が焼失 歴代の天皇の多くは 里内裏を使用し この辺りは応仁の乱で荒廃したそうな。今は写真の通り 後ろに小さな木造のアパートらしきものが立っている中にある。

 明治時代に都が東京に移ったことで 京都の大内裏に見合うものとして 平安神宮が建築されたとのこと。

2021年の大晦日 ぼたん雪の舞う京都の街で 古の歴史の一端 を思いました。






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法隆寺を歩く

2021年12月29日 19時04分00秒 | Weblog
12月29日 御用納めが終わったら なんか街は人の出が多くなったみたい。
 こういう師走の人混みを横目に 吾輩は青春18切符で 京都から草津へ 草津からJR草津線で柘植まで。ここはどうも三重県らしい。ここからJR関西線で奈良を経由して法隆寺駅まで。
 ここから30分ぐらい歩いて法隆寺に行きました。小学生の時の遠足以来だな。





松並木の山道から仁王門 国宝まで。







古いお寺の庭は 京都の禅宗寺院や浄土寺院の 理屈をこねた庭園もいいが 一方 なんか安心感がある。お寺の文化財の顔というものか。


宝蔵院。国宝 百済観音や玉虫厨子などを収めてある。これは平成15年に完成したもの。1500年の歴史の中で 今の時代も歴史の流れに協力している。







路地塀の先に 夢殿がおわしました。

その隣に 中宮寺がありました。


ここは尼院で そのため法隆寺にいろいろいじめられてきた歴史があるような。現在も尼寺の伝統で 孤独な女性を守るとか。

いずれにせよ 久しぶりに法隆寺に来てよかった。

 ただ歴史的には 聖徳太子が亡くなってから19年で 聖徳太子の長男のなんとかの宮が蘇我馬子に攻められて 自刃して果て 上宮王家は滅んだ。その2年後に大化の改新 いや いっしの乱が起こる。
 この歴史的背景のほうに吾輩はよほど興味を持つ。




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除夜の鐘 試し撞きin 知恩院

2021年12月27日 17時39分00秒 | Weblog
今日12月27日。年末が近づいていろんなところで年末新年の準備をしている。 
 12月3 1日はNHKの行く年来る年の 除夜の鐘の姿が知恩院の大鐘のあった。
 今回たまたま12月27日に3 1日の除夜の鐘本番のリハーサル 日本語では 例し撞き というのをやると言うから見に行きました。ちなみに今年の3 1日本番はコロナの影響で人数制限予約制で13日に既に売り切れている。
 さすが試し撞きは予約なしで見たい人はどうぞ と言うことであった。


坊さん達がお経をあげて何か何か説話をして鐘撞きが始まるみたい。

午後2時から試し撞きの練習であったが 本当に鳴らしていた。

その後は 円山公園に抜けて いつもお世話になる 平野家の いもぼう を食べた。



仰々しく御託を並べているが 要は
棒鱈とたろいもを煮込んだ簡単な料理で 昔はこんなものしかなかったのだろうが これを知恩院と八坂神社の円山公園の中で京都の名物でございと言っているところが凄いところだ。
 ちなみに、昨日 ポント町で おばんざい昼食セットを食べた。おばんざい というが、なんてことはない、京都の田舎料理だ。 これが 文化 商売なのか。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ちなみに今日は山陰北陸で大雪と言う全国放送が流れているが 京都はほとんど雪が降っていない。

今朝7時15分の京都の西側の姿である。



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北野天満宮 終い天神

2021年12月25日 13時52分00秒 | Weblog
今日12月25日は菅原道真の誕生日/死亡日の縁日で 北野天満宮に天神様の市が立つ最後の 終い天神である。多くの人が年末の買い物おいしい正月の準備をすると言うわけである。やじうまの我輩も話の種に見に行きました。
 
市 そのものはそれほど多くの人がおらず思ったよりマイルドであった。おかげで北野天満宮をじっくり見せてもらった。
 菅原道真の怨念を慰めるため 神社を作るべくここの土地を提供したのが多治比文子で 同氏を祀る地主社がある。
摂社に道真の舎人の牛引き担当者を祀った面白いものもあった。
野見宿禰を祀った末社もあった。
 
北野天満宮の裏に秀吉の時代につくった御土居の跡が残っている。
名物の 長五郎餅とお薄をいただいた。
なお 市での買い物は 琵琶湖から来た 鮒のなれ鮨 と 北山のおばあちゃんの自宅産の 柚木を土産とした。
 この後 近くの花街 上七軒の歌舞練場を見た。
この後 千本釈迦堂を歩く。
ここは京都市内で一番古いお寺で、おかめの像と夫をたたえた話が残っている。それに12月7・8日に、無病息災のため大根炊き行事 がある。

 次に 近くの千本閻魔堂へ。
閻魔様はビニールのカバーの中に鎮座しておられるこの閻魔堂は楽しい。閻魔様のお友達の 地獄と現生を行き来する 小野篁がここの本尊の一人のようだ。ここに 紫式部の墓がある。紫式部は源氏物語の中で、現実の天皇二人の悪口を書いたことで、地獄に落とされたとか。これを地獄から救い出したのが 小野の篁で、そこから紫式部の墓と像があるとか。
千本通りも鞍馬口に近い このところは昔からの庶民的な場所なのだ。ここも壬生寺と同じように 学のない庶民のために 仏の教えを狂言で教えている。

 今日は 実に楽しい年末の京都であった。
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