田口は小児科からもらってきた雑誌を速水が夕食を作っている間、眺めていた。今月の特集は「子どものむし歯予防」。6月のネタにふさわしい。乳歯は生え替わるから、むし歯になってもいいや。と思いがちだが、乳歯の下に控えている永久歯に多大な悪影響があるのは、結構、知られていない。
子どもは大人のミニチュアじゃない。それは速水の口癖だ。子どもを蝶々にたとえるなら、幼虫の芋虫だ。大型の蝶や蛾は芋虫の時にきちんとしたエサを与えられないと、成虫になっても生を全うできない。と力説したのは、獣医学部の教授だ。
大人は子どもは、大人の小型版と思いがちだ。だが、それは全く違う。子どもは大人とは全く違うシステムを備えた一つの生物なのだ。だから、小児科医という専門医がいる。
「行灯。何、熱心に読んでいるんだ?」
「ああ。子どものむし歯予防について。むし歯って、たいしたことないって思いがちだけど、結構、大変だなぁって…。しかも、仕上げ磨きは小2までしましょうだってさ」
田口は雑誌の特集ページを、速水に見せた。
「そりゃ、大変だ。けど、子どもにとっては親とのスキンシップになって、嬉しいんじゃないか?」
「…だとしても、親業って大変だよな」
しみじみ。田口はとても自分にはできないと思った。ひとりの今でさえ、自分の世話を見るだけで精一杯なのだ。これに人格を持った子どもを、他人だった女性と一緒に育てるなんて、考えただけで息苦しくなる。
「でも、多かれ少なかれ、親なら誰でもしていることだから、別にたいしたことじゃないと言えばそれまでじゃないか?」
からりと笑いながら、速水が豪快な男料理をダイニング・テーブルに並べた。
「それはそうだけど…」
田口は速水作の夕食を見て、これはおなかにこってり溜まりそうなメニューだと思った。しかも、これを残したら、絶対、こいつはごねるというのも分かった。
だったら、残した分は明日、弁当にして、オレンジに差し入れするか。どうせ、食事も満足に食べられない医者がゴロゴロはしているのだ。味より量だ。
あとは速水に持たせるか。田口が持って行ったがいいかだけだ。
「けど、お前なら大丈夫だろう。火事場の馬鹿力だからな」
速水は田口の沈黙を勘違いしたのか。アハハッと笑いながら、ウインクする。
「速水。それ意味、違うから…」
誰が火事場の馬鹿力だよ。それを言うなら、馬耳東風だろう。あれっ、違う? 豚に真珠? 違う。えっと…。温故知新? 全然違う…。
「じゃあ、何だよ」
速水の突っ込みに、田口は首を捻ってさらに考える。
「臨機応変」
そうしてようやく?思いついた、それらしい四文字熟語を口にした…。が、速水はにやにや。そして、
「どっちかというと、厚顔無恥だろ」
と、とてつもなく失礼なことを口にした。それに、田口はムッとなる。しかし、速水は、
「臨機応変よりは似合っていると思うけど…」
と、断言する。
確かに、自分にそんな面があるのを田口は否定できない。だが、他に言い様はないのだろうか。
田口は速水に反論すべく四文字熟語を探すが…。どうしても、いい言葉が見つからない。
「まあ、俺たちの貧弱な語彙力じゃ仕方ないか」
仕方なく、田口はほんの少し悔しさを残しながら、自ら、この戦いに終止符を打った。なので、テープルの端に置いた雑誌をぱらぱらとめくった速水が、にんまりと物騒な笑みを口元に浮かべたのには、全く気づかなかった。
さて、ジェネラルは何を企んでいるのでしょうか? 続きがあるかも。