宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

85 胡四王山の”小林岩谷不動”

2008年12月09日 | Weblog
 以前、”『銀河鉄道の夜』とのこと(その6)”で「雨ニモマケズ手帳」の最終ページに”五庚申 七庚申”という文字が描かれていることは報告済みだが、胡四王山の麓や周辺には七庚申塔や庚申塔が立ててある。例えば、胡四王山麓には岩谷不動という社があるがそこに七庚申塔がある。
 また、胡四王山の三峰神社の胎内くぐりについては”(2)胡四王山(その1)”で報告済みだが、岩谷不動のそれは三峰神社の胎内くぐりよりもはるかにスケールがでっかく通りにくい。

 そこで、今回は岩谷不動の報告をする。

《1 正式名は小林岩谷不動らしい》(平成20年6月20日撮影)

《2 岩谷不動の場所》(『花巻市博物館 第7回企画展 胡四王山の世界』より)

胡四王山には胡四王山神社の他にいくつかの神社等があり、この岩谷不動は胡四王神社の北西方向300mほどの所にある。この上図では右側の部分に描かれている(小林という字の上の木々の間である)。
《3 階段状の参道》(平成20年6月20日撮影)

《4 参道脇の石塔》(平成20年6月20日撮影)

左端が庚申塔、その右が七庚申塔である。
《5 岩谷不動の社》(平成20年6月20日撮影)

この社の左手には
《6 苔むした径》(平成20年6月20日撮影)

があり、そこを登っていけばその先に
《7 大岩の隙間》(平成20年6月20日撮影)

がある。隙間の高さは身長の2倍以上はあろうか。この隙間を身体を横にすると胎内くぐりが出来る。やっとのことで通り抜けて
《8 逆サイドから見た隙間》(平成20年6月20日撮影)

である。出口側から径は
《9 下り坂》(平成20年6月20日撮影)

になっていて、
《10 社の屋根が見える》(平成20年6月20日撮影)

から、そのまま径を辿っていけば先程の社の前に戻れる。
 参道脇は広い草地になっていて、そこから見上げた
《11 社》(平成20年6月20日撮影)

である。
 なお、ここの境内には
《12 不思議な大木》(平成20年6月20日撮影)

がある。見ての通り左の枝は切断されているが、左の枝には葉が茂っている。もちろんずり落ちない。切断はされているが上の方で右側の枝にくっついているせいだろうか。また、なぜこのような切断がなされているのだろうか?

 最後に、いまは木が生い茂っていて胎内くぐりの全貌が掴めないので、昔の絵はがきから
《13 岩谷不動の胎内くぐり》(『花巻市博物館 第7回企画展 胡四王山の世界』より)

の全貌を掴んでほしい。

 胡四王山には”千手観音堂”という社もあるので次回はその報告をしたい。

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