今日1月1日 大阪府高槻市にある 今城塚古墳を見てきました。
古墳時代も後期の 大王権力の安定して祭祀が重視され 家形埴輪や武人埴輪が特徴的に見える古墳である。
継体天皇の系統が欽明天皇や推古天皇や聖徳太子と続く。継体天皇がその前の天皇たちとどういう風な関係になるかがいつも議論になるところであり興味関心は尽きない。宮内庁が想定している太田藍野陵墓が年代からして継体天皇のおじさん位だとすると 歴史の認識が変わる可能性がある。古代史のロマンである。
天神橋商店街の中で 大阪では珍しい洋食ランチを食べました。
おけらの火はもう終わってしまっていた。
第26代継体天皇の陵墓とみなされているが 宮内庁は約1.5キロ西にある太田藍野陵を継体天皇陵と見做して、ここ今城塚古墳を天皇陵としていない。それは江戸時代 本居宣長が太田藍野陵を継体天皇陵としたこと それに戦国時代に戦場基地に使われ荒れていた それが理由のようだ。大正時代にいくつかの学者が文献調査の結果 この今城塚古墳を継体天皇陵墓として以来、これが通説となっているらしい。
宮内庁が陵墓としない以上 ここは大阪府と高槻市の所轄になり その結果 天皇陵としては学術調査が可能となった古墳なのである。
平野部分に盛り土し二重の環濠をひいた350メーター程度の前方後円墳である。高槻市の所管で古墳公園にしてあるもので
古墳に登り様子がよくわかるようになっている。
古墳時代も後期の 大王権力の安定して祭祀が重視され 家形埴輪や武人埴輪が特徴的に見える古墳である。
継体天皇の系統が欽明天皇や推古天皇や聖徳太子と続く。継体天皇がその前の天皇たちとどういう風な関係になるかがいつも議論になるところであり興味関心は尽きない。宮内庁が想定している太田藍野陵墓が年代からして継体天皇のおじさん位だとすると 歴史の認識が変わる可能性がある。古代史のロマンである。
こうして正月早々古代史の探検をやれたのはありがたい。
高槻まで来たから足を伸ばして大阪でうまいものを食べようと行きました。しかし大阪でも1月1日はやはり休んでいました。食べるところを探して歩いているうちにJR地下鉄の北新地駅に出ました。これに乗って次の大阪天満宮駅で降りました。ここは大阪の天神さんであり、ここで初詣をすることになりました。北野天満宮は行ってないのに。
天神橋商店街の中で 大阪では珍しい洋食ランチを食べました。
その後JR東西線で この線はJR学研都市線につながり奈良県の木津まで続いていた。ここは例の青春18切符の出番である。木津で乗り換え みやこLINEで京都まで。
準備不足のせいで この途中に 宇治の平等院 と 伏見稲荷 という絶好の初詣スポットを見過ごしてしまった。
京都に着くと 仕方ないから八坂神社に初詣に行きました。
おけらの火はもう終わってしまっていた。
10年以上前には 12月3 1日に 知恩院の除夜の鐘撞きを見て その足で円山公園を横切り八坂神社に入り オクラの火をもらってぐるぐる回しながらホテルに帰った覚えがある。
このとき
煩悩を 撞きて 八坂のオケラかな
の句を句会に出したが、 往時茫々。
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