下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。
宮澤賢治の里より
84 草井山
宮澤賢治は当初「経埋ムベキ山」の一つに草井山を入れていたのだが、後ほど取り消した。その草井山に行ってみたので報告する。
訪れたのは10月半ばであり、麓には咲いている花はあまりなく
《1 ヤクシソウ》(平成20年10月13日撮影)
や
《2 タチアザミ?》(平成20年10月13日撮影)
《3 〃 》(平成20年10月13日撮影)
《4 〃 》(平成20年10月13日撮影)
ぐらいなものであった。登り始めると
《5 リンドウ》(平成20年10月13日撮影)
《6 〃 》(平成20年10月13日撮影)
《7 〃 》(平成20年10月13日撮影)
やセンボンヤリそして
《8 センブリ》(平成20年10月13日撮影)
《9 〃 》(平成20年10月13日撮影)
《10 アキノキリンソウ》(平成20年10月13日撮影)
などが咲いていた。
次の
《11 麓から撮った写真》(平成20年10月13日撮影)
の鉄塔のところまではとりあえず辿り着けた。そこから
《12 草井山頂上》(平成20年10月13日撮影)
は直ぐそこなのだが、あちこち探し回っても頂上への道は見つからず、藪こぎをしてまでも登る気力はなかったので諦めてしまった。
頂上までは行けなかったのだが、賢治が「経埋ムベキ山」の候補にしながら抹消したことに対しての疑問は湧かなかった。他の多くの「経埋ムベキ山」が有するその雰囲気が草井山(413m)にはあまりなかったからである。
一方では、私が調べてみた限りでは、草井山については賢治の作品には全く登場していないようだ。
なお、そこから見た真向かいの
《13 江釣子森山》(平成20年10月13日撮影)
である。
続きの
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訪れたのは10月半ばであり、麓には咲いている花はあまりなく
《1 ヤクシソウ》(平成20年10月13日撮影)
や
《2 タチアザミ?》(平成20年10月13日撮影)
《3 〃 》(平成20年10月13日撮影)
《4 〃 》(平成20年10月13日撮影)
ぐらいなものであった。登り始めると
《5 リンドウ》(平成20年10月13日撮影)
《6 〃 》(平成20年10月13日撮影)
《7 〃 》(平成20年10月13日撮影)
やセンボンヤリそして
《8 センブリ》(平成20年10月13日撮影)
《9 〃 》(平成20年10月13日撮影)
《10 アキノキリンソウ》(平成20年10月13日撮影)
などが咲いていた。
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の鉄塔のところまではとりあえず辿り着けた。そこから
《12 草井山頂上》(平成20年10月13日撮影)
は直ぐそこなのだが、あちこち探し回っても頂上への道は見つからず、藪こぎをしてまでも登る気力はなかったので諦めてしまった。
頂上までは行けなかったのだが、賢治が「経埋ムベキ山」の候補にしながら抹消したことに対しての疑問は湧かなかった。他の多くの「経埋ムベキ山」が有するその雰囲気が草井山(413m)にはあまりなかったからである。
一方では、私が調べてみた限りでは、草井山については賢治の作品には全く登場していないようだ。
なお、そこから見た真向かいの
《13 江釣子森山》(平成20年10月13日撮影)
である。
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